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しおりを挟む二十歳になる絵美さんは早くに親を亡くしている。
母親が突然体調を崩したのは絵美さんが小学五年生の時のこと。
癌と分かった時にはもう手遅れの状態で、半年後には病院で息を引き取った。
明るい母が苦悶しながら死に近づいていく様子は痛々しく、絵美さんの心に大きな影を落とした。
母の死後、父親と二人きりの生活が始まる。
絵美さんの当時の住まいは郊外の住宅地にある小さな一戸建て。
父親はどちらかというとがさつで無神経な男である。
が、よく気が利く母親との仲は悪くはなかった。
口には出さないが、やはり妻のことを大切に思っていたのであろう。
眉間の皺は深くなり、現実から逃れるように日に日に酒量が増えていく。
絵美さんは絵美さんで母親の役割を担おうとむやみに家事を頑張った。
が、それもまた逃避だったと言える。
母親の死を考えたくない。頭から振り払いたいのだ。
二人の口数は以前よりも明らかに減っていた。
よく笑う太陽を失った家の中は、妙に静かで空気が重い。
母の四十九日を終えた。
その間に秋は過ぎ、初冬を迎える。
ある夜、絵美さんは帰宅の遅い父を待ちながらソファーに寝転んでテレビを見ていた。
そしていつの間にか眠り込んでいた。
ハッと目を覚ます。いけない、布団で寝なきゃ風邪ひいちゃう・・・。
そう思った瞬間、気がついた。
自分に毛布が掛けてある。
寝ている間に父が帰ってきてたんだ、と思った。
普段なら黙って毛布を掛けていくような気遣いの出来る父ではないのに。
ちょっと嬉しい。
「お父さん?」
絵美さんは父を探して家の中を一通り回った。が、いない。
玄関の土間に父が履いていった靴もなかった。
まだ帰ってない。
そうか、自分で寝ぼけたまま無意識に毛布持ってきたんだ。
絵美さんはそう考えるしかなかった。
それを皮切りに奇妙な出来事が立て続けに起こり始めた。
家事疲れで寝坊した時、誰かに優しく揺さぶられて目を覚ました。
体を起こして部屋を見回す。
誰もいない。
遅刻は免れたが釈然としない。
急な雨に焦って学校から帰ると、干しておいた洗濯物がちゃんと取り込んで綺麗に畳んである。
うっかり忘れ物をしたまま家を出ようとすると玄関にそれがぽつりと置いてある。
ある時は電話に夢中になって火に鍋を掛けていた事をすっかり忘れてしまった。
思い出して慌てて戻ると、いつの間にかコンロの火は止めてある。
そんな事が度々あった。
何が起こっているのか。
考えれば考えるほど、全ての事柄が一つの結論に収斂する。
母がいる?
絵美さんは仏壇の前で呼んでみた。
「お母さん?」
既に懐かしく思える母の香りがふっと鼻をくすぐった。
絵美さんの父親は心霊関係の話が大嫌いなタイプであった。
テレビの番組でそういう話題が始まるとすぐさまチャンネルを変えるほどだ。
頭っから信じてないし、幽霊云々を口にする者は馬鹿だと断じていた。
だから絵美さんは父には話せない。
死んだ母親が家にいるかもしれないなんて言ったら烈火の如く怒るだろう。
しかし、その父ですら何かを感じ取っているような気配を見せ始めた。
「最近、妙なことが多いな・・・」
そんな言葉を呟くようになったのだ。
具体的な事は絵美さんには話さないが、父は父で何か不思議な体験を何度もしているのであろう。
そして、遂に決定的な出来事が起こった。
その寒い夜、台所と隣接した居間で父娘は夕食を摂っていた。
料理の腕前をめきめきと上げ始めた絵美さん手作りの餃子。
だが、父が美味いの一言も口にしないのは相変わらずだ。
とは言え、その表情は充分に味に満足している様子であった。
閉めた扉の向こう、台所で微かな物音がした。
何だろう?
気にしていると異様な気配を感じ始めた。
不審に思った絵美さんが席を立つ。
確認しようと扉を開けた。
そこにいる者を見て声もなく立ち竦んだ。
母だ・・・・・・。
お母さんがいる!
ぼうっと薄い光を纏い、生前のお気に入りの服を着た母親の姿がそこにあった。
そして、同時に目に入った衝撃的な光景。
後で食器を洗うので台所のストーブはつけっぱなしにしてあった。
その上で布巾が燃えている。
乾かそうとストーブの横の室内物干しに掛けておいたものが落下したらしい。
母親は燃える布巾を手に取って持ち上げ、水を張った流しの洗い桶の中に放り込んだ。
そして呆然と見つめる絵美さんに気付いて振り向き、めっ! とでも言うような表情を見せたあと微笑んで消えた。
死後の母の姿を見るのは初めてであった。
絵美さんの後ろにいつの間にか父親が立っていた。
小刻みに震えている。
父も見たのだ。
しかし。
「幻覚だっ!!」
父親は絵美さんが何も言わないうちからそう怒鳴り、憤然と自分の部屋に引っ込んだ。
翌日、絵美さんは思い切ってこれまでに起こった出来事を父に話した。
だが、父親の態度は頑なであった。
取り合わないばかりか、終いに怒り出した。
全部気のせいだ!
心が弱いから惑わされるんだ!!
その後は母親の話をするのはまるでタブーのようになった。
が、母は姿こそ見せないものの相変わらず何かと絵美さんの助けになってくれていた。
母を見てから二週間程経った土曜日の夜、父親は絵美さんに言った。
「明日お客が来るからな」
父が客を招くのは珍しい。
「会社の人?」
絵美さんは聞いた。
「いや、霊能者とかってやつだ」
父の返事に絵美さんは言い知れぬ嫌悪感を覚えた。
「・・・・・・何で?」
「馬鹿馬鹿しい話だが・・・お祓いを勧められたからな」
父はそう答えた。
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