カンテノ

よんそん

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第2章 カーネイジ

2-4 峡峰

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「そんなにお強いのですか? ならば今回の旅路は安泰ですね」

  そう口にしたのは前髪さんだった。そして室内にはその前髪さんお気に入りのジャズが流れている。あれから僕も現実世界で聴いてみたが、静かでいて、それではっきりとした音をしていて、僕はすっかり虜になってしまった。

「だーいじょぶっしょ! シルベーヌさんに敵う奴なんてこの日本にいないいない。ゼブルム? 全員彼女が倒しちゃうね!」

  姉はいつも以上にハイテンションだ。さすがに全員倒すのは無理があるだろう。恐らくディキャピテーション以上に強い奴らがいるはずだ。

「ゼブルムっていったいどんな組織なの? 姉さんは何か知ってる?」

  僕の問いかけに対し、姉は首を振った。

「いや、残念ながら知らないんだ。あたしらも組織の名前までは知らなかった。だから、今回の旅で何かわかるといいんだけどねー」

  そうか、姉でさえ知らないのか。それだけ謎に包まれているという事になるわけだ。

「しかし、この襲ってきた集団、妙ですね。攻撃パターンだけ見れば明ら様にど素人です。なのにやたら打たれ強い」

  先刻の乱闘シーンの映像をじっと見つめていた前髪さんが疑問を口にした。僕もそれは気になっていた。2、3発殴っても全く倒れず、体を鍛えていたのだろうという事で済ませていたのだが、やはり違うのか。

「うん、恐らくは何らかの薬物の投入、もしくは催眠術か何かで強化されていると予想される。あたしが見てもおかしいと思うよ」

  姉さんも冷静に分析していた。薬物? だとしたら、またあの時の工場が絡んでいるのだろうか。

「現段階ではなんとも言えないね。ただ、シルベーヌさんは気づいていたようだ。2、3回ほど峰打ちした後はずっと刃で確実に斬っている。殺さない程度にね。流石達人」

  そうだったのか。あの戦況でそこまで見極めていたなんて、やはりすごい人なんだな。しかしその反面、僕にやたらべたべたしてくる場面の方が圧倒的に多かったので、ついそっちの顔の方が勝ってしまうのだよな。

「ふむ。想くん、なかなか敵も一筋縄ではいかないかもしれません。油断せずにいきましょう」

  前髪さんもいつになく真面目だ。前髪が顔を覆っているからいつもと変わらないようにしか見えないが、この1週間で言葉の抑揚など、微々たる変化で彼の感情を少しだけ読み取れるようになってきた。

「うん。気を抜かずに行ってくるよ。2人とも、アドバイスありがとう! そろそろ戻るよ」

「えぇー、もう帰っちゃうの? これからお酒飲もうと思ってたのにー」

  おいおいマジかよ。

「なんだって!? それは大変だ! 想くん、早く現実世界に戻りなさい!」

  暴れ出そうとしている姉を前髪さんが押さえてる。今のうちに戻らなきゃ。目を閉じた瞬間に「酒ー! 酒をもってこーい!」という声が遠くで聞こえた気がした。


「あら? そーちゃん、もう起きたの?」

  新幹線の中だ。通路を挟んだ左側の席には堂島どうじまさんと一颯いぶきさんの2人が旅行雑誌を見ながら話をしている。

「はい、僕、少し仮眠出来れば充分なので」

  クアルトでの1秒が現実世界では0.01秒で、だいたい30分くらいいただろうか? となるとまだ20秒も経過してなかったな。流石に短時間すぎる仮眠だ。シルベーヌさんはクスクスと笑っている。

「そっかぁ。やっぱりあたしとお話したくて起きちゃったのかなぁ?」

  シルベーヌさんは意地悪そうな笑みを浮かべながらそう言ってきたが、

「はい、そうです。あなたとお話いっぱいしたくて」

  と、僕が真顔で答えると、予想外だったのか目を丸くしている。本当の事だ。姉さんの話を聞いて、この女性を全面的に信頼しているし、その決意を固めたらいろんな話をしてみたくなった。

「あの公園で襲ってきた集団、彼等は何かドーピングされていたんですよね?」

  また僕は単刀直入に質問した。シルベーヌさんは綺麗な眉をピクンと動かせたあと、息を吐くように口元を緩めた。

「そうよ。気づいてたのね? 偉いわ。何が原因で、何が作用しているのか、あたしにも今は全くわからないわ。でも、ディキャピテーションの事件、峡峰での公害問題、そして公園での奇襲。バラバラのようでいてどこか繋がっているようにしか思えないの。これはあたしの乙女の勘なんだけどね」

  最後は少し戯けるように、それでいてどこか真面目な口調だった。やはり不思議な人だ。

「わかります。僕もそう思います。そしてやはり、この事件は僕も解決しなきゃならないものなんじゃないかなって。なんとなく」

  上手く言葉にはできないが、そう思った事を口にした。

「そう。あたしも嬉しいわ。一緒に頑張りましょうね! そーちゃんさっきと変わった? 少しはあたしに気を許してくれたのかな?」

  むしろ、今まで疑っていた事を申し訳なく思っている。でも、それを言いたかったのに、僕の口からは思いも寄らない言葉が出る。

「はい。姉さんがあなたの事を信じていいと言ってくれたので。あなたの事を、『間違いなく大親友だ』と言っていたので」

  しまった。いや、姉さんと話した事を言ってはいけない訳ではないのだが、これじゃあまるで幽霊とお話できる痛い人じゃないか。まぁ実際そうなのだが。
  恐る恐るシルベーヌさんの反応を確かめるべく、彼女を見ると、シルベーヌさんは、――泣いていた。一筋の涙が頬を伝っていた。

「あ……ごめんなさい、あたし。つい涙が……」

  シルベーヌさんは人差し指で涙を拭った。細く、白く、長い指。とても刀を持つような手には見えない。綺麗だ。

「あたし、あの時、そーちゃんに煉美の『親友』だって紹介しちゃったわよね。あたしは確かにあの娘と仲がよかった。でも、それと同時に何度も意見の衝突をしていたから、もしかしたら嫌われてたかもって思ってた時もあって。自信がなかったの。でも、あの娘は、煉美は、あたしを『大親友』だと言ってくれたのね? それだけで、あたしは救われるわ。これからも、誰にも、どんな困難にも、絶対に負けない強さを持てる。そう、間違いなく『大親友』よ」

  意外だった。こんなにも芯の強い人がつらい葛藤を抱いていたなんて。

「あなたは強いですよ。姉はきっと、刀の事だけじゃなく、精神的な事についても言っていたんだと思います」

  僕のその言葉を聞いて、シルベーヌさんは僕の手を握った。

「うん、ありがとう、そーちゃん」

  彼女は目を細めて笑った。
  新幹線の車内で、シルベーヌさんとは姉さんとの思い出を語ったり、ディキャピテーション事件での経緯や激闘について話したりした。彼女はにこにこしながら話を聞いてくれ、時には驚いたり、傷の心配をしてくれた。
  そんな話に花を咲かせていたら、いつの間にか目的の駅に到着してしまった。

「わーっ、ここが峡峰ですか! すごーい! 綺麗な街ですねー!」

  駅を出た一颯さんは、すっかりはしゃいでしまっている。その一颯さんに寄り添うように、シルベーヌさんは一颯さんの肩に手を置いた。

「そうよ! 少し離れた所には温泉もあるから明日行きましょう。今日はもう遅いし、ホテルでゆっくり休みましょうね」

  時計を見たらもう22時を回っていた。シルベーヌさんが予約していたホテルへとチェックインを済ませる。安全面に備えて、僕と堂島さんで一部屋、シルベーヌさんと一颯さんで一部屋と割り当てられた。そこまで考えて行動しているシルベーヌさんはやはり旅慣れしている。海外での旅なら尚更だ。

「おぉー、広いな! なかなかいい部屋だ」

  部屋に入るなり、堂島さんが喜んでいた。窓からは街並みが一望できる。本当に見知らぬ土地に来てしまったんだな。興奮と不安が入り交じった心境で、あまり落ち着かない。とりあえず、荷物を整理するか。

「シャワー先浴びてくるなー。想はゆっくりしててくれー」

  堂島さんはそう言ってバスルームへ行った。僕はどうしようかな。ゆっくりしたいのも山々だが、せっかくだし少し周辺を見てこようかな。
  ロビーに行くと僕達のような宿泊客が次々とやってきていた。やはり、人気なんだろうなー。なんだか現実感がなくぼーっとしてしまう。

弖寅衣てとらいくん、お散歩ですか?」

  振り返ると一颯さんがいた。さっきと違いワンピースを着ている。上は黒だが、腰から下がチェック柄になっている。そして、

「あ、眼鏡……」

  一颯さんが眼鏡をしている。黒縁でフレームは大きめだ。普段はコンタクトだったのだな。

「え? あ、はい。眼鏡してます。似合わないですか?」

  少し恥ずかしそうに、彼女は眼鏡の位置を直していた。

「そんなことはないと思います。堂島さんがシャワー浴びちゃって、なんか部屋にいるのも落ち着かなくてどうしようかなーと思っていたところです。一緒に周辺散策しますか?」

「そうだったんですか! シルベーヌさんもシャワー浴びてるところなので、ぜひ御一緒したいです」

  というわけで、一颯さんと一緒に街に出ることにした。駅周辺ということもあり、閉店時間を過ぎた店は多いものの、この時間帯でもまだ人は出歩いていた。歴史の名残りを感じさせる街並みは、見ていて飽きを感じさせない。

「いつも見ている街とは全然違いますよね。異国に来たような気分です」

  街並みを眺めているだけでも楽しそうだった一颯さんだったが、その視線がふと止まる。
  僕もそちらを見ると、居酒屋から店主らしきおじさんが転げ出るように店から出され、続いて3人の男達が現れた。店主を見下ろしている男達はみな体格がよく、サングラスをしている者、金髪の男、刈り上げ頭の太った者だった。

「だからさぁ、メシもクソまじいし、酒もまじいんだから、タダにしろっつってんの」

  サングラスの男が店主の髪を掴み上げた。一颯さんが怯えて僕の服の袖を掴んできた。その手を僕が掴む。

「大丈夫です。あんなの許せないし、見過ごせないです。行きます」

  そう言って僕は男達の真横に立つ。よく見れば店主のおじさんの顔は濡れており、殴られた痕もある。

「離してあげてください。あなた達は自分がやってる事わかってるんですか?」

  突然の乱入者に、男達はさらに機嫌を悪くする。

「何お前? 何だよこの青頭? 殴られたいの?」

  太った男が掴みかかってきた。周りには通行人もいるが、この街でも皆ちらりと見ただけで過ぎ去って行く。人間の習性なのだろうな。

「離してあげてくださいって言ったんですよ。聞く気がないなら力ずくでいきます」

  僕の言葉に逆上した太った刈り上げ頭は、僕を掴んだまま殴りかかってきたが、遅すぎる。毎日前髪さんのスピードに合わせているからこの程度赤子同然だ。
  男の拳を軽々避けて、透かさず男を殴り返し、続けてその太った腹に蹴りを入れ、突き飛ばす。

「弱い」

  思わず口をついて出てきてしまった。それを聞いた残りの2人の男、サングラスと金髪も頭にきたのか、一斉に飛び掛ってきた。
  グラインドを使って、僕はそばにあったゴミ箱を2人にぶつける。そして、そのゴミ箱に入っていたゴミをそいつらの口に押し込む。ゴミを撒き散らさないようにゴミ箱は元の位置に戻す。

「ぶっぶへぇ! 何がどうなってんだよ!?」

「大人しく去りなさい。次はもっと重い物をぶつけますよ?」

  そう言うと、男達は苦悶の表情を浮かべつつも立ち去っていった。

  と、その時、少し離れた所から僕を見ている男がいた。周りの人間はみな横目で見ながら過ぎ去って行くのに、その金髪坊主頭の男は立ち止まって、こちらを見て、そして笑っている。

「グラインダーか」

  男は確かにそう呟いた。ハッ、として男を追いかけようか迷ったが、男は立ち去り、夜の闇へ消えていった。グラインドを知っているのか。何者なんだ?
 
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