カンテノ

よんそん

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第2章 カーネイジ

2-12 剣精

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 川に落ちた僕をなおもイナゴが襲いかかる。その上、川の流れが予想していたよりも激しい。どうすればいい? 何かないのか?
   川の底にある小石、それを無数にかき集め、僕の周りに飛ばす。小石による防御壁が僕の周りをぐるぐる回る。これで少しは防げる。
  川の中は思ってたよりも水深が深く、そして水が濁っていて視界が悪い。それでも近くにあった岩に手探りで捕まる。その岩をグラインドで水面に浮かすことでやっと川から這い上がり、別の大きな岩場の上に倒れ込んだ。
  息が苦しい。イナゴの刃による傷は痛むが、大丈夫だ、そんなに深くないはずだ。

弖寅衣てとらいくん! 大丈夫ですか!?」

  見上げると近くまで来ていた一颯さんがいた。

「は、はい。なんとか、生きています」

  呼吸を整えながらも僕はそう答えた。一颯さんに身体を支えてもらいながら、なんとか上半身を起こす。周囲の状況を確認すると、先程いた位置からさほど離れていないようだった。

  しかし、状況が妙だ。戦場が静か過ぎる。皆、動きが止まっている。堂島さんもシルベーヌさんも、あの3人も。どうなっているんだと疑問に思っていたが、その疑問はすぐに解消された。恐ろしい程の殺気が川原一帯に満ちている。

「おい。お前、何をした」

  言葉を発したのはシルベーヌさんだった。いつもの声のトーンではない。シルベーヌさんのその目は、ローカスト1人に向けられている。

「あたしの想ちゃんに、何をしてるんだ?」

  今までと全く雰囲気が違う。その場にいる誰もが凍りついている。
  視線を向けられたローカストは、訳の分からぬ単語をぶつぶつ呟いていたが、自身の頭上に大量のイナゴを集めるとそれを1本の棒状に固める。
  そして、無数のイナゴで出来たそれをシルベーヌさんに向かって振り下ろした。
  ――――キンッ。
  シルベーヌさんがフィータスと呼んでいた日本刀を、下から上へ切り上げると共に、イナゴでできた丸太は脆くも崩れ去った。
  振り上げられたその日本刀は白かった。普通、刀の峰の部分は黒や灰色なのだが、その部分も白く、日光を受けた刀身全体が輝きを放ち、美しかった。

  ローカストは何か喚き散らしながらも、更に何千ものイナゴを放ち、それはシルベーヌさんへと容赦なく襲いかかる。
  しかし、その悉くが羽を散らし無残にも落ちていく。シルベーヌさんは1振り、2振りと刀を振った後、足場の悪い岩場の上を俊敏に動きながらイナゴを斬り落としていく。
  腰を落とし、3m近く跳躍しながら上空にいたイナゴも斬り刻んでいった。そして大きな岩へと着地する。

「いいか、お前は、殺す」

  ローカストよりも高い位置にいるシルベーヌさんは、奴を冷ややかな目で見下ろしながらそう言った。
  ローカストは集めたイナゴに乗り、川岸にそびえる岩山の崖へと登り、安全地帯を確保した。そして、また何千、いや何万以上の夥しいイナゴを集めた。
  今まで以上の量のイナゴはそれぞれがいくつもの束を作り、回転を始める。それはあたかも、ドリルのようだった。ガリガリという音を立てて、周囲の岩をも削っている。10組あるそれが、シルベーヌさんへと襲いかかっていた。        

  こんな、こんな攻撃、人間がどうこう出来る訳がない。ローカストの前にできたイナゴの黒い塊、いくつものそれが重機のようにシルベーヌさんを突き刺そうとしていた。

  その時、周囲の空気がまた変わった。シルベーヌさんが直立姿勢でありながらも、右手に持った日本刀の刃先を頭上に向けて構えている。そして、左手にはまだ黒い鞘も持っている状態である。
  あまりにも強烈な殺気が辺りを満たしている。味方であるはずの僕でさえも「殺される」と思った。

恒河沙ごうがしゃ一刀流奥義――デストロイ・ジ・オポジション」

  シルベーヌさんがそう言うと渓谷に、轟音が鳴り響いた。その音だけは確かだった。目を離さず見ていたはずだったのだが、殆ど何も見えなかった。
  唯一辛うじて視覚で認識出来たのは、最後にシルベーヌさんが宙に浮きながら、膝を折り曲げた体勢で、横回転しながらローカストの首を斬り落としたその瞬間だけだった。
  ローカストとシルベーヌさんの間にはあのドリルのようなイナゴの大群がいた筈だが、それも綺麗に消えていた。

  予想でしかないが、あれを全て斬りながらも、5mはあっただろうあの高さを跳躍し、回転を加えて倒したのか。もしくは初めから回転しながら進んで行ったのか。
  そして、岩壁には日本刀では有り得ない程の大きさの切り傷が幾つも残っていた。それがあの轟音の正体だった。

「ど、どうなってやがる……あの、ローカストが死んだのか? あいつ、あれでも何人もの人間を殺して、組織でも有名な殺し屋のはずだろ?」

  アイレッスルドベアは狼狽えている。

「間違いねぇ……あの女は、マジで剣精だ。あんな技、有り得ねぇ……人間じゃねぇよ」

  サターンズ・リングはもう笑う余裕を失っていた。

「いいか。あれは見せしめだ。想ちゃんを、あたしの仲間を傷つける奴の首は斬る」

  先程の凄まじい殺気と剣気は収まりつつあったが、それでもアイレッスルとサターンに対して殺意の篭もった目を向けている。

「シルベーヌさん、強すぎる。ここにいる誰よりも」

  僕が呟いたのを隣にいた一颯さんが聞いていた。

「いつものシルベーヌさんと全然違いますね。弖寅衣くんを傷つけた事に余程怒ってるようですし、そして私達を守ろうとしてくれている」

  一颯さんの言う通りだ。これが彼女の、シルベーヌさんの僕らへの気持ちの具現、心の形だ。

「あ、いけない。そこのアイなんとかさんは百々丸くんの敵だったわね!」

  思い出したように呑気にそう言ったシルベーヌさんはいつもの彼女に戻りつつあった。アイレッスルドベアはその彼女の言葉に腹を立てているようだった。

「俺の名前はアイレッスルドベアだ! 覚えとけ! 何が、何が、剣精だ! 知ったこっちゃねぇ! ぶっ倒してやる!」

  そう言ってアイレッスルドベアは飛び掛りながらシルベーヌさんに向かって拳を向けていた。
  が、その瞬間、堂島さんは近くの岩場を蹴り、回り込むように飛び上がり、アイレッスルドベアとシルベーヌさんの間に割って入る。
  身体を捻り、体勢は空中で横になりながらも蹴り上げた足でアイレッスルドベアの拳を跳ね返した。そして見事に着地する。

「お前の相手は俺だって言ってんだろ。俺に勝てねぇようじゃ、姉さんにも勝てねぇぞ」

  吊りあがった三白眼でアイレッスルドベアを睨んだ。

「そういう訳で、残ったのはあなたね。あなたにあたしが倒せるかしら?」

  シルベーヌさんはサターンズ・リングに向けて刀の切っ先を向ける。奴は歪んだ表情を浮かべながらもシルベーヌさんを睨んでいた。
  と、そのシルベーヌさんの背後で、ゴォンと大きな音が鳴った。アイレッスルドベアが拳で岩を真っ二つに叩き割ったようだ。堂島さんは難なく回避したのか、余裕の表情でその岩の前に立っていた。

「こりゃすげぇな。フルパワーってやつか」

  すぐに第2の拳が堂島さんに向けて放たれていた。しかし、堂島さんのいる岩場は足場が狭く、川に囲まれており、避けるのは困難だ。堂島さんはそこで、左足を高々と垂直に蹴り上げ、アイレッスルドベアの拳を跳ね除けた。
  そして、がら空きのアイレッスルドベアの胴に零距離での正拳突きを放つ。殴るというより、突き飛ばす効果を産んだそれにより、アイレッスルドベアの身体は5m先の岩へと打ち付けられた。

  そこへ、追い討ちをかけるように堂島さんが岩場を跳び、助走を活かし少し大きな岩場へ登り、その上で逆立ちするような姿勢になり、両手の力だけで飛び上がる。体操で使うあん馬のようだった。
  空中でさらに身体を縦に半回転させ、体重を乗せた蹴りをアイレッスルドベアの横顔に命中させた。奴の身体はまた別の岩へと打ち付けられ、川へと落ちた。
  しかし、すぐにアイレッスルドベアは川から上がり、別の岩場に立った。やはり頑丈だ。しかし、ずぶ濡れ状態の奴の顔からは血が流れ出していた。

「て、てめぇ! つけ上がるなよコラァ!」

  激昂したアイレッスルドベアは強化された脚力によって岩場を蹴り、猛スピードで跳び、堂島さんの顔面目掛けて蹴りを放った。
  しかし、堂島さんは少し身を屈めただけでそれをひょいと躱す。が、アイレッスルドベアはまた別の岩場を蹴り、先程よりも勢いが増した突撃によってパンチを繰り出していた。
  先程岩を割った時に近い、ゴンという音が鳴った。堂島さんはアイレッスルドベアの拳を両の手のひらで受け止めていた。

「お前の弱点を教えてやる。それは自分の肉体強化能力に頼り過ぎている事だ。てめぇの強力なパンチなら確実に相手を仕留められる、そう思い込んでいる所だ。だから攻撃パターンが単調になんだよ。単純な攻撃で顔を狙おうとしてくる。それさえ前もってわかってりゃあ、躱すのも防御すんのもわけねぇんだよ」

  アイレッスルドベアの拳を掴んだまま話した堂島さんは、今度はその腕を掴み、すぐ近くの岩へと奴の身体を叩き付けるように投げ飛ばす。
  岩にぶつかって跳ね返り、空中に浮いたアイレッスルドベアの顔面に向かって堂島さんは重い拳を叩き込んだ。

  殴られる瞬間のアイレッスルドベアは恐怖の色を顔に浮かべ、凄まじい音を立て、殴られた奴の身体は川底へと落ち、やがて動かなくなった身体が浮き上がり、下流へと流されていった。

「うん! よくできました! ナイスファイト!」

  サターンズ・リングと対峙していたシルベーヌさんも堂島さんの戦いを見ていたらしく、左手に鞘を持ちながらも、その左手の親指を立ててグッドサインを送った。

「おうっ! 楽勝だ」

  堂島さんもグッドサインを返す。すごい、本当にアイレッスルドベアを倒してしまった。やはり、堂島さんはすごいな。アイレッスルドベアの動きを分析しながらも、その攻撃は無茶苦茶だ。

「余所見すんなよ、女ァ!」

  と、サターンズ・リングはシルベーヌさんへと不意打ちのパンチを放ってきた。しかし、シルベーヌさんは左手に逆手で持った鞘でその拳を弾き飛ばす。

「人がお話をしてる時に不意打ちとは、最低ね」

  シルベーヌさんはそう言って白い日本刀を振り下ろした。が、その日本刀の動きが途中で止まってしまった。どうなっているんだ? あのシルベーヌさんの刀を止めたのか?
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