カンテノ

よんそん

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第2章 カーネイジ

2-17 記憶

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 夢を見た。クアルトではない。これは、本当の夢だ。猫がいる。あの湖で助けた猫か? 違う。これはもっと古い記憶。
  何年前だっただろうか。当時、僕はまだ高校生だった。1年生、いや2年生の時か。場所はあの公園だ。金曜日の夜に訪れ、シルベーヌさんと会った、都会のど真ん中に位置する、あの広く大きな公園。

「そーくーん、どうしたぁ?」

  後ろから姉が近付いてくる。この時、姉はまだ生きていて、大学生だったかな。
  学校が終わったら2人で一緒に帰る約束をしていた僕達は、あの広い公園を訪れていた。

「姉さん。猫がいるんだ。子猫」

  僕が指をさす。まだ産まれて間もない、小さな黒い子猫。それまで僕は黒猫にはどこか不吉なイメージを持っていたが、その子猫は人懐こいのか、僕の足に頭を擦りつけながら近付き、ぺろぺろと僕の手の平を舐め、すごく可愛かったんだ。

「本当だぁ! 可愛いね!」

  そう言って、姉さんは黒い子猫を抱き上げた。片腕で持てる程の小ささで、姉はもう片方の手の指先で、猫の頭を撫でている。

「姉さん、この猫飼えないかな? うちはダメだから、姉さんの所で」

  しばらく2人で猫と触れ合った後、僕は姉に提案する。大学生の姉さんは昨年から一人暮らしを始めていた。周りにこの子猫の親らしき猫は見当たらなかった。

「うん! いいよ! あたしの部屋ペットOKだし。飼おっか!」

  姉がもっと悩む事を予想していたのだが、あっさりと彼女は了承してしまった。
  それから、僕は姉の部屋に遊びに行く度に、その黒猫とじゃれ合っていた。子猫だった黒猫は数ヶ月でみるみる大きくなっていった。

  何という名前だったか。名前が全く思い出せない。確か、姉が当時好きだったアーティストか何かの名前を付けた気がしたのだが。




「きゃあーっ!」

  悲鳴が聞こえ、はっと目を開く。夢から醒めた。どんな夢だったかは思い出せない。悲鳴を発したのは一颯いぶきさんだった。僕の隣で、僕の腕に掴まっている。
  そして、目の前にはあの大きな黒い狼が飛び掛ってきている。高く宙に浮き、牙と爪を立て、メラメラと燃えている。
  バーント・イン・ザ・サン。太陽に燃やされた狼は、今や太陽そのものの様だった。それが僕と一颯さんを襲いかかろうとしている。だめだ、頭が回らない。

「うおぉー!」

  そこに大きな男が現れた。堂島さんだった。彼は、僕達の前に駆け付け、そして狼の突撃を受け止めた。
  右腕で狼の大きな口を塞ぐように防御し、左手で狼の前足を受け止めていた。しかし、狼のもう片方の前足の爪が堂島さんの右腕へと食い込んでいた。血が流れ出している。

「くっそがぁ! 俺はなぁ! お前らを絶対守るって決めてんだよ! 何があろうと! どんな奴が相手だろうと! 何度でもだぁ! お前らは、絶対に、俺が守る! 」

  僕達に言うように、そして自分自身に言い聞かせるように、堂島さんは叫んでいた。その誓いは、あの時初めて3人で食事をした時の約束を今もなお継続しているように聞こえた。

  だが、堂島さんの腕からは血がどんどん流れ出し、さらに服が燃え始めていた。
  そこに、狼の背後から猛スピードで近付いた人影がいた。シルベーヌさんだった。彼女は狼の横側から刀を振り下ろした。そこで狼はようやく堂島さんから離れ、僕らから距離をとった。

  僕は何をしているんだ? いつまで休んでるんだよ。何をしにここに来たんだよ。身体が痛くても、立つんだ。大事な仲間がここまで身をていしてるんだよ。自分がすべき事を思い出せよ。

「ドド、大丈夫か!? 一颯さんと一緒に休んでてくれ」

  僕は立ち上がり、彼に声をかけ様子を見る。ナイロンパーカーのおかげか、火傷は酷くない様だったが、出血がひどい。

「想……、俺は、まだ動けるぞ」

  立ち上がろうとする堂島さんをシルベーヌさんが手で制した。

百々丸どどまるくん、ありがとう。でも、大丈夫。ここはあたし達2人に任せて休んでなさい」

  その言葉を聞き観念したのか、堂島さんはその場に座り込む。シルベーヌさんはそれを横目で確認すると、すぐに駆け出した。あっという間に狼の目の前に辿り着き、跳んだ。そして、狼に何度も斬りかかる。
  あまりの速さと連撃に、何が起こったのか判断が出来なかった炎の狼は、対処が遅れ慌てて前足の爪を立てたが、それは一瞬でへし折られた。そして強烈な斬撃をくらい、その身体は家屋の壁に激突した。

「お前は、バラバラに、斬り刻んでやる」

  シルベーヌさんは狼を一点に見つめながら、近付いていく。辺りをまた殺気が包む。あまりの殺気に、狼は怯んだ。
  そこへ、大きな環が飛んできた。サターンズ・リングの環だ。奴が屋根の上から攻撃を放ってきた。
  狼は体勢を建て直し、再び突撃しようとしていたが、そこを僕がグラインドで飛ばした丸太によって制する。

「お前は組織に利用されてしまった哀れな動物かもしれないが、それでも許せない」

  僕は自分でも気付かない内に言葉を発し、そして走っていた。燃える狼の顎を下から蹴り上げた。熱い。でも、堂島さんの痛みに比べたら、こんなものは何でもない。

  しかし、その時僕に向かってサターンの大きな環が飛んできた。咄嗟に近くにあった岩を使い防御する。が、小さい。このままでは押される。そして、横からは狼がまた飛び掛かろうとしていた。
  だが、瞬時に狼の腹の下へとシルベーヌさんが回り込み、斬り上げる。その後、突きの連撃によって僕の前に迫る環を破壊してくれた。

「そーちゃん大丈夫?」

  シルベーヌさんはすぐに心配してくれたが、僕は無言で頷きサターンを向く。奥の家屋の上からまた大きな環を放とうとしていた。僕はすぐに別の家屋の丸太や木材を飛ばす。先程、バーント・イン・ザ・サンの炎によって燃えていた家屋の木材を。
  予想外の攻撃にサターンが驚くのがわかった。炎の熱によってサターンの環が溶け、蒸発する。やはり炎に弱かったか。さらに丸太や木材、岩を次々と投げつけサターンを攻撃し、そしてサターンが腰を据えていた家屋を崩壊させた。

  シルベーヌさんに斬られた狼はまだ起き上がり、こちらに向かってきていた。あれだけ斬られた筈なのに、まだここまで動くとは、どうなっているんだ? ゼブルムによって身体を頑丈にさせられているのか。
  飛び掛ってきた狼を、シルベーヌさんが日本刀を横にして受け止める。が、その時、バーント・イン・ザ・サンは大きく口を開き、炎そのものを口から吐いた。シルベーヌさんは驚きながらも身を屈め、刀で斬り付けながら横に跳んだ。

「ちょっとお! 髪が少し焦げちゃったじゃない!」

  こんな状況でも髪の心配をしているなんて、まだ余裕があるという事か。彼女らしいと言えば彼女らしい。
  燃える狼はまた炎を吐き出そうと、口を開く。そこには隙が生じる。そのタイミングを狙って、僕は丸太を飛ばす。狼の口目掛けて。

  炎を出す直前で自身の口を塞がれたバーント・イン・ザ・サンは嘔吐えずくような鳴き声を出しながら地に倒れ、転げている。

「青緑のガキめー! 何度も、何度も巫山戯た事しやがって!」

  サターンだった。もう帽子を被っていない。環に乗ってこちらへと突進してくる。

「巫山戯た事ばかりしているのはあなた達でしょ?」

  そう言ってシルベーヌさんが飛び出し、サターンの環を粉砕していく。辺りに氷の欠片が飛び散るが、それはすぐに溶けていく。バーント・イン・ザ・サンの炎によって周囲の草も燃え始めているからだ。

「観念しなさい。状況はあなたにとって、圧倒的不利よ」

  2m程の距離から刃先をサターンに向けてシルベーヌさんは言い放つ。だが、サターンは尚も笑っている。何度見ても薄気味悪い笑みだ。

「これを見てもまだ俺が不利だと言えるか?」

  そう言って上空を指し示した。そこには、今までの何倍もの大きな環が浮いていた。
  いつの間に? 倒壊した家屋と同じ大きさだ。それが刃を僕らに向けて落下してきた。

「うっ……くっ!」

  シルベーヌさんは声を洩らしながらも、刀を両手で持ち、それを受け止めていた。あまりの質量に刀が震えている音が聞こえる。高速回転する土星の環と、シルベーヌさんの日本刀――フィータスが摩擦でガキンガキンと火花を散らしている。
  僕は燃えている木材を飛ばし、大きな環にぶつけているが、質量が大きい上に、サターンはどんどん環の成分を生成しているようで、まるで歯が立たない。

「これならどうだ」

  僕のバックパックからある物が飛び出す。虫除けスプレーと制汗スプレーだ。その2つをグラインドで飛ばし、巨大な環に向けて噴射する。
  さらにもう1つ、ガスボンベだ。それを環の中心に浮かせ、360°にガスをばら撒く。あとは燃えた木材をありったけ投げつける。

「シルベーヌさん、掴まって!」

  日本刀で巨大な環を受け止めていたシルベーヌさんの腕を引き、枝と木の蔓で先程密かに作り上げたボードに乗り、そこから少しでも離れる。
  背後で「ブフォーン」という音を立ててガス爆発が起きた。振り返ると、あの巨大な環は綺麗さっぱり消滅した。

「そーちゃんすごい!  助かったわー、あたしもう限界だったもの」

  疲れた様な顔をしていたが、まだまだ余裕がありそうだった。

「実は出発前から対策を練ってたんです。火が無かったらライター使うつもりでしたけど、火を使う敵がいて助かりました。ディキャピテーションと戦った時の経験も活かせてよかった」

  僕も思わず笑みをこぼす。

「な、なんだと!? なんて無茶苦茶な事すんだコイツ……」

  気付くとサターンはすぐ近くまで来ていた。絶望と苦痛が混ざった表情を浮かべている。

「あたし達2人の愛のパワーは最強なの! あなたの貧弱な攻撃になんか負けないわ!」

  また訳の解らない事を言い出したぞ。この状況にそぐわぬ単語に、サターンはますます怒りを露わにする。

「訳のわかんねぇ事言いやがってこのババァ! 俺のリングで切り刻んやる! 2度とその減らず口叩けねぇようにな!」

  そう言って、両手に自分の身体と同等の大きさの環を出した。

「おい、小僧、今、何と言った?」

  これは、まずい。殺気が、今までよりも遥かに強い。僕は思わず後ずさってしまう。

「あぁ!? ババァだよ! 何が悪いんだっつーんだ!」

  サターンは尚も口にしてしまっている。女性に言ってはいけない言葉を。そして、奴はさらに小さな環をいくつも出現させ、その全てを高速回転させた。

「お前と遊ぶのも、飽きた。その減らず口を、叩けなくなるのは、お前だ」

  そう言って、シルベーヌさんはフィータスを構える。しかし、いつもと全く違う構えだ。両手で持ち、左肩の方から背負い投げる様な構えをし、腰を少し落とす。
  そして、何よりも、シルベーヌさんは――笑っていた。

「ひっ!?」

  シルベーヌさんが切れ長な目を見開き、獰猛な笑みを浮かべている様子を見て、サターンは思わず悲鳴を洩らした。

恒河沙ごうがしゃ一刀流奥義――ディセント・イントゥ・デプラヴィティー」

  シルベーヌさんは猛烈な速度で駆け出す。彼女の動きに慣れたのか、その時僕ははっきりと目で追う事ができた。

  一瞬でサターンの目の前に接近した彼女は、左肩に背負う日本刀を振り下ろし、サターンを斬りつける。あまりに強い斬撃に、サターンの身体は前のめりになって宙に浮く。
  そのサターンの腹辺りに、シルベーヌさんが刀の峰を当て持ち上げ、思い切り上空へと飛ばした。そこへ、シルベーヌさんは身体を縦回転しながら跳躍する。
  そして、回転しながらサターンの右腕を肩から切り落とした。続けて、重力と体重と回転の勢いでサターンの背中を斬りつけながら地面へと轟音を響かせ叩き落とした。
  一瞬の荒業であった。
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