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第2章 カーネイジ
2-21 名前〈後編〉
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それから僕らは、シクスに言われた方角へ向かって歩き、30分もかからず無事に民宿へと辿り着いた。
民宿を経営していたおばさんは僕らを見て驚いていた。無理もない。全員、土や灰で黒く汚れていたし、堂島さんに至っては全身傷だらけで、傷口に巻いた布からは血が滲んでいた。
民宿のおばさんは気を遣って宿泊を勧めてくれたが、今日中に帰らなければいけない事を伝え、タクシーを待たせてもらった。
そして荷物を置いている旅館へとタクシーで戻った。旅館に着いたのは既に夜の19時であった。手早くシャワーを浴び、それぞれ傷の手当てをした。シルベーヌさんが包帯や消毒液を持っていてくれて助かった。
「いやー、まさかあの樹海から生還できるとはなぁ! 一時はどうなる事かと思ったがな!」
そう言って、堂島さんは笑っている。あの時、僕と一颯さんを庇ってくれたため、身体中傷だらけだが、そんな事を微塵も感じさせない笑顔だ。ホテルでのチェックアウトを済ませ、駅のホームで新幹線を待っている所である。
「百々丸くんは逞しいわねー! あれだけ傷を負ってもピンピンしてるじゃない」
シルベーヌさんは半ば呆れたように言っている。堂島さんの身体の頑丈さについては、僕はもう慣れつつあるが、それでも元気そうな彼を見ると安心する。
彼が言った通り、本当に僕らはあの広大な迷路のような樹海から生還できた。化け物のような敵を見事打ち倒して。達成感と疲労感と、そして実感が湧かない浮遊感のようなものがある。
「こうして助かったのも突然現れたあのノッポの兄さんのおかげだな。強かったよなー。戦闘の達人みてぇな。また会えるといいなー」
堂島さんはシクスの事が気になっているようだ。戦闘の達人か。確かに、いつもトレーニングしてる時とは比べ物にならない強さだったな。後で改めてお礼を言いたい。
「そう言えば、来る前に堂島さんはシルベーヌさんみたいな人が好みとか言ってませんでしたっけ? お二人って、結構お似合いだと思います!」
一颯さんは藪から棒にそんな事を言い出したが、堂島さんも満更でもないようで、照れ臭そうに笑っていた。シルベーヌさんも手を叩いて喜んでいた。
「本当に? 嬉しいわー。あたし、実は元男なのだけれど、それでもいいかしら?」
……ん? 今何と言ったのだろう? わからない。疲れのせいか脳の処理が追い付かない。理解できない。何も聞かなかった事にしよう。帰ったらぐっすり寝よう。明日は仕事だ。
横を見ると、一颯さんも堂島さんも、時が止まったように固まっている。やはり、さっきの言葉は幻聴や聞き間違いの類ではなかったのか。
「えぇ!? 男性だったんですか!? で、でもでも、私、一緒にお風呂入りましたよね!? あの時、確かに、その、お胸が……?」
しばらく固まっていた3人だったが、ようやく言葉を発したのは一颯さんだった。自分が男性と一緒に温泉に入っていたのかと思い、慌てふためいているようだ。
僕もシルベーヌさんの胸を見たし、押し付けられたと思わず言いそうになりながらも止まる。混浴温泉にシルベーヌさんと一緒に入った事は、何があっても絶対2人に知られるわけにはいかない。例えシルベーヌさんが男性であったとしても。
それに、あれも付いていなかったはずだ。股間に何かぶら下がっていた感じはなかった。
「最先端の医療技術ってすごいわよねー!」
そう言ってシルベーヌさんはお決まりのウインクをした。
そうか、やっと今になってわかった。以前、クアルトで姉がシルベーヌさんをすぐに知り合いだと気づかず、そしてその後大笑いしていた理由がこれか。
シルベーヌさんが元男性だと知ってて、それであの反応をし、正体についても黙っていたのか。意地悪だなとも思ったが、姉は自分の口から言うべきではないと判断したのかもしれない。彼女に、シルベーヌさん自身に任せようと考えていたのだろう。
「待てよ? 恒河沙一刀流って言ってたよな!? 恒河沙って、まさかあんた、あの、恒河沙 静寂か!?」
ずっと口が開きっぱなしで動かなかった堂島さんだったが、そこでやっと口を動かした。よくよく考えてみたら、姉さんずっとシルベーヌさんを「シルベーヌさん」と、「さん」付けで呼んでいたな。大親友の割に妙に余所余所しいなぁと思いながらも気にしていなかったが、そうか名前も違ったのか。
一颯さんが、知ってるんですかと堂島さんに聞いた。
「あぁ……、あぁ、知ってるとも。剣術の家系で道場もやってたな。そして、確か煉美さんと同じ学年、同じ高校で、生徒会長もやったはずだ」
あぁ、思い出した。恒河沙 静寂さん。姉さんに一度紹介された事があった。その後も何度か見かけたりもした。すごく美青年だったが、それと同時に物静かで、ものすごく怖そうなイメージがあった。あの人が、シルベーヌさんだったのか。
そして、僕の記憶が確かなら、当時のシルベーヌさんこと静寂さんは、周囲からも姉の彼氏に最も近い存在と囁かれていた。ただ、お互いが恋愛に興味がない人間同士だったという事を親しい間柄の人達は知っていたため、それを他の人達に話すと皆がっかりしていたのを覚えている。
しかし、シルベーヌさんは当時から女性の心だったのだろうか? だとしたら、男性が好きで、だから姉さんは恋愛対象ではなかったということか。
シルベーヌさんは微笑み、懐かしい名前ねと呟いた。また遠くを見るように目を細めている。
「そうよ。当時のあたしは、家柄に縛られ、規律と道徳を重んじてきたの。本当の自分を心の奥に閉じ込めながらね。そんな時に出会った煉美に、あたしは密かに惹かれながらも、自由奔放な彼女に厳しく当たっていたの。だからね、ずっと煉美に嫌われてるんじゃないかと思っていたわ。でも、そーちゃんから『大親友だと言っていた』と聞いた時は、本当に嬉しかったわ」
そうだったのか。行きの新幹線での涙はそういう意味だったのか。ストイックな性格なためか、自分を責めがちなのかもしれない。
「シルベーヌさんが男性だった事には驚きました。でも、あなたは今は女性だし、そして何より今は僕にとっても親友です。今回の旅、本当にありがとうございました! つらい戦いもありましたが、あなたと一緒に過ごした時間、とても楽しかったです」
僕はそう言ってシルベーヌさんに向かって頭を下げた。するとシルベーヌさんは抱きついてきた。駅のホームなので、周りの人達がちらちらと見ていて恥ずかしいのだが。
そして、これはデジャブ。あの時公園でも突然抱き締められたからな。そう思って、恐る恐る一颯さんを見る。しかし、今回の一颯さんは微笑ましく僕を見ていてくれた。
「そーちゃーん、大好きー! 今の言葉は、愛の告白として受け取っておくわねー!」
「ちょ、もう新幹線きますよ!?」
こうして、峡峰での旅行は終わった。そして、僕らが住むあの街、「璃風都」へと帰るのであった。
民宿を経営していたおばさんは僕らを見て驚いていた。無理もない。全員、土や灰で黒く汚れていたし、堂島さんに至っては全身傷だらけで、傷口に巻いた布からは血が滲んでいた。
民宿のおばさんは気を遣って宿泊を勧めてくれたが、今日中に帰らなければいけない事を伝え、タクシーを待たせてもらった。
そして荷物を置いている旅館へとタクシーで戻った。旅館に着いたのは既に夜の19時であった。手早くシャワーを浴び、それぞれ傷の手当てをした。シルベーヌさんが包帯や消毒液を持っていてくれて助かった。
「いやー、まさかあの樹海から生還できるとはなぁ! 一時はどうなる事かと思ったがな!」
そう言って、堂島さんは笑っている。あの時、僕と一颯さんを庇ってくれたため、身体中傷だらけだが、そんな事を微塵も感じさせない笑顔だ。ホテルでのチェックアウトを済ませ、駅のホームで新幹線を待っている所である。
「百々丸くんは逞しいわねー! あれだけ傷を負ってもピンピンしてるじゃない」
シルベーヌさんは半ば呆れたように言っている。堂島さんの身体の頑丈さについては、僕はもう慣れつつあるが、それでも元気そうな彼を見ると安心する。
彼が言った通り、本当に僕らはあの広大な迷路のような樹海から生還できた。化け物のような敵を見事打ち倒して。達成感と疲労感と、そして実感が湧かない浮遊感のようなものがある。
「こうして助かったのも突然現れたあのノッポの兄さんのおかげだな。強かったよなー。戦闘の達人みてぇな。また会えるといいなー」
堂島さんはシクスの事が気になっているようだ。戦闘の達人か。確かに、いつもトレーニングしてる時とは比べ物にならない強さだったな。後で改めてお礼を言いたい。
「そう言えば、来る前に堂島さんはシルベーヌさんみたいな人が好みとか言ってませんでしたっけ? お二人って、結構お似合いだと思います!」
一颯さんは藪から棒にそんな事を言い出したが、堂島さんも満更でもないようで、照れ臭そうに笑っていた。シルベーヌさんも手を叩いて喜んでいた。
「本当に? 嬉しいわー。あたし、実は元男なのだけれど、それでもいいかしら?」
……ん? 今何と言ったのだろう? わからない。疲れのせいか脳の処理が追い付かない。理解できない。何も聞かなかった事にしよう。帰ったらぐっすり寝よう。明日は仕事だ。
横を見ると、一颯さんも堂島さんも、時が止まったように固まっている。やはり、さっきの言葉は幻聴や聞き間違いの類ではなかったのか。
「えぇ!? 男性だったんですか!? で、でもでも、私、一緒にお風呂入りましたよね!? あの時、確かに、その、お胸が……?」
しばらく固まっていた3人だったが、ようやく言葉を発したのは一颯さんだった。自分が男性と一緒に温泉に入っていたのかと思い、慌てふためいているようだ。
僕もシルベーヌさんの胸を見たし、押し付けられたと思わず言いそうになりながらも止まる。混浴温泉にシルベーヌさんと一緒に入った事は、何があっても絶対2人に知られるわけにはいかない。例えシルベーヌさんが男性であったとしても。
それに、あれも付いていなかったはずだ。股間に何かぶら下がっていた感じはなかった。
「最先端の医療技術ってすごいわよねー!」
そう言ってシルベーヌさんはお決まりのウインクをした。
そうか、やっと今になってわかった。以前、クアルトで姉がシルベーヌさんをすぐに知り合いだと気づかず、そしてその後大笑いしていた理由がこれか。
シルベーヌさんが元男性だと知ってて、それであの反応をし、正体についても黙っていたのか。意地悪だなとも思ったが、姉は自分の口から言うべきではないと判断したのかもしれない。彼女に、シルベーヌさん自身に任せようと考えていたのだろう。
「待てよ? 恒河沙一刀流って言ってたよな!? 恒河沙って、まさかあんた、あの、恒河沙 静寂か!?」
ずっと口が開きっぱなしで動かなかった堂島さんだったが、そこでやっと口を動かした。よくよく考えてみたら、姉さんずっとシルベーヌさんを「シルベーヌさん」と、「さん」付けで呼んでいたな。大親友の割に妙に余所余所しいなぁと思いながらも気にしていなかったが、そうか名前も違ったのか。
一颯さんが、知ってるんですかと堂島さんに聞いた。
「あぁ……、あぁ、知ってるとも。剣術の家系で道場もやってたな。そして、確か煉美さんと同じ学年、同じ高校で、生徒会長もやったはずだ」
あぁ、思い出した。恒河沙 静寂さん。姉さんに一度紹介された事があった。その後も何度か見かけたりもした。すごく美青年だったが、それと同時に物静かで、ものすごく怖そうなイメージがあった。あの人が、シルベーヌさんだったのか。
そして、僕の記憶が確かなら、当時のシルベーヌさんこと静寂さんは、周囲からも姉の彼氏に最も近い存在と囁かれていた。ただ、お互いが恋愛に興味がない人間同士だったという事を親しい間柄の人達は知っていたため、それを他の人達に話すと皆がっかりしていたのを覚えている。
しかし、シルベーヌさんは当時から女性の心だったのだろうか? だとしたら、男性が好きで、だから姉さんは恋愛対象ではなかったということか。
シルベーヌさんは微笑み、懐かしい名前ねと呟いた。また遠くを見るように目を細めている。
「そうよ。当時のあたしは、家柄に縛られ、規律と道徳を重んじてきたの。本当の自分を心の奥に閉じ込めながらね。そんな時に出会った煉美に、あたしは密かに惹かれながらも、自由奔放な彼女に厳しく当たっていたの。だからね、ずっと煉美に嫌われてるんじゃないかと思っていたわ。でも、そーちゃんから『大親友だと言っていた』と聞いた時は、本当に嬉しかったわ」
そうだったのか。行きの新幹線での涙はそういう意味だったのか。ストイックな性格なためか、自分を責めがちなのかもしれない。
「シルベーヌさんが男性だった事には驚きました。でも、あなたは今は女性だし、そして何より今は僕にとっても親友です。今回の旅、本当にありがとうございました! つらい戦いもありましたが、あなたと一緒に過ごした時間、とても楽しかったです」
僕はそう言ってシルベーヌさんに向かって頭を下げた。するとシルベーヌさんは抱きついてきた。駅のホームなので、周りの人達がちらちらと見ていて恥ずかしいのだが。
そして、これはデジャブ。あの時公園でも突然抱き締められたからな。そう思って、恐る恐る一颯さんを見る。しかし、今回の一颯さんは微笑ましく僕を見ていてくれた。
「そーちゃーん、大好きー! 今の言葉は、愛の告白として受け取っておくわねー!」
「ちょ、もう新幹線きますよ!?」
こうして、峡峰での旅行は終わった。そして、僕らが住むあの街、「璃風都」へと帰るのであった。
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