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3章 太古の森で
荒野の傭兵達
しおりを挟む「相変わらずお前は……少しは人の話を聞けよ」
口の端に滲んだ血を指の腹で拭い、セトはちらりとローを睨んだ。
「ふざけンな。あの状況で『助けて』って言われて動かねぇヤローがいるとしたら、そいつぁ男じゃねぇやな」
ローは先程関節技をキメられた肩をぐるりと回し、ムッと睨み返す。
「俺はシャルカの兄貴だぞ、そんな真似するはずないだろうが!」
「紛らわしンだよ! 禁欲が過ぎてどうかしちまったのかと思ったぜ!」
何だやるかこの野郎、と今にも胸倉掴み合いそうな兄達を、玄関を開けつつシャルカが振り返る。
「もう、さっき散々やりあったじゃありませんか。まだ足りないんですか?」
「お前が言うのかっ」
「膝枕、」
「くっ!」
顔を背けたセトの反応に、ローはにやにやと目を細める。
「え、何だよ膝枕って、どういうこった? ローさんに教えたまえよシャルカ君」
「実はですね……」
「おい馬鹿止せっ」
ローに耳打ちするフリしたシャルカを、セトは慌てて押しとどめる。
そんなやりとりをしながらドット家へ近付いていくと、三人の目の前で内側から戸が開いた。
取っ組み合いをしている内にすっかり遅くなってしまったので、家の者が迎えに出てきたのかと思った三人だったが、中から現れたのは見知らぬ三人組だった。
大柄で、一見してそうと分かるほどよく鍛えられた体躯。鉄の胸甲が見る者を威圧するよう鈍く輝く。男達は皆、褐色の肌に鉛色の髪をしている。宿場でセトとやり合った傭兵・ダトックと同じに。
ローは顔を強張らせ足を止めた。兄弟も釣られて立ち止まる。
「……荒野の傭兵が何故、」
囁くように尋ねたセトへ、ローは小さく頭を振る。
「シッ、構うな。セト、オマエは目ぇ合わすんじゃねぇぞ。シャルカはセトの後ろへ」
早口な指示からはありありと緊張が感じ取れた。
ローがこんな声を出すのは初めてだった。森で狼の群に囲まれた時でさえ、不敵に微笑んでいたローである。
それだけで相当拙い状況なのだと察し、シャルカは急いで兄の後ろに身を隠した。自らの頭に手をやりハッとなる。
「帽子、」
郷の中だと油断して、髪も瞳もさらしたままでいたのだ。
「……いつまでも意地を張り通せると思うてか! 煌湖太子はもう待てぬと仰せじゃ!」
「…………、」
男達が開け放しにしていた戸口からは、怒気もあらわな老人の声と、応対する郷母の声が漏れ聞こえてくる。
通りを往く郷人達は、案ずるような眼差しを戸口に向けるものの、歩を速め遠ざかっていく。
ローはそんな彼らに混じり、何食わぬ顔で家を通り過ぎようとした。セトもさり気なくシャルカを庇い、その後に従う。
けれどセトの腕と言わず頬と言わず、傭兵達の不快な視線が絡みついてきた。あからさまな敵意ではない。好奇と挑発、そして何か言い知れぬ負の感情を含んだそれは、細かな棘持つ刺草に似てざりりと皮膚を掻く。
さりとて、宿場で踏んだ轍をここでまた踏むわけにはいかない。セトは努めて平静を装い、傭兵達の脇を通り過ぎた。
通り過ぎた、はずだった。
「よぅ、兄弟」
しかし次の瞬間、セトの耳許で嗄れた声が低く哂った。
「――ッ!」
振り向きかけたが堪えて無視を貫くと、すぐに肩を掴まれる。
「よぅお前ら、見てみなよこの赤髪。原野の若い男がいるよ」
男が仲間に声をかけると、
「おう、」
「珍しいね。岩盤の大地にどういった用かな?」
他のふたりはさも今気付いたといった態で、わざとらしく目を瞠った。セトがちらりとローを見やると、ローは首を横に振る。
なので、
「言うほどの用でもないさ」
通りがかりの挨拶とばかりに軽く答え、再び歩を進めようとした。が、肩を掴む男の手が離れない。むしろ馴れ馴れしく腕を回してくると、媚びるように片目を瞑って見せる。
「そう素気なくしないでよ。オレら、なかなか原野の若いモンに会うことないからさぁ、会えて嬉しンだよ」
そう言いながら、親指の爪をセトの喉許に食い込ませた。そのままつぅっと横に引き、血色の線を浮かび上がらせる。
セトは再びローを見た。ローは額に汗を浮かべ、詫びるような目で見つめてくる。ぐっと奥歯を噛み、男の振舞いに耐えた。
すると男は拍子抜けしたように腕を解き、
「なぁんだ、原野の男ってのは存外つまんないモンだねぇ」
「よく見ろ、そいつ古森の服着てるだろうが。単に日焼けしたデカい古森の民なんだろう」
「違いない、古森の民は戦知らずの腰抜けだと言うからね。その腰の剣は大方、獣を捌く用なんだろう」
傭兵達は顔を見合わせ呵呵大笑。
セトは腸が煮えくり返る思いだったが、ローには――と言うよりもドット家、あるいはクラライシュ郷には何か事情があるのだろう。そう己に言い聞かせ、男達の興味がよそへ逸れるのを待った。
しかし、笑い合っていた長髪の男がふと視線を寄越したかと思うと、瞬きの間に距離を詰めて来るや、隠れていたシャルカの腕を掴んだ。
「痛ッ!」
「シャルカ!」
セトが止めるより早く、シャルカは男達の前に引きずり出されてしまう。三人はシャルカの金の髪、そして名も知らぬ色をした瞳を見、大仰に騒ぎ立てる。
「おいおい、何だいこの奇態な色!」
「白い肌……水源の民か? 否、違うな。北方の大湿原の民も白い肌だと聞くが……何て不気味な目ぇしてやがる」
「やめてください、離して!」
原野を出て以来初めて投げつけられる蔑みの言葉に、シャルカの膝が震えている。
「止せ! ……おい、ロー!」
焦れたセトは三度ローを振り返る。けれどローは食いしばった歯を剥きだしながらも、じっと男達を凝視するばかりだった。
長髪の男はシャルカの腕を捻り上げたまま、値踏みするように眺めまわす。
「違うね、大湿原の者達は平野に上がって来ないだろう? 僕は噂を聞いたことがあるよ、原野に奇妙な色した子供がいるって。話じゃ男の子だったと思うんだけど。この子はいやに細いな……どちらだろうね?」
意味ありげな視線を受け、一際大柄な男が舌なめずりして戦斧の保護布を払う。
「剥いてみれば分かるだろう」
野蛮な刃が白日の下に輝くと、遠巻きに窺っていた郷人達から悲鳴があがった。
セトはもう振り向かず、大剣の柄に手をかける。
「ロー、許せ」
「待てセト」
「これ以上黙っていられるか!」
「違ぇって、」
すらりと鞘から抜き放たれる刃の音に、セトは横目でローを見た。
「おれも征くっつってんだ」
双剣を構えたその横顔に躊躇いはない。
「古木の巨神は戦を禁じてるんじゃないのか、」
「これは戦じゃねぇ。それに古木の巨神は腑抜けを愛さない」
「そうか」
セトも大剣を抜き、戦斧の男に切っ先を向けた。
「おンもしろい、そうこなくっちゃあ!」
セトの肩を掴んだ男も嬉々として槍の穂鞘を打ち捨て、
「なぁ、お前はそのガキしっかり捕まえといてくれよ?」
長髪の男を振り返る。すでに闘志を滾らせていた男は残念そうに肩を竦めた。
「何だか損な役を引いてしまったな。僕だって、原野の戦士と剣を交えてみたかったのに」
鬼事の鬼になってしまった子供のような口ぶりだ。
(まるで獣だな)
セトは嫌悪感を隠しもせず男達を睨み据えた。
戦いが好きかと問われれば、セトは迷いなく応と答える。
ローは顔を顰めるだろうが、これはもう、戦ある原野に男として生まれた者の性なのだろう。
弓を引いては肉を穿ち、剣を振るっては骨を断つ。研ぎ澄ませてきた技と五感、そしてほんの少しの時の運。己が持てる全てを叩きつけ、強者を下した瞬間などは、雄の本能に根ざす原初の快楽が四肢隅々まで迸る。
極めて肉体的で鮮烈なそれに脳を犯され、人の子としての理性を焼かれ、一匹の獣に返る時。えも言われぬ恍惚に総毛立ち、生の実感に狂喜する。
戦神を戴く原野の男達は、多かれ少なかれ皆似たようなものなのだろう。
けれどそれを求め、闇雲に戦を仕掛けたりはしない。交渉で済むものは済ませ、避けられぬ場合にも対談、布告と手順を踏む。戦中においても、火を用いぬこと、略奪行為を行わぬことなど、細かな規則が定められている。
婚姻についてもそうであるように、原野の男達は身に秘めた強い野性的衝動を、厳格な掟と鋼の意思で律する。
であるからこそ、男達のような衝動を抑えられぬ者に侮蔑の念を抱くのだ。
セトとローは同時に地を蹴った。
セトは戦斧の男、ローは槍の男へ、眼前の者を己が敵と定めて駆ける。
戦斧と戦り合ったことのないセトは、初手から全力で打ち込むことはしなかった。荒野の男はそうと見抜いてか、戦斧を右手のみで振るい、無造作に応じる。
刃と刃がかち合った刹那、セトは目を瞠った。戦斧の湾曲した刃は、剣を滑らかに受け流し、踏み込んだセトの上体を傾がせる。
即座に身を退こうとしたセトの肩に何かが食い込んだ。たった今打ち合ったばかりの戦斧だ。
男は刃の内側、鎌状に抉れた部分をセトの肩に引っ掛け力任せに引き寄せる。そうして差し出させた頬へ左の豪腕を叩き込んだ。
「……ッ!」
引きつけた反動の乗った一撃に、セトの視界に火花が散った。
「あに様ぁっ!」
飛びそうになる意識を、シャルカの声が引き戻す。
拳の勢いを借りて男から距離を取ったセトは、咥内に湧いた血を吐き捨てる。
「得物を構えていながら拳を振るうとは……荒野の男には誇りも矜持もないらしいな」
蔑むセトに対し、男は嘲弄し肩を竦めた。
「ぬるい。貴様試合でもしているつもりか? これは切った張ったの殺し合い、最後に立っていた者が勝者だ。手段の是非などあるものか」
「他の民の郷、ましてやここは争いを忌避する古森の郷だぞ。正気か?」
「くどい。あまり失望させてくれるなよ、原野の」
低く吼えるように言い、今度は男の長靴が地を蹴った。
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