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第1章 出会いは突然に
第2話 幽鬼騒動
しおりを挟む曄琳が身を置いているのは内教坊――即ち、宮廷に仕える女楽人・宮妓のための宮廷音楽の手習い所であった。ここに所属する宮妓は、皇帝の宴席や私宴に管弦や舞で花を添えるため、日夜芸事に励むことになる。
「ゆーき、ほーろー?」
これでも宮妓の端くれである曄琳は、口いっぱいに詰め込んでいた朝餉を茶で流し込み、休まず動かしていた食事の手を止めた。
「んぐ……幽鬼騒動って一体なんですか?」
曄琳の目の前には、茗が盆を抱えて座っている。曄琳よりいくつか年上の、一重の涼し気な目が印象的な女性だ。彼女は曄琳の琴の師匠であり、教坊で義理の姉妹関係を結ぶ存在でもあった。
「あんた知らないの!? ここ最近後宮ではこの話で持ち切りよ!?」
「知らないです。後宮には知り合いがいないので」
茗はため息をついてあたりを見回すと、声を落として前のめりに曄琳に近づく。周りが喧しくて声がうまく聞き取れず、曄琳も自然と前のめりになる。
朝餉の時間、教坊の食事処は混む。決まった時間に飯を食えと言われているわけではないが、毎日同じ時間に食房から食事が支給されるため、自然と同じ時間に食事処に集まることになるのだ。
「赤い上衣を着た女の幽鬼のことさ。夜更けにふらふら後宮内を歩いてるんだってさ」
(夜更けにふらふら、ねぇ……)
曄琳は呆れ半分に箸を止める。
後宮に女なんてわんさかいる。赤い上衣を着た人間もだ。
愛憎渦巻く宮中に怪談話は付き物で、大概見間違いや勘違いが多い。妃嬪の誰かと見間違えているんだろうと、曄琳は内心早々に結論づける。
「それだけでなんで幽鬼だってわかるんです。実害は?」
「彷徨いてるだけらしいよ」
「なるほど。悪さしないならきっと良い幽鬼です。放っておいたらいいと思います」
曄琳の興味は幽鬼から食事に移る。
今日の朝餉は、饅頭に菜っ葉の汁物と、干し肉一片。こんな豪華なご飯が食べられるなんて、なんと宮中は恵まれていることか。肉なんて貧民街にいた頃はほとんど食べたことがなかった。基本一日一食。粟か米を塩で蒸して腹に流し込むのが定番だった。
温かい食事、ありがとう。感謝の念から勢いよく食事の手を再開した曄琳に、茗はなんとか気を引こうと話を続ける。
「なんでも、主上が後宮にお泊まりになる日の夜にだけ出るんだって」
「そーなんれすか?」
「しかも女幽鬼は閉鎖されているはずの安礼宮をずーっと彷徨っているんだって」
「あんーれーひゅー」
安礼宮の名に引っかかる。
思案するように曄琳のもぐもぐ動く口がゆっくり止まる。口の端には饅頭のカスがついている。
「んぐ……つまり女幽鬼は、昨年亡くなった主上の御母堂……安妃じゃないかと?」
「そう! だから皆余計怖がってんの! 主上が後宮に泊まる夜にだけ出るのも、安妃が主上をあの世に連れて行こうとしてるんじゃないかって」
安妃は先の皇帝の妃であり、主上の生母だ。
後宮の安礼宮に身を置いていたが、齢三十一にして昨年亡くなった。持病もなく、突然のことであったらしい。
そしてその一月後、長く病に伏していた皇帝までも身罷ったことで、安妃が冥府に道連れにしたのではないか――などと噂が流れたという。
今回の幽鬼は安礼宮に出ることから、安妃の仕業だろうと考えられているらしい。
曄琳はふむと鼻を鳴らす。
(母親の安妃が息子たる主上を道連れにしたいなんて、普通思う? 先帝の件も偶然だろうし)
想像力は人の首を絞める。
実害もないのに勝手に怖がるなど、馬鹿らしい。死んで勝手に幽鬼扱いされては、安妃も浮かばれまい。
曄琳はくだらないと一蹴しかけたが、はたと顔を上げた。
「それをなんで私に話すんですか?」
「んー?」
「……魂胆はなんですか?」
茗は楽しい世間話をしようというような可愛い質の人間じゃない。宮妓は皆、強かだ。利用し利用される宮廷で、大抵の女が逞しくなる。
「えへ。バレた?」
「そういう小細工はいいですから。なにが目的ですか?」
「小曄のよく聞こえる耳でさ、あたしらを助けてほしいんだわ」
茗はニヤリと笑った。
「幽鬼の正体、暴いてきてよ」
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