紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

文字の大きさ
5 / 37
第1章 出会いは突然に

第5話 脱走の機会?

しおりを挟む


 明るい場所に出たことで、女装宦官は追ってこなくなった。一息ついたのも束の間、曄琳イェリンは途方に暮れた。

 紅い左目が剥き出しなのだ。
 
「とりあえず、髪で隠すしかないか」

 悩んだ末、髪をボサボサにすることで目を隠し、俯きがちに女官の下へ報告に向かうことにした。

 宮妓ごときにと剣を含んだ目をしていた詰所の女官だったが、曄琳のあまりに悲壮感漂う姿に皆が息を呑んだ。そして、なんて酷な仕事を頼んでしまったのだろうと、涙ながらに礼まで言う始末である。さすがに曄琳の良心も痛んだが、本当の事は言うに言えない。
 何もいなかったと伝えたにも関わらず、謝礼の上に感謝の気持ちと言われて多めに謝礼を握らされてしまった。

「申し訳ない気もするけど……ま、貰えるものは貰っておこう」
 
 帰り道の途中で手渡された口止め料とやらの袋を開けてみる。すると、出てきたのはまさかのべにや白粉だった。後宮に出入りする女ならではというか、なんというか。
 外に出て換金すれば、これはこれで相当な額になる。これなら引き受けた甲斐もあったというものだ。
 曄琳はにんまりすると、朝焼けに照らされる内教坊の門を潜り抜けたのだった。



◇◇◇
 

 
 女装宦官の衝撃も日々薄れてきた、数日後。
 内教坊から居住区の雑居舎に渡る回廊で、茗が曄琳を呼び止めた。

小曄シャオイェ、ちょっといい?」

 曄琳は脇に抱えていた譜を胸に抱き直し、足を止めた。夕餉まで時間があり、譜の整理をしようと思っていたところであった。
 曄琳の左目は、眼帯がないため手持ちの包帯を巻いて隠していた。これでは負傷兵のような見た目だが、正規の眼帯は月末の衣類の配給まで待つしかない。
 欲しいと思ったときに物の手配がすぐできないのも、宮中ならではの不便さである。

「はい、なんでしょう」
天長節てんちょうせつのことなんだけどさー」
 
 天長節――皇帝の誕生した日を祝う行事で、今月末に外廷でそれはそれは盛大に祝うと聞いていた。
 一体何かと続きを待っていた曄琳の肩を、茗が勢いよく叩いた。
 
「おめでとう! 琴の人員が足りないから、小曄も補充で舞台に上がることになりそうよ!」
「え……?」
「急ぎ衣装の手配もかけておきなさいね。よかったわねぇ、大出世よ!」

 曄琳はカチンと固まった。胸元に抱えていた譜がバラバラと地面へ落ちる。

「そんなに驚くこと!?」
「ほ、本当ですか?」
「当たり前でしょ! 嘘つくわけないわよ!」

 もともとまだ出させてもらえないと諦めていた、外廷での仕事だ。その日は数百人という人間が宮門を出入りし、合法的に門を潜れる数少ない機会なのだ。

(これは……脱走の機会なのでは!?)

 曄琳の頭の中で高らかに鼓笛が鳴り響く。あの女装宦官のことも頭から吹き飛ぶ勢いだ。

(こんなに早く機会がやってくるなんて思ってなかった。当日はすごい人手だろうから、うまく紛れ込めれば外に出られるかも!)

 宮門の出入りは衛士に監視され、身分を証明する木簡を提示しなければ門を通してもらえない仕組みになっている。が、今回のような外廷での大きな宴席や節句行事がある場合には、人の往来が増えるためいちいち足止めされなくなるのだと聞いたことがある。
 門を通行する集団に隠れてしまえば、外に逃げ出ることも可能やも。
 高鳴る気持ちを抑えて喜ぶ曄琳に、同じく嬉しそうな茗が頭を撫でてくる。

「小曄が頑張ってきた証拠ねぇ。本当は舞で上がらせてあげたかったんだけど、目がねぇ……色々難癖つけられちゃって」
「そ、そうですか」
「あんたは踊れるし弾けるし、本当に有能ねぇ。あたしも鼻が高いわ」

 嬉しそうに鼻の下を擦る茗に、チクリと曄琳の良心が痛んだ。もし脱走すれば、茗の期待や信頼を裏切ることになる。

(でも、私は色々知られたらまずいことにしかならない。それこそ茗姐様にも迷惑がかかるかも)

 曄琳には墓まで持っていかねばならない秘密で溢れているのだ。
 
「……ありがとうございます。当日は頑張ります」

 複雑な気持ちを隠して、曄琳は茗に頭を下げた。
 やれるならやるしかないのだ。
 
 落ちた譜を拾い、茗に続いて雑居舎に入ろうと扉を潜りかけたところで、にわかに外が騒がしくなった。
 耳を澄ませてみると、教坊の外、外壁に沿うようにして門の方面へ近づいてくる音があった。
 
 これは――初めて聞く音だ。
 曄琳は聞き耳を立てる。

「あーっ!」
 
 曄琳が気づいてから遅れることたっぷり十秒、窓際にいた宮妓のひとりが声を上げた。
 
「見て! 外に主上しゅじょうがいらっしゃってるわ!」 
 
 宮妓らが一斉に窓や壁に張り付き、こっそりと行幸みゆきを覗き見る。
 曄琳はその輪には加わらなかった。見ずともわかる。耳は近づいてくる足音をしっかり拾っているのだから。
 
 いち、に、さん……七人。靴底と衣擦れの音、歩き方からして全員男。それと、金属音も聞こえる。こちらは……六つ。腰に帯びた剣が鞘の中で当たる音だ。護衛の者達だろう。
 ただひとり帯剣していなさそうな者は、何か重いものを抱えているのか、すり足で歩いている。
  
「あらぁ、お可愛らしい~」
「小柄ねぇ。抱っこしてみたいわぁ」
「馬鹿! 不敬罪で首を刎ねられるわよ!」

 宮妓の賑やかしい声が一段と大きくなる。天下の寧楽国が皇帝に対する態度ではない。
 宮妓の頭越しに見えた人影に、曄琳も僅かばかり首を伸ばして覗いてみる。聞こえた音の答え合わせだ。
 
 宮妓らが溶けたような笑顔で見守る先には、帯剣する六人の宦官に囲まれ、一人の美しい女官に抱えられたがおわした。

 噂には聞いていたが、思った以上に幼い。
 曄琳は目をこする。片目だけではよく見えないのだ。

 主上は盤領袍ばんりょうほうの袂口から手がほとんど出ておらず、まだろくに伸び揃っていない髪にかんむりをちょんと乗せ、後ろに垂れるえいが女官の歩みに合わせてぴょこぴょこ跳ねていた。

(あんな幼い子を帝位に就かせるんだから、朝廷って恐ろしいところよね)

 曄琳の感想も尤もである。 
 幼すぎる皇帝の誕生は、昨年頭に先代のジャオ皇帝が突然崩御したことに端を発する。先代は色恋多き人であったらしいが、悲しいかな、世継ぎには恵まれなかった。
 崩御した時点で、ただひとりの皇子であった主上は齢四歳。立太子はされていたが、まさかこんなに早く帝位に就くとは誰もが想像していなかった。
 即位に際して朝廷は大いに揉めたらしいが、それは曄琳の預かり知らぬところである。

(あの子が私の弟になるのかぁ。なんか変な感じ)

 曄琳と皇帝陛下は、昭皇帝という同じ父を持つ異母姉弟という繋がりになる。育ちは天と地ほどに違うが。
 
 宮妓らは、まるで主上を産んだのは私だと言わんばかりに窓に張り付き、一行が通り過ぎるのを眺めている。
  
「いいなぁ、後宮は。主上に足を運んでもらえるなんて」
「そりゃあ、あそこにいる女達は、そのためにいるんだもの。でも今は、妃嬪もほとんどいなくて空っぽって聞くわよ」
「何だっていいわよ、お会いできるんだからさ。あたし達も寧楽国の誇り高き楽人よ。妃嬪にだって劣らないわよ」
 
 腐る宮妓を尻目に、曄琳は掖庭宮に吸い込まれていく一行の音を最後まで追っていた。内教坊は掖庭宮に隣接しているため、通明門つうめいもんの開閉の際に人の出入りが観察できるのだ。
 曄琳はううんと首を傾げる。 
 全員男だと思ったのに、主上を抱えていたのは、遠目でも確かに柳のような、線の細い女官だった。
 
 曄琳は眉を寄せる。歩き方の癖が男っぽい女性だったんだろうか。まあ、そういう人もいるにはいるが、違和感はある。曄琳の耳は、目で見るより正確なことが多いからだ。

 ――男のような、女の足音。

 頭に過ぎった先の出来事と、その可能性を急いで打ち消す。

(まさか、ね)

 曄琳の思考を裂くように、遠くから時告げの鐘が聞こえてきた。もう八つ刻だ。朝から練習詰めでは当然腹も減る。

「いいや忘れよう。深入りしない、忘れよう」

 言い聞かせて、走廊を立ち去った。
 
 この違和感が後々首を締めることになるとも知らずに。
 


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

処理中です...