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第3章 華の競い合い
第28話 炙り出し
しおりを挟む集花堂へ戻る道すがら、曄琳は乱れていた服装を整える。粟立っていた肌はようやく落ち着き、顔色も幾分かよくなった。
「さっきのあれは、蠱毒……とやらでしょうか」
「蠱毒はあんなかわいいものじゃありませんよ。あれはただの蟲の壺詰めです」
さらりと言ってのける暁明に、曄琳は顔を顰める。あれとて決してかわいいものではない。言葉の綾だとしても同意はしかねた。
曄琳のむっすりとした表情に暁明も「誰しも苦手はあるものですね」と慰めた。自身も崩れた襟を整え、顎に手を添えて中空を見つめる。暁明の物を考えるときの癖なのだろう、この仕草はよく目にしていた。
「蠱毒を持ち込む程の度胸と死の覚悟がある人間がここにいるとは思えません」
蠱毒は禁呪、露見すれば万死に値する呪法だ。あんなお粗末な場所に隠すような人間が蠱毒を扱えようもないということだ。
「とすると、凌氏子女が他家への妨害工作として持ち込んだか、あるいは――」
暁明の呟きを曄琳が遮る。
「碧鈴様が持ち込んだというのはあり得ません。私が音で絶対に気づきますから」
「ああ、確かに。今日まであなたが気づかなかったということは、あれが仕込まれたのは、今日。皆が集花堂へ赴いた間隙をついて……ということになりますか」
曄琳も記憶を辿る。
「碧鈴様の侍女は、全員が私達と同時に外へ出ました。茗姐様と燦雲様も同じです。ですので――」
「他家の姫か、他家の侍女の可能性が高い」
頷いて同意する。
いつか嫌がらせも仕掛けられるだろうと思っていたが、まさか一番苦手なものでやられるとは。
曄琳は静かに憤る。自分がやられたわけではないが、間接的に被害を被っているのだから。
「薄紙で蓋をしたのは、内より蟲が破れるようにしたのでしょうね。薄暗い櫃の中ならば、あれらも好んで外に出るでしょうし、衣類に紛れ込めば、凌氏を驚かすことや、うまくいけば噛まれることもある」
暁明は淡々としているが、曄琳は自身の腕を抱えた。想像しただけで怖気がする。
「問題は仕掛けた相手をどう探すかですが……」
「少監、私にいい考えがあります」
やられたことはやり返す。
曄琳の目に小さな炎が灯っていた。
◇◇◇
その日、大勢の姫が集花堂へ足を運んでいた。
淳良が一度訪問して以来、度々昼に渡りがあるようになったのだ。前回の喧騒を鑑みて、女官の監督のもと渡りがあるときは皆が集花堂へ出向くようになった。
家柄も低く四夫人に選ばれる見込みの少ない姫にとっては、皇帝に謁見できる、またとない機会だ。
運が良ければ直接言葉を交わすことができるやもしれぬと、代わる代わるに堂を出入りし、楽器を片手に自身の存在を仄めかせていた。
それに付き従う形で侍女も大勢出入りしている。
今日は碧鈴も集花堂へ足を運ぶため、宮妓三人と侍女も彼女の後ろに従っていた。
「道を開けなさい」
碧鈴が走廊の真ん中を強引に押し通ろうとするので、侍女連中が慌てて横に避けて頭を下げる。立場上皆が道を譲ってはいるが、面を上げると軒並み冷ややかな顔をしているのが見て取れる。
(もはや全員が怪しいと思えるくらい敵しかいない……)
曄琳は唸る。
碧鈴は完全に孤立していた。
年は十前後、四華の儀という同じ目標を持ち、幼くして家族から引き離された娘の集まり。
年を重ねた女達の争いとは違い、そこには友愛とも家族愛とも取れるような、妙な連帯感が生まれていた。
どんなに大人しい娘でも顔を合わせれば少し話をする程度には仲を深めている他の姫と違い、碧鈴は決して馴れ合おうとしなかった。そんな態度と凌家という肩書きやきつい物言いも相まって、誰もが余所余所しく、腫れ物を触るように彼女を扱う。
そうなると、負の連鎖である。
今も碧鈴は、歩揺を揺らし顎を持ち上げて堂の真ん中で仁王立ちしていた。
(碧鈴様は後宮でどうなりたいのかしら……ま、今考えることじゃないか。私は私の仕事をやりますか)
曄琳はずっと手に持っていた小さな包を解く。
中から出てきたのは、件の壺だ。先の記憶が蘇り触るのも嫌なのだが、ここはぐっと我慢をする。
わざと胸の前で抱え、碧鈴の斜め後ろに張り付くようにして歩く。すると、普段は一番後ろを歩く曄琳が側に来たことで、碧鈴の眉が釣り上がる。
「あなた、近寄らないでって言ったじゃない!」
碧鈴の高い声はよく通る。近くの女達が何事かと視線をよこす。
「ああ、そうでした。申し訳御座いません」
碧鈴に精一杯の笑顔を見せて、曄琳は耳を澄ます。
この壺に見覚えがある女が、堂内にいるはずだ。
その女は碧鈴を害そうとしているのだから、常々彼女に注意を払っているはず。ならばその横に毒蟲詰めの壺を堂々と抱えている宮妓がいたら、何かしらの反応はするだろう。
耳に意識を絞る。普段は人の息や鼓動にまで意識を配ることはしないが、今日は特別集中して探る。
唾液の音、嚥下の音、ため息、鼻をすする音。
楽器、話し声、衣擦れ、床の軋み。
混然とする音の濁流の中で――誰が小さく息を呑んだ音がした。
曄琳が目だけで確認すると、痩せた年若い侍女がじっとこちらを凝視していた。
(――見つけた)
都合のいいことに、その侍女が仕えている姫は淳良一行の近くを陣取り、琴と譜を広げている。
曄琳は笑顔を作って碧鈴の袖を引く。
「碧鈴様、あちらが空いていますよ。主上のお側ですし、是非」
「触らないでってば!」
普段黙っていることの多い曄琳からの接触に、碧鈴はわかりやすく拒絶反応をする。碧鈴の背は曄琳の胸元ほどしかない。思い切り袖を振り払われて、太腿に上衣が当たる。
人目を引きながら、目をつけた侍女のいる一団の隣に、むすっとした碧鈴が腰を下ろした。侍女達がいそいそと楽器を取り出している。
そんな碧鈴の肩越しに、こちらの様子を伺うような目玉が四つ。
明星と雪宜だ。
事は伝えてあるので、うまくいくのかとハラハラしているのだろう。
曄琳はわざと、壺を隣の一団――姫の近くに置いた。
ちらちらと、例の侍女が壺に気をやっているのがわかる。
最後の仕上げだ。
「こちらの壺、おそらく楽工房からの松脂の交換品かと。本日より新しいものと交換しておきますね」
「そんなものあったかしら?」と燦雲が呟く声が聞こえた。
曄琳は言うやいなや、壺の蓋を取るふりをして、それとはわからぬよう、指先をわざと蓋の溝に引っ掛けた。
傾き、均衡を失い、引き倒される壺。
コンと音を立てて倒れ、蓋をしていた薄紙が中から何かに突き破られる。飛び出してきた黒い影が、隣の姫の方に向かう。
「ひ、姫様……っ」
件の侍女が切迫した声を上げ、姫に走り寄りその身体を抱いて庇う。
悲鳴にも近い切迫した女の声に、一瞬にして堂内が静まり返った。
「五娘? どうしたの……?」
突然抱きつかれた姫は、困惑の色を浮かべて己を抱きすくめる侍女の手に触れる。五娘と呼ばれた侍女は、はっとした顔で足元の壺を見た。
そこには、転がる松脂ひとつ、そして無数の細い黒い紐が落ちていた。
「壺の中身、なんだと思ったんですか」
曄琳が問うと、五娘は呻き声を漏らし、謀られたことを理解したのか顔を覆う。
事情を知らぬ五娘の姫と碧鈴らは、きょとんとした顔で両者の顔を見比べていた。
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