29 / 55
第3章 華の競い合い
第29話 疑念
しおりを挟む五娘は捕縛され、彼女が仕えていた姫は事情を知ると、酷く取り乱していた。五娘は全面的に罪を認め、姫は関係ないと主張した。
彼女が仕えていた姫の名は烏 玉温という。
先月まで後宮女官として勤めていた玉温は、楽の腕が認められ、今回女官の身ながら四華の儀に参加することとなったらしい。捕縛される直前に五娘は、努力している元同僚が、碧鈴に「女官風情、この年増」と馬鹿にされたのが気に食わなかったと吐き捨てて、泣き崩れた。
「本当に、ご迷惑をおかけしました」
五娘の代わりだと言い、玉温が深々と頭を下げる。先程取り乱したのが嘘のように落ち着いている。
居室で二人、曄琳と玉温は向かい合って座っていた。
雪宜は五娘を宮正に引き渡すため第四区画へ赴いており、暁明は淳良を門まで送った後、ここへ戻ってくると言っていた。
五娘捕縛に関与した人間は、この場に曄琳だけだ。
日暮れが近いこともあり、先程までの騒ぎが嘘のように後宮は静まり返っている。ささくれだった木枠の窓から橙の光りが影を落とす。
曄琳は慌てて玉温の頭を上げさせる。
「おやめください。私に謝る必要はありません。あなたは何も――」
「いいえ。碧鈴様は事実をおっしゃっただけです。私は周りの姫様方よりずっと年上ですし、庶民出身の女官あがりも、事実なのですから」
そう言って穏和に微笑む玉温に、曄琳はなんと声を掛ければいいか悩んだ。
玉温は年は十五、確かに他の姫に比べれば年上だ。ゆくゆく淳良と子を儲ける可能性を考えると、際どい年齢差ではある。しかし、それでも十二分に若くはある。
「それに、腹が立ったからといって他人を害していい理由にはなりませんもの。五娘が私のために怒ってくれたのは、とても嬉しい。でも……彼女が悪い」
「……ええ、おっしゃる通りです」
(碧鈴様に聞かせたい……!)
よく出来た人である。
曄琳は何も言えなくなる。
ゆったりと微笑む玉温の手が近くの茶杯に手が伸びる。固くなった指先に、黄色く変色した分厚い指の皮。いかに彼女が管楽の練習に勤しんでいるかが見て取れた。
玉温は曄琳の視線に気づいたのか、手をぱっと握り込めると、恥ずかしそうに目を伏せた。
「ごめんなさい。あんまり綺麗な手じゃなくて」
「そんなことありません。それを言ったら、私の方が酷いですよ」
曄琳が手の甲から手のひらを返してみせると、玉温がふふと笑った。年が曄琳と近いこともあり、少し打ち解けてきた様子だ。
「私の家は……あまり裕福でなくて。母も随分年を重ねましたが、まだ女官として宮廷に仕官しています。働かないとやっていけなくて」
雪宜からちらと聞いた。彼女の家は貧しく、給金と手当で宮官を決めたと。
(楽の才能がある者は妃嬪の中では優遇される。それは本当みたいね)
でなければ、彼女のような家の出が妃嬪にはなれまい。
玉温はこの度の関与の嫌疑が晴れるまで自室で謹慎処分となっている。曄琳は意識を外に向ける。外には二名の宦官が見張りとして張り付いているが、彼らの息遣いは落ち着いており、緊迫した様子は伺えない。玉温はほぼ無罪と見られているようだ。少し安心した。
「楽人に卑賤の区別はありません。妃嬪も同じかと」
「ありがとうございます。お優しいのですね」
玉温が心底嬉しそうに笑う。
「四華の儀について母からよく聞いていたので、自分が出られるなんて夢見たいです。四夫人に選ばれずとも、私は幸せです」
曄琳ははたと動きを止める。
四華の儀が行われたのは、先帝時代――十五年以上前だと聞いている。母親から聞いていたということは、玉温の母親は先帝時代の後宮を知っているのか。
曄琳は「あの」と躊躇いがちに口を開く。
「お母様は当時後宮で働かれていたのですか?」
玉温は肯定する。
「ええ、そのようです。尚宮にいたそうです」
尚宮。口の中で言葉を転がす。
曄琳はどこまで聞くべきか悩む。楚蘭のことを聞きたい気持ちはあるが、怪しまれやしないかと不安もある。
楚蘭が当時後宮でどんな風に生活していたのか、ずっと知りたかった。ここでしか知れない楚蘭の話を聞けるなら、聞いてみたい。
黙る曄琳の様子を見て、玉温が膝を擦ってにじり寄ってくる。
「何か、お聞きになりたいことがあるんですか?」
「あ、えっと……」
「櫻花貴妃のことですか?」
「え……?」
――今、なんと言った。
玉温は困ったような顔で数度瞬きする。
「当時の後宮のことといえば、みな聞きたがるのが櫻花貴妃のことですもの。今の後宮では縁起が悪いと、忌み事のように口端にのぼらなくなりましたが」
そういえば彼女自身も少し前まで後宮女官だったか。
いや、それよりも。曄琳は狼狽する。
(母様は貴妃だったの……?)
初めて聞いた。
楚蘭は後宮のことを時折話してくれたが、自身のことは、妃の端くれ、大勢のひとり、などと笑いながら言うばかりだった。だから、てっきり大勢いる下位の嬪のひとりだと思っていたのだ。
しかし、彼女は貴妃という最高位の妃だった。
貴妃ほどの妃が出奔すれば、後宮は騒然とするに決まっている。追手も、捜索の手も、どちらも並の数ではないはずだ。しかも乳飲み子を連れての逃走。不貞の疑いがかかっていたとしたら、尚更だ。
(でも、私達は特に追手に見つかったことはない……)
隠れるのが上手かった? いや、そんなことはない。楚蘭は産後まもなく外に出たことで肥立ちが悪く、隠れ家でしばらく床に伏せていたらしい。
一つの場所に留まっていれば、見つかる可能性は高い。しかも、都の外れの貧民街に隠れたのだ。これで見つからなかったという方がおかしい。
(何かが、おかしい)
水面に、ぽんと石が投げ込まれたようだ。
曄琳の頭の中でぐるぐると情報が錯綜する。
これではまるで――。
――楚蘭は逃げたのではなく、逃されたのでは?
「曄琳さん? どうしました?」
玉温が顔を覗き込んでいたのに気づき、ようやく曄琳の意識は浮上した。
「玉温様、もしよろしければ櫻花妃のことをもう少し詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
「申し訳ありません。私はそこまで詳しくなくて……当時のことは母の方が詳しいと思います」
「なら、お母様とお会いすることはできますでしょうか?」
気づけば曄琳の口からそんな言葉が飛び出していた。玉温は面食らったように瞬くと、ゆっくりと頷く。
「え、ええ。大丈夫だと思います。連絡してみますね」
「ありがとうございます」
「日取りが決まりましたら、またお伝えしますね。曄琳さん、本当に大丈夫ですか? お顔色が……」
曄琳は無理やり笑顔を作って一礼し、居室を後にした。見張りの宦官が曄琳を一瞥するが、引き留められはしなかった。暁明が戻ると言っていたが、それを落ち着いて待っていられる気がしない。
曄琳は先に出る旨を彼らに言付け、殿舎を後にした。
(母様は一体何があってここを出たんだろう)
櫻花妃の噂。
楚蘭の口から聞いた話。
曄琳のこれまでの生活。
知り得た情報を組み合わせても、少しずつ掛け違いがある。王城内で楚蘭の話を聞くたびに、曄琳の知っていた母の姿が霞んでいく。
何が本当で、何が嘘なのかわからなくなっていた。
(ねえ、母様。私は本当に……先帝と母様の、娘?)
そこまで考えて、曄琳は頭を振った。
自分のことまで疑うようになってしまってはおしまいだ。しっかりしなければ。
パチンと頬を叩くと、空を見上げる。
紫と朱が入り交じる黄昏に、楽器の音がいくつか聞こえてきた。
「あれ……日暮れから練習は禁止されていたはずだけど」
四華の儀の規定では、確かそうなっていた。
曄琳は耳を澄ます。遠すぎて誰が弾いているのかまではわからない。もう少し近ければ、音色でどの姫かまで特定できただろうに。
隠れて練習しているのだろう。健気なことだ。
規定違反にはなるが、こうして咎められない範囲で練習している姫はいる。というよりも、ほぼ皆がそうだ。それを周りも黙認している。四華の儀まであと半月を切った。皆が必死なのだ。
曄琳はそっと通明門をくぐり抜けた。
1
あなたにおすすめの小説
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。
それは愛のない政略結婚――
人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。
後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―
島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
男装官吏と花散る後宮 仮面の貴人と妃の秘密
春日あざみ
キャラ文芸
旧題:男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
2026年3月書籍発売!
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
もっと早く、伝えていれば
嶌田あき
キャラ文芸
記憶から生まれ、1ヶ月で消える運命のあやかし・憶。鎌倉の古い喫茶店「波音堂」で目覚めた彼が最初に出会ったのは、17歳の高校生・夏希だった。
同じ17歳なのに、夏希には18歳の誕生日が来る。憶には来ない。
憶は、大切な人を失った人々を「記憶の渚」へ導き、故人の記憶と対話する手伝いをしている。言えなかった恋の告白、12年越しのさよなら、認知症の夫への思い――4つの「弔い」を通じて、憶は生きること、死ぬこと、記憶することの意味を知っていく。
そして最後、憶は自分の正体を知る。憶は、夏希の母の記憶から生まれたのだと。
「もっと早く、伝えていれば」と後悔する人々に寄り添いながら、憶自身も夏希との限られた時間の中で、大切な気持ちを伝えようとする。
1ヶ月後、憶は静かに光の粒子となって消えていく。でも憶の存在は、夏希の記憶の中で永遠に生き続ける――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる