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第4章 絡まる糸
第37話 大人の道具
しおりを挟むその後淳良と何を話したのかまでは碧鈴は言わなかったが、泣き腫らした目を見るからに四華の儀から落第したことだけは伺い知れた。暁明や雪宜も難しい顔をして掖庭宮から引き揚げていき、曄琳としては、淳良と話した内容が今回の彼の選択にどこまで影響を及ぼしたのか、些か不安であった。
しかし――ひとつ、大きな変化があった。
「入って」
茗と燦雲、曄琳の三人は、緊張した面持ちで碧鈴の房の前に立っていた。互いに顔を見合わせて、中へと入る。
碧鈴は変わらず尊大な態度だが、顔つきは幾分か穏やかな気がした。
「座って。それと……あなた達は外に出て」
碧鈴は壁際の侍女らを追い払うように扉を示すと、侍女らは表情を変えず黙って出ていった。両者の溝が決定的に広がっているのを感じる。
「さ、私に稽古をつけて」
腕組みしてこちらを見下ろす碧鈴は、教えを乞う立場とは思えないほど強気だ。
茗がおそるおそる口を開く。
「あのぅ、どのような心境の変化で……?」
「あなたに聞く権利があるの?」
「……ないですね、すみません」
返り討ちにされた。茗に代わって、今度は燦雲が前に出る。
「碧鈴様はどうして今まで手習いを突っぱねてらっしゃったの? 人知れず練習なさるくらいなら、私達にお声をかけてくださればよろしかったのですよ。四華の儀の機会まで逃しておしまいになられて……私はとても残念ですわ」
曄琳は碧鈴の顔色をうかがう。彼女の形の良い唇が一瞬引き結ばれ、また解かれる。
「私は四華の儀は形だけの儀式だって聞いてたわ」
「あらまあ?」
「入内した後に侍女達に確認したら、凌家の姫なんだから私が選ばれるのは確実、安心してくださいって皆いうのよ。だから、苦手な管弦より身なりを綺麗にしたかった」
碧鈴は、悔しそうな顔で燦雲を睨む。
「必死に練習したって、私は下手なの。周りの子には勝てない。なら、他で勝負するしかないでしょう?」
「碧鈴様……」
「下手くそな楽器の音を、周りに聞かせるのも嫌だった。なんでこんな皆が聞けるような場所でやらなきゃいけないの? なんで、特別に上手な朱が隣なのよ」
碧鈴の目にじわりと涙が浮かぶ。
「惨めだわ。隠れて練習したらいいっていう侍女の口車に乗せられて、倒れて落第になるなんて。お父様になんて言われるかしら……」
俯いて涙を零す碧鈴に、三人は顔を見合わせる。曄琳は傷つけないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「どうしてもっと早くお話してくださらなさったんですか。頼ってくだされば、お手伝いできることがたくさんありました」
「気高く、周りと馴れ合わず。位あるものは相応の人間と付き合うべし。それがあるべき妃の姿だって、そう教わったわ」
この子は根が素直なのかもしれない。
曄琳はそう思った。
そして、碧鈴の侍女は最初から彼女の味方ではなかった。入内したときから、碧鈴がこうなるよう、影で仕向けていたのだ。
碧鈴も、所詮は子ども。大人がこうだああだと言えば、そんなものなのかと信じてしまう。
彼女には、そういう貴族の子女によくある従順で素直な気質があった――それが悪い大人の思惑に引っかかってしまったのだ。
碧鈴は鼻をすすって続ける。
「主上にこのことを全部お話したわ。そうしたら、後宮はそういう場所だって。朝廷も、大人も、皆私達が子どもなのをいいことに、好きに使いたいだけだっておっしゃるの」
曄琳は絶句する。横の茗や燦雲も口を閉ざした。
「それを聞いて、目が覚めたわ。まだ即位間もない主上が、平気そうな顔で。……私は、あの方を支えるためにこれから頑張るって決めたわ」
その目は真っ直ぐだった。瞳の中に、ほんの僅かな、小さな熱も混ぜて。
淳良と話したことで、言いなりになっていた頃と違い、碧鈴の中で何かが生まれたのだろう。
いい傾向だが、四華の儀に落ちたことは事実。四夫人以下の妃の立場から寵愛を勝ち取らねばならない。
(でも……形は違えど、少監が求めていた結果には多少近づいた、のかな)
碧鈴はこれから妃嬪のひとりとして、淳良を支えてくれるに違いない。そしてその後ろには凌家がついている。きっと淳良の力になってくれるだろう。
「それにしても――」
碧鈴はその美しい髪を払うと。一転して、腕組みをした。その顔はもとの気の強い碧鈴に戻っている。
「あの侍女達……どうしてやろうかしら」
「まあ! 首にしたらいかがです? または尼寺送りとか」
さらりと燦雲が笑顔で怖いことを言う。
しかし、碧鈴は首を振る。
「首にしたって、女官崩れは女の価値が高いって聞くわ。甘い汁だけ啜って、その後は素敵な旦那様のところに嫁ぐだなんて、私は許さない」
「あらあらぁ、そんな下世話な話、どこで聞いたんです?」
曄琳と茗は苦笑いである。
「だから、私のもとで一生働かせるって決めたの。泣いて他へ行かせてくださいって言うまで、使い倒してやるわ」
強い。きっと将来大物になるに違いない。
曄琳は妙な安心感を覚えた。
それと同時に、もう一人の自分が頭の中で呟く。
――これは暁明に報告した方がいい案件だ、と。
碧鈴の侍女が、個人的な感情だけで碧鈴を陥れようとしていたとは考えづらい。その後ろに、もっと別の……何か大きなものが隠れている可能性が高い。
暁明が一番担ぎ上げたかった碧鈴を落第させられれば、得をする人物といえば――朧皇太后か。
曄琳は晴れやかな気分とは裏腹に、仄暗いものが纏わりついてきているような気がしていた。
◇◇◇
碧鈴の房室から出ると、外で見知らぬ女官が待っていた。曄琳の手に小さな紙片を握らせると、そそくさとどこかへ行ってしまう。
「アンタ何貰ったの? まさか恋文……」
「そんな馬鹿なことありますか」
茗が興味津津といったふうに手を覗き込んでくるのを避け、中を確認する。
――明日、日暮れ、通明門にて。母が待ってます。
可愛らしい筆跡でそう綴られていた。
(母……あ、玉温様のお母様!)
以前約束した楚蘭の話を聞く件を思い出す。最近色々なことが起きすぎて、すっかり頭から飛んでいた。
曄琳はがしがしと頭をかき回す。
(うう、やらなきゃいけないことが多い)
碧鈴のこと、楚蘭のこと、まだ諦めていない脱走。そして――暁明のこと。
「……報告行かなきゃ。気が重い」
茗達と別れて暁明のいる門の外へ行きかけ――はたと思い至る。何かあれば、雪宜へ報告することも可能だったのでは、と。
殿中省へ行くには皇城へと赴かねばならないため、気軽に宮門の出入りができない曄琳としては必然的に雪宜の方が勝手がいいのだ。決して暁明と顔を合わすのが気まずいからとか、そういう理由じゃない。決して。
そんなわけで曄琳は第四区画、つまり内侍省がある方へと向かうことにした。
妃嬪の殿舎を通り過ぎ、後宮内の木板の郭を抜ける。すると、整然と官舎が立ち並ぶ場所へと出る。ここは小さな皇城といった雰囲気か。ひとつ違うとすれば、甍の色が皇城は赤だが、ここは緑というくらいだ。
ここが内侍省――宦官を統括する部署である。
雪宜がどこにいるのかわからないが、掖庭令ともなれば個人の室があるはずだ。働き蜂のようにあちこちを飛び回る他の宦官と違い、一箇所に腰を落ち着けているはずである。
曄琳は適当に当たりをつけて中を覗き込む。雪宜の声を耳で拾えれば、自ずと場所もわかるはずだ。
集中して音を拾っていると、ざわめきの中、女の声を拾う。それも、聞いたことのある声だ。おやと思い音の出処を探ると、郭の外――妃嬪の殿舎側で、女が二人、立ち話をしているようだった。
ひとりは、知らない女。口調からして、おそらく女官。もうひとりは――胡朱だった。
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