紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

文字の大きさ
48 / 55
第5章 櫻と紅玉

第48話 対峙

しおりを挟む



◇◇◇


 
「ねえ、あの子大丈夫なのよね……?」

 ミンが呆然と呟く。間もなく掖庭宮に押しかけた羽林軍うりんぐんにより曄琳イェリンは連行された。任意同行という名目であったらしいが、こちらの言い分を受け付けぬ強硬であった。
 
 近衛を動かしてまで強制的に連れ去るとは。淳良チュンリャンの耳に入れば烈火の如く怒るだろう。反皇太后派の波紋を呼ぶことは想像に難くない。それを見越してでも――皇太后は曄琳を連れて行くという行動を起こしたのだ。思惑が掴めない。そして、皇帝の私兵ですら容易く動かしてみせる女に――暁明シャオメイは図らずも畏れを抱く。
 暁明は努めて冷静に曄琳のあねだという宮妓を見下ろす。
 
「私は急ぎ主上に報告に参ります」
「ちょっと、」
「茗さんは一度教坊へ――」
「……っ、あたしは! あの子が大丈夫かって聞いてんの!!」

 襟首を掴まれた。力任せの行為に、暁明はたたらを踏む。目の前の茗の大きな目が、揺れて、歪む。

「答えなさいよ! あんたがあの子の一番の理解者なんでしょ!?」

 返事に詰まる。

「悔しい……あの子があんたみたいなはっきり応えられない男に盗られたなんて!」 

 理不尽な八つ当たりだ。しかしそうでもしないと不安な気持ちは理解できた。
 
「あの子と初めて会ったときから、あたしだってあの子が訳アリなのは気づいてたわよ。眼帯取りたがらないし、たまに不安そうな顔するし!」
「茗さん」
「でも、あたしじゃどうにもなんなかった! あたしだってずっとずっと、ずーっと心配してたのに!」
 
 茗の目からボロボロと涙がこぼれる。

「ただの師弟関係だけど、でも……あの子はあたしの妹分なのよぉ…………小曄シャオイェ……どうしたらいいの……」

 ずるずると床に座り込む茗に、暁明は何も言えなかった。

 皇太后が出てきた今、彼女に対抗しうるのは主上ただひとり。彼がどのような判断を下すのか、曄琳のことをどう受け止めるのか。幼いとはいえ、彼の発言力は暁明の比ではない。幼子の冗談よと笑われるようなことも、実現しうるのが彼の立場だ。

 ――対して、己はなんと無力なことか。
 暁明は両の腕を見下ろす。一瞬でも熱を共有した相手は、もういない。皇太后は彼女に一体どのような話を持ちかけるのだろう。

 暁明様、と拙く呼んでくれた声が耳に残る。
 そして、後悔しないようにと助言した先達を思い出す。 
 そう、あの人と己は同じだ。
 相手の未来を祈り、宮中から送り出すことを選んだ――結果、あの人は消えた面影に囚われてしまった。それは恐らく、己も同じ。死ぬその時まで、かの姿を思い出すに違いない。

 ――後悔しないように。
 
 次があるならば、次を勝ち得られるならば――今度は――。



 ◇◇◇



 空気が重い。
 たった独り、曄琳は目の前、未だ無人の高台こうだいを見上げる。
 
 見張りだろうか、庁堂ひろまの外に二名、走廊ろうかに帯剣した兵三名の気配がある。この庁堂に窓は一切なく――よって逃げ出すのは不可。腹を括って対峙するしかなさそうだ。奥の間から徐々に近づいてくる衣擦れに、震える身体を叱咤する。

(負けるな、頑張れ私)
 
 ようやく高台に一人の女が姿を現す。重い絹が床を滑り、歩みに合わせて歩揺が綺羅びやかな音を立てる中、曄琳は深々と叩頭礼でもって国母こくもを拝する。

「――やめてちょうだい、あなたの立場でその礼は必要ないでしょう」

 椅子に腰を下ろす気配がする。足音は一人分。この場は完全に人払いをしたようで、扉を隔てた奥の間に数名の気配を感じる。

シェン長公主、面を上げて」

 やはり、全て知られていた。
 曄琳はゆっくりと顔を上げる。突然の拉致であったため左目を隠す隙もなく、紅目はそのままに目の前の女と向き合う。

(――これが、ロン皇太后)

 四十に届かないくらいの歳であると聞いている。思っていたよりもずっと――怖くない。黒黒とした豊かな髪に、まなじりの上がった目元、薄紅の引かれた唇。女性にしてはやや低めの声は深く、覇気は感じるが何か圧倒されるようなものはない。男子おのこと呼べるほど小さな淳良と出会ったときの方が、よっぽど畏怖の念を抱いた。

「今日は話をしたくて呼んだの。お立ちなさいな」

 何か特別なものを感じる人じゃない。あまりにも普通の女性すぎて――逆に不気味であった。
 この人が、全ての元凶。
 これまで行ってきたことと今の印象の乖離が大きすぎて、曄琳は戸惑うしかなかった。

「無理に連れ出してごめんなさいね。こうでもしないと、があなたを隠してしまうと思ったから」

 暁明、雪宜シュエイー、淳良――彼らというのに誰が含まれているのか。曄琳は己の存在が対立の火種になりかけていることを悟り、唇を噛んだ。しっかりしなければ。ここで怖気づいたら皆の努力が無駄になる。
 曄琳は覚悟を決めて壇上の女を見上げる。

「あなた様は、隠さねばならない理由があることをご存知だということですか」

 朧は曄琳の啖呵に瞠目し――そして口端を上げた。
 
「ふふ、思ったより胆力のあるお嬢さんだこと。……ええ、そうね。知っているわ」

 これでまどろっこしい探り合いは終わりだ。朧はゆったりと肘置きに身を預ける。

「もう十七年も前になるのね、懐かしいわ」
「母を……なぜ追い出したのですか」
「追い出したというのは語弊があるわ。最終的に決めたのはあの人なのだから」
「でも、あなた様が仕掛けたことでしょう」

 朧の目が僅かに細められ、面白いというように笑う。

「全部知ってるの。それでよくこの場で冷静でいられるわね。恐ろしくはないの?」
「恐ろしいです……でも何も出来ずにこの場を去ることの方が、よっぽど恐ろしい」

 朧はいよいよ笑い声を上げた。

「素敵。見た目に反して骨があるところもあの人そっくりね」

 この場がどう転ぶのか、発言をひとつ間違えたら道が変わりそうで。曄琳は手汗で湿る手のひらを握り合わせる。

楚蘭チュランはね、宮中を出ていなければ、いずれ国母となる女性だったわ」

 朧が謳うように呟く。視線は、曄琳を見据えたまま。曄琳は眉を寄せる。
 
「母は私が初産で、皇子を産んではいなかったはずです。国母には――」
「いいえ。遠くない未来に、きっと産んでいた」
 
 はっきりと否定される。

「あの人は特別だった。主上の寵愛も深く、格別に愛されていた。私は間違いなく、あの人が次代の皇帝を産むと思ったわ」
「そんな……それは全てあなた様の盲言です」
「ふふ、なら少し下世話な話をしましょうか」

 朧はそのほっそりとした指を、自身の下腹に滑らす。
 
「あなたを身籠るまでに、主上があの人のもとに何回お通いになられたと思う?」
「な、なにを……」
 
「一回よ」

 朧は人差し指で、とんとんと腹を叩く。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

あやかしたちのとまりぎの日常

彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。 勿論店の店主や店員もまた人ではない。 そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

処理中です...