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2.オバケのうわさ
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また別の年、ハロウィンの夜、ストリア公国ウィーン市街の片隅にて。
街の中にあって、孤立するように建てられた教会がある。そこには数人の孤児があずけられていた。
子供たちは家事を手伝い、大人たちは良き保護者として楽しく暮らしている、それがここの日常だ。
長テーブルのすみっこで黙々と食事をしている彼も、その一員となるはずだった。
「……ごちそうさま」
栗色の髪をした少年が誰に聞かれるでもない小さな声を発して席を立つ。わいわいと騒がしい他の子どもたちには、いっさい気づかれることもなくただ一人で。
その少年、ロベルは孤児の中でも特殊なタイプの子どもだった。大人とも子供とも中々なじめず、いじめられこそしないものの彼に積極的に話しかける人間もいなかった。それは彼の持つある特殊な能力が原因だった。
ロベルが就寝部屋に戻り自分のベットにあおむけに寝転ぶと、どこからか話し声が聞こえてくる。その声は、どうやら窓の外から聞こえるようだ。
「おい、聞いたか? 今年もまたハロウィンの魔女が現れたらしいぞ」
「子供をさらっては天に返しちゃうっていう、あの?」
「そうそう。そいつが開くパーティーに招かれでもしたら、二度と戻ってこれないんだってさ」
「ひぃー、こわいこわい」
(こわいこわいって、おまえたちオバケだろ)
ロベルは外から聞こえてくる声がオバケのものであると知っていた。彼にはオバケの声が聞こえるのだ。
話声がする、確かに見た、そんな話をロベルは周囲の人間にした。最初は面白がっていた子供たちも、しだいに気味悪がって近づかなくなった。
彼にとっての日常が、他の人間にとっては違う。そのことを理解したのは、孤立してしまった後のことだった。結局誰も信じてはくれない。
ロベルは起き上がって窓をあける。その音を聞いたオバケたちは話しかけるすきもなく、そそくさと退散していった。
「オバケって意外と臆病なんだよな」
ロベルだって友達が欲しかった。気がねなく話せて、なんでも分かり合えるような友達が。だからオバケと友達になろうとしたこともある。
けれど、オバケはオバケで話しかけようとすると、すぐ逃げだしてしまってろくに会話もできない。
結果として、ロベルは一人であることを受け入れた。
だけど、そう、さびしくなることもあるのだ。
ロベルは窓に足をかけ飛び出す。一階にあるこの部屋から抜け出すことは簡単だ。
さびしくてどうしようもない時、ロベルはこうやって夜の街に一人ででかけた。誰もいない街をぶらついては帰る、そんな何でもないことで気持ちはどうしてか落ち着く。見上げた夜空は遠く輝いて、自分の悩みを受け止めてくれる気がした。そうして風邪をひく前に帰るのだ。
だが、今夜は少し違ったようだ。
「なんだあれ?」
人気のない路地の向こうで、青い光が横切った。夜目の効くロベルには、それが人間でもオバケでもないことが分かった。
光の正体が気になったロベルは追いかけてみることにした。足音を立てないようにそおっと進む。
曲がり角に着くころには、誰かの話し声が聞こえてきた。話し声、といっても会話は一方的なもので話しているのは一人のようだ。低く中性的ではあるが、話しているのはおそらく女性だ。
「そう。この辺りにはもういないのね? ありがとう」
(人間? でもこんな夜中に? もしかして悪い人なのかな?)
秋の夜風はロベルの身体を凍えさせ、夜闇は恐怖をかり立てる。見つかる前にかえらなきゃと、後ろに一歩下げた足元に小枝が一つ、パキッと音を鳴らした。
「だれ!?」
角の先から鋭い声が響く。
ロベルはどうしようかと悩んだが、逃げることより大人しく前に出ていくことにした。
どうせロベルには何の価値もないのだ。すぐに解放してくれるだろう。そうロベルは判断したのだ。
「子供? どうしてこんな夜更けに子供が?」
そうロベルに問いかけた声の主は、全身をすっぽりとおおい隠す真っ黒のローブを着ていた。それをランタンにともった青い炎が照らしている。さっきの光の正体はそのランタンのもののようだ。
不思議なことに、彼女の他に人の姿はなかった。
どうして一人? さっきの会話は? そんな疑問をよそに、彼女の姿を見たロベルはさっと顔を青くした。教会を出る前に聞いた、オバケたちの会話を思い出したからだ。
「もしかして、この人がハロウィンの魔女……?」
子供をさらっては天に返す魔女、それが本当ならロベルだって危ない。彼もまた、子供なのだ。
ロベルは注意深く魔女らしき人物を観察する。はたして彼女は自分に関心を持っているだろうか?
深くかぶられたフードのせいで顔は見えない。これでは相手が何を考えているか余計に分からない。
怖い、そう思ったロベルは恐怖のあまり、フードの奥に凶悪な顔の幻を描いてしまった。その瞬間、ロベルのなけなしの勇気が消えうせた。
「いや、たすけて……!」
「あっ! ちょっと! なんで逃げるの!?」
ロベルは一心に走り続ける。わき目もふらず、ただその場から離れるように。
どれくらい走ってきたのだろう? ロベルはいつしか知らない路地へと迷い込んでいた。息が続かなくなって、その場に座りこむ。ひんやりとした地面が今だけは火照った身体を冷ます助けとなった。
ちらっと後ろをうかがうが、どうやら魔女は追ってきていないようだった。
ようやく安心できたロベルは緊張した身体を脱力させて、ほぅっとため息をつく。
しかし、この日のロベルの災難はそれだけでは終わらなかった。
「おいおい、いけないなぁ。ガキがこんな時間に一人でいちゃ」
後ろを気にして気づかなかったが、ガラの悪い男が数人、ロベルを囲むように立ちはだかった。
そして、ロベルは抵抗むなしく、その男たちに連れ去られてしまった。
◇◇◇
暗い部屋。置かれているのは椅子が一つ、後は木箱がいくつかと明かりが一つ。窓はない。
ロベルは後ろ手に縄で縛られ、その部屋に閉じ込められてしまった。
「じゃあな、ガキんちょ。しばらくここで大人しくしてろや」
男たちはロベルを残して部屋を出る。扉が閉まるとカチャっと鍵のかかる音が鳴り、足音が遠ざかっていく。
男たちは人をさらって売りさばく悪い人間だ。ロベルにもそれくらいのことは分かった。
(どうしよう。これから僕はどうなっちゃうんだろう……)
ロベルは心細さから、ぎゅっと身をちぢめると目をつむって涙をこぼした。
こんなことなら、魔女にさらわれたほうがマシだったかもしれない。これからずっと苦しいことより、死んでしまえるのなら、そのほうが……。どのみち生きていても一人ぼっちなんだから。
ちょうど、そんなことを思っていた時だった。
「それは都合がいいね」
ロベルが驚いて目を開けると、そこには先ほど見た真っ黒なローブを着た魔女が立っていた。ただ一つ違うのは、魔女がフードを脱いで素顔をさらしていることだ。
ロベルと同じ栗色の、長い髪から甘い香りが流れてくる。優しい顔がロベルの震える心を抱きしめた。
魔女はロベルの後ろに回って縄をほどく。
「助けに来てくれたの?」
「いいや? キミをさらいに来たんだよ」
なんてことのないように魔女はそう口にした。それに対してロベルが何かを言う前に、魔女は続けてこう言った。
「キミ、ひとりぼっちなんでしょ?」
ロベルは開きかけた口を閉じると、眉間にしわをよせてうつむいた。
誰かにこんなことを言われるとは思わなったが、言われてみると自分で思っているよりもずっと胸が苦しくなった。仕方ないじゃないか、そう心の中でグチをこぼす。
「キミは分かりやすいね」
魔女はロベルの正面に回ると、しゃがみこんでロベルと目線を合わせた。
「こんな夜中に出会ったんだもの。そうじゃないかって思ったんだ」
優しく笑いかける魔女の考えが、ロベルには分からなかった。
子供の命をもてあそぶためにさらっている、それならば理解できた。
しかし、ロベルには彼女がそんな悪いことをする魔女のようには見えなかった。
困惑しているロベルに、立ち上がった魔女は手を差し伸べた。
「行こうよ一緒に」
その姿がかつての光景に重なった。教会にひろわれた時も、そんなことを言われた気がする。結局なじむことはできなかったけれど、悪い人たちではなかった。
(もし、やりなおせるなら。こんどは……)
気づけばロベルは、差し出された魔女の手をとっていた。
◇◇◇
夜が明けた。日も登って、男たちがロベルを閉じ込めていた納屋にやってくる。
カギを開け、中をのぞいた男たちは仰天した。閉じ込めていたはずのロベルがいなくなっていたからだ。
男たちは街中を探しまわったが、結局ロベルは見つからなかった。
「酒で酔っ払っていたんだろう」
誰かがそう言いだし、納得した男たちはすべて忘れることにした。
余談ではあるが、男たちはその次の夜に別件で警備隊につきだされた。
街の中にあって、孤立するように建てられた教会がある。そこには数人の孤児があずけられていた。
子供たちは家事を手伝い、大人たちは良き保護者として楽しく暮らしている、それがここの日常だ。
長テーブルのすみっこで黙々と食事をしている彼も、その一員となるはずだった。
「……ごちそうさま」
栗色の髪をした少年が誰に聞かれるでもない小さな声を発して席を立つ。わいわいと騒がしい他の子どもたちには、いっさい気づかれることもなくただ一人で。
その少年、ロベルは孤児の中でも特殊なタイプの子どもだった。大人とも子供とも中々なじめず、いじめられこそしないものの彼に積極的に話しかける人間もいなかった。それは彼の持つある特殊な能力が原因だった。
ロベルが就寝部屋に戻り自分のベットにあおむけに寝転ぶと、どこからか話し声が聞こえてくる。その声は、どうやら窓の外から聞こえるようだ。
「おい、聞いたか? 今年もまたハロウィンの魔女が現れたらしいぞ」
「子供をさらっては天に返しちゃうっていう、あの?」
「そうそう。そいつが開くパーティーに招かれでもしたら、二度と戻ってこれないんだってさ」
「ひぃー、こわいこわい」
(こわいこわいって、おまえたちオバケだろ)
ロベルは外から聞こえてくる声がオバケのものであると知っていた。彼にはオバケの声が聞こえるのだ。
話声がする、確かに見た、そんな話をロベルは周囲の人間にした。最初は面白がっていた子供たちも、しだいに気味悪がって近づかなくなった。
彼にとっての日常が、他の人間にとっては違う。そのことを理解したのは、孤立してしまった後のことだった。結局誰も信じてはくれない。
ロベルは起き上がって窓をあける。その音を聞いたオバケたちは話しかけるすきもなく、そそくさと退散していった。
「オバケって意外と臆病なんだよな」
ロベルだって友達が欲しかった。気がねなく話せて、なんでも分かり合えるような友達が。だからオバケと友達になろうとしたこともある。
けれど、オバケはオバケで話しかけようとすると、すぐ逃げだしてしまってろくに会話もできない。
結果として、ロベルは一人であることを受け入れた。
だけど、そう、さびしくなることもあるのだ。
ロベルは窓に足をかけ飛び出す。一階にあるこの部屋から抜け出すことは簡単だ。
さびしくてどうしようもない時、ロベルはこうやって夜の街に一人ででかけた。誰もいない街をぶらついては帰る、そんな何でもないことで気持ちはどうしてか落ち着く。見上げた夜空は遠く輝いて、自分の悩みを受け止めてくれる気がした。そうして風邪をひく前に帰るのだ。
だが、今夜は少し違ったようだ。
「なんだあれ?」
人気のない路地の向こうで、青い光が横切った。夜目の効くロベルには、それが人間でもオバケでもないことが分かった。
光の正体が気になったロベルは追いかけてみることにした。足音を立てないようにそおっと進む。
曲がり角に着くころには、誰かの話し声が聞こえてきた。話し声、といっても会話は一方的なもので話しているのは一人のようだ。低く中性的ではあるが、話しているのはおそらく女性だ。
「そう。この辺りにはもういないのね? ありがとう」
(人間? でもこんな夜中に? もしかして悪い人なのかな?)
秋の夜風はロベルの身体を凍えさせ、夜闇は恐怖をかり立てる。見つかる前にかえらなきゃと、後ろに一歩下げた足元に小枝が一つ、パキッと音を鳴らした。
「だれ!?」
角の先から鋭い声が響く。
ロベルはどうしようかと悩んだが、逃げることより大人しく前に出ていくことにした。
どうせロベルには何の価値もないのだ。すぐに解放してくれるだろう。そうロベルは判断したのだ。
「子供? どうしてこんな夜更けに子供が?」
そうロベルに問いかけた声の主は、全身をすっぽりとおおい隠す真っ黒のローブを着ていた。それをランタンにともった青い炎が照らしている。さっきの光の正体はそのランタンのもののようだ。
不思議なことに、彼女の他に人の姿はなかった。
どうして一人? さっきの会話は? そんな疑問をよそに、彼女の姿を見たロベルはさっと顔を青くした。教会を出る前に聞いた、オバケたちの会話を思い出したからだ。
「もしかして、この人がハロウィンの魔女……?」
子供をさらっては天に返す魔女、それが本当ならロベルだって危ない。彼もまた、子供なのだ。
ロベルは注意深く魔女らしき人物を観察する。はたして彼女は自分に関心を持っているだろうか?
深くかぶられたフードのせいで顔は見えない。これでは相手が何を考えているか余計に分からない。
怖い、そう思ったロベルは恐怖のあまり、フードの奥に凶悪な顔の幻を描いてしまった。その瞬間、ロベルのなけなしの勇気が消えうせた。
「いや、たすけて……!」
「あっ! ちょっと! なんで逃げるの!?」
ロベルは一心に走り続ける。わき目もふらず、ただその場から離れるように。
どれくらい走ってきたのだろう? ロベルはいつしか知らない路地へと迷い込んでいた。息が続かなくなって、その場に座りこむ。ひんやりとした地面が今だけは火照った身体を冷ます助けとなった。
ちらっと後ろをうかがうが、どうやら魔女は追ってきていないようだった。
ようやく安心できたロベルは緊張した身体を脱力させて、ほぅっとため息をつく。
しかし、この日のロベルの災難はそれだけでは終わらなかった。
「おいおい、いけないなぁ。ガキがこんな時間に一人でいちゃ」
後ろを気にして気づかなかったが、ガラの悪い男が数人、ロベルを囲むように立ちはだかった。
そして、ロベルは抵抗むなしく、その男たちに連れ去られてしまった。
◇◇◇
暗い部屋。置かれているのは椅子が一つ、後は木箱がいくつかと明かりが一つ。窓はない。
ロベルは後ろ手に縄で縛られ、その部屋に閉じ込められてしまった。
「じゃあな、ガキんちょ。しばらくここで大人しくしてろや」
男たちはロベルを残して部屋を出る。扉が閉まるとカチャっと鍵のかかる音が鳴り、足音が遠ざかっていく。
男たちは人をさらって売りさばく悪い人間だ。ロベルにもそれくらいのことは分かった。
(どうしよう。これから僕はどうなっちゃうんだろう……)
ロベルは心細さから、ぎゅっと身をちぢめると目をつむって涙をこぼした。
こんなことなら、魔女にさらわれたほうがマシだったかもしれない。これからずっと苦しいことより、死んでしまえるのなら、そのほうが……。どのみち生きていても一人ぼっちなんだから。
ちょうど、そんなことを思っていた時だった。
「それは都合がいいね」
ロベルが驚いて目を開けると、そこには先ほど見た真っ黒なローブを着た魔女が立っていた。ただ一つ違うのは、魔女がフードを脱いで素顔をさらしていることだ。
ロベルと同じ栗色の、長い髪から甘い香りが流れてくる。優しい顔がロベルの震える心を抱きしめた。
魔女はロベルの後ろに回って縄をほどく。
「助けに来てくれたの?」
「いいや? キミをさらいに来たんだよ」
なんてことのないように魔女はそう口にした。それに対してロベルが何かを言う前に、魔女は続けてこう言った。
「キミ、ひとりぼっちなんでしょ?」
ロベルは開きかけた口を閉じると、眉間にしわをよせてうつむいた。
誰かにこんなことを言われるとは思わなったが、言われてみると自分で思っているよりもずっと胸が苦しくなった。仕方ないじゃないか、そう心の中でグチをこぼす。
「キミは分かりやすいね」
魔女はロベルの正面に回ると、しゃがみこんでロベルと目線を合わせた。
「こんな夜中に出会ったんだもの。そうじゃないかって思ったんだ」
優しく笑いかける魔女の考えが、ロベルには分からなかった。
子供の命をもてあそぶためにさらっている、それならば理解できた。
しかし、ロベルには彼女がそんな悪いことをする魔女のようには見えなかった。
困惑しているロベルに、立ち上がった魔女は手を差し伸べた。
「行こうよ一緒に」
その姿がかつての光景に重なった。教会にひろわれた時も、そんなことを言われた気がする。結局なじむことはできなかったけれど、悪い人たちではなかった。
(もし、やりなおせるなら。こんどは……)
気づけばロベルは、差し出された魔女の手をとっていた。
◇◇◇
夜が明けた。日も登って、男たちがロベルを閉じ込めていた納屋にやってくる。
カギを開け、中をのぞいた男たちは仰天した。閉じ込めていたはずのロベルがいなくなっていたからだ。
男たちは街中を探しまわったが、結局ロベルは見つからなかった。
「酒で酔っ払っていたんだろう」
誰かがそう言いだし、納得した男たちはすべて忘れることにした。
余談ではあるが、男たちはその次の夜に別件で警備隊につきだされた。
応援ありがとうございます!
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