【完結】ヒールで救った獣人ショタがマッチョに進化!? 癒しが招く筋肉のカタチ

たもゆ

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番外編

赤髪の聖女⑫

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 薄明かりの中、ふと意識が浮上した。どうやら、あのまま力尽きて寝落ちしてしまったらしい。
 横を見ると、俺を腕の中にすっぽり閉じ込めたまま、アヴィが静かな寝息を立てている。胸の奥がじんわり温かくなるほど、穏やかな寝顔だった。

 起こさないようにそっと体勢を変え、窓に目を向ける。外はまだ深い闇のままで、夜明けまでは時間がありそうだ。

 そこで、はっとして自分とアヴィの腹部に視線を落とす。
 ――汗やら、色んなモノの痕跡がそのままのはずなのに。
 触れてみれば、肌はさらりとしていて、どこにも乱れが残っていない。それどころか、かすかに薔薇のような、リッチな香りさえ漂っていた。

 気恥ずかしさと申し訳なさが一気に込み上げ、頬が熱くなる。
 こんなふうに隅々まで清められていたなんて気づかずに、俺は彼の腕の中でぐっすり眠っていたわけで。

 思い返せば――ヴェスタリアに来てからの二晩、アヴィが横になって眠っているところを、一度も見たことがなかった。
 「護衛」という役目のせいなのか、あるいはそれ以上の理由があるのか。
 夜になって俺がベッドに潜り込んでも、アヴィは決して隣に入ってこようとせず、距離を取るようにソファへ移動して、浅い仮眠をとるだけだった。

 『……アヴィ、寝ないのか?』
 『ご主人様が、眠ったら寝ますよ』

 ――その姿を思い出すと、今こうして俺を抱きしめて眠っているアヴィの腕の温もりが、余計に愛おしかった。

 俺は、アヴィの静かな寝顔をしばらく見つめていた。
 閉じられた長い睫毛、緊張から解かれたようにわずかに緩んだ口元。
 ――こんなふうに、深く眠っているアヴィを見るのは、久しぶりかもしれない。

 今の寝顔が、あのボロ家で過ごした、まだ進化前の姿と重なった。
 言葉にならない何かが、胸の底からふっとせり上がる。

 アヴィは、俺のどこがそんなに好きなのか。
 正直、俺自身ですらよく分かっていない。
 もしこの“癒しの魔法”がなかったら、アヴィは俺を選ばなかったんじゃないか――そんな考えが、ふと影のようによぎる。
 でもそんなことをアヴィに言ったら最後。「俺の好きなところ」を一晩中、嫌気が差すほど聞かされるような気もする。
 無意識に伸ばした手で、アヴィの長い耳を、指先でそっと撫でた。

 触れた瞬間――
 アヴィの呼吸が微かに変わり、瞼が静かに持ち上がった。

 薄明かりの中で開いた琥珀の瞳は、一瞬にして状況を理解し、次の瞬間には、“腕の中にいる俺”だけを映す優しい光で満ちる。

 「……ご主人様。おはようございます」
 まだ寝起きの掠れ声。
 昨夜の激しさとはまるで違う、俺を包み込むような甘い響きだった。

 「あ、悪い……起こした」
 慌てて言うと、アヴィはゆっくり首を振り、頬に触れたまま微笑んだ。

 「いいえ。目が覚めた時、あなたが傍にいる。それ以上の幸せはないです」
 アヴィの腕が、力強く俺の背を抱き直す。髪を梳く手つきは、昨晩の余韻をそのまま引き継ぐようで、耳元へ落ちる囁きは、甘く低く響いた。

 「……夜明けまで、まだ時間があります。朝までずっと、このままでいさせてください」

 そう言うと、アヴィの唇が額から頬へとゆっくり移動し、熱を持ったまま、静かに俺の口元を塞いだ。



 ***

 翌朝。
 ボロボロになったコルセットと、背中から豪快に裂けた聖女服を見たメイドさんは、案の定、烈火のごとく叫んだ。
 「な、何ですのこれは!? この生地、王都でも数少ない“特注品”なのですよ!? どうしたら一晩でこんな……!」

 怒りのオーラを全身から噴き上げるメイドさん。
 対するアヴィはというと――背筋を伸ばしたまま、微動だにせず、完璧な従者スマイル。

 「ご心配おかけし申し訳ありません。昨夜、ご主人様が急に呼吸の苦しさを訴えられまして。衣服の締め付けが原因と判断し、緊急を要したため……やむなく、処置いたしました」

 眉をかすかに下げ、憂いと献身を織り交ぜた“完璧すぎる顔面”で、しっとりと微笑む。

 ――ほんのそれだけで、空気が変わった。

 怒り心頭だったメイドさんの頬が、みるみる赤くなり、「ハァ……もう……しょうがないわね……♡」と、完全に骨抜き。

 そのまま「ピャッ♡」と小鳥のように飛び去っていく。
 背中には、アヴィに魅了されて天へ召された者のような清々しさまで漂っていた。

 ぽかんと立ち尽くす俺。
 そして即座にアヴィへ怒りを向ける。

 「……アヴィ。お前、絶対“魅了チャーム”持ってるよな!? あれ絶対スキルだろ!!」
 俺のツッコミに、アヴィは本気で不思議そうな顔で首を傾げる。
 「持ってませんよ。僕はただ……ご主人様を思って誠心誠意お話しただけです」

 (嘘つけ!! 顔面が攻撃力高すぎるんだよ!!)

 「それより、替えの服はすぐにご用意します。
 さあ、ご主人様。朝食が冷めてしまいますよ」

 そう言って肩にそっと触れ、満点の笑み。
 メイドさんを秒で落としたのと全く同じ顔である。

 (なんなんだこの顔面格差は……)

 ……俺は心の中で静かに泣いた。


 しばらくして――聖女服の代わりに用意されたのは、飾り気ひとつない男物のシャツとズボン、それに魔道士ローブだった。
 聖女服の重苦しい装飾や締め付けから解放された身体は、羽が生えたみたいに軽い。

 アヴィ曰く、聖女としての務めはすべて果たしたから、もう公の場に出る必要はないらしい。外交の残りはミシェル王子に一任する、とのことだが――

 (お前が服を破ったせいだからじゃないのか……!? 本当か!?)

 という疑惑が胸の奥でぬるっと顔を出す。それでも、バレンティン皇子と再び顔を合わせるのが気まずかったのは事実で、正直ありがたかった。

 アルケイン王国へ帰るため、アヴィと二人、宮殿の庭を抜けて馬車へ向かっていたときのことだった。
 よりにもよって、馬車のそばに――バレンティン皇子がいた。所在なげに視線を彷徨わせているのが見えた瞬間、俺の全身は石像みたいに固まった。

 (……おち、落ち着け俺! 今の俺は男! 化粧も付け毛もナシ! ただの平たいモブ顔魔術士だ! 聖女ユーリアだなんて、絶対気づかれるわけが──)

 慌てて赤髪を隠すようにローブのフードを深くかぶり直した、その直後。
 隣を歩いていたアヴィが、何のためらいもなくスッと一歩前に出て、俺の視界を完全に遮り、壁のように立ちはだかる。

 「殿下。お見送り、痛み入ります。ご用件があるなら、ミシェル王子へお伝えください」

 声音は静かで礼節を失っていない。けれどその奥には、昨晩の荒々しいほどの独占欲が、微熱のように確かに潜んでいた。
 俺はというと、アヴィの背中にすっぽり隠れ、(頼む……! 何事もなく通り過ぎてくれ……!)と、息を殺して祈るしかなかった。

 しかし。

 バレンティン皇子の視線は、アヴィの威圧感などまるで存在しないかのように、すり抜け、
 ――その後ろに貼り付く“影”へとまっすぐ吸い寄せられた。

 その視線に、嫌な汗が一気に噴き出す。

 「……ユーリア様? ユーリア様ですか!?」

 (……バレた!? ……いや、待て、よく考えたらアヴィと一緒にいたら気付かれるに決まってるじゃねぇか!!)
 胸が弾けそうなほど脈打つ。昨晩、コルセットを力づくで千切られたときより、たぶん今のほうがヤバい。

 「殿下。この者は聖女様ではございません。我々はアルケイン王国国王に仕える、魔術士と騎士です」

 有無を言わせぬ声音。
 言い終えるより早く、アヴィの手が俺の腕を掴み、ずるりと引き寄せられる。
 それは護衛の動作ではなく――完全に“所有物の回収”だった。

 だがバレンティン皇子は、眉一つ動かさない。
 アヴィの威圧を真正面から受け止めながら、執拗に俺を視界へ引き寄せようとする。

 「魔術士……? いいえ、その気配。その神秘的な佇まい。そして――その骨格の繊細な美しさ。まさしく……聖女ユーリア様です」

 瞳には狂おしいほどの熱が宿っていた。
 アヴィの言葉など、彼の執念の前には何の壁にもならない。

 俺は咄嗟に口を開いた。
 「ち、違います殿下!! ユーリアは……俺の、姉です!」

 ――出た。
 自分でもビビるくらいの、雑すぎる嘘。
 アヴィが「は?」という無音の反応をしたのが、背中越しに伝わった。

 しかし、バレンティン皇子は驚くどころか瞳を見開き、狂気じみた光をさらに強めた。

 「ユーリア様の弟君……? なるほど、だから似ておられるのですね。血筋ゆえの美しさ……なんと神秘的な……!」

 (やばい!! 火に油!! 食いつき方が二倍になった!! “姉本人”から“血縁一族丸ごと”に執着が拡張されてるーーー!!)

 皇子は、俺の“男の骨格”をじっと舐めるように観察しながら、一歩……また一歩……
 まるで高価な美術品に触れようとするみたいに近づいてくる。

 「それで……姉君は、今……どちらに……?」

 声は落ち着いているのに、その奥底に潜む渇望と執念は隠しきれていなかった。

 (完全にアウトだろこれ!! ユーリア様(俺)を逃した穴を、ユーリア様の弟(俺)で埋めようとしてるぅ!!)

​ もういっそ、スライディングで馬車に飛び込んでやろうか――そう覚悟した、その瞬間だった。
​ 広間の奥から、まるで神が遣わした救援のように、ミシェル王子とジョバンニ氏が姿を現した。

​ 「バレンティン皇子殿下。お見送りいただけるとは、恐れ入ります」

​ ミシェル王子は優雅な所作で歩み寄り、恭しく一礼する。その声音は、アヴィが放つ獣じみた殺気とは対照的に、完全に外交の場にふさわしい、澄んだ落ち着きに満ちていた。

 ミシェル王子が皇子の意識を“政治”という本来の土俵へ引き戻した瞬間、バレンティン皇子の狂気を孕んだ視線がようやく俺から離れた。

 「……ミシェル王子。聖女様にも是非ご挨拶を交わしたいのですが、今はどちらにいらっしゃいますか?」

 皇子の問いかけに、ミシェル王子はわずかに目を瞠り、変装を解いた俺とアヴィ、そして皇子を順に素早く見渡した。
​ そのわずかな間に全ての事情を理解し終えたらしく、彼はすぐに穏やかな声音で答えた。

 「殿下。聖女ユーリア様は、すでに神の御意志に従い――静かに旅立たれました」

 その声音には、一片の迷いや曇りすらない。
 むしろ“真実”であるかのような重みまで帯びていた。

 「聖女様の歩まれる道は、我ら凡俗が触れてはならぬ神聖の領域にございます。
 行き先を軽々しく語ることは許されません。どうか殿下におかれましては――その崇高さをお汲み取りいただければと存じます」

 ミシェル王子は深々と一礼しながら、バレンティン皇子の胸中に燃え上がっていた執念を、完璧に研ぎ澄まされた外交辞令で、音もなく封じ込めた。

 (さ、さすが未来の国王……! 息をするように国を動かすレベルの大嘘ついた!!)

​ その言葉の余韻が落ち着くころ、バレンティン皇子は反論の糸口を失ったように唇を閉ざし、ゆっくりと肩を落としたのだった。
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