3 / 30
【第三話:山梔子の花】
しおりを挟む夢喰いの一件からというもの、銀郎と夕陽の距離は確実に縮まっていた。
昏睡から目覚めた銀郎の目はもう、以前のように伏し目がちではなかった。どこか影を落としていた瞳は、まっすぐと夕陽を見据え、言葉の端々には迷いが消えていた。
「夕陽様、御髪整えますね」
「夕陽様、羽織をお持ちしました」
「夕陽様、吸い物の味見をしていただけませんか?」
何気ないやり取りの中に、銀郎の感情が垣間見える。
控えめだった距離感も、いつしかごく自然に近くなっていた。
それが――朱雀には、たまらなく癪だった。
夢喰いに襲われた時、なにがあったのか聞いても、夕陽様も銀郎も曖昧にはぐらかし、口を噤んで詳細を語ろうとはしなかった。
夕陽様の一番は、ずっと自分だった。
夕陽様が最初に名をくれたのも、手を差し伸べてくれたのも、優しく頭を撫でてくれたのも、全部、自分だった。
けれど最近は、夕陽様の隣に並ぶ銀郎が妙に自然に見えて――その事実が、焦りとなって胸を焼いた。
夕餉を終え、湯で身を清めたあと、部屋に戻ると、銀郎が灯された燭台の揺れる光の中、畳にあぐらをかき、膝に読みかけの文冊を置いて頁をめくっていた。
「……おまえさぁ、最近夕陽様にベタベタしすぎじゃねぇ?」
苛立ちに任せてぶつけた言葉にも、銀郎は揺れなかった。
その表情には怒りも焦りもなく、ただ真っ直ぐに、朱雀を見据える静けさがあった。
少しの沈黙のあと、銀郎は視線を手元へと逸らし、ふと微笑んだ。
「……嫉妬、か?」
からかうような響きもあったが、その声音はどこか切なげだった。
「ばっ……、 ちげーよ! いつも俺に対して弁えろだの慎めだの説教垂れてんのは、どこの誰だって言ってんだよ」
そう吐き捨てながらも、朱雀の声には微かに焦りが滲んでいた。
拳を握る手には力がこもり、今にも何かを言い足そうと唇が震えた。
だが、銀郎はその様子に取り乱すこともなく、穏やかな目で朱雀を見つめていた。
ひとつ深く息を吐いてから、銀郎は静かに文冊を閉じた。
薄く響く紙の音が、沈黙の空気を割る。
「……私は夕陽様に、私の想いを伝えようと思っている」
「……は?」
「例え拒絶されてもかまわない。けれど、私はこの気持ちを偽りたくない。夕陽様は、誰よりも優しい方だ。想いそのものを、否定するようなことはしない」
その目には、静かだが確かな決意が宿っていた。
いつのまにか銀郎は、ただの同居人でも、仲間でもなくなっていた。
焦りが、喉元まで込み上げる。
情に深い夕陽様のことだ。銀郎の想いを、きっと無碍にはしない。
そんな確信めいた“嫌な予感”が、心を締めつける。
焦燥と嫉妬で、どうにかなりそうだった。
――そして、ある夕暮れのことだった。
裏庭のクチナシが、白く甘く咲き誇っていた。
その香りの向こうに、二人の姿が見えた。
夕陽が優しく頷き、銀郎がその隣で何か囁くように話している。
近すぎる距離。和やかな空気。
まるで、ふたりだけの世界のようで。
サッと、胸が冷たくなった。
「……夕陽様!」
呼びかけた声に、二人が同時に振り返る。
夕陽の瞳はいつものように柔らかく、朱雀を見つめた。
「どうしたんだい?そんなに慌てて」
その声に応えるように、朱雀は歩み寄り、拳を握りしめて立ち止まった。
「……もう、耐えられねぇんだ……」
夕陽と銀郎の間に立つ。ふたりの距離を裂くように。
「俺……ずっと夕陽様の傍にいた。ガキの頃から、ずっと……それだけが、俺のすべてだった」
朱雀の声は震えていた。でも、決して俯かず、夕陽の目をまっすぐに見た。
「誰にも渡したくねぇって、そう思ってた。でも最近の夕陽様は、こいつの方ばっか見てて……俺のこと、置いていかれるみたいで……」
その瞳に浮かぶのは、悲しみと怒り、そして恐怖。
「俺……夕陽様が、好きだ。ずっと好きだった。……夕陽様が男でも、人間でも構わない、これからも、ずっと……夕陽様の一番でいたい」
叫ぶように、縋るように、ぶつけた想い。
それは決して子供の感情なんかじゃない。
今の朱雀が、すべてを賭けて差し出した“本気”だった。
そして――その隣に立った銀郎が、静かに一礼し、同じく夕陽を見つめる。
「……私も、同じ想いです」
柔らかいが芯のある声だった。
「朱雀のように、言葉にするのが上手くはありませんが……私も、夕陽様を、ただの主としては見ていません」
夕陽が何かを言いかけたが、それを手のひらで静かに制し、銀郎は続けた。
「私が生きている意味は、夕陽様が与えてくれた。命を、心を、救ってくれた方です。私は……その人を愛しています」
一瞬、微笑むように目を細める。
「拒絶されてもかまいません。ただ、この想いを知っていてほしかった。それだけです」
静かながら、確かに響く告白。
ふたりの想いは、香るクチナシの花よりも濃く、切実だった。
そして夕陽は、何も言わずにその場に立ち尽くしていた。
穏やかだった瞳に、揺れる光が走る。
朱雀と銀郎の視線を一身に受け、夕陽はしばらく沈黙していた。
その表情は、困ったようにも、苦しげにも見える。
「……すまない」
静かに紡がれた声は、まるで風が吹き抜けるように優しく、けれど確かだった。
「知っていたよ。……おまえたちの気持ちに、ずっと前から気づいていた」
朱雀が小さく息を呑む。銀郎の睫が静かに揺れた。
「でも、どうしたらいいのか、わからなかったんだ。私はずっと色恋沙汰とは無縁の生活をしていたからね。
ただ、こうして一緒に笑って過ごせる今を壊したくなくて……このまま時が過ぎていくのもいいって、そう思ってしまった」
夕陽はふたりを見つめながら、どこか寂しげに微笑んだ。
「どちらかを選ぶなんて、私にはできない。……そもそも、そんな資格があるとも思えないよ。おまえたちは、まだ若い。もっと広い世界を見て、もっとたくさんの人と出会って――
その中で、私なんかよりずっとふさわしい誰かを、見つけてほしい。
……だから、私を好きでいる必要なんて、ないんだよ。
……私は、そんな風に思ってしまうくらいには――ずるくて、弱い人間なんだ」
静寂の中、クチナシの花の香りだけが濃く、甘く揺れていた。
まるで、答えを出すのを先延ばしにしたこの空白を、そっと包み込むかのように。
「……ふざけんなよ」
拳を握りしめた朱雀の目には、悔しさと悲しみが滲んでいた。
「……そうやって全部、あんたが決めるなよ。俺たちの気持ちまで……勝手に」
唇を噛みしめたまま、夕陽を睨みつける。
涙が落ちそうになるのを必死でこらえるように、顔を上げたまま。
「……でも、それでもいい。俺は、選ばれなくてもいい。
俺のこと、好きじゃなくてもいいから、――ちゃんと、知っててほしかった。
……ずっと夕陽様の一番でいたかった。それだけなんだ……」
悔しさか、哀しさか、もう自分でもわからない。
ただ胸の奥が、熱く、苦しくて――息を吸うたびに、痛みが沁みていくようだった。
一方、銀郎は朱雀の言葉に口を閉ざしたまま、じっと夕陽を見つめていた。
静かな眼差しの奥に、何かを飲み込むような気配があった。
「……私は、いつの間にか欲張りになっていたんですね……」
銀郎の声は落ち着いていたが、その奥にほんの僅か、震えがあった。
「知っていて、何も言わずにいてくださったこと……優しさだとも思います」
彼は夕陽に一歩、近づく。
「……それでも、私の気持ちは変わりません。
たとえ選ばれなくても、あの日――虚ろな夢の中で、私の名を呼んでくれた声だけで……私は、もう十分に救われたのですから」
その言葉に、朱雀の目がわずかに揺れる。
銀郎の決意を、優しさを、そして同じ人を想う者としての痛みを感じたのかもしれない。
ふたりは、互いに何も言わず、ただ静かに夕陽を見つめる。
その視線はまるで、
「この想いは揺るがない」と、
「それでも、あなたを信じて待っている」と、
そう告げているようだった――。
誰も、言葉を発さなかった。
夕陽はただ、視線をそらさずに、目の前の二人を見つめていた。
朱雀も、銀郎も、その視線を受け止めながら――けれど、ふと目を伏せる。
言葉ではどうしようもない気持ちが、それぞれの胸に渦巻いていた。
痛みも、優しさも、願いも、欲も。
全部が、静かにその場に降り積もっていく。
チリン――
どこからか、風鈴が鳴った。
まるで、それが合図だったように、朱雀が小さく息を吐いて背を向けた。
「……俺、まだ諦めねぇから」
声は掠れていたが、その背中には確かな意思があった。
振り返らず、けれど、まるで心だけはしっかりと夕陽に向けたまま、歩き出す。
銀郎も、それに続くように一礼しその場を離れた。
残された夕陽は、しばらく庭に佇んでいた。
茜色の空が、クチナシの白をやさしく照らしている。
――二人の気持ちは、確かに届いている。
でも、その答えはまだ胸の奥で眠ったままだ。
それでも。
今夜、確かに心は、少しだけ、前に進んだのかもしれない。
静かな夜が、深く、深く、降りていく。
第三話:山梔子の花 完
0
あなたにおすすめの小説
黒に染まる
曙なつき
BL
“ライシャ事変”に巻き込まれ、命を落としたとされる美貌の前神官長のルーディス。
その親友の騎士団長ヴェルディは、彼の死後、長い間その死に囚われていた。
事変から一年後、神殿前に、一人の赤子が捨てられていた。
不吉な黒髪に黒い瞳の少年は、ルースと名付けられ、見習い神官として育てられることになった。
※疫病が流行るシーンがあります。時節柄、トラウマがある方はご注意ください。
【完結】フィクション
犀川稔
BL
変わらない日常送る恋(れん)は高校2年の春、初めての恋愛をする。それはクラスメートであり、クラスのドー軍の存在に値する赤城(あかし)だった。クラスメイトには内緒で付き合った2人だが、だんだんと隠し通すことが難しくなる。そんな時、赤城がある決断をする......。
激重溺愛彼氏×恋愛初心者癒し彼氏
--------------------------------------------------------------
この話のスピンオフストーリーとなります「ノンフィクション」も公開しております。合わせて見てもらえると嬉しいです。
バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる
衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。
男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。
すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。
選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。
二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。
元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。
若頭の溺愛は、今日も平常運転です
なの
BL
『ヤクザの恋は重すぎて甘すぎる』続編!
過保護すぎる若頭・鷹臣との同棲生活にツッコミが追いつかない毎日を送る幼なじみの相良悠真。
ホットミルクに外出禁止、舎弟たちのニヤニヤ見守り付き(?)ラブコメ生活はいつだって騒がしく、でもどこかあったかい。
だけどそんな日常の中で、鷹臣の覚悟に触れ、悠真は気づく。
……俺も、ちゃんと応えたい。
笑って泣けて、めいっぱい甘い!
騒がしくて幸せすぎる、ヤクザとツッコミ男子の結婚一直線ラブストーリー!
※前作『ヤクザの恋は重すぎて甘すぎる』を読んでからの方が、より深く楽しめます。
血のつながらない弟に誘惑されてしまいました。【完結】
まつも☆きらら
BL
突然できたかわいい弟。素直でおとなしくてすぐに仲良くなったけれど、むじゃきなその弟には実は人には言えない秘密があった。ある夜、俺のベッドに潜り込んできた弟は信じられない告白をする。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
異世界転移して美形になったら危険な男とハジメテしちゃいました
ノルジャン
BL
俺はおっさん神に異世界に転移させてもらった。異世界で「イケメンでモテて勝ち組の人生」が送りたい!という願いを叶えてもらったはずなのだけれど……。これってちゃんと叶えて貰えてるのか?美形になったけど男にしかモテないし、勝ち組人生って結局どんなん?めちゃくちゃ危険な香りのする男にバーでナンパされて、ついていっちゃってころっと惚れちゃう俺の話。危険な男×美形(元平凡)※ムーンライトノベルズにも掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる