スパイの誤算 科学者の求婚

よしゆき

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前編

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 ルミレスト国はこの世界で絶対的な軍事力を持つ大国だ。戦争を行えば圧倒的な勝利をおさめ、他国から恐れられるほどの強国である。
 この国がそこまでの力を手に入れたのは、ある一人の科学者の功績が大きい。
 その科学者の生み出す兵器は、強力で、広範囲の攻撃が可能な優れものばかり。そんな兵器を次々と開発する天才的な頭脳の持ち主。それがギルという名の科学者だった。
 彼は国の研究施設で日々研究に没頭している。
 そしてリーズは、その研究施設で二年前から働きはじめている。所謂スパイだった。
 リーズの生まれ育った国は、ルミレスト国から遠く離れた小国だ。貧しく戦力の乏しいその国は、いつ他国に占領されてもおかしくない。
 だから、ギルの開発した兵器が喉から手が出るほどに欲しかった。リーズは兵器の設計図を手に入れる為、スパイとしてルミレスト国にやって来た。
 孤児だったリーズは、スパイを育成する国の機関で育てられた。子供の頃から自由は与えられず、ただ国の為に、役に立つ駒として徹底的に育成された。国の存続繁栄の礎となる。その為だけに生きてきた。
 スパイを育成する施設の上司から任務を与えられ、ルミレスト国へとやって来た。
 兵器の設計図はギルが一人で書き上げ、その全てを彼が保管しているらしい。けれど、どこに、どのように保管されているのかはわからない。それはギルしか知らないのだという。
 リーズはまず保管場所を見つけ出し、そこから設計図を盗み出さなければならない。
 だから、まずギルの信頼を得ようと考えた。他の誰も知らないのだから、保管している本人から情報を引き出すしかない。
 ギルと親しくなる事が任務達成の第一歩だとリーズは考えたのだ。
 だがしかし、その考えはうまくいかなかった。
 ギルは研究の事しか頭にない。他人と関わろうとしない。他人と関わる必要性を全く感じていない。
 研究所内に彼と親しい人物など一人もいない。誰かと雑談しているところを見た事がない。愛想笑いすら見せない。
 彼は毎日、ただ無表情に研究に没頭している。
 リーズは、努力はしたのだ。コーヒーを持っていったり、食事に誘ってみたり、他愛ない会話を振ってみたり。お菓子を差し入れたり、肩揉みを提案してみたり、仕事の手伝いを申し出てみたり。
 そんな事を繰り返した。あまり頻繁に声をかければ、鬱陶しいと思われて敬遠されてしまうからしつこくならない程度に。
 けれど、何の進展もなかった。
 リーズが何を言っても、「ああ」とか「いや」とか短い言葉しか返ってこない。誘いは全て断られた。こちらが満面の笑顔を見せようと、彼の表情はピクリとも動かなかった。
 ギルとの関係性は何も変わらないまま、時間だけが過ぎていった。
 ギルを介さずに設計図の保管場所を探ろうと試みた事もあるが、監視の厳しいこの研究所で下手な行動はとれない。
 結局、何の成果も得られないまま任務の期限は残り一ヶ月を切っていた。
 正直に言って、あと一ヶ月で任務が達成できるとは到底思えない。
 リーズは早々に任務を切り上げる事を考えていた。
 スパイとして大事なのは、任務達成よりも自分の正体がバレない事だ。達成できる見込みのない任務にいつまでも携わっているのはよくない。その分、正体がバレるリスクも増えるのだから。
 だらだらとここに居座ったせいで、スパイだとバレてしまうかもしれない。ならば、さっさと見切りをつけ姿を消してしまうのが正しい。
 任務が失敗した後は、速やかに自ら命を絶つ。それがリーズが育った組織の教えだ。
 ルミレスト国ではなく、その隣国の海に身を投げる。任務に失敗した場合はそうするようにと最初から決められていた。
 逃げるという選択肢はない。逃げようなんて考えは浮かばない。ただスパイとして役に立つ事を求められ、それだけの為に育てられたのだから。
 身辺の整理をはじめ、それが終わったら速やかにルミレスト国を出て隣国へ行こう。
 そんな事を考えながら今日の仕事を終わらせたリーズは、席を立つ。
 その時。

「リーズ」

 名前を呼ばれ、振り返る。背後に立つ人物を見て、リーズは目を剥いた。

「ぎ、ぎぎぎギル博士……!?」

 目を覆うほどのボサボサの黒髪にひょろりと長い体躯に白衣を羽織った、いつものスタイルで彼がそこにいる。
 リーズは幻覚を疑った。何せリーズは一度もギルから声をかけられた事がない。名前すら覚えてもらえてないに違いないと思っていたくらいだ。
 任務の達成を強く願うあまりに遂に幻覚を見てしまったのかと。
 けれど、間違いなくギルは目の前にいて、まっすぐにこちらを見据えていた。

「な、何か……ご用でしょうか……?」

 信じられないものを見るような視線を向けてしまう。実際信じられない。

「君、今日の仕事は終わったのか?」

 こちらの態度など気にもとめず、ギルは無表情に平坦な声で尋ねてくる。

「え、ええ……。終わりました……」
「この後、用事は?」
「いえ……。まっすぐ寮に帰るつもりです……」
「なら丁度よかった。君に話したい事があるんだ」
「えっ……!?」

 飛び上がるほどに驚いてしまう。あまりの驚きに腰が抜けるかと思った。

「は、話……? 俺に……? ギル博士が……?」
「二人きりで話したいから、ついてきてくれ」

 返事も聞かずにギルは背を向け歩き出す。リーズは慌てて後を追った。
 ギルはドアの向こうに隣接する、彼専用の研究室へと入っていく。
 ギルは誰にも邪魔されず研究に没頭したい時、よく内側から鍵をかけてここに閉じ籠っている。限られた人間しか足を踏み入れる事のできない、特別な部屋だ。
 ギルはそこを通り過ぎ、更にドアを隔てた奥の部屋へ入る。
 ギル専用の研究室の奥に部屋があるなんて知らなかった。彼の後に続き、リーズも中へ入る。
 室内にはキッチンに、ソファやテーブルが置いてあった。ギルは研究所に住んでいると話には聞いていたが、彼はここで生活しているようだ。部屋の奥には手術台のようなものがあった。思わずじっと見ていると、ギルにソファに座るように促された。
 リーズがソファに座ると、ギルはキッチンへ向かう。

「今、コーヒー淹れる。少し待っていてくれ」
「えっ、コーヒーなら俺が淹れます……っ」
「僕が淹れる。だから君は座っていろ」
「はい……」

 有無を言わさぬ彼の口調に、リーズは持ち上げかけた腰を大人しくソファに戻した
 室内は沈黙に包まれ、ギルがコーヒーを用意する音だけが聞こえる。
 ソファの上で身を固くして、ただ彼がコーヒーを淹れ終わるのを待つ。
 任務を切り上げようと考えていたこのタイミングで、まさかこんな事になるなんて。
 期限は後一ヶ月だが、もし任務を達成できる可能性があるのなら、期限を引き延ばす事は可能だ。その判断は委ねられている。
 ここにきて漸く、努力が実を結んだという事なのだろうか。いや、そう考えるのは早計だ。
 鬱陶しいからもう二度と話しかけてくるなと注意されるだけかもしれない。それは充分に考えられる。寧ろその可能性の方が高い。
 何はともあれ、ギルの話を聞くまでは判断できない。任務を継続するか切り上げるかは、彼の話の内容次第だ。
 落ち着かない気持ちで待っていると、ギルがコーヒーの入ったコップを持って近づいてきた。彼はコップをテーブルに置き、リーズの正面のソファに座る。

「待たせたな」
「いいえ……。それで、話というのは……」
「まずはコーヒーを飲め。折角淹れたのに冷めてしまうだろう」
「そ、そうですね。すみません、いただきます……」

 つい気が急いて前のめりになってしまった。リーズは深く息を吐き、コップを手に取る。

「君の為に淹れた特別なコーヒーだ。よく味わうといい」
「ありがとうございます」

 コーヒーを飲む。正直なところ、内心ギルの話の内容が気になって味わう余裕などなかった。
 ゴクゴクと、ただコーヒーを喉に流し込む。半分ほど飲んだところで、コップを口から離した。

「美味しいです……」

 味もよくわからないままそう言って、コップをテーブルに置く。

「美味しいか。それならよかった」
「はい……。それでその……俺に話したい事とは……」

 ギルの顔を見ながら尋ねる。その時、グニャリと視界が歪んだ。

「え……? あれ……?」

 頭がぐらぐらする。座っているのに体を支えられなくなる。リーズの上半身が横に傾き、ソファに倒れ込む。

「な、なん……な、に……」

 口が回らない。意識が朦朧としてくる。体に力が入らない。指一本動かせなくなる。
 意識を失う直前、こちらを見下ろすギルと目が合ったような気がした。




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