魔王城すこや課、本日も無事社畜です!

ハルタカ

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6.守りたいもの

8話

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 シオンは激しく後悔していた。
 セレスの手を取らなかったことを。

 ……僅かなひっかかりを、ベルやユウリと分かち合わなかったことを。


「う……」

 体と頭が、まるで上からぎゅうぎゅうと押さえつけられているかのように重い。
 シオンは絞り出すように声をあげ、視線だけを動かしてあたりの様子を伺った。

 ぼんやりと、鉄格子の影が見える。
 体が動かないのはまとわりつく気怠さのせいだけではない。
 寝返りを打とうとした拍子にがしゃりと音が鳴り、手足を拘束する鉄の枷の存在に気が付いた。
 
「……ベル、ユウリ……」

 未だ霞んでよく見えない視界をどうにか晴らすように、シオンはぶんぶんと頭を振った。
 顔が上手く持ち上がらず、冷たい床に頬が擦れる。

 天井が異様に低く、どうやら狭い空間に閉じ込められているようだ。

「いやあ、遅いお目覚めですねえ?」

 湿り気を帯びた男の声。
 それは昨晩向き合っていた村長のものだった。

 ふらふらする頭を必死に持ち上げ、なんとか膝をついて座るような体勢を取る。
 腰をかがめてこちらを覗き込むようにしながら、村長はさも愉快というように笑っていた。

「私達としても、大変助かりましたよ。何かと『人』は要り用ですから」

 穏やかな口調とは裏腹に、まるでモノを見るかのようにその視線は冷ややかだ。
 こみ上げる不快感に唇を噛んで、シオンは村長を睨みつけた。

「二人はどこ?」

「見えませんか? ここです」

 村長がゆったりとその場で体を翻すと、その後ろにはシオンと同じように手足に枷をはめられたベルとユウリの姿があった。
 ぐったりと床に倒れ伏し、微かに呼吸は感じられるが瞼は重たく閉じられている。

「……何をしたの」

「心配しないでください。ちょっと魔力を吸い取って、体を弛緩させているだけですよ」

 二人の体のすぐそばに、もうもうと煙を立てる香炉がいくつも並べられていた。
 空間を満たすその甘い香りにあてられて、じわじわと体の力が抜けていく。

「我々としては、用があるのはあなただけなんです」

 村長は倒れている二人の傍に屈むと、観察するかのように二人の顔をじっと見る。
 まるで昆虫の観察をする学者のような、冷静な視線。
 そこには、昨日までうっすらと影を落としていた恐怖はすっかりなくなっていた。
 
 その冷え切った横顔に、シオンの胸がざわめいた。
 はっきりとしない意識の中、自由のきかない手を懸命に動かす。
 ガシャガシャという金属の擦れる音と共に、手首に重く冷たい痛みが走った。

「そんな顔をしなくても、殺したりしませんよ」

 村長はそう言うと、壁に立てかけられた木の杖を手に取って勢いよくユウリの体に振り下ろす。
 目を背けることも出来ず、シオンはユウリの体が硬い木に強かに打たれるのを目の当たりにする。

「やめてっ……!」

 シオンの叫びは、鈍い衝撃音にかき消された。
 何度も、何度も部屋に響くその音に、シオンは体を震わせる。

 やがてカラン、と乾いた木が転がる音が鳴る。
 床には血の跡が付いた杖がころりと転がっていた。

 荒い呼吸音と、咳込むような音が静寂の中に響く。
 ユウリの体は微かに震え、咳をするたびにまるで火花が散るように床に赤い血が舞った。

「この香は魔力を吸うものなのでね。力の強い鬼は、怖いんですよ、私たち」

 血の気が引いて、耳の奥でキンとした音が響く。
 どうしたらいい、という呟きが頭の中でぐるぐると繰り返されていた。

「人間には麻酔みたいなものですが……いやあ、魔物の体には効きがいい」

 小さな声でうめくユウリと、その横で昏睡しているようにも見えるベルを、彼はうっとりとした表情で見つめていた。

「どうするつもりなんですか」

 湧き上がる怒りと嫌悪感を飲み下し、出来るだけ落ち着いた声色でシオンが問いかける。

「おふたりには、お帰りいただくだけですよ。……私たちは殺したりしない。ただ、村の外にいるモンスターは、どうでしょうね?」

 思わぬ事故にあわないことを願っていますよ、と村長は微笑んだ。
 まるでマネキンのように微動だにせず入口近くに待機していた村の男たちが、村長に何かを耳打ちする。
 その言葉を無表情に聞きながら、彼はすっと立ち上がった。

「そろそろ時間です。準備がありますのでここで失礼……どうぞ、少しですがお別れの時間を楽しんでください」

 ドン、と重い戸が閉じられる音がする。
 耳を打つような静寂の中、ユウリの掠れた呼吸の音だけが不安定に響いていた。

 シオンは必死に周囲の気配を探っていた。
 部屋の中に人影はない。
 その代わり、いまもなお視界が霞むほどに、濃く香が焚かれ続けていた。

 ドアの外にふたりほど、見張りの男がいるだろうか。
 途方もない心細さと恐怖が、シオンの体をぎゅうっと縛り付けていた。

「……シ……オン……さん」

 はっ、という呼吸の音が混ざりながら、ユウリの掠れた声が耳に届く。
 重たい体を無理やり動かして、シオンはその声がする方に顔を向けた。

 口元に真新しい血の跡を残しながら、ユウリは必死にシオンの方へにじり寄ろうとする。
 打たれたのであろう箇所が赤黒く変色し、服の裾から覗いて見えた。

 シオンは溢れそうになる涙をぐっと堪える。
 こんなものに、意味なんてない。

「ユウリ、聞いて。これからあなたの体に変化が起こる。けれど、それを悟られては駄目」

 痛みの波を堪えるようにしながら、ユウリは視線だけで頷いた。

 ――怖い。
 自分のこの選択が正しいのかは、分からない。

「あなたとベルはきっと外に連れ出される。そのまま、城に戻ってこのことを知らせて」

 シオンは、格子の向こうでぐったりと横たわる二人に向かって柔らかく魔力を送った。
 すっかり体から吸い出されてしまったせいで、残っているのはごく僅か。
 体から魔力が抜けていくのに合わせて、意識までもっていかれそうになる。

 その時、シオンの胸元の魔法石がじわりと熱を持った。
 熱が体をめぐるように、ゆっくりと。
 レヴィアスが石に込めた魔力が、滲み出るようにシオンを満たしていく。
 
 シオンは体に戻ってきた魔力を、ユウリの体の傷に半分。
 ふたりの枯渇してしまった魔力の泉に、残りの半分をそっと流し込む。

 ほんの数秒の出来事だった。
 魔法石は光を僅かに残した状態で、すっと熱を失い沈黙した。
 
 苦痛に歪んでいたユウリの表情が、ふっと和らぐ。
 驚いたような顔を一瞬見せた後、彼の眼光は鋭く、圧倒的な殺気を放つ。
 小柄で華奢な彼からは想像できないほどの、『鬼』としての存在感。
 
 シオンはかすんでしまいそうな意識の中、慌てて彼を諫めた。
 
「お願い、今はとにかく城に戻ることを考えて」

 刺し違えてでも村人を皆殺しにしかねない彼の形相に、シオンは祈るような声で語り掛ける。
 ふっとユウリの体から力が抜け、真剣な表情で彼はこくりと頷いた。
 
 意識こそ戻っていないが、幾分かベルの顔色が戻ったように感じる。
 後はとにかく、早く彼らが村の外に連れ出されるのを待つだけだ。
 香の匂いから少しでも逃れられるように衣服で口元を覆いながら、シオン達はじっと身を縮めて目を閉じた。

「お客様のお帰りですよ」

 ゴトゴト、と重たい扉が再び開けられる音がして、村長の声が響く。
 シオンは目を伏せ、叫び出したい気持ちをぐっと堪えた。

 乱暴にユウリとベルの体が引き起こされ、担ぐようにして運び出される。
 ユウリの体の傷は、完全に癒えた訳ではない。

 再び鋭い痛みに耐えるように表情を曇らせながら、それでもユウリはシオンの瞳をはっきりと見据えていた。
 
 そして、シオンはひとり。
 ――まるで、世界から切り離されたかのような空虚な箱の中に残された。
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