七色の紅い虹

柚子川 明

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まえがき

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 OD…オーバードーズ。
 医者が定めた量以上の薬を摂取すること。処方された薬を胃袋ではなく、引き出しに飲ませることです。合法な薬でも、用量を守らない服薬や依存は怖いです。多分、ODに依存している方も世の中にはたくさんいると思います。
 昨今、東京は新宿歌舞伎町のトー横と呼ばれる場所に、居場所がないと感じている若者が集結し、市販薬をODして心の苦痛を紛らわす時代になっているので、ODのことを最初に書くことは少しはばかられましたが、「死なないことに意味がある」ということにいつか気づいてくれると信じ、私の経験を当時のまま書くことにしました。

 さて、ODに依存する人は、ODを辞めたいと言いながら何故、辞められないのか。

 ◆病院に行きます
 ◆薬をもらいます
 ◆薬を溜めます

 当時の私の場合、病気を治したいという気持ちは正直少なかったです。実家暮らしでしたし、働いてもいなかったので、別に鬱でぐーたらしていようが、食事を摂らなかろうが、夜まで眠ろうが、腕を切ろうが、誰にも文句は言われませんでした。むしろ、「病気の私が好き」と悦に浸っていたところがあり、リストカットをした腕には堂々と包帯を巻いていましたし、夜は薬をたくさんのんでベッドから落ちたり、失禁したりしました。
 
 強いて言うなら親は
「ぐーたらするな!」と言いました。当然です。働きもせずに親のお金でやりたい放題やっていた娘ですから、怒るのも無理ありません。そんな親にも甘えてしまい、私はどんどん廃人化していきました。

 ◆病院に行きます
 ◆「眠れません」と言います

 そりゃそうです。もらった薬は胃袋じゃなくて、引き出しに飲ませているのだから。

 ◆医者は薬を増やします
 ◆ラッキー! と思いながらまた薬を溜めます
 ◆ODします

 ◆病院に行きます
 ◆「眠れません」と言います
 ◆「ちゃんと薬を飲んでいますか?」と言われます
 ◆「はい」と言います
 ◆薬をもらいます

 お腹が痛いのを治したければ、医者に「お腹が痛いから治したい」と言えばいい。歯が痛いのを治したければ、歯医者に虫歯を治してもらえばいい。でも、ODをしていて「治したいの」と表面上で言っている人は、医者に「ODを治したい」とは言いません。

 どうしてでしょう?

 それは、本気で治したいと思っていないからだし、薬を減らされたり止められたりすることが、怖くて仕方ないからです。
「今の私から薬を奪われたら、生きていけない。」
そんな考えが頭から離れず、怖いのです。

 飲まずに溜めているのに、手元から薬が消えることが怖い。持っているだけで安心するのです。溜めている人間からすると、薬は『いつでも死ねる道具』だから。『いつでも死ねるから安心して生きられる。怖がらずに生きられる』そんな道具だからです。
 
 手首自傷症候群(リストカット)や薬物過剰摂取(OD)への依存を治すのは、医者ではないと思っています。今だから冷静に考えられるのですが。

 経験上、精神科の先生はこちらから「薬を減らしたい」という申し出がない限り、いつもの薬を出してくるし、足りないようなら増やす傾向にあると思います。そして、「薬を減らしたい」と医者に告げることは本当に勇気がいることです。簡単なことではありません。
本当はよくないことですが、私は短期間で薬を断ちたかったので、東京へ移住して精神科に通うことを辞めた時に、自分の判断で飲むのを辞めて薬を捨てました。もちろん、そんなことをすると死んでしまうかもしれない人は、先生を頼っていいと思います。でも、健康な人間は薬を飲まずに生きていて、それが健康な体なのだから、薬を断ったからといって発作が起きて今すぐ死ぬということは、あまりないと思います。(離脱症状に悩まされる人はいると思いますが、それが出た時点で「自分の判断で断薬する」のは大変危険ですので、先生に相談するようにしましょう。)

 私の場合、断薬の第一歩は「苦しくても頑張る」という気合いでした。そしてそれが、断薬の第一歩だと確信しました。

 私は上京してからお金がなかったので、病院に行くことをやめました。薬は大量に持っていたので、眠剤は適度に飲んで寝ていました。
 でも、ある時、「眠剤を辞めよう」と思ったのです。
私は現在3回目の結婚で一緒になった夫と仲良く暮らしているのでこれも過去の話になりますが、2回目の結婚をした相手との出会いがそうさせました。
別に眠剤を飲んでいたから、腕に傷があったからどうこうと文句を言う人ではなかったけれど、リストカットのことを打ち明けた時には明らかに顔に焦りが出ていたし、彼に嫌われたくなかった私自身が辞めたいと思いました。健康な体で、この人と付き合いたいと思ったのです。

 この、「」というのが、心の病を治すのに一番必要な薬です。ここで注意したいのは、現在進行形で鬱と闘っている人は「自分で治したい」とはなかなか思えないということ。今を死なずに生きることだけを考えないといけません。それを乗り越えて、考えることに少し余裕が出てきたら、いつか自分で治したいと思えるはずです。

 心の病は、人にどうこう言われて治るものじゃないし、薬で治るものでもありません。リストカットもODも、人に「辞めろ」と言われたところで辞めることなんて100%できません。
 心の病になったことがない人はこれを勘違いしがちです。「リストカットはいけない」「親からもらった体に傷をつけるなんて」「次切ったら別れるぞ」そんな言葉は全て逆効果です。

 当時の私は、眠れないのに仕事は毎日あるし、正直とても辛かったです。でも頑張ったし、相手もとても喜んでいました。
「寝なくても死にはしないでしょ」と楽観的に考えて、「限界がきたら眠剤なしでもきっと眠るんだ」と頭の片隅に置きながら、無理に眠ることはしませんでした。
眠れない日は眠れないまま仕事に行き、もう少しで限界がくるから我慢我慢……と言い聞かせて。
 2日目には眠れて、しばらく経つと、3時間くらいですが眠剤なしで眠れるようになりました。

 7年間、手放すことができなかった眠剤。
 一時は、『飲む拘束衣』といわれる、日本の最強眠剤『ベゲタミンA』を含む、1日5錠の薬を処方されていた眠剤。それを手放せたことは、私にとって本当に大きな進歩でした。無理に寝ないことを繰り返して、眠剤なしで眠れるようになった時、私は持っていた薬を全て捨てました。(リタリンだけは持っていたけれど。笑)

 ただ、2024年現在、私はまた眠剤を1錠服用しています。きっかけは前に住んでいたマンションの騒音トラブルで神経が立ってしまったことや、感染症の流行で外に出ることが制限され、運動不足になったことなどが重なったことだと思います。それでも軽い眠剤1錠で眠れていることは、当時の私が見たら驚くのではないでしょうか。

 リストカットやODを治すのは、医者ではなく自分の意思です。本気で治したいと思えた時、自分の力でなんとかすることができます。

 今辞められない人は、辞め時が今じゃないだけです。大切な人に出会ったり、子どもが生まれたり、心境の変化で突然「辞めたい」と思うものです。その時がくるまで焦らないで、どうか生き延びてください。私は「リストカットを辞めろ」とか「ODはダメだ」とは言いません。綺麗な皮膚がもったいないな、薬がもったいないな、とは思いますが……。

 でも、手遅れになって死んでしまうようなことがあったなら本当にもったいない。これから楽しい人生が待っているかもしれないのに、死んでしまってはもったいないです。「これから楽しいことがあるよ」なんて散々言われて嫌気がさしているかもしれませんが、未来のことは正直今はわかりません。だから、生きてみませんか。

 だから、死なないことを前提に、その日を待ってほしいと思います。

 今苦しんでいる方に、突然ポッと、「あ、辞めたい」と思える日が、どうか早いうちに訪れますように。



この自伝エッセイについて

 長くなりましたが、この自伝エッセイは、私がどうして、どのタイミングで心の病にかかり、どのタイミングで社会復帰するまでに至ったのか、自分で確かめるべく、人生を振り返るためのものです。
 今までネット上に転がしてきた私の心の叫びをかき集め、まとめようと思って執筆しました。

 現在の私は結婚もし(先ほども書きましたが3回目です。その辺のことも詳しく書いていくつもり)、社会に出て仕事をしています。コミュニケーション障害という意味でかなりギリギリな感じではありますが、100%在宅で問題なくお金を稼いでいます。
 リストカットの痕は、いくつか治療法に手を出しましたが、最終的には皮膚移植をしました。その経過は、文字情報だけになりますがこの場を借りて提供したいと思っています。傷痕を消したい人の参考になったら嬉しいです。

 最後に、私はカウンセラーでもなければ、精神科医でもありません。ただの「心の病」に詳しい経験者です。少しでも、痛みを一緒に抱えてあげたいなと思っています。
 とはいえ私も根本的に「鬱っけ」がある人間ですので、愚痴るときは愚痴ります。無理をしないのが一番いいのです。


2024年4月11日
柚子川 明
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