白砂の夜に踊る

晴なつちくわ

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第一部

1.最悪の出会い

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 その男は、月明かりに照らされ、立っていた。
 宮殿に設けられた小さな中庭である。
 朝陽の様な金の髪に、健康的な褐色肌。月光を反射する水宝玉の瞳。瞳と同じ色の透ける布を肩に掛け、惜しげもなく胸筋を晒して、ただこちらを見つめていた。
 彼が、ラナキア王国の第三王子であり『一夜王子』との異名を持つαの男――ミュトラ・ラナキアである事に、一拍遅れて気付いた。
 このまま誰にも邪魔されずに、踊り明かすつもりだったのに、ミュトラの声が割って入ったのだ。
 ヴェルナは、汗を拭き息を整えてから体ごと向き直った。
 夜風が二人の対照的な髪を撫でている。
 数秒前に投げかけられた言葉を思い出して、はぁ、と溜息を落としながら己の首に触れた。しゃらり、と己が付けている首輪の装飾が擦れる音が、その場に落ちる。

「悪い。なんて言った? よく聞こえなかった」

 言葉が理解できなかったわけでは無い。端的に言えば、内容がクソだった。誰も観客のいない中、たった独りで自分だけのために踊る、という何よりも楽しい時間を遮られたことが、余計に苛つきを腹に呼び起こした。
 不機嫌を露わにしたはずなのに、ミュトラは表情を変えずに言った。

「お前の一晩を買いたい、と言った」

 芸を売っても、春を売ることはないヴェルナにとって、その言葉は侮辱以外の何物でもなかった。
 はっ、と漏れた笑い。喉から漏れる笑いのまま、ヴェルナは一歩、また一歩とミュトラに近付いた。伸ばした指先の腹で、男の顔の輪郭をゆっくりと撫でる。男は動じなかった。それがまた癪に触る。
 至近距離で覗き込んだ瞳の色は、宝玉と違わぬ美しさだった。しかしその奥で揺れる欲の炎を、当然見逃すはずもない。喉の奥に怒りを押し込めて、ヴェルナは口角を釣り上げた。
 誰がお前なんかに。
 その想いのまま口を動かす。

「売るわけ無いだろ、クソ王子サマ」

 驚きに揺れる瞳を見て、やっと胸が空く。
 こんなことならラナキアに足を伸ばすべきじゃなかったかもな、とヴェルナは少しだけ後悔した。



 ヴェルナは、芸を売りながら各国を渡り歩く、ウルウィ一座を代表する踊り子だ。
 どこにも定住せず、芸だけを極め、生きている。
 祖国はない。出生国が不明という意味ではない。ヴェルナが十歳になった時、祖国が滅びたためである。
 ウル皇国。それがヴェルナの祖国であり、今は亡き国だ。
 ヴェルナはそこで、第五皇子のΩとして生まれた。
 Ωの扱いは国によって様々ではあるが、ウル皇国は母胎に敬意を払う国柄であった。『母胎なくして、何者も生まれることはできない』という考えが浸透していて、そこにはΩも女も区別はなく、命を育み、己の命をかけて生む者に対して、優しく寛容であった。母胎信仰があったせいか、踊りや音楽に精通した豊かな国で、同盟国からも慕われて一目置かれていたし、宴に呼ばれることもしばしばだった。故に、滅びの一端を担ったのが何なのか、今でもわからない。
 そんな国で生まれたヴェルナも、当然可愛がられた。
 Ωであった父は、ヴェルナを産んだ数年後この世を去ってしまったが、皇帝であった母、兄二人、姉二人の愛情をたっぷりと注がれて、ヴェルナはすくすくと育った。月明かりの白銀の髪と肌に、紫翡翠の瞳。月の神のよう、という賛辞は彼にお誂え向きの言葉だった。
 様々な国を旅して回る姉のお陰で、Ωに対する態度は国によって随分と差があることを早い内から知っていたし、α同士で婚姻を結んだ兄のお陰で、性別やバース性に関わらず人は恋に落ちるのだ、と知っていた。
 幸運だったと思う。
 国が簒奪さんだつされた時、祖国にいなかったことを除いては。
 当時、ヴェルナは『他国を学びなさい』という母である皇帝の命で、芸を売る一団に混じって、遊学中だった。
 報せを聞いた時、本当は飛んで帰りたかった。
 そんなヴェルナを止めたのは、座長であるジアノと従者のフィニだ。聞けば、ジアノはすでに母から命を受けていたという。ジアノから受け取った母の手紙に目を通したヴェルナは、その場に崩れ落ちた。
 手紙には『ウル皇国は滅びる。お前は二度と国に帰ってきてはならない。そして敵討ちは許さない』という旨が書かれていた。最後に綴られた、愛している、の言葉を抱きしめることしか、ヴェルナには許されなかった。
 その日、ヴェルナは踊った。
 湧き上がる激情と涙に身を任せて、自分のためだけに踊り続けた。足の裏が血だらけになっても、倒れるまで踊り続けた。そうして行き場のない想いをどうにか己に落とし込んだのだ。
 それから8年の間、ずっとウルウィ一座で踊り子として生きている。
 ヴェルナの身の上話を知っているのは、ごくわずかだ。
 兄姉たちと、一座の長であるジアノ、そして従者のフィニ。

 さて、と思う。
 亡き国の皇子である、と知ったら、目の前の王子・ミュトラは一体どうするのだろう。ラナキア王国も少なからずウル皇国とは交流があったはずだ。何代か前にウルの皇族のΩが、ラナキアへ嫁いだ。だからウルを知らないはずはない。しかし当然ながら、ヴェルナが皇族だとは気づくまい。
 現に現国王は気付かなかった。
 夜の宴で踊りを披露したヴェルナへ、見事だ、とは言ったが、もしやウルの皇族では、なんて問いかけは出なかった。

「俺の誘いを断ったのは、お前が初めてだ」

 ふと、ミュトラは言った。
 昔話ができるほど長い沈黙を使ったくせに、出てきた答えがそれかよ。胸の内でそう思いはしたが、口には出さない。
 鼻で笑って言ってやる。

「へぇ? お前が怖くて断れなかったんじゃないか?」

 ミュトラがこんなクソみたいな事を言い出したのは、踊り子だからだろうか。それともΩだと一目で分かるからか。
 Ωである事を、ヴェルナは隠していない。
 幼少期から付けてきた絢爛な首輪が、何よりも自分はΩなのだと物語っている。それはヴェルナにとって誇りに等しいことだ。
 ウル皇国では、生まれたΩに国から美しい首輪が贈られていた。その首輪はΩを不躾なαから守るための御守りであり、皇族であるなしに関わらず、国からの祝福の証左でもあるからだ。
 しかし、他国では違う。
 欲に隷属している、という揶揄と差別の象徴。或いは、所有物の証。或いは、蔑みの象徴。そういう国が多いと聞いているし、実際首輪を付けたがらないΩも多いらしい。
 発情期があるのは何もΩだけではない上に、今や発情期は薬で調整出来ることは、周知の事実だ。
 実際ウルと交流のあったラダム国は、どこよりも早くΩの地位向上のため、研究を始めたと聞いている。ラダム国産の抑制剤や周期管理薬を、ウルへも提供してくれていたし、ヴェルナは未だにその薬を定期的に提供して貰っている。
 だというのに、未だにΩを蔑み、Ωである不幸を笑うことで自分の幸福を得ている連中がいるのだ。全く嘆かわしいことである。
 ラナキアは比較的、Ωへの偏見は少なく、社会的地位も保証されていると思っていたのだが、もしかしたら上辺だけなのかもしれないな、と思う。
 残念ながらラナキアに来て初日であるヴェルナには、材料が少な過ぎて判断は難しかった。

 どちらにせよ、興醒めしたのは確かだ。
 しかも王族のこの男によって。
 舌打ちしたくなる気持ちをどうにか抑えて、大きく息を吐いたヴェルナは、踵を返しながら言った。

「さよなら、世間知らずの王子サマ。一夜の相手が欲しいなら他当たれよ」
「待て」

 進みかけた足は、腕を掴まれたせいで止まる。思わず飛び出しかけた低い声を寸でのところで飲み込んで、肩越しに振り返る。

「まだ何か?」
「お前の踊りを見たいと言っても駄目か?」

 なんだコイツ。踊りが見たい? だったら最初からそう言えよ。いや待て。踊りが閨事ねやごとの隠語の可能性もあるよな。絶対お断りに決まってるだろ。
 そう思いはするが、薄い青の瞳も腕を掴む手も、何かしら答えなければ離さなそうな強さをしていた。
 静かに息を吐いて、言ってやる。

「申し訳ありませんが、正規の手順を踏んで頂けますか? 個人間の依頼は受けておりません。座長のジアノにお申し付け下さい。では」

 腕を軽く払えば、すんなりと彼の手は離れていった。
 そのまま振り返ることも無くその場を後にした。お誘いが来ても断るけどな、とはもちろん言わずに。
 そういえば、と思う。
 王族相手になんとも無礼な物言いをしてしまった。彼が帯刀していたら、首が飛んでいた可能性もあった。
 あったかも知れない未来を想像して、ゾッとする。
 最悪の未来にヴェルナは首を竦めながら、一座に与えられた客室に戻ったのであった。

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