9 / 37
第一部
8.お誘い
しおりを挟むいつものように呼び捨てしそうになって、咳払い一つで誤魔化す。
簡易的な拝礼と共に、口を開いた。
「ご機嫌麗しゅうございます、ミュトラ王子」
顔を上げれば、不満そうなミュトラと目が合った。思わずほころんでしまった頬を隠さずに、問いかける。
「こんなところにお一人で、いかがなさったのです? 何かあったのですか?」
「お前が此処にいると踊り子たちから聞いた」
不満げなミュトラには悪いが、ここは後宮の近くで離宮とは離れた場所だ。一番初めにくだけた態度を取るのは二人きりの時のみ、と断りを入れている。
ミュトラに舐めた口を聞いているのが広まれば、『ミュトラ王子の番候補』なんて馬鹿げた噂の信憑性を上げてしまう。それがもしもウィリア王妃の耳に入ったらと思うと、ゾッとする。
目で適当な合図を送れば、分かったのか分からないのか、とりあえず表情をいつも通りに変えている。そのまま作り笑顔を顔に張り付けて、言葉を続ける。
「私からお伺いしますのに。何か急ぎの御用事でも?」
「ああ、少し付き合ってほしい」
「私でよろしければ喜んで」
恭しい挨拶もほどほどに、すぐさま踵を返したミュトラについていく。
ヴェルナの後ろ髪を引くような後宮から聞こえてくる楽しそうな黄色い声も、そのうちに聞こえなくなった。
幾度も訪れたミュトラの私室の入口にある垂れ幕をくぐったところで、耐えきれず大きく長く溜息を吐いた。前から少し笑ったような声が聞こえてくる。振り返ったミュトラはやはり表情を崩していて、顔を顰める。
「なに笑ってんだコラ」
「いや、お前がいつも通りで安心した」
また何か怒らせてしまったのかと思った、とミュトラは続けた。
首を捻る。初めこそ『こいつ無理』と思いはしたが、最近のミュトラには別に苛つくことはないし、嫌悪感も感じない。直感で無理だと思った相手とは根本的に解り合えないことが多いのだが、ミュトラに対してはその勘が外れた。嬉しい誤算である。
正直に言えば、あそこにミュトラが来てくれて助かった。
あのまま自分たちが寝泊まりしている部屋に帰っても、王妃から言われたことを考えてしまうのは目に見えていたから。ミュトラと話せた方が気晴らしになる。
「それで? 用ってなんだ?」
「一緒に街に行かないか」
思わぬ提案に目を瞬く。興味はあるが、まさか誘われるとは思わなかった。
「お前、第三王子だろ? 勝手に出かけていいのか?」
「どうせ俺だとは気付かない。国の式典に出るのは父と兄のヴィシラと、王妃殿下だからな」
いや、聞きたかったのはそこではない。
ウルの皇族は護衛を連れて行くのが決まりだった。お忍びで市井に出向くことも確かにあったが、ばれたら当然のようにこっぴどく怒られた。不用意に民に気を遣わせるな、という母の言い分は確かに正しくて、それ以来は出たことはなかったのだけれど。
「何か手続きとかは必要ないのか?」
「ない。俺がすることに父や王妃殿下は興味をお持ちにはならない。これまでも何度か街に降りたことがあるから大丈夫だろう」
それはそれでどうなんだ、と思いはするが、ラナキアの規則は当然ミュトラの方が詳しいわけで。これ以上口を出すのも可笑しい気がして、そうか、という言葉にとどめる。彼が言うならいいのだろう。
「一度戻って座長に確認してきてもいいか?」
「座長からの許可なら貰っているから、戻る必要はない」
「……段取り良いな、お前」
素直に褒めれば、うん、と満更でもない言葉が返ってくる。変に謙遜しないこういう所がかわいいよな、と思いつつ、頭を過ったのはフィニのことだ。まあジアノに言ったなら大丈夫か。勝手に納得して、はたと気付く。
「俺、この格好で行くってことか?」
後宮で踊り子としての役目を果たしていたから、着替えなんてものはもちろん手持ちがない。でも流石に、踊り子の衣装は適切ではないだろう。歩くだけでしゃらしゃらと音がするし、上半身の露出が多く、下半身は丈が長くて動くと広がるせいで散策には向かない。単純に邪魔だ。
不満を垂れたら、小さく笑ったミュトラは首を横に振った。
「着替えもこちらで用意させた。俺の我儘だからな」
「ほんとに準備が良いな、お前」
手渡されたのはラナキアの庶民がよく身に着けている一枚で着られる服と、藍色の肩掛けだった。どこで着替えれば、と思ったヴェルナに答えをくれたのは、ミュトラだ。
「あそこで着替えると良い。お前が今着ている物は、ウルウィ一座の部屋に届けさせておく」
「……準備が良すぎてもはや怖くなってきたよ、俺は」
「? 何故だ」
「分かんないならいいよ。あそこね。着替えてくるから覗くなよ」
指を差されたところに向かいながら言ってやる。少しでも照れてくれたら可愛げがあるのに、ミュトラは静かな笑みを浮かべたまま言った。
「お前が嫌がることはしないから、安心していい」
返ってきた完璧な答えに、白目をむきそうだった。どおりで性別もバース性も問わず、引っ張りだこなわけだ。一度だけでも抱かれてみたい、と噂される理由も、一夜の誘いを断られない理由も、こういうところが一端を担うのだろうなと思う。
お前が嫌がることはしない、と断言できてしまうことの凄さと言ったら。まあそれが有言不実行であれば、ただのクソ野郎なのだが。
僅かに熱を帯びた首筋を無視して、とにかく今は着替えることに集中したのだった。
ミュトラと共に出向いた街は、予想以上に活気にあふれていた。上から照り付ける陽の光をものともせずに、商人たちの大きな声が飛び交っている。市場にはたくさんの果物、新鮮な魚や野菜、装飾品が並んでいる。
どれを買おうか吟味している市井の人を横目に、二人で並んで歩く。
「予想以上に賑わってるな」
「ああ。雨期に入る前のこの時期は特に賑わうんだ」
「まあ雨期になると品物の流通が滞るからな」
「やはりお前は物をよく知っている」
ラナキアの雨期は最長で二十日だ。その間だけしか手に入らない魚や野菜もあるが、装飾品などは湿気の所為で商品が不良になる事もあるため、市場に並ばなくなるのが定石だ。
しかしそれは、市井で長く生活している者なら誰でも分かることだ。紛れて生活するには、そうして生活している者たちを知るのが一番だから。そういう市井の常識を知らざるを得なかったと言って良い。
本心を隠して、まあな、と小さく笑う。
「ヴェルナ、この景色を見て何を思う?」
「えぇ? 踊り子の俺に聞くのかよ」
「率直な感想でいい」
「そうだなぁ」
目を走らせた街には、暗い顔をしている者は一人もいない。市場から離れた路地にいるのは、楽しそうに遊ぶ子どもたち。近くで座っている老人が、子どもたちを眩しそうに見つめている。路地で蹲っている若者はいない。誰も彼もが、今を懸命に生きている。
「民が笑顔で活気に溢れてるのは国が豊かな証拠だ。この国の民は先の不安を感じずに、暮らせるんだな、と思ったのが率直な感想だな」
色んな国を渡ってきたから分かる。王宮は豊かでも王都に住む市井の人に活気がない国もある。ラナキアは、そういう国とは違い、民にまで豊かさが循環しているのだろう。地方には足を運んでいないから、全ての民に行き届いているかは分からないが。
なかなか返ってこない反応に、ミュトラを見遣る。彼は笑んでいた。やけに楽しそうだ。もしや、と思って問いかける。
「それを聞きたくて俺をわざわざ連れてきたのか?」
「いや、お前とこの街を歩いてみたかったんだ」
「? なんで」
「今までこの景色を見ても俺が抱くのは、不満ばかりだった」
言葉の意図が分からなくて、首を傾げる。ミュトラはヴェルナを一瞥してから、市場の人々に目を向けた。
「彼らが、俺には眩しかった。彼らにはやりたいことが決まっていて、それを阻まれることもない。笑顔が輝いているせいで、誰も彼もが幸せそうに見えた。それを見ている俺だけ不幸な気がしていた」
楽しそうな民の声が響く中でも、ミュトラの声はよく耳に通った。
「でも、お前に言われて気付いた。俺はないものばかりに目を向けていた。その思考に囚われて、自分で努力もしていなかったと」
7
あなたにおすすめの小説
(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動
相沢蒼依
BL
名門・青陵高校に通う佐伯涼は、誰もが一目置く完璧なアルファ。冷静沈着で成績優秀、規律を重んじる彼は、常に自分を律して生きてきた。だがその裏には厳格な父と家の名に縛られ、感情を抑え込んできた孤独があった。
一方、クラスの問題児と呼ばれる榎本虎太郎は自由奔放で喧嘩っ早く、どこか影を抱えた青年。不良のような外見とは裏腹に、心はまっすぐで仲間思い。彼が強さを求めるのは、かつて“弱さ”ゆえに傷ついた過去がある。
青陵高校1年の秋。冷徹で完璧主義の委員長・佐伯涼(α)は、他校の生徒に絡まれたところを隣のクラスの榎本虎太郎(Ω)に助けられる。だがプライドを傷つけられた佐伯は「余計なことをするな」と突き放し、二人の関係は最悪の出会いから始まった。
《届かぬ調べに、心が響き合い》
https://estar.jp/novels/26414089
https://blove.jp/novel/265056/
https://www.neopage.com/book/32111833029792800
(ネオページが作品の連載がいちばん進んでおります)
運命を知らないアルファ
riiko
BL
オメガ嫌いの西条司は女性アルファとしか付き合わない、そんな中やたらと気になるオメガを見つけた。
運命やフェロモンという不確かなモノではなく、初めて本気で惹かれた唯一のオメガにはとんでもない秘密があった!?
オメガ嫌い御曹司α×ベータとして育った平凡Ω
オメガ主人公がお好きな方は『運命を知っているオメガ』をお読みくださいませ。こちらはその物語のアルファ側のお話です。このお話だけでも物語は完結しますが、両方読まれると答え合わせが楽しめます。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます、ご注意くださいませ。
コメント欄はそのまま載せておりますので、ネタバレ大丈夫な方のみご覧くださいませ。
物語、お楽しみいただけたら幸いです。
ほたるのゆめ
ruki
BL
恋をすると世界が輝く。でもその輝きは身体を重ねるといつも消えてしまった。そんな蛍が好きになったのはオメガ嫌いのアルファ優人だった。発情したオメガとその香りを嫌悪する彼に嫌われないように、ひたすらオメガである事を匂わさないようにしてきた蛍は、告げることの出来ない思いに悩んでいた。
『さかなのみるゆめ』の蛍と(木佐)優人のお話です。時間軸的には『さかな・・・』のお話の直後ですが、本編主人公達はほとんど出てこないので、このお話だけでも楽しめるかと思います。けれど『さかな・・・』の方も読んで頂けると幸いです。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
αが離してくれない
雪兎
BL
運命の番じゃないのに、αの彼は僕を離さない――。
Ωとして生まれた僕は、発情期を抑える薬を使いながら、普通の生活を目指していた。
でもある日、隣の席の無口なαが、僕の香りに気づいてしまって……。
これは、番じゃないふたりの、近すぎる距離で始まる、運命から少しはずれた恋の話。
冷めない恋、いただきます
リミル
BL
生真面目なMR(29)×料理教室の美人講師(31)
同性に好かれやすく、そして自身の恋愛対象も同性である由衣濱 多希は、女性の主婦ばかりの料理教室で、講師として働いている。甘いルックスと柔らかな雰囲気のおかげで、多希は人気講師だった。
ある日、男の生徒──久住が教室の体験にやって来る。
MRとして働く久住は、接待と多忙で不規則な生活のせいで今年の健康診断はオールEだと言う。それを改善すべく、料理教室に通う決心をしたらしい。生真面目だが、どことなく抜けている久住に会うのが、多希の密かな楽しみになっていた。
ほんのりと幸せな日々もつかの間、ある日多希の職場に、元恋人の菅原が現れて……。
【完結済】キズモノオメガの幸せの見つけ方~番のいる俺がアイツを愛することなんて許されない~
つきよの
BL
●ハッピーエンド●
「勇利先輩……?」
俺、勇利渉は、真冬に照明と暖房も消されたオフィスで、コートを着たままノートパソコンに向かっていた。
だが、突然背後から名前を呼ばれて後ろを振り向くと、声の主である人物の存在に思わず驚き、心臓が跳ね上がった。
(どうして……)
声が出ないほど驚いたのは、今日はまだ、そこにいるはずのない人物が立っていたからだった。
「東谷……」
俺の目に映し出されたのは、俺が初めて新人研修を担当した後輩、東谷晧だった。
背が高く、ネイビーより少し明るい色の細身スーツ。
落ち着いたブラウンカラーの髪色は、目鼻立ちの整った顔を引き立たせる。
誰もが目を惹くルックスは、最後に会った三年前となんら変わっていなかった。
そう、最後に過ごしたあの夜から、空白の三年間なんてなかったかのように。
番になればラット化を抑えられる
そんな一方的な理由で番にさせられたオメガ
しかし、アルファだと偽って生きていくには
関係を続けることが必要で……
そんな中、心から愛する人と出会うも
自分には噛み痕が……
愛したいのに愛することは許されない
社会人オメガバース
あの日から三年ぶりに会うアイツは…
敬語後輩α × 首元に噛み痕が残るΩ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる