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第一部
7.噂話と牽制
しおりを挟む軽やかな音楽が鳴り響いている。
音楽に合わせて踊りを披露しているのは、ウルウィ一座の者たちだ。後宮の者たちのうっとりするような感嘆の溜息が満ちる中で、色とりどりの透けるほどに薄い布が、ひらひらと宙を舞う。しゃらしゃらと踊り子たちの装飾が揺れている。
ヴェルナもまた、その一員として踊りを披露していた。
踊りは良い。何も考えずとも、長年覚えさせてきたおかげで、音楽に合わせて体が勝手に動いてくれる。おかげで、考え事もし放題だ。
ラナキア王国に来て七日ほど経った。
一国に滞在する期間は大体一か月ほどで、その中でも王都にいるのは七日にも満たないのがほとんどだ。兄や姉がいる国では最長で三か月ほど滞在することもあるが、それ以外ではラナキアが初めてだった。
それもこれも、ミュトラが主な原因である。
結局あれからヴェルナは毎日のようにミュトラと過ごしている。『一夜王子』なんて異名は何処へやら、色んなことを教えてほしい、とのことらしい。国王へも嘆願したのか、国王直々の書状まで届いたせいで、ウルウィ一座の滞在は二か月間以上、というのが確定しているのである。
昨日は他国の話で盛り上がった。そして、今日も呼ばれている。
一体全体どうしてこうなったのか。
自分自身に問い質しても、明確な答えは出ない。一体自分の何がミュトラの琴線に触れたのは不明だが、気に入られているのは確からしい。七日も経つと『ミュトラ王子が一人の踊り子にご執心である』なんて噂は、後宮まで届いていた。
廊下を歩くだけで、その場に行くだけで、色んな人間の目線を感じる。好奇の目に晒されるのは慣れっこだが、好き勝手に陰口を叩かれるのは正直いい気分ではない。知らないところで言われるのは百歩譲って良しとしても、本人を視界に入れてされるのが最も気分が悪い。
中には『Ωが色目を使った』『踊り子如きが王子の心を射止めるなど世も末』『王子の玩具にされている』などという酷い噂もあるらしい。フィニが憤っていた。
誤解しないように声を大にして言っておきたいのだが、全くもって色目など使っていないし、なんなら散々不敬な態度を取っている。勿論言えるはずもないのだが。
本来ヴェルナはかわいらしいものが好きだ。人間や動物問わず、かわいいものだったら愛でていたいし優しくしたいし囲まれていたい。妹分たちに慕われているのも、そんな己の気質が起因しているところもあるだろう。よって、ミュトラは全く好みではないということだ。
まあ確かに、と足先を運びながら思う。
正直、ヴェルナ自身もミュトラとのひと時を楽しんでいる節はある。
敬われることはあっても、同じ目線で物を言い合える相手というのは、中々巡り合えない。どうしても自分が一歩引く癖があるから余計に。しかしミュトラはヴェルナが一歩引きかける瞬間を見逃がず、それを許さなかった。
脳みそまで筋肉で出来ているのかと疑いたくなるような頭の固さはないし、わりかし何事にも柔軟だ。他国の文化の違いを理解しようという気概もある。自他境界もはっきりと持っているし、自分の意見を押し付けてくることはない。頭の回転が速いな、と節々に感じるし、相手の意見を聞いた上で彼自身の意見も言うことが出来る。
そして、ミュトラにも存外かわいらしい所がある。
自分で果物切り分け慣れていないからお願いしたい、などと素直に頼んでくるのだ。王族の中にはそれが当たり前だと他人に強要する者もいる中、ミュトラは稀有な存在と言える。子どものようにはしゃぐことはないにしろ、瞳に宿る嬉しさや期待はありありと見て取れる。
そういうところは確かに、かわいかった。
じゃあ彼と恋人になれるか、と聞かれれば、答えは否だ。
そもそもそういう対象として見ていない。誰かに憧れを抱いたことはあっても、恋をしたことのないヴェルナにとって、番だとか恋人だとか婚姻だとかは夢のまた夢だ。それに、だ。どこかに留まることも何にも縛られることなく、自由に世界を渡り歩く方が性に合っている。
だからきっと。
音楽に合わせて足を止めて、深く礼をする。
拍手にまみれたその場で、ヴェルナは思う。
噂にあるような『ミュトラ王子の番候補』なんて話は机上の空論で、王族やその臣下が心配するようなことは起こり得ない。ラナキア王国に一生根を下ろすなんてこと、絶対にあり得ないのだから。
「ヴェルナさん。見事な舞を見せてくれて感謝いたしますわ」
鈴を転がすような声に視線を向けると、金髪に褐色の肌を持つ女が立っていた。透ける布を身に纏っているせいで、豊満な胸も尻もほぼ丸見えの全裸のようなものだが、妹分のおかげで見慣れているヴェルナには些細なことだった。宝石が散りばめられた飾りで覆われた首筋だけが堅苦しい。
嫋やかな印象を抱かせる彼女に笑みを浮かべて、頭を下げて跪く。
「ウィリア王妃殿下。身に余るお言葉を賜り、恐悦至極にございます」
「まあまあ顔を上げてちょうだい。楽になさって」
肩をそっと撫でられて、立ち上がる。柔らかく弧を描いた濃い青の瞳がじっとヴェルナを見つめてきていた。
「少しお話したいのだけれど、いいかしら?」
「もちろん。ほかならぬ殿下のご要望とあらば」
「ふふ、ではあちらでお話ししましょう?」
ついていらっしゃい、と言った彼女の言葉に従ってその後に続く。
澄んだ水の池がある庭園までくると、彼女はゆっくりとベンチに腰を下ろした。喧騒は少し遠い。ヴェルナはその場で足を止めて、問いかける。
「殿下、私めにお話とは?」
「そんなに身構えないでちょうだい。私の興味本位なの」
穏やかな笑みを口元に乗せる王妃がこちらをみる。心内を絶対に読ませてくれないであろう笑みをどれだけ見つめても、彼女の意図を読み取ることは難しかった。
記憶が正しければ、ウィリア王妃は第一王子であるヴィシラの生みの親だ。つまり、王妃殿下からしてみればミュトラは目障りな存在と言える。そしてミュトラと噂されるヴェルナも。
「貴方はずっと踊り子のままでいるつもりなのかしら?」
「……質問の意図が分かりかねます」
思わぬ言葉だった。一体どういう意味で聞いているのか全くわからない。
笑みを貼り付けたまま問い返す。
王妃は笑みを崩さないまま続けた。
「貴方の器量ならΩとしての幸せを得ることも容易く出来る。王族の妃だって夢じゃない。なのに、貴方は今までその道を選んでいない。だから、踊り子のまま生きていくのか、と聞いたの」
双方とも笑みを浮かべたまま見つめ合う。
王妃は、αと番い、子どもを産むことこそがΩの幸せだと言いたいのだろう。果たして、それは幸せと言えるだろうか。確かに王妃にとっては幸せかもしれない。でもヴェルナは、それを幸せだとは思っていない。
何も答えないままのヴェルナに、王妃は更に言葉を重ねる。
「望むのなら貴方をヴィシラの妃候補に推すことも出来るわ。どうかしら。悪い話ではないと思うのだけど」
笑みを崩さないまま王妃に頭を下げる。
願い下げだ。胸の内だけにその言葉を留めて、口を開く。
「この身に余るほどの光栄なお誘い、誠にありがとうございます。しかし今は、家族同然のウルウィの皆と共に様々なものを見たいのです。手前勝手な願いをどうかお許し下さい」
「……そう。とても残念だわ」
ゆっくりと顔を上げる。王妃は全く残念そうな顔はしていなかった。ただ変わらない穏やかな笑みを浮かべたままだった。
「もしも出国する前にその考えが変わったら教えてちょうだいね」
「ええ。殿下がお望みとあらば」
下がっていいわ、という言葉に甘えて後宮を後にする。
考えていた以上に、恐ろしい人だった。
一体彼女は笑みの下に何を隠しているのだろう。ともすれば彼女は、この王宮で流れる噂がまことであれば容赦はしない、と言っているようにも聞こえた。
ミュトラは、俺は王座に座る事はない、とよく言っているが、その考えは真実とは違うのかもしれない。王妃が牽制とも取れるような言動をしてくるところを見ると、現国王の中ではどちらに王座を譲る事にしようか、と思案中の可能性もある。
その場合、意中の相手だと噂されるヴェルナの存在は脅威になる。
Ωが繁殖に長けた一面を持つのは広く知られていることだが、優秀なαを産む確率が一番高いのも、実はΩなのだと数年前に証明された。その結論を出したのは、Ωの地位向上の為に国をあげて研究をしていたラダム国だ。ラダムと同盟関係であるラナキアの王族が、知らない筈がない。
思った以上に面倒な事になりそうかもなぁ。
はぁ、と思わず出た溜息を、磨き抜かれた石の床に落としたのと同時だった。
「ヴェルナ」
はっと顔を上げた先。
いつも通り静かな笑みを浮かべたミュトラが立っていた。
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