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第一部
26.それぞれの本心
しおりを挟む僅かに息が上がった音と忙しない足音が、陽の満ちた廊下に響いている。それを気にも留めず、ミュトラは目を覚ましたらしいヴェルナの元へと向かっていた。
ヴェルナをフィニに託して、丸四日が経った。
それを見計らったように、ヴェルナからの書状が届いたのだ。
その書状には、一度会って話そう、というような事が、形式的に書かれていた。いつものヴェルナならば、もっとくだけた言葉を使うはずなのに、その書状に並ぶ言葉は整然としていて、とても他人行儀であった。
自室を出てからずっと、否、ヴェルナの意思を確認せずに抱いた日からずっと、胸に靄がかかっている。嫌われても彼の助けになるなら構わない、と言った舌の根の乾かぬ内に、嫌われるのが嫌だ、と自分の中で誰かが喚き続けている。
それはそうだろう、と誰ともなく言い訳をする。
好き好んで、好いた相手から嫌われたいわけがない。少なくとも自分はそうだ。出来れば同じ気持ちを返されたいとさえ願っているし、手を取り合いたいと思っている。
純潔を奪っておいてどの口が。
胸の内でもう一人の自分が嘲笑う。
純潔を勝手に奪った上で、心を開いてくれるとでも? 楽観も大概にしろ。同意なしの性行為をしておいて。最大値の嫌悪を向けられることはあるにしろ、好かれるなんて馬鹿なことがあるわけがないだろうに。それでも、諦めたくないなんて虫が良すぎるだろう。
せせら笑うもう一人の自分を黙らせて、兎に角ミュトラは先を急ぐ。窓の外は、憎たらしいほどの晴天だ。ミュトラの心など、少しも汲んでくれない。
それでも、会いに行かないという選択肢はない。
出来ることはする。諦めて何もしないのはもう懲り懲りだから。
辿り着いた個室の医務室の扉の前。
乱れた息を整えてから、扉を三度拳で叩く。返事の代わりに、がちゃりと開いた扉の先にいたのは、フィニだ。
「ミュトラ王子、お待ちしておりました。――ご案内します」
静かに頭を下げたフィニは、そのまま踵を返す。
大人しくフィニに続いた。医務室に世話になったことがなかったミュトラは、辺りを見回しながら足を進める。王宮のどこよりも静かなその場所は、時折蒸気を出す機械が唸るくらいで、他の誰もいないようだった。
案内された寝台は、透けた布で出来た天蓋が下りていた。
人影があるのは分かる。
十歩ほど手前で止まるとフィニは言った。
「ヴェルナ様、ミュトラ王子がお見えになりました」
「ありがとう、フィニ」
はっ、という言葉と共にフィニは下がって近くに跪いた。それを見届けてから、ミュトラはもう一度、天蓋を見遣る。そこに映る影が、ヴェルナだと教えてくれた。寝台のすぐ近くまで足を進めて声を掛ける。
「ヴェルナ、話とは、」
「ミュトラ王子」
言葉を遮られて口を噤む。ゆっくりと天蓋が開く。その中からヴェルナがおもむろに出てきた。笑みが浮かんでいるのに、どこか距離を感じるその表情。どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
「この度はご足労頂き感謝いたします。お呼び立てして申し訳ございません。並びに、薬に侵された私を救ってくださった事、重ねて感謝申し上げます」
深い拝礼と共に、ヴェルナはそう言った。普段なら同じ高さにあるはずの視線が、全く合わない。それどころか、紫翡翠はここではないどこかを見ているようだった。
言葉が出ない。明確な拒絶をヴェルナが示しているように見えたから。
「誠にありがとうございました。私がこうして死を免れたのは、貴方様のお陰にございます。そのお礼にこちらをご用意いたしました。――フィニ、ミュトラ王子に例の物を」
「はっ」
少し遠くにいたフィニが、何かを持ってこちらに寄ってくるのが目の端に見える。しかし、ミュトラにとってはそんなことはどうでも良かった。何も欲しいものなどない。ヴェルナがいつも通りに接してくれるだけで、十分だったのに。
ふわりと柑橘系の香りが漂う。そちらに目を向ければ、書状だった。
「…………これは?」
やっと出た己の声は、掠れていた。それを指摘することもなく、ニコリと笑ったヴェルナは言った。
「私の心を認めました。お心を頂いておりました故、その返答もそちらに」
言葉を聞いた途端、その場で開こうとしたミュトラの手を、やんわりとヴェルナの手が止めた。視線を向ければ、ゆっくりと首を横に振られる。
「お読みになるのは、ご自身のお部屋でお願いします。ここで暴かれるのは、私としても羞恥に耐え兼ねます故」
書状を掴むミュトラの手から力が抜けたのを悟ったのか、ヴェルナの手が離れていく。失われていく温もり。ヴェルナの表情は変わらず、張り付けたような笑みがあるばかりだ。
本当なら、ここで肩を掴んで揺すって、その本心を確認したい。でも紙に認めたというのなら、きっと色よい返事ではないのだと思う。そうでなければ、こんなにも表情が変わらないわけがない。その事実が、肺に錘をぶら下げたように胸を重くする。
奥歯が痛むほど噛み締めた。これ以上縋るのは愚の極みだ。
諦めに似た心に力が抜ける。
「少し、聞いても構わないか?」
「ええ、どうぞ」
「もう、体はいいのか?」
「ええ、おかげさまで」
「辛い事はないか」
「ええ。ありません」
「……そうか」
事務的に返ってくる答え。それが余計に空しくさせても、ヴェルナの体調が万全になったのなら喜ばしいことだ。それだけが救いだ。そう思い込むことしか、己が胸を晴らす術を見つけられなかった。
こうして距離を取られるならいっそ、罵られた方が良かった。感情任せに怒鳴られて、殴られて、責め立てられた方がずっと良かった。己とヴェルナの間には数歩もないのに、とてつもなく分厚い壁があるように感じるよりも、何万倍も良かったのに。
でも、最後にこれだけは。聞いておきたかった。
「……俺に出来ることはもうないか?」
「ここに来てくださった、それだけで十分でございます」
はっきりとした線引きだった。裏を返せば、もう二度と顔を見せるな、とも取れる言葉だ。そうか、と言った己の声は随分と沈んだ音をしていた。僅かにヴェルナが瞳の奥を揺らしたことも、己の手元ばかりを見ていたミュトラは気付かなかった。
「快復を心より祝福する、ヴェルナ。そして、すまなかった」
すべてを込めた謝罪をその場に残して、ミュトラは踵を返す。
その後をヴェルナもフィニも追ってくることはなかった。手に持った書状の柑橘の香りだけが、ミュトラに寄り添ってくれるばかりだった。己の不甲斐なさに滲みかけた涙を意地で止めて、自室に逃げ込むように帰ったのだ。
***
「本当に良かったのですか?」
フィニから声を掛けられてやっと、自分がずっと医務室の扉を見つめていた事に気付いたヴェルナは、苦笑いを浮かべながら言った。
「いいんだよ。聡いアイツはあれくらい大袈裟にしないと、別の感情が顔に出て王妃が勘違いしてくれないからな」
「にしても、かなりショックを受けていたように思いますが。あの様子だと、書状の仕掛けにも気付かないのでは?」
「だとしたらそれまでの関係だった、ってだけだ。俺はアイツが仕掛けに気付かなければ良いとさえ思ってるよ」
顔を顰めてこちらを見てくるフィニに笑いながら、寝台に腰を下ろした。
「世界を渡り歩く俺と、国に根差しているアイツは、番になったところですれ違うのは目に見えてる。だから俺の気持ちに気付かないのも良し。気付いて何も言ってこないのも良し。ただ、気付いてくれたならそれを受け入れるだけだ」
書状に想いを認めたのは本当だ。
胸の内にあるミュトラへの想いを赤裸々に吐露したのも本当だ。
しかし、それはレモンの汁で書かれたものだった。今はもう消えているだろう。ヴェルナの気持ちを知るには、火で炙って、文字を呼び起こさなければいけない。そもそもその方法をミュトラが知っているかは分からないが、知らないなら知らないでいい。白紙の書状を見て彼が絶望するならば、所詮それまでの関係だったということだ。
「だとしても、こんなに分かりにくい方法を取らなくても良かったのでは?」
「ははっ。そうだなぁ。すべての片が付いたら、ちゃんと言ってやれば済むことだろうな」
「では何故この方法を?」
心底分からないと言いたげな声を出したフィニに、ニヤリと笑って言ってやる。
「運命、って言葉をあいつは証明してくれるだろうか、って思って」
「運命? 運命の番の事ですか?」
運命の番とは、魂の番とも呼ばれる、αとΩの中でも特別視される関係のことだ。しかし蓋を開けてみれば、それは遺伝子的に最も遠く、相性が良い、という相手だという研究結果も出ている。前世で約束した者同士、なんて事をいう人もいるが、証明はされていない。
そのことをフィニは言っているのだが、そうじゃない、とヴェルナは首を振った。
「俺がアイツを運命だと決めた。それは遺伝子云々でも、相性が良いからでも、魂の繋がりを感じたからでもない。俺自身が、番になるならアイツが良いと決めたからだ。その想いを、アイツが正しく受け取る強い意思があるか。それを俺は試してる」
わざと分かりにくい方法を使った上に、誤解されるような態度を取った。自分勝手だとヴェルナ自身思っている。それでも、その障壁を越えてでも手を取りたい、とミュトラが思ってくれるかどうか、知りたいのだ。運命の赤い糸を、己自身で結ぼうとするその姿を見たい。そうして強く求められてこそ、応えたいと思うから。
「番は一生の相手だからな。賭けに負けるような奴に絶対に任せたくない!」
「だからと言って、一世一代の賭けに出なくても」
「それぐらいの賭けに出なきゃ、公平じゃないからな」
書状にはヴェルナと番になるために必要な、鍵の在り処も書かれている。
彼が書状の謎を解かなければ、一生見つかる事のない場所に隠してある。彼が解けないまま出国することになれば、ヴェルナは一生鍵を失う事になる、つまり、一生番の関係を結ぶことはない、ということ。その覚悟が、賭けの代償だ。
そのリスクを取っても賭けに出たのは、相手がミュトラだからだ。
第三王子という立場のミュトラが背負っているものは、ヴェルナが考えているよりもきっと大きく重い。だからこそ、もしも想いを手放さなければならないと彼が思った時に、重荷になりたくない。新たな番を見つけるかもしれないミュトラの行く末が明るいものであるように、鍵と共に己の想いは後腐れなく葬り去る。
そう決めたのだから。
話題を切るように、さて! と大きな声を上げて立ち上がる。
「あとは待機するだけだな! 首尾は?」
「もうじきお着きになるかと」
「分かった。は~、王族を次々に呼びつけても罰せられないことに感謝しなきゃな~」
「そうですね」
未だに何か言いたげのフィニから視線を離して、窓の外を見る。燦燦と降り注ぐ陽の光のまばゆさに目を細めてから、ヴェルナは静かに息を吐いて、次の相手を待った。
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