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サロウ
③
しおりを挟む笑ったサロウが、受け取った鍵をそのまま額に寄せる。
瞼を閉じてまるで祈りを捧げるように数秒。
彼の瞳が緑に光る。その刹那、額に当てていた鍵は、かぱりと開けたサロウの口の中に入れられた。否、より正確に言うとするなら、彼自身の舌へと差し込まれた。
目を見開く暇もなく、みるみるうちに光の粒になって鍵が消えていく。
瞬きを数度した頃には、さっきまでサロウの手の中にあった鍵は跡形もなかった。
「今回もあんたは無事に使えたな」
聞こえたコーリの声はこころなしか嬉しそうだった。
目尻にシワを寄せて笑ったサロウがこちらへと向く。
「お前さん」
温かな眼差しがユージローを捉えている。ごくりと口の中の唾を飲み込んで、はい、と返した言葉は少しだけ掠れていた。
「ちゃんと見とったか?」
「は、はい。見てました」
そうか、と頷いたサロウは、また髭をゆったりと撫でながら続けた。
「これが儂の、鍵を使う方法じゃ。言葉で説明しようと思うと難しいが、鍵穴は目に見えるものとは限らんのだよ。目の前にある鍵穴は偽りだったりもする。だから、ちゃんと鍵と話をするんじゃ」
「鍵と話……、さっき鍵に額に当てていたやつ、ですか?」
「ああ。鍵穴は自ずと分かる。一番大事なのは、時間がかかっても本当に見つけたい、と思える心の強さだ、コーリの鍵は世界一だ。それが使えなんだら、お前さんに何かが欠けている。鍵穴が見つからなんだら、その時は自分の心と鍵で話をするんじゃ。それでも見つからなんだら、自分が本当に欲している鍵なのか、吟味することだ」
サロウはしっかりと言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
思い返してみれば、夢の中のデンダは目の前にある鍵穴しか見ていなかった。どいつもこいつも俺をバカにして、と怒って金庫を蹴飛ばしていた。
誰のことも信頼せずに、自分を省みることもないデンダが、コーリの鍵を使えないのも無理はないのかもしれない、と思う。鍵を開けることばかりに執着して、鍵のことを信頼しようともしていなかった。彼は、鍵と対話するなんて発想にもならないのだと思う。そして、彼にはきっとそのアドバイスをしても、そんなことをして何になる、と笑い飛ばすのだろう。
ヤマセがああいったように、デンダは他人の意見を聞こうとしない。目の前の結果が出ないことに憤慨するばかりで、どうしたら良いのかを考える前に、他人に不満をぶつけていた。
それを見ていたからこそ、貴方には何も言うことはない、とヤマセが言う理由も分かる気がした。
でも果たして。
僕は、そうならずにいられるだろうか。
他人の所為にすることはとても簡単で楽なことで、自分に全て責任があると考えることは、全てを投げ出して逃げたくなるくらい苦しいことだ。それに立つ向かうべきだ、と言われた時、果たして出来るだろうか。
ユージローには分からなかった。
「心配せんでもお前さんは、お前さんが探している『鍵』も『鍵穴』も見つけられるだろうよ」
伸びてきた小さな手が、カウンターの上で強く握り締められた手の甲に触れる。
小さいのにとても温かかった。
正直、自分がどちらも見つけられるのかどうか、定かではないし実を言えば自信もない。それでもサロウがそう言ってくれるのなら、そうかも知れない、と思う。いつか見つけなければならない己の過去も、記憶も、きっと鍵穴とコーリの鍵が必要になるのだろう。
だからこそ、ユージローはこの店に来て、今此処で彼等と共に在る。
真実は分からない。しかしそう思うのが、一番道理が通った考え方だと思うのだ。
「ただし、お前さん」
顔を上げて見たサロウは、悪童のように歯を見せて笑った。
「自分の心に、嘘は吐かんことだ。人間はすぐ自分の心に嘘を吐く癖があるからの」
ギュッと胸の奥が締め付けられたような痛みが一瞬走る。
あまりに一瞬過ぎて、気の所為だったんじゃないかと思うほどだった。もう一度確かめようにも、胸には既にその痛みはなかった。一体何だったんだのだろう。
そんなユージローをよそに、サロウはコーリへと視線を移した。
「して、コーリ。今日のお代だが、儂は何を差し出せば良い?」
横に立つコーリを見つめると、ゆっくりとした動作でコーリが何かを指差す。
その指の先にあったのは、サロウが胸に付けた、緑のブローチ。
店内の光を反射して時折深い青のようにも見えるブローチを、サロウは大事そうに撫でた。
「やはりこれか。まあそんな気はしとったがな」
「このためにわざわざ付けてきてくれたんだろ?」
「ああ。呼ばれとったからな」
丁寧にブローチを外すと、そのブローチはサロウの小さな手を覆ってしまうほどの大きさをしていた。手のひらの上のそれを見つめる彼の瞳が、細く緩む。此処ではない何処かを見るような眼差しは、どこか寂しさを感じさせた。
「大事なもの、なんですか?」
口をついて出た言葉。
ああ、と深く頷いたサロウはそのブローチから目を離すことはない。
「初めて出会った人間の友人にもらった、大事な品だ」
噛みしめるように紡がれた言葉は、何があったかの詳細は分からないのにとても大切な出来事だったと言っているように思えた。彼の眼差しもまた、優しく何処か悲しさを帯びていて、喉がきゅっと締め付けられる。
彼をこんな顔にさせるほど大切なものを、お代としてもらわなければいけないのだろうか。
バッとコーリの方を向けば、サロウへと向けられていた鋭い瞳がゆっくりとユージローを捉えた。
「コーリさん、他のものでは駄目なんですか?」
このブローチは、サロウの手元に在るのが一番だと思うのだ。
サロウだって、本当は手放すにはとても惜しいものだと思っている筈だし、もしも別の物で良いのならそれをお代にして貰えないのだろうか。余計なお節介なのは少し自覚がある。
でも自分のことでもないのにそう思ってしまうのは、己に記憶がないからでもあった。大切な思い出に通じるものなら、きっとそれは彼の手元にあった方が良いものだ。それをわざわざ彼から奪うようなことは、したくなかった。
何を出過ぎた真似を、と言われても可笑しくはなかったのに、コーリはただ静かに声を発した。
「駄目だ。それがこの店のキマリなんだ」
「でもっ、」
「小童」
食い下がるユージローに待ったを掛けたのは、他でもないサロウだった。
ぽん、と手の甲に触れた彼の温かな手が、ユージローの口を止めさせる。コーリからサロウと目を向けると、少しだけ嬉しそうな穏やかな笑みを浮かべていた。
「儂の為にありがとうな。でも、これで良い。否、これが良いんじゃ」
どこか吹っ切れたような顔をしているサロウに、ユージローは何も言えなくなって、半開きになっていた口をゆっくりと閉じることしか出来なかった。
サロウが納得してしまったのなら、ユージローがコーリに食って掛かることには何の意味もない。ぐっと唇を噛みしめる。
また、何も出来なかった。
「違うぞ」
音がしそうなほど勢いよく顔を上げた。見えたサロウの顔は、やはり柔らかな笑みを浮かべていて、数度優しくユージローの手を撫でてくれた。
「儂は、お前さんの気持ちが嬉しかった。だから、何も出来なかった、なんて思わんでくれ」
「でも、結局サロウさんはその大切な物を……」
「なあに、ちょいと名残惜しかっただけじゃよ。確かに手元にこれは無くなる。だからといって、儂の中から思い出が消えるわけじゃあない」
全く彼の言う通りだ。言う通りなのは分かる。だが、納得出来るかと言えばそうではない。
思い出が消えるわけではないのは、よく解っている。物がなくなったからと言って、心の中の思い出が綺麗サッパリなくなるわけではないし、物があっても思い出せないこともある。物が全てでは決してない。
でも。それでも、思い出が詰まった大切なものには違いないのだ。
手放す時の喪失感がなくなるわけではない。胸の中に寂しさを抱えながら生きていくのは、悲しい。
「そんな顔するんじゃあない」
滲みかけた視界を振り切るようにサロウを見る。
穏やかな笑みは消えていない。
ユージローには、どうして彼はそんな穏やかな顔が出来るのか、分からなかった。
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