極上の君

晴なつちくわ

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第三部

40.嵐の前の静けさ



 昨日と全く同じホテルまで送ってくれた運転手に、窓を開けてお礼を言ってから車から降りる。昨日車に乗り込んだ時とは全く違う、晴れやかな気持ちが己の胸には満ちている。
 これなら冷静に兄さんと話ができそうだな。
 そうクロードは思う。家族からは誰一人としてもらえなかった言葉と気持ちを、ダンテからもらえた今、クロードの胸や思考を曇らせるものは消え失せている。
 普段から思考と感情は切り離しているつもりだが、どうしても感情が前に出てしまう相手というのは存在する。
 クロードにとってはそれが、兄であるアンリや父であったから。
 でも今日は、感情抜きに話が出来るという確かな自信がある。これならば心が揺らぐこともなければ、幼少期のように、ないものねだりをすることもないだろう。
 そんな確信とともに、クロードは指定されたラウンジへと足を進めた。

 ラウンジには、相変わらずゆったりとしたピアノの生演奏が流れていた。もう顔なじみになってしまったラウンジのスタッフが、クロードに気付いて微笑んでくれる。軽く会釈をしてから、声を掛けた。

「毎日すみません」
「いいえ、クロード様は大切な常連のお客様ですから。今日は何用で?」
「アンリ・リヴィエールという男性客はいますか? 彼と待ち合わせをしているんです。今日は此処にずっといると聞いてて」
「嗚呼、リヴィエール様と待ち合わせでしたか。彼ならすでに、窓際のVIP席でお待ちです」

 ご案内します、というスタッフに連れられて、ゆったりとラウンジを歩く。VIP席というのが兄さんらしいな、とも思う。でも父の会社を継いだ彼ならそれも容易いのも知っている。何しろ大きな貿易会社だ。彼の手腕で更に事業が拡大している、と母からも聞いていたから。
 そんな事を考えているうちに、たどり着いたらしく、スタッフが足を止めた。

「リヴィエール様はこちらでお待ちです」
「ありがとうございます」

 軽い会釈とともにチップを渡して、他の客の出入りで気が散らないように仕切られた場所へと足を踏み入れる。
 街を一望出来るガラス張りになった窓をぼんやりと眺めていたアンリは、クロードが入ってきたことに気付くとすぐさま立ち上がった。

「! クロード! 来てくれたのか!」

 すぐさまこちらに寄ってきた兄に、抱き締められる。ふっと漏れた笑いをそのままに、クロードもまた挨拶程度の抱擁を返した。

「来いって言ったのは兄さんだろ?」
「そうだけれど、もしかしたら来てくれないかと思っていたから」

 沈んだ声が聞こえる。嫌味に聞こえない言い方と、相手に好感を与える態度が取れる兄の要領の良さは、相変わらずらしい。
 アンリは、昔から人に甘えるのが上手な人だった。
 目上の人の懐に入るのも上手だったし、何よりも父に教えを乞うのが上手だった。クロードが苦手としていることでも、簡単にできてしまう兄。そんな彼を見るたびに、どす黒いモヤが思考と胸の内を覆い尽くすのが常だった。
 しかし、今日はどうだ。全く動揺していない自分がいる。
 とんとん、とアンリの背を叩いて笑う。

「約束したら来るよ。とりあえず座ろうよ、兄さん」

 促せば滲んだ声で、うん、と返事があった。窓際の上座のソファを勧められたけれど、クロードはこの街では色んな意味で有名だ。凄腕のスナイパーに狙われる、という万が一があっては困る。丁重にお断りして、入口近くのソファへ腰を下ろした。

「改めて、本当に久しぶりだね。クロード」
「そうだね。元気そうで何よりだよ、兄さん」

 兄が息災であることは母から聞いていた。しかし、直接話すのも会うのも十数年ぶりだ。その年数は、クロードが兄を避けていた証左であり、自分の過去に真正面から向き合うのに必要だった時間だ。

「クロードが元気なのは、母さんから時たま聞いてたけど、一刻も早く直接会いたかった。でもなかなか会いに来れなくてごめん」
「どうして兄さんが謝るんだよ。勝手に出てったのは俺だし、兄さんは何も悪くない」

 出ていったばかりの自分だったら、この言葉は出てこなかった。出来が良すぎる兄がいるせいで俺は、と自分の境遇をアンリの所為にしていたに違いないから。
 でもクロードは知った。
 嫉妬を向けられる張本人には、殆どの場合自覚がない。嫉妬心を抱いている人間が、その対象に直接言葉をぶつける事は、ほぼないから。現にクロードだって、アンリにそのことを言ったことはなかった。口に出したら負けだ、なんてクソほどにどうでもいいプライドを守るために、伝えることをしなかったから。
 でも己が嫉妬を向けられる側になって、初めて知ったのだ。
 実際は苦労してやっていることも、人の色眼鏡で見られた時、その過程の努力もなかったことにされることを。
 それを教えてくれたのは、奇しくもクロードを裏切ったエイヴだったが。今となってはあの裏切りさえ意味があったのだろう、と思えるから自分は幸運だ。こう思えるのも、今クロードの一番近くにいてくれるダンテのおかげだ。

「それでも居心地を悪くさせたのは僕だ」
「俺はあの家を出る運命だった。それだけだよ」
「でも僕は、」
「……はぁ、兄さんはそんな変えられない過去の話をしに来たの? 違うだろ?」

 わざとらしく溜息を吐きながら、兄の言葉を遮る。
 もういいと言っているのだから、これ以上の謝罪も懺悔も必要ない。兄がそう思いたいなら思えば良いけれど、クロードにとってはもうどうということはない過去の話だ。
 それよりも今は未来の話をしたい。そのためにアンリだって遠路はるばる此処に来たのだろうから。
 クロードの言葉に、ぐっと言葉を飲み込んだアンリは、やがて小さく笑った。

「そうだね。これ以上の過去の話はやめよう。……クロードの言う通り、僕たちがすべきはこれからの話だもんね」

 自分に言い聞かせるように頷いたアンリが、ゆっくりと視線を上げてクロードをまっすぐに射抜く。自然と背筋が伸びた。

「単刀直入に言うよ。――クロード、僕と一緒に家に帰ろう」

 ふっと自然と笑みが漏れる。兄の言葉がおかしかったからではなくて、予想通りの言葉だったから。するりと足を組んで、にんまりと笑う。
 
「俺は帰らないよ」
 
 ぐっとアンリが唇を引き結んだ。ある程度、クロードの返答は予想していたのだろう。じっと見つめてくるアッシュグレーの瞳が、クロードの心を探るように揺れる。少しの沈黙の後、ゆっくりとその口が開かれた。

「それはダンテ=スヴェトラーノフが此処にいるから?」
「それも理由の一つだけど、全部じゃない」

 確かにダンテがいるからでもある。しかしダンテは、クロードがそうしたいなら、と言ってくれた。だからクロードの意思がそこにあれば、帰ることは可能だ。
 でも、クロードはそうしたくない。
 あの家に帰るのは、あの家に心を縛られるのは、二度と御免だ。更に言うなら、あの父親が生きている間は、絶対に帰るつもりはない。近くにいれば、期待が己の胸から滲み出てしまう。結局その期待が裏切られて、落胆するのが目に見えている。くだらないと分かっているのに、己がそのくだらないことに心を割いてしまうのを知っているから。
 だから、クロードは帰らないと決めた。

「兄さんには言ったことなかったけど、俺にとって、あの家にいることは、苦痛そのものだから。俺の感じ方の問題で、誰が悪いわけじゃない」

 此処まで言えるようになった自分を褒めてやりたい。
 きっと昨日のクロードには無理だった。ほぼ絶縁状態だったとはいえ、家族は家族。自ら繋がりを断ち切る可能性のある言葉を、投げかけることなんて出来やしなかった。でも今は、自分の弱さや醜さすら曝け出してなお、離れていかなかったダンテがいる。飽きるどころか、地獄の果てまで迎えに行く、なんてとびきりの愛を伝えてくれた。

 幼かった自分がずっと求めていたものは、ここにある。

 そう心の底から思えたから。
 
「俺の問題なら、俺が帰らないのが一番合理的だ。だから俺は兄さんに何を言われても、帰るつもりはないよ」

 沈黙が流れる。その間もアンリの瞳は、ずっとクロードを見ていた。アンリの視線から逃げることなく、見つめ返す。
 どれだけ咎められようが、帰るつもりはない。
 その己の固い意志を示すように。
 十数秒か、それとも数分か。正確な時間はわからないが、沈黙を破ったのはアンリの溜息だった。

「クロードの気持ちは分かったよ。その意思が揺らがないのもね」

 諦めに似た声色と共に耳に届いたのは、微かな笑い声だった。まいった、と言わんばかりだ。もっと詰められるのを覚悟していたクロードは、正直に言うと面食らった。クロードが知る限り、アンリは父と同じく己の意思を曲げたりしない人だった。
 なのに、こんなにあっさりと引いてくれるとは。
 ぱちぱちと目を瞬くクロードに、アンリは目元を緩ませて言った。

「クロードの気持ちを無視してまで連れて帰るつもりはないんだ。でも、僕はいつでもクロードには帰ってきてほしいと思っている。それを忘れないでほしい」

 アンリがクロードの事を大切に思ってくれていることは、なんとなく分かっていた。小さい頃はわからなかったし、自分の心が幼くて気付かなかったが、アンリはアンリでクロードを気にかけてくれていた。アンリ一人で出来たはずのことも、クロード一緒にやろう、と言ってくれたし、遊びや勉強も誘ってくれた。
 小さい頃の自分はそれを突き放すことしかできなかったけれど。
 小さく笑って、うん、と頷く。

「でももう、帰ってこい、とは言わないよ。でもクロードが嫌じゃなければ、また会いに来てもいいかな?」
「もちろん。でも治安があんまり良くないから、オススメはしない」
「でもクロードは会いに来てくれないだろ?」
「あの家以外だったら行くよ」

 そう言えば、ぱっとアンリの顔が輝く。旅行に行きたいと言われたら、ダンテに確認しなければいけないけれど、まあ多分許してくれるだろう。許しはしても嫌な顔をするダンテが簡単に想像できてしまって、思わず笑ってしまった。

「……悔しいけど、完敗だなぁ」
「? どういうこと?」

 不意にそんな事を言ったアンリに、首を傾げる。しかし首を横に振ったアンリは、答えを教えてくれる気がないらしく、なんでもないよ、と話題を強制終了させてしまった。
 なんでもないと兄さんが言うなら深く追求するのも野暮か。
 
「堅苦しい話はこれでおしまい! 今度はクロードの近況を聞かせてよ」

 クロードの思考を遮るように、ぱん、と軽く手を打ったアンリに、相変わらずマイペースだなぁ、なんて思いながらもその誘いに乗ったのだった。





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