極上の君

晴なつちくわ

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第一部

12.彼女は全てお見通し

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 目を開けたのと同時に、勢いよく体を起こす。
 かかっていた布団がぱさりと落ちたのも構わず、辺りを見回した。
 大きな窓の左右で纏められている、シックで上品な厚いカーテン。日光が差し込む、汚れひとつない磨き抜かれた窓ガラス。ベッドサイドチェストに置かれている、薔薇の花束が刺さった花瓶。その隣に置かれた時計は1時を指している。
 どれもこれも見覚えがない。

 一体どこなんだここは。おかしい。俺はあのクソ野郎に捕まって、それでヤクを入れられて、……ダメだ。そっからの記憶がない。一体どうなったんだ。ここはあのクソ野郎の部屋なのか? いやでもこうして思考出来るのはおかしくないか? 誰かに助けられた? いやあそこにいるのを知ってるのはあのクソ野郎共しかいない。そんなうまい話があるわけがない。

 ドクドクと五月蝿うるさい心臓を感じながら、クロードは思考を巡らせる。しかし欲しい答えは見つからない。
 自分の体を見てみる。てっきり酷い有様かと思ったのに、清潔な寝間着が着せられている。寝間着のボタンを急いで外して見た素肌も、痛々しい痕は一つもない。まるで誰にも犯されていないような綺麗さだ。
 そういえば尻に感じるはずの違和も、体の痛さも何もない。
 一体どうして。
 疑問を持ったのと、扉が開く音がしたのは同時だった。

「嗚呼! 目が覚めたみたいだね。良かった!」

 大きく肩を揺らしたクロードを気にするでもなく、ピンクの髪に白衣を着た女がベッドまで寄ってくる。頭の中の人物図鑑を勢いよくめくってみるも、一人も彼女と一致しない。そもそもこんなド派手な髪を見たら忘れないはずだ。

「あ、貴女は?」
「その前にちょっとごめんね~!」

 あっという間に顔を両手で包まれて、上を向かされる。まさかそんな事をされると思わずに固まったクロードに構わず、女はクロードの両下瞼を親指で押さえて下げた。

「うんうん。赤みもないし、瞳孔の濁りもないし、焦点もちゃんと合ってるね。起きた時、変な幻覚とか幻聴とかは聞こえなかった?」
「えっ、いや、何もなかったです」
「いいね。吐き気とか気持ち悪さはない?」
「ないです」
「ヨシ。じゃあちょっと口の中見せてね~」

 また勝手に口を開けられて覗かれる。なんとなく、彼女が医者のような事をしてくれているのは分かる。幻覚や幻聴の有無は、薬物の副作用の確認だろう。とりあえず抵抗する事なく、されるがまま従う。
 彼女はアドルフォ側の人間だろうか。わからない。気さくではあるけれど、顔に張り付く笑みの薄さが気になる。しかしアドルフォ側の人間にしては高待遇すぎる気もする。廃人にする予定だった人間に、わざわざ医者を手配するとは思えない。
 だが現状、彼女の腹の内を読むには情報が少なすぎる。
 ありがとね~、とやっと顔を離されて自分でも顔を触ってみる。特に違和感もない。
 考えられる事は二つだ。第三勢力の介入でたまたまクロードは助け出されて、治療を受けている。もしくは、廃人にして絶望の為の餌にするよりも、もっと別の利用価値をアドルフォ側が見つけたか。
 どちらにせよ、判断材料は彼女との会話にしかない。

「さて、クロードちゃん」

 ちゃん付けかよ。
 思わず白目を剥きそうになる気持ちを抑えて、はい、と返事をする。差し出された手。首を僅かに傾げると、にっこりと笑われた。

「私はアザミ。一応ダンテの組織の人間だよ。安心してくれたまえ!」
「えっ、と、よろしくお願いします?」

 差し出された手をそっと握る。まだ起きたばかりで頭があまり働いていないが、彼女は今『ダンテの組織』と言っただろうか。いやまさか。聞き間違えか、とも思ったが。

「いやぁ確かに愛らしい顔してるね。クロードちゃんにダンテがご執心なのも分かる気がする」

 ニヤニヤとした笑いに変えた彼女の言葉に、目を瞬く。そんな事をダンテが言ったのだろうか。いやまさかな。ははっ、と笑う。首を横に振りながら手を離した。

「貴女が思うような関係じゃないですよ。確かに彼とはいい取引させて頂いてましたけど」
「んん? そうなの? セックスする仲って聞いたけど」
「えっ、と、確かに相手をした事もありますね。でもあくまでビジネスライクな関係です」

 実際セックスはしていても、恋人のような甘い関係ではない。甘い言葉を掛け合うわけでもないし、愛を囁き合うわけでもない。セックスが終わったらさっさと寝て、起きる頃には一人だ。一度だってダンテと共に起きた事はない。
 もしかして彼女もダンテのイイ仲の一人だろうか。そうなら余計に勘違いされては困る。
 昔何度か仕事の一貫で、ターゲット相手にハニートラップを仕掛けたことがある。その時、ターゲットの恋人や片想い相手に殺されかけたのだ。
 男にしても女にしても、嫉妬ほど恐ろしいものはない。それが自分の心に留め置けるものであれば良いが、他人に向けてしまった瞬間、純然たる殺人の動機になり得てしまう。進んでそんな恐ろしい目に遭いたい人間は、よほどのサイコパスでない限りいない。少なくともクロードは命を危険に晒す真似はしたくない。まあ少し前にそんな目に遭ったばかりだが。

「利害関係がたまたま一致しただけの関係です。だから貴女が危惧するような仲ではないですよ。安心して下さい」
 
 貴女とダンテの仲は邪魔しません、という意思を込めて伝えた。すると今度はアザミがぱちぱちと目を瞬いた。

「なるほど? ……じゃあさぁ、クロードちゃん」

 アザミは意地悪く笑って、クロードの顔を覗き込んでくる。どこかで見たような笑い方だな、とは思うものの思い出す前に彼女の言葉に意識を奪われた。

「私がダンテのこと取っちゃっても、構わない?」

 取っちゃっても。
 その言葉が指す意味がわからないほど馬鹿じゃない。布団の上で重ねた己の手を、思い切り握り締める。
 いやだ。
 そう頭の片隅で響いた声を聞かなかったことにして、にへら、と薄っぺらい笑みを浮かべた。

「はは、ボクに許可を取る必要なんてないですよ。彼にとってボクはただの取引相手で、」
「―――ホントに?」

 じっと見つめてくる赤みを帯びた金。その瞳は真剣だった。クロードの瞳の奥の本音を見定めるのように、こちらの反応をつぶさに観察している。居心地の悪さに目を逸らしたくなるのを、グッと抑えた。

「ええ、勿論。そもそもボクは完全に外部の人間です。貴女たちの仲を邪魔する気持ちは少しもありません」

 胸を強く圧迫されているかのような苦しさ。心臓の音がやけに大きく聞こえる。それが彼女にバレないように、胸の内で祈った。
 笑みを浮かべたクロードと、クロードを真剣に見つめるアザミ。
 どれだけそうしていたか、ふとアザミがやわらかい笑みを溢した。

「そっか」

 その声があまりにも優しく聞こえて。
 アザミが静かに身を引いていく。心臓がまた大きく嫌なリズムを刻んだのを認識しながら、笑顔に隠れた奥歯を噛み締めた。これが正解だと言い聞かせて、痛みで暴走しかけている胸を落ち着かせようと試みる。しかし喉の奥まで迫り上がって来た苦しさに耐えられず、あの、と彼女に声を掛けた。

「うん?」
「お手洗いに行きたいんですけど、場所がわからなくて」
「嗚呼、私とした事が! 部屋を出てすぐに右に曲がって15歩ほど進んだ左手にあるよ」
「すみません、ありがとうございます」
「一人で歩ける? 着いていこうか?」
「大丈夫だと思います。辛かったら壁を伝って行きます」
「そう? 気をつけてね。君は一応まだ重病人なんだからね」

 無理しちゃダメだよ、と扉の所まで見送ってくれたアザミに手を振って、ゆっくりと歩く。足が思うように動かないのは、ずっと横になっていたからだろうか。
 色んな事があり過ぎて、回転の速さが自慢の頭も今は混乱するばかりだ。いつもなら感情なんて簡単に制御できていたのに。今の頭の中は、色んな感情でごちゃごちゃだ。
 家族同然だった人に裏切られた悲しみ。ダンテが助けに来てくれた喜び。アザミという女性に対する羨ましさと切なさ。他にも分類も名前付けも出来ない感情が、ぐるぐると身体中を巡っている。
 処理落ちしてしまっているせいなのか、制御ができないせいなのか、視界に滲む水っぽさに、思わず乾いた笑いが漏れた。

「弱ってんなぁ、俺」

 口にすればそれを一層実感して、歩きながら溢れかけた涙をこっそり寝巻きの裾で拭った。


 ***


 大きな音を立てて開いた扉。窓の外を眺めていたアザミは、息を切らせてそこに立っている男をみて、ニンマリと笑った。

「随分遅かったね、ダンテ」
「……クロードは?」

 まるきり言葉を無視してベッドまで寄って来たダンテは、顔を思い切り顰めた。お熱いねぇ、なんて内心ニヤニヤとしながら、肩をすくめる。

「トイレくらいゆっくり行かせてあげなよ」

 ベッドにクロードが居ない理由を伝えれば、ダンテは安堵したように息を僅かに吐いた。今度は振り返って自分が入って来た扉を見ている。今か今かとソワソワしているのが、背中を見ているだけでも簡単に分かってしまうから、くすりと笑いが漏れた。
 じとりとした目がこちらを向く。

「余裕のない男は嫌われるゾ~?」
「余計なお世話だ。それにクロードの前ではちゃんと意識してる」
「ふふ、あんたのそういうとこホント可愛いね」
「可愛いって言うな」

 ギロリと睨まれても全然怖くない。でもそれが本当に好きな人に対して正しいかと言われると、必ずしもそうではないことを、完璧と周りに言われるダンテは知らないらしい。
 まあそりゃあそうよね、と思う。
 今まで恋なんてものに、ダンテがうつつを抜かすことはなかった。親の悪しき背中を見て育ったダンテにとって『恋』なんてものは、悪の枢軸のように思えていただろうから。だから、彼自身恋をしてこなかったし、その経験値もほぼないに等しい。
 ならばここは、と老婆心が顔を出す。

「でも、その隙の無さは逆に彼を遠ざけることもあるって事、忘れないようにね」
「はぁ? どういう意味だよ」
「さあね~! 自分で考えなさい。……っていうか、クロードちゃん遅いねぇ。もう15分くらい経つのに」

 わざとらしく腕時計を見てそう言ってやれば、ダンテは血相を変えて部屋を飛び出していく。
 勘違いさせて焚き付けた事を伝えないままだったけれど、まああの二人なら大丈夫か。
 なんて思いつつ、大好きな煙草に火をつける。

 さっきのクロードの様子を見れば、ダンテにただならぬ想いがあるのは丸分かりだ。クロードはクロードでダンテと同じく恋には不器用らしい。考えてみれば、今までこの危険な世界で色んな組織を渡り歩きながら、情報を売り買いしていたのだから、クロードもやはり恋など初心者同然なのだろう。
 人の機微に聡くても、いざ自分に想いを向けられた時、素直に受け取るのは難しい。向けられる事にに慣れていないのなら尚更、裏の裏を読もうとするに違いない。どんなに真っ直ぐな想いだったとしても、疑うのが癖になっている人にとっては、懐疑がまず先に出てしまう。
 そこがダンテにとっては最大の難関だろう。

 さて、あの二人はどんな結末を迎えるのやら。

 お気に入りの紫煙をお供に二人の恋路の行方を、じっくりと待つ事にしたアザミだった。

 


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