極上の君

晴なつちくわ

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番外編

19.変わるもの、変わらないもの②

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 遠くのほうで、ゆったりとしたピアノ曲が流れている。
 ラウンジの中央にグランドピアノが置いてあったから、生演奏でもしているのかもしれない。曖昧なのは、そのピアノが見える場所に居ないからだ。
 あのダンテ=スヴェトラーノフに連れられてやってきたのは、確かに高層階にあるラウンジだった。しかし丁度その時間がサンセットと重なっていたからだろうか、ほぼ満席だった。
 てっきり場所を移すのかと思いきや、彼はラウンジの受付に立っていた男に声を掛けた。二言三言何か小声で言葉を交わすと、男がハッとしたように頭を下げて、インカムですぐにスタッフに何か指示し始めたのだ。かと思えば、こちらへ、と促されるものだから本当に驚いた。
 彼の影響力はこんなところにも出ているらしい。

 そういうわけで、俺たちは半個室のような窓際の席へと案内された。

 二人でも悠々と座れるような上質なソファ二脚に、それぞれ腰を下ろしている。といってもドリンクを頼んですぐに、お手洗いに、と彼は席を立っているので俺の前にあるソファは空席なのだが。
 俺は、やっぱりイケメンでもトイレは行くんだな、と思いつつ、彼の戻りを待っている状態だ。
 そんなことを考えている場合ではないのは理解している。
 どうしてダンテ=スヴェトラーノフのような完璧を人の形にしたような男が、俺に依頼をしたいのかが、全くわからない。単に俺の情報屋としての腕を期待しているのか、それとも本当に危ない仕事をさせようとしているのか。はたまた何か裏があるのか。
 ただ、人の多いラウンジであることは安心材料の一つだ。全員が彼のでない限り、俺が此処で始末されることはない。
 さっきのホテルマンとの会話を見るに、全員がサクラである可能性の線は薄い。はずだ。
 沸点が謎だ、と噂される彼の思考を読むには、情報があまりに少なすぎる。

「失礼いたします。ロイヤルミルクティとカフェラテでございます。あとこちらはウェルカムドリンクでございます。よろしければ、ご賞味くださいませ」
「ありがとうございます」

 ローテーブルに置かれたフルートグラス。黄金よりも薄い金の中で、サイコロ状の果物と気泡が踊っている。美味しそうだが、多分俺には向かないだろうな、と思う。アルコールはあまり得意ではないし、判断力が鈍るからあまり口にはしないのだ。
 ふう、と小さく息をついて、窓の外を見る。高層から見える街並みを夕陽が撫でている。エイヴとなら、ゆっくりとこの景色も楽しめたのだが。いかんせん、相手が相手だ。気を抜けばヤバいことになりかねない。

「お待たせしてすみません」

 後ろからかかった声に少しだけ背筋が伸びた。大丈夫ですよ、と笑みを作って目の前に座った彼を見る。するりと長い脚を組んだダンテ=スヴェトラーノフは、目が合うとゆるやかに笑みを深くした。

「僕の顔に何かついてます?」
「そうではないんですが、ダンテさんは本当に顔が整っているので緊張してしまって」

 半分冗談で半分本心だ。ダンテ=スヴェトラーノフは、とてつもなく顔が整っている。美術品と言われても頷いてしまうほど、男の俺から見ても綺麗な顔をしている。女性からしてみたら、彼ほどの優良物件はいないだろう。
 彼は、ははっ、と笑った。

「貴方に見惚れられるなんて幸せですね」

 ホントかよ。思わず心の中で突っ込まずにはいられないほど、歯の浮くようなセリフだ。
 きっとこういう世辞は言い慣れているのだろう。それらしい言葉を並べておけば、人の心を懐柔出来てきた系の人間かもしれない。彼にとって利点かはさておき、顔で得をしている部分はあるだろう。美人が表情を無くすと、余計に恐ろしく見えることもしかりである。
 
「はは、ご冗談を。それはそうと、ダンテさんは女性には事欠かなそうですよね。その分、大変なこともありそうですが」
「大変というか面倒なことは多いですね。クロードさんも、男女問わずその経験はおありでは?」

 少しだけ棘を混ぜても、まるで棘なんてなかったように躱されたどころか、痛い所を突かれて乾いた笑いしか出ない。彼の真意が分からない。その言葉は一体『何を』指しているのだろう。本当に私生活のことを言いたいのか、それとも俺の仕事の内容に触れているのか。

「まあそれなりにはありますが、ダンテさんほどでは無いと思いますよ。なんとかやっていけてます」

 厄介な相手だな、と思いつつどちらとも取れる返事をしたのだが。
 そうですか、と言った彼の表情がこわばったように見えた。しかし一瞬すぎて、俺の見間違いだろうか、と思うレベルだ。そもそも何故顔を強張らせるのか分からないし、言及するのもおかしい気がして、何も口に出さなかったけれど。

「それより、ダンテさん。私に依頼したい事ってなんでしょう?」
「嗚呼、すみません。そうでしたね」

 にこりと笑みを浮かべた彼は、背広の内ポケットから何かを取り出した。チャック付きのビニール袋に入ったフラッシュドライブだ。ローテーブルに置いてそのまま指先で俺の前まで寄越したダンテは、姿勢を戻してから言った。

「依頼の内容はそこに入ってます。貴方が僕との契約を断る場合は、それを破棄していただいて構いません」
「……断ることも出来るんです?」
「ええ。貴方に見合わないようであれば」

 今すぐ確認しろ、と言わないのが不思議だ。だったらこれだけをあの場で渡せばよかったのではないだろうか。わざわざこんな場所に来て、話し合う必要のないほどのことだ。
 それか、と思う。
 フラッシュドライブは俺の気を引くためのデコイで、メインの話は別にあるのかもしれない。
 例えば、女は抱き飽きたから、男の俺に興味を持ったとか。
 じっと見つめても、感情の乗らない灰色が見つめ返してくるだけで、彼の意図は分からない。
 一度カマかけでもしてみるか。ニンマリとわざとらしい笑みを浮かべて、そのフラッシュドライブを受け取る。

「ダンテさん、貴方も人が悪い。本当にこれだけのために、私を此処に連れてきたんですか?」
「……、どういう意味です?」

 声色は変わらない。動揺の色も、怒りの色も乗っていない。しかし、興味はあるような口ぶりだ。その証拠に、わずかに口角が上がっている。俺はそのまま言葉を続けた。

「貴方の本当の依頼はこれではなく、別にあるのでは? そうですね、例えば――、俺自身に興味があるとか」

 わずかに灰色の目が見開かれる。図星だったのか。
 くく、とわざとらしく喉で笑ってやる。

「貴方のような男が、俺に興味があるなんて意外ですね。さて、俺の何処に興味が? 生い立ち? 性格? それとも、この身体?」

 演劇のように大げさに自分の胸に手を当てて聞いてやる。身体、と告げた時目の前の男の瞳が、ほんの少し揺れた。なるほどな。女とのセックスに飽きたから今度は男に手を出そうっていう仮定は、あながち間違いではないのかもしれない。
 さあて、一体なんて答えるのか見物みものだな。
 小さく息を吸った彼の声に、全神経を集中させる。

「―――もしも、僕がアンタの身体に興味がある、って言ったらどうするの?」

 ハッ、と笑いが漏れた。まさかそんな直球でくるとは思わなかった。大概の人間は此処で適当に誤魔化すか、回りくどく誘ってくるか、有無を言わせずに行為に持ち込もうと図るかのどれかだというのに。
 それが、ダンテ=スヴェトラーノフに興味が湧いた瞬間だった。
 一体この男はどんなセックスをするのか。ド下手の可能性もある。しかも敬語まで抜けている。それならばこちらも相応の対応をしなきゃな、と心のなかでほくそ笑む。

「素直なヤツは嫌いじゃない。身体ってのは、ソウイウ意味で合ってるか?」
「アンタとセックスしてみたい、って意味」
「あははっ! 恥じらいってものが無いのか、ダンテ=スヴェトラーノフ」
「この状況で必要ある?」
「いいや? 呆れを通り越して逆に気に入った。でも、お前と実際セックスするかどうかは別の話だ」

 そうなのだ。一方的に気持ちよくなりたいだけの野蛮人の相手は疲れる。実際数時間前に相手をしてきたばかりだ。気持ちいいことは好きだし、性欲も人並みくらいにはある。だからセックスは好きだが、あくまでそれは上手い相手とするに限る。仕事で必要なら致し方ないが、プライベートまでそんなヤツに付き合う義理はない。

「でもアンタ、気持ち良いことは好きなんだろ?」
「よく知ってるな。調べたのか?」
「少しね」
「ハハッ悪趣味だな、お前。それで? 幻滅したか?」
「なんで? 気持ちいいことが好きなのは別に悪いことじゃないし、アンタの場合は全部がそうじゃないだろ。情報を引き抜くための技術の一つとして使ってる時もあるのも知ってる」

 今度は俺が目を見開く番だった。大抵の場合はビッチだとか、魔性の男、性欲の獣だとかろくでもない言葉ばかり投げられるのに。僅かに震えた胸に気付かないふりをして、笑ってやった。

「だが、お前が求めるのは性欲処理としての俺だろ?」
「そんなつもりはないよ。でも、アンタにそう捉えられても仕方のない言い方をしてる自覚はある」
「素直に認めるところは、お前の長所だな。でも俺は、下手なやつとはしない主義だ」
「下手かどうかは、試してみないと分からないと思うけど」

 ダンテの表情は変わらなかった。侮蔑も服従させてやろうと軽んじる気持ちも、一切ないように見えた。どちらかと言えば、目を逸らしたくなってしまうくらいの熱量を持った眼光が、ただ一心に俺を見ている。
 結局折れたのは、俺の方だった。

「わかった。俺を唸らせたら、セフレになってやるよ。何なら報酬の一部にしてもいい」
「じゃあ、」
「ただし、チャンスは一回だけだ。不適合だともし俺が思ったら、セフレはおろかお前からの依頼も金輪際一切受けない。それでも良いなら、お前に抱かれてやる」

 我ながら大見得を切ったと思う。相手が相手なら俺の首が飛んでいた。
 でも俺自身、このダンテ=スヴェトラーノフに興味があったのだ。
 この男がどんなふうにセックスするのか。どんな顔を見せてくれるのか。どんなふうに乱れるのか。その何も映さないように見える灰色の瞳がどんな感情を乗せるのか。
 打算もあった。もしかしたらエイヴへの淡い想いも断ち切ってくれるかもしれないと。
 ダンテは音もなく立ち上がると、そっと俺の傍に寄ってきた。見下されるのかと思ったのに、ダンテは膝を折って、逆に見上げるようにして俺を見る。その瞳は、冷酷だと評されるものとは程遠い、やけどしそうな熱を孕んでいた。

「約束する。アンタを絶対後悔させないって」
「……ハッ! 口だけにならないようにせいぜい頑張れよ」


 ***


 その後結局俺が、読んで字のごとく喘がされて、ズブズブにされたんだよな。
 今でもムカつく思い出ではあるが、確かにダンテは約束通り俺に後悔はさせなかったのは褒めてやっても良いなとは思う。そういえば、この頃からダンテは俺に対して本気だったのか。
 なんか……、今更ながら照れるし、俺の態度結構最悪だったのに、よくアイツ呆れなかったよな。

 駆け寄った音に気付いたのか、ダンテがふとこちらを向いた。
 俺を視界に入れた途端、ダンテはあの日よりももっとドロドロに甘く溶けた笑みになった。むず痒くなる胸を誤魔化すように、声を出した。

「お前バカか! こんなとこに突っ立ってたら駄目だろ!」

 そういった俺に、ダンテは僅かに首を傾げて喉で笑った。

「アンタに会いたくて来ちゃった」
「……来ちゃったじゃねぇよ、あほ」



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