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44.

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 法務大臣を解任されたグレゴリー侯爵は、転移装置を使って自領へと戻って来ていた。
 馬車を使えば一週間かかる距離だが、転移装置であれば日帰りも可能である。
 個人所有は認められていないが、各都市を繋ぐ為、大都市には転移装置が設置されるようになっていた。
 執事と護衛を連れて屋敷へと入り、サロンへ行くと両親がティータイムを楽しんでいた。
「ご無沙汰しております、父上。母上」
 侯爵が頭を下げると両親は笑顔で迎えた。
「やぁ、急だな。ささ、座って一緒に茶を飲もう」
「本当に、急だこと。これも転移装置のおかげねぇ。すぐに行き来ができるようになったのは素晴らしいわ」
「失礼します」
 侯爵は歩み寄って腰掛け、執事と護衛は部屋端に控えた。
 ティーカップに茶を注いだメイドは一礼してすぐに下がり、端へと控える。
「で、一体どうしたのだ。至急話したいこととは」
 両親は笑顔を崩さないが、侯爵の顔色は悪い。
 覚悟を決めたように深呼吸をし、顔を上げた。
「本日付けで法務大臣の職を解かれました」
「…は?」
「…え?」
 両親は首を傾げ、ついで互いに顔を見合わせ、聞き間違いかと問い返す。
 侯爵は首を振った。
「勅命により、法務大臣の職を解かれました」
「…な、なぜ…?」
「…そんな…」
 がちゃん、と、父の手から空になったティーカップがテーブルの上に落ちた。
 陶器はテーブルの上で跳ね、角をぶつけながら床へと転がる。
 派手な音がして砕けたのだと知れたが、誰も動かなかった。
 侯爵の執事が、破片を拾おうと動きかけたメイドを止めていた。
「…王は、建国以来王家に忠実に仕えてきた貴族家よりも、名誉騎士を重用されています」
「…なんだと…」
「我が家が気に入らないようです。名誉騎士の娘の冒険者ランクに不審な点があると指摘した我が家は疎まれ、大臣職を解くと」
「…なんということだ…」
「その娘の不正は証明されなかったの?」
「マーシャが証人として付き添いましたが、王太子殿下を筆頭にひどい扱いをされ、傷ついて帰って参ったのです…」
「そんな、王家がそんなこと」
「…それで、おめおめと受け入れて引っ込んだのか」
「もちろん反対致しました!ですが勅命である、の一言で、私は王宮を追い出されたのです!」
「なんと横暴な…そのようなことが許されていいはずがないではないか!」
「ええ…ええ…」
 父の言葉に頷いていた母が、はっと何かに気づいたように顔を上げた。
「待って。確かセシルとマーシャの冒険者ランクが剥奪されたと聞いたけれど…もしかして…?」
 侯爵は悲しみに眉を顰めながら、頷いた。
「上位の貴族家ならばどこでも行っている方法を取ったのです。…セシルはロバート殿下と行動を共にしていたこと、やり方が強引過ぎたことで王太子殿下に制裁を下されました」
「…なんと」
「マーシャは…?」
「契約書を交わしていたにも関わらず、漏らしたのです。裏切られました」
「まぁ…!」
「どこの家の者だ!侯爵家として、裏切りなど許してはならんぞ!」
「ドレイサー男爵家です。援助してやったにも関わらず、恩知らずな」
「…その家のことはこちらでなんとかしよう。だが大臣職を一度失ってしまっては、他家が黙ってはおらん」
「ええ…我が家を陥れようと手を打ってくるかもしれませんわ」
「問題は王家だ。王家が我が家を潰そうとしているのではないのか?」
「あなた…!?我が家は建国以来の名家ですのよ!?忠実に仕えて来ましたわ。かつては降嫁も、我が家から王妃も出した家系ですのに」
 父は侯爵を見た。
「王家の不興を買うようなことはしておらんだろうな?」
 侯爵は即答する。
「しておりません。全ては名誉騎士を重用しておられる王が、平静を欠いておられるのです」
「全く…あの名誉騎士が厄介な所は、出自が不明な平民ではなく、侯爵家の人間だということだ。うかつに手を出せぬ」
「けれど、名誉騎士と実家のメルヴィル侯爵家とは絶縁状態と聞いておりますわ。名誉騎士の明確な後ろ盾は、王家のみと言う話です」
「そうなのか…?ならば侯爵家と話を付ければ、名誉騎士をどうにかすることも可能か」
 父と母の会話に、侯爵は頭を下げた。
「父上、母上。私の力が及ばないばかりに、申し訳ありません」
「…勅命ならば、どれだけ訴えようとももはや決定は覆るまい。冒険者の地位向上等と小賢しい。傭兵として使うだけ使っておけばいいものを。名誉騎士に、全ての騎士よりも上の地位を与えたことすら許し難いというのに」
「かの男爵家にはスパイとなる者を送り込んでおり、定期的に報告を受けております。今はまだ決定的な弱みとなるものはないようなのですが」
「なければ作ればよかろう」
「それが、名誉騎士と息子はメイドに興味を示さず、その妻と娘は使用人の男に興味を示しません。外出先も不明な場所もなく、酒場に出入りすることもなければ繁華街に出入りすることもありません」
「周囲を買収できないのか」
「名誉騎士に同僚はおりませんし、息子は学園では王太子殿下と行動を共にしており、週末は妹とダンジョンへ赴いております。妹は隙間なく講義を詰め込んでおり、欠席はありません。帰宅するまで一人きりでいる時間といえば移動くらいのものだそうです。帰宅は兄と共に行い、一人になることはありません。一人になる時間があるのは妻のみ、という有様ですが、仕事中は結界を張って誰も中に入れないようにしているとか」
「魔術師団の顧問だったな」
「はい。魔術師団から訪ねて来ることはないようです。妻が自ら週に一度か二度、魔術師団へと赴きますが、他に寄り道することもなく、真っ直ぐ帰宅しているようです」
「…夜会や茶会にもほとんど参加しないようですわね。娘が最近になって、上位貴族の茶会に参加するようになったとか」
 母は領地に籠っているとはいえ、転移装置のおかげで王都にいる友人の茶会や夜会には参加している為、情報は古くないのだった。
「なんとつまらぬ一族なのか」
「攻め倦ねている、というのが正直な所です」
 誰かに愛人でもいれば、そこを突いて崩すこともできるのに、どいつもこいつも品行方正を絵に描いたようなつまらない連中であった。
 夜会にも参加しないので、男も女も近づけようがないのだ。
「…娘の友好関係にある貴族家を、調べてみます」
「娘の?」
「同じ貴族家ならば、筆頭侯爵家の我が家に逆らえる家は少ない。公爵家くらいのものです」
「一番崩しやすいのは娘の周辺というわけだな。確かに…」
「あなた。最終的に男爵家を潰すのですか?」
「ん?」
 父に尋ねる母は、何かを考えるような顔をしていた。
「名誉騎士を失脚させ、男爵家をお取り潰しにし、我が家は筆頭侯爵家として再び王家を支えていく、ということで、よろしいんですの?」
「王家の方から助けてくれ、と言わせて見せねば気が済まぬな。そうだろう?」
 父に言われ、侯爵は頷いた。
「はい。あの王に頭を下げさせたく思います」
「ははは。その意気だ。我が侯爵家を虚仮にしてくれた借りは、返さねばならん」
「はい。父上」
「…領地に引きこもって楽な隠居生活をしていたのだが、少し表に出て行くことにするか」
「お手数をおかけして申し訳ありません」
「家の為だ。おまえも全力で当たれ」
「はい」
「わたくしも茶会や夜会にもっと積極的に参加しようかしら」
「それがいい。ご夫人方の情報網は侮れん」
「そうですわね」
 ホホホ、と扇を口に当てて優雅に笑う母が頼もしく、侯爵は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。可愛い息子の為ですものね」
 家族仲は悪くない。むしろ、良かった。
 今まで協力して困難に当たって来たのだった。
 今回も上手く行く。
 侯爵は両親の優しさに、感謝するのだった。
 
 
 
 
 
 七月最終日、試験の返却と結果発表があり、各学年上位十名までは掲示板に張り出されることになっていた。とはいえ、掲示されているのはSクラスの生徒ばかりである。
 サラ、ジャン、ミリアムの三名は入学時と順位は変わらず、二学年、三学年もまた順位の変動はなく、そのまま夏期休暇へと入ったのだった。
 八月一日、兄はサラを伴って魔術師団へと向かった。
 騎士団と並んで我が国を支える二大組織とあって、王宮正面から見て西に位置する本部は、尖塔を備えた高層建築がいくつも連なる、大きな建物となっていた。
 受付で名前と用件を述べしばし待てば、すぐに案内役の団員がやってきた。
 魔術師団員は足首まである長衣を纏う。
 中央で止めるリボンの色で階級を表し、黒が最上位、白が最低位となっていた。
 色が濃いほど上位ということであり、案内役の若い男は黄色のリボンをつけていた。
 長い廊下を歩き、途中薬草園や温室などを通り過ぎた。
 いくつもの尖塔は一つが書庫、一つが訓練場、一つが職員の勤める職場となっている。それらをつなぐ通路の間に薬草園や温室があり、会議室があり、食堂があって、使用人達の宿舎があり、団員の独身寮があるのだった。
 ずいぶんと広いな、と思いながらサラは兄と並んで歩き、着いた場所は副団長の執務室であった。
 案内役の男はドアをノックして、返事を待ち扉を開けた。
「どうぞ、お入り下さい」
「ありがとうございます」
 兄が礼を言って中へと入る。サラも後に続いた。
 執務机から立ち上がった副団長を、サラは初めて見る。
 一見すると三十代前半と言ったところだが、実際の年齢は不明であった。
 四十代かもしれない。
 穏やかな笑みを浮かべて歓迎の意を示す副団長は、上位貴族の雰囲気があった。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞおかけ下さい」
「失礼致します」
 兄妹は並んでソファへと腰掛け、向かいに副団長が腰掛ける。
 すぐにティーカップが並べられ、扉が開いて団員が二人がかりで豪華な盆に二冊の本を載せて歩いて来る。
「こちらが、ご希望頂いていた魔法書になります。ご確認下さい」
 手袋をした団員が、捧げ持つように一冊ずつ兄に手渡す。
 一冊はサラに持たせ、兄は一冊をめくって中を軽く確認していく。
「写すことはできません。ランクに到達していない者が中を読むことは適いません。譲渡も不可能となり、所持者の死後、この本は失われます」
「…厳重ですね」
「それだけ貴重な内容である、とご理解下さい。内容をご確認頂き、間違いがなければ今この場で、所持者となる方の魔力を通して頂きます」
「…わかりました」
 サラが持っていた本と交換し、中を開いて確認をする。
「問題なさそうです」
「ではこちらの引換証にサインと、魔力をお願い致します。その後、本の留め金部分にも魔力をお願い致します」
 引換証、という呼び名ながら、魔水晶でできた透明な板に文字が刻まれていた。
 この板だけでも相当な金額がするものである。
 これにサインと魔力を通し、永久に保管するという話であった。
 兄はサインと魔力を通し、二冊の本は兄の所有物となったのだった。
「このたびはお取り引き頂き、ありがとうございました」
 副団長が頭を下げ、兄もまた頭を下げた。
「いえ、貴重な本を分けて頂き、ありがとうございます」
 取引が完了したことで、部屋には安堵の空気が流れた。
 一冊で屋敷が建つ程の価値ある本だ。取り扱いには細心の注意が必要だったに違いない。
「この魔法書は、我が国の国民でなければ所有資格がありません。例えどれだけ冒険者ランクが高くとも、所持している方は少ないのです」
「そうなのですか」
「原本から写すのも、高位の団員で行います。分散して担当し、中身は決して把握できないようになっております。…その本の全容を知っているのは、所持者以外には、顧問と団長と私くらいとなります。もちろん我々は決して口外は致しません。法外な値段に思われるかもしれませんが、それだけの価値があるものです」
「はい。理解しております」
「…顧問のご子息なのですから、顧問から見せてもらおう、とは思われませんでしたか?」
 素朴な疑問に見せかけた、意地の悪い内容だった。
 サラは無表情を保ったし、兄はにこりと微笑んだ。
「この本は、母が魔獣から得、国へと献上したものです。ならば顧問である母が見せてくれるはずもないですし、こちらから見せてくれと頼むのもお門違いもいい所。資格を得て、自力で手に入れることこそが重要なのだと思っております」
「…そうですか。いや、大変失礼なことを申しました」
 副団長は素直に詫びた。
「あなたから申請書の提出があったと聞いた時、疑問に思ったものでした。顧問に対しても、あなたに対しても失礼な考えであったと、反省したのです。あなたの口から、思っていた通りの言葉が聞けて良かった。顧問も、あなたも、素晴らしい人格者であると思います」
「いえ…母はともかく、私などはまだまだです」
「ご謙遜を。王太子殿下が次期名誉騎士にと望まれるのも、これで理解できました。本日はご足労頂き、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございます」
 両者立ち上がり、握手を交わす。
 サラにも握手を求められ躊躇うが、同じように握手をかわした。
「妹君も優秀な冒険者と伺っております。顧問と同じ道を歩まれるのですか?」
「その予定でおります。母は、私が尊敬する冒険者なので」
「そうですか。頑張って下さい」
「ありがとうございます」
 二冊の本は兄がマジックバッグに収納し、礼を言って部屋を辞した。
 副団長自らが手渡すのか、と驚いたものだが、価値を聞けば納得だった。
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