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45.

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 受付へと戻ると、待たせていた従者とマリアがソファから立ち上がって一礼する。
 案内役の男にここで待てと言われた時、従者は不服そうな顔をしていたが、内容を考えれば当然であった。
 従者やメイドから内容が漏れたら困るからである。
 馬車留めへと歩き出した兄に、従者が馴れ馴れしく話しかけていた。
「本はどうされたんです?」
「……」
「今日は王太子殿下のもとへは行かれませんので?」
「……」
 兄は全く相手にしていなかった。
 マリアは黙ってサラの後ろをついて来る。
 マリアは兄に色目を使うこともなく、日々真面目に仕事をしていた。
 馬車に乗り、王宮を出る。
 我が家は貴族街の中でも平民街寄りの場所にある。
 王宮に近い場所には上位貴族のタウンハウスが並び、平民街に近づくにつれ爵位は下がっていく。
 名誉騎士が騎士爵と共に賜った屋敷であるので、男爵家の並びにあった。
 報償として頂いた屋敷は、今は子爵家となっている貴族の元屋敷で、娘が嫁いだ先が精霊王国にある精霊教会本部の大神官の家であった。
 我が国にある精霊教会の大神官は、その娘の夫が務めている。
 各国の精霊教会の大神官の地位は、上位貴族に匹敵する扱いとなる為、釣り合いが取れるよう、男爵家は子爵家に陞爵したのであった。
 元々精霊王国で好まれる最上絹糸の産地であり、男爵家は豊かであった。
 精霊王国へ娘を留学させる余裕があったのである。
 ゆえに屋敷は立派で、敷地も広い。
 男爵家の並びにあっても目立つ程に。
 だが王宮からは距離がある。
 大通りを走り、上位貴族と下位貴族の住まいを隔てる川を渡れば、森林があった。
 森と行っても国立の、森林公園である。
 管理されており、魔獣は出ない。
 自然をそのままの形で残すことで、冒険者ギルドの採集場所にも使われている場所であった。
 小高い山があり、崖があり、川がある。
 森があって、草原がある。
 キャンプ場もあり、博物館や美術館もあった。
 貴族街に住む者達が気軽にキャンプを行える場所となっており、山へと行けば騎士団員が自主訓練としてよく走り込みをしている場に出くわしたりもするらしい。
 整備された道の両脇に、草原と森が広がる。
 至る所に分かれ道があり、道を入ればすぐ店があったり牧場があったりするので、通常であれば危険はない。
 だが曲がりくねった道は、視界が開けている場所ばかりではなかった。
 背の高い木が立ち並ぶ、林はいくつも乱立していた。
 そんな道を通りがかった時、御者のくぐもった呻き声が聞こえた。
「…お兄様、今」
「ああ、静かに。確認する」
 声をかけた時には、兄はすでに立ち上がり、御者との間にある小窓を薄く開いていた。
 すぐに閉め、兄はサラへと視線を向ける。そして小声で報告をした。
「御者は意識を失っているようだ。隣に男がいる」
「…森の中に入る気かな」
「目的がわからんが、森を抜けたら住宅街。襲うなら森しかないな」
「馬車で進める場所で崖や川は行けない。どこかで止めるとしたらキャンプ場かな」
「それくらいしかないな」
 二人視線を合わせて、頷き合う。
 Aランク冒険者が多数襲って来たら勝ち目はないが、賊程度であれば脅威ではない。
 後は馬車が止まり、敵の戦力を確認してからの作戦となる。
 兄とサラは座り直し、先程までと変わらぬ態度で窓の外を見る。
「…お二人とも、冷静すぎません…?」
 従者が呟くが、二人は無視した。
 マリアは黙っているが、膝の上に置いた両手が震えていた。
 サラは気づき、マリアに向かって笑いかける。
「マリア、大丈夫。お兄様は強いから、任せておけばなんとかしてくれるわ」
「…は、はい。サラ様はわたくしがお守りします」
 表情こそ大きく変化はなかったが、両手を握りしめ、覚悟を決めた瞳でマリアが言う。
 サラは目を瞬き、マリアの両手の上に手のひらを乗せた。
「ありがとう。嬉しいわ。でも私も冒険者だから、戦える。いざという時には任せてね」
「ご無理はなさいませぬよう。ご両親が、悲しまれます」
「ええ。無事に帰りましょうね」
 にこりと笑みを向ければ、マリアは少し緊張が解れたようだった。
 横道に逸れてからしばらく木々の中を走り、止まった先はやはりキャンプ場の馬車留めだった。
 上位貴族も利用するキャンプ場は、冒険者の野営を模して宿泊できるというもので、馬車留めから整地された道を歩き、小高い丘には隣人とは接しなくて済む程度の間隔を置いて小さな林が目隠しとなり、王侯貴族が遠征の際に利用するような立派なテントが並ぶのだった。
 今の時期は領地へ帰る者が多く、テントはほとんどなかった。
 利用者のいないキャンプ場は、単なる林に囲まれた僻地である。
 カーテンを閉めた馬車の中から静かに外の様子を窺うと、空は暮れかけてはいたが、周囲を見渡すことはできた。
 静かだった外に、複数の人の気配がしてサラは兄を見やる。
 外を見ていた兄は、にやりと口角を引き上げた。
「俺一人で対処できそうだ。サラはここでマリアといなさい」
「気をつけて」
「うん」
 カーテンを引き直し、兄は座席へと座り直した。
「え、外に出ないんですか?」
 不安そうに声をかける従者に、答える者はいない。
 外の気配がざわついていた。
 いつまでたっても馬車の中から反応がない為、戸惑っている様子であった。
 敵はたいしたことないな、と、サラは思う。
 油断はしない。
 しないが、この程度で動揺するようでは強さもたかが知れている。
 いつでもマジックバッグから武器を出せるように準備だけはして、時を待つ。
 しばらくして、馬車の扉が叩かれた。
「引きずり出されたくなければ、出て来い!」
 荒々しい音と共に、ダミ声がかけられた。
 馬車に記されたバートン男爵家の紋章を見てなお襲いかかって来るのであるから、覚悟はできているのだろう。
 兄が従者に声をかけた。
「開けろ」
「えっ俺がですか!?」
「二度言わせるな」
「いや、そんな。開けた瞬間ぶすり、ってやられたらどうするんですか!」
 小声で反論してくるが、兄は聞く耳を持たない。
 冒険者であったという癖に、この小心ぶりはなんなのだろうか。
 マリアですら、サラを守ると震えながらも宣言してくれたというのに。
 サラの隣に座るマリアは、全身を細かく震えさせながらも、身体を乗り出してサラを背に庇うようにして、扉から遠ざけようとしてくれている。
 かたや従者は完全に兄に任せる気満々であった。
 誰も従者を庇わないし、動かない。
 扉が再度、叩かれた。
「オイ!!ぶっ壊すぞ!!」
 強めに叩かれ、馬車が揺れた。
 別に壊されても構わない。
 どうせ賊を倒して、騎士団をここに呼ばねばならないのだから。
 兄もサラも割り切っており、従者が開けるまで平然と腰掛けていた。
 マリアはきっと従者を睨みつけ、震える声で言った。
「主の命を聞けないのならば、従者の資格はありません。屋敷に戻り次第、執事様に報告致します」
「そんな」
 さっさと扉を開けろと、言ったのだった。
 マリアの毅然とした態度に感心した兄とサラは互いに視線を交わしたが、従者は狼狽えていた。
 役目を放棄したがっているが、誰も従者を庇わない。
「…死んじまったら何にもならねぇだろうが…」
 ぶつぶつと言いながらも、諦めて従者が立ち上がった。
 扉に手をかけ、押し開ける。
 瞬間、兄が従者の背中を蹴り出した。
「ぅごっ…!!」
 奇妙な呻き声を上げながら従者が落ちていき、外で叫んでいた賊へと正面からぶつかった。
 武器を抜いた兄は正面を見つめたまま「扉を閉めろ」と言い残し、外へと飛び降りて行く。
 即座に動けなかったマリアの肩に手を置いて隣をすり抜け、サラは扉を閉めた。
 閉める瞬間見えた光景に、笑いそうになる。
 反応できなかったのは賊も同様であった。
 飛び降りた兄は一瞬でその場を制圧しており、遠巻きにしていた賊は今ようやく武器を構えようとしていた。
 遅いな。
 サラは思いながら、再び座席へと腰掛けた。
 不安そうに見つめてくるマリアの視線を正面から受け、微笑む。
「大丈夫。すぐ終わるからね」
「サラ様…」
 未だ震えるマリアの両手を取って、軽く握り込む。
「まさか直接狙う、なんて愚行は想像していなかった。こんなことはそうそうあることじゃないけれど、怖かったわよね。ごめんなさい」
「い、いえ、」
「早く片づけて帰りましょうね。もう少し、我慢してね」
「は、はい、サラ様」
 外では怒号と、剣を交わす音、地面に倒れる音が聞こえて来る。
 賊の数は十人程であった。
 護衛も連れていない貴族子女を襲うには十分すぎる数であったが、兄を襲うには少なすぎた。
 目的は何なのだろうか。
 少なくとも、ここで待ち伏せできるということは、兄妹が今日王宮へ行くことを知っていた者が漏らしたのだった。
 従者を蹴り出したのは、その可能性に兄も気づいたからに違いない。
 賊と共犯であった場合、馬車内で暴れられたら面倒だからだ。
 やがて外が静かになり、扉をノックされたのでサラが立ち上がろうとしたが、落ち着いた様子のマリアがそれを制して立ち上がり、カーテンを少し引いて外の人物を確認していた。
 すぐに扉を開ければ、そこには兄と、ふてくされた様子の従者が立っていた。
「終わったよ、サラ」
 兄が声をかけ、サラは頷く。
「騎士団へは?」
 問えば、兄は従者を見やった。
「賊が乗ってきた馬を使っていい。詰所へ通報を」
「…俺がですか?」
「他に誰がいる?」
「いや、クリストファー様自身が行くとか…」
「おまえがここに残って何をする?サラと置いていけと?冗談はその態度だけにしろ」
「な…」
「さっさと行け。二度言わせるな。…この台詞も、何度も言わせるな。不快だ」
「……」
「逃げたければ逃げても構わんぞ。貴様が首謀者として指名手配だ」
「はっ!?な、なにを、俺は、何も関係ないっ!!」
「ならば無駄口を叩かずさっさと行け。時間の無駄だ」
「ぐっ…」
 従者は悪態を付きながら、馬に乗って去っていった。
 命令の仕方が王太子殿下に似ているな、と思いながらもサラは兄の手を借りて馬車を降り、マリアも降りようとするので止めようとしたが、頑として聞き入れなかったのでマリアも馬車から降ろす。
 マリアはサラにぴたりとついて、周囲を見回していた。
 空は暗くなってきており、マリアは馬車のランプを灯し始めた。
 兄は賊の手足を縛り上げて馬車の側へと引きずってきており、サラは御者へと近づいた。
 すでに手遅れかと覚悟していたが、気を失っているだけのようで安堵しながら回復魔法をかける。
 呻き声を上げて御者が目を覚ましたので、サラは簡単に事情を説明した。
 御者は慌てて起き上がり、馬車を降りて兄へ頭を下げて不手際を詫びていた。
「いや、これは仕方がないよ。無事で良かった」
「まさか、名誉騎士様のご家族を襲う輩がいるなど…」
「そうだね、俺も予想外だった。しかもこの程度の戦力だしね…」
 縛り上げられ意識を失った賊が転がる地面を眺め、兄は呆れたようにため息を付いた。
 サラは兄に近づく。
「賊は目的を言った?」
 問えば、兄は肩を竦めて見せた。
「すまん、何か喋る前に全員倒しちゃった」
「ならしょうがないね。騎士団にお任せかな」
「そうだな。…身なりを見るに雇われたんだろうな」
「うん…」
「同情の余地はない。俺やサラだから問題なかったが、これが普通の貴族子女なら大惨事だぞ」
「護衛もいないしね」
「護衛がいてもこの人数だと厳しいかもしれん」
「そうだね…」
「場所を移動してゆっくりしたい所だが、こいつらが邪魔だし早く騎士団来ないかな」
 兄がぼやき、賊を忌々しげに見下ろした。
「ここから詰所まで、馬で走ってもしばらくかかりそうだね。もう真っ暗になりそうだし…ああ、お兄様、ここにテーブルとイスを出して」
「ん?」
「ランプとお茶を出して、マリアと御者さんにも座ってもらおう」
「ああ、そうだな。突っ立っていても疲れるだけだ」
 マリアと御者が戸惑うが、兄は構わずテーブルとイスを出し、テーブルの中央にランプを置けば、馬車の明かりとテーブルの明かりで視認性はずいぶんと上がったのだった。
 夜のティータイムとしゃれ込むにはちょうどいい。
 マリアと御者にも座るように勧めると最初二人は固持したが、兄がゆっくりしよう、と声をかければ諦めたようにイスに腰を下ろす。
 サラはティーカップとポットを出し、マリアが「わたくしが」と声を上げるので注ぐのは任せる。
「家に帰ったら夕食だけど…何か食べておいたほうがいいかな」
「俺は腹減ったぞ。労働したからな」
「じゃぁお兄様には軽食を。私達は少しお菓子を頂きましょうか」
 皿を出して兄にはチキンサンドを、サラ達用に一口で食べられるクッキーを並べた。
「さすがサラ」
 褒める兄に笑みを向け、驚いて固まっているマリアと御者に笑いかけた。
「出来立て新鮮だし、料理長に作ってもらったものだから大丈夫。…ほら、お兄様も食べているから安心してね」
 兄を見れば、すでにサンドは半分になっていた。
「美味いぞ」
 兄が頷き、マリアと御者もクッキーを手に取った。
「…サラ様とクリストファー様は、物が出てくる不思議な何かをお持ちでいらっしゃるのですね」
 マリアが感動したように言い、御者も同じく頷いていた。
「冒険者として活動していると、どうしても荷物が多くなるでしょう?それらを収納しておけるバッグを持っているの」
「そうなのですね…驚きました」
 マリアと御者はおっかなびっくりといった様子で茶とクッキーを口にしたが、すぐに驚いたような顔になり、そして美味しいと言いながら食べ始めたのでサラは安堵した。
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