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真実の愛の裏側
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宝石姫は手を口にあてて、
「まさか! 殿下がそのようなことを……信じられません」
「貴女が王家の婚約者にふさわしくないふるまいをした、という口実で婚約を破棄し、あの男爵令嬢をあとがまにすえるはかりごと、ということです」
「殿下はそこまでして、あの方と……よほど愛していらっしゃるのですね」
「あの方などと言う必要はありませんよ。牝狐で十分。なんせアレはナバーラが送り込んだ密偵ですから」
ナバーラはアルビジョンの西の国。300年以上前にアルビジョンから独立した国です。
「え……ですが、貴方への手紙でも書きましたが、王家でも身元は念入りに確かめたのですよ」
「あの女だけを調べてもわからないはずです。身元はしっかりしている。男爵家の娘なのは間違いないのですから」
「どういうことなのですか……?」
「あの男爵家そのものが、こちらに送り込まれた密偵だったのです……200年前にね」
宝石姫は思わず、という感じで眼を見開きました。
「そんなに古くから……」
「貴女の手紙を読ませていただいて、これは何かあるなと手を尽くして調べたのですよ。方々の国へ人を送りもしました。ずいぶんと手こずりました」
黒の貴公子は苦笑しました。苦笑さえも高貴です。
「あの牝狐にはなんの後ろ暗いところも見つからず手が尽きたところで、ふと、何かの本で読んだのを思い出したのです。昔、一族まるごと仕込まれた密偵というのがあったと」
「なんとおそろしいことでしょう……王太子殿下はだまされたのですね」
「いや、赤毛の阿呆はだまされたふりをしたのですよ。正しくは、ロタール王が……凡庸な老人だと思っていたのですがね」
その言葉には、王家に対する敬意はひとかけらもありませんでした。
「国王陛下が……ですが、陛下はわたくしのことをそれはそれは大切にしてくださっておりました……そんな……単にご存じなかっただけなのでは」
「確かに、今の王家ではあの牝狐の秘密を調べる力がなかったかもしれません。もはや『王家の牙』はひとりとして生き残ってはいないでしょうから」
『王家の牙』。それは、王家に代々仕えると噂される密偵の一族のことでした。
「だが、そもそも最初から調べる気などないとしたら? これを王家がいい機会だととらえたとしたら?」
「いい機会とはどういう意味でしょうか?」
「この国でいちばんの豊かな貴女のご実家を潰し、王家の力を取り戻すよい機会だということです」
宝石令嬢は息を呑み。まさか、という風に首を振りました。
「陛下も殿下もそこまでおそろしい方では」
「ご存じなかったようですね。貴女が王都から追放されたその日のうちに、王都にいた貴女の一族がすべて捕縛されたのを」
令嬢は胸を強く突かれたように息を呑み、
「……すべて、でございますか」
「すべて、です。逃亡を試みたものも、すべてです。そして」
黒の貴公子は言葉をいったん切り、続けます。
「隣国や蛮族と密かに手を結び、許可なく大規模な交易をしていたこと。さらに不法に兵を募っていたことをもって反逆とみなし。一族鏖殺、領地も財産も王家に没収されました」
「……そう、ですか」
「即位40年の式典を大規模に行ったのも、そのために外国から無頼の徒を雇ったのも、赤毛の阿呆の火遊びを黙認していたのも、このためであったのでしょう」
男の目は、敵の軍略を推測する眼をしておりました。
「つまり、あの老人は賭けに出たのですよ」
「賭けとは……」
「次の代はあの赤毛の阿呆だ。王家のさらなる衰退は目に見えている。近い将来、貴女の御実家に簒奪されかねない。であれば、自分が生きているうちに王家を強くするしかないと」
「陛下も、追い詰められていらっしゃったのですね」
「貴方の御実家を潰す手際は素晴らしかった。こちらの証拠は完璧でしたし、あの無頼どもも無駄なく動かしてみせた。人は見かけによらない」
その声には少しだけ賛嘆が混じっていました。
「ですが、多かれ少なかれ、貴族達はみな同じような行為をしているではないですか。その証拠を集めるなど簡単ですわ」
「その通り。つまり誰もが言い逃れの出来ぬ反逆の罪をもって殺される危険がある。そういうことです」
「それは貴方も」
黒の貴公子はうなずきます。
「次は自分の番かも知れないという恐怖ゆえに、貴族達はふたつの道のどちらかを選ぶしかない」
かたちのよい指が、しなやかに折りまげられます。
「ひとつは、貴方のご実家の富を得て一気に強大となった王家に屈する道」
さらにもういっぽんが折りまげられます。
「もうひとつは……兵を挙げ。立ち向かうかです」
「貴方はそちらですわね」
目の前の男に反逆の意志があると指摘しているにも関わらず、その声に恐れはありません。
「貴女と貴女のご実家に対するロタール王の理不尽なふるまいゆえ、やむを得ず立ち上げるのです」
男の言葉はどこか楽しげです。これから先の展開にみじんも不安を抱いていないようでした。
「今、我が手元には領地の兵の半数4千と隣接するいくつかの辺境伯の兵を合わせて、合計8千。王都へ進軍するにつれおいおい増えるでしょう」
「ですが、わたくしの実家の兵は4万はあったはずです。王家の兵と合わせれば4万5千。それに全ての貴族が貴方につくわけではないでしょう」
「赤毛の阿呆の真実の愛とやらの相手が、隣国の密偵だったと内々に報せたら。貴族達はほぼ全て日和見になりましたよ」
「それでも4万5千いますわ」
「4万のうち何割が、主家を潰した王家のためまともに戦うでしょうか? 数が5倍だったとしても恐るるに足りません」
虚勢ではありません。10年前、黒の貴公子は僅か5000の兵で3万の蛮族を打ち破ったのですから。
「……なにごともなければ貴方が勝つでしょうね」
「まさか! 殿下がそのようなことを……信じられません」
「貴女が王家の婚約者にふさわしくないふるまいをした、という口実で婚約を破棄し、あの男爵令嬢をあとがまにすえるはかりごと、ということです」
「殿下はそこまでして、あの方と……よほど愛していらっしゃるのですね」
「あの方などと言う必要はありませんよ。牝狐で十分。なんせアレはナバーラが送り込んだ密偵ですから」
ナバーラはアルビジョンの西の国。300年以上前にアルビジョンから独立した国です。
「え……ですが、貴方への手紙でも書きましたが、王家でも身元は念入りに確かめたのですよ」
「あの女だけを調べてもわからないはずです。身元はしっかりしている。男爵家の娘なのは間違いないのですから」
「どういうことなのですか……?」
「あの男爵家そのものが、こちらに送り込まれた密偵だったのです……200年前にね」
宝石姫は思わず、という感じで眼を見開きました。
「そんなに古くから……」
「貴女の手紙を読ませていただいて、これは何かあるなと手を尽くして調べたのですよ。方々の国へ人を送りもしました。ずいぶんと手こずりました」
黒の貴公子は苦笑しました。苦笑さえも高貴です。
「あの牝狐にはなんの後ろ暗いところも見つからず手が尽きたところで、ふと、何かの本で読んだのを思い出したのです。昔、一族まるごと仕込まれた密偵というのがあったと」
「なんとおそろしいことでしょう……王太子殿下はだまされたのですね」
「いや、赤毛の阿呆はだまされたふりをしたのですよ。正しくは、ロタール王が……凡庸な老人だと思っていたのですがね」
その言葉には、王家に対する敬意はひとかけらもありませんでした。
「国王陛下が……ですが、陛下はわたくしのことをそれはそれは大切にしてくださっておりました……そんな……単にご存じなかっただけなのでは」
「確かに、今の王家ではあの牝狐の秘密を調べる力がなかったかもしれません。もはや『王家の牙』はひとりとして生き残ってはいないでしょうから」
『王家の牙』。それは、王家に代々仕えると噂される密偵の一族のことでした。
「だが、そもそも最初から調べる気などないとしたら? これを王家がいい機会だととらえたとしたら?」
「いい機会とはどういう意味でしょうか?」
「この国でいちばんの豊かな貴女のご実家を潰し、王家の力を取り戻すよい機会だということです」
宝石令嬢は息を呑み。まさか、という風に首を振りました。
「陛下も殿下もそこまでおそろしい方では」
「ご存じなかったようですね。貴女が王都から追放されたその日のうちに、王都にいた貴女の一族がすべて捕縛されたのを」
令嬢は胸を強く突かれたように息を呑み、
「……すべて、でございますか」
「すべて、です。逃亡を試みたものも、すべてです。そして」
黒の貴公子は言葉をいったん切り、続けます。
「隣国や蛮族と密かに手を結び、許可なく大規模な交易をしていたこと。さらに不法に兵を募っていたことをもって反逆とみなし。一族鏖殺、領地も財産も王家に没収されました」
「……そう、ですか」
「即位40年の式典を大規模に行ったのも、そのために外国から無頼の徒を雇ったのも、赤毛の阿呆の火遊びを黙認していたのも、このためであったのでしょう」
男の目は、敵の軍略を推測する眼をしておりました。
「つまり、あの老人は賭けに出たのですよ」
「賭けとは……」
「次の代はあの赤毛の阿呆だ。王家のさらなる衰退は目に見えている。近い将来、貴女の御実家に簒奪されかねない。であれば、自分が生きているうちに王家を強くするしかないと」
「陛下も、追い詰められていらっしゃったのですね」
「貴方の御実家を潰す手際は素晴らしかった。こちらの証拠は完璧でしたし、あの無頼どもも無駄なく動かしてみせた。人は見かけによらない」
その声には少しだけ賛嘆が混じっていました。
「ですが、多かれ少なかれ、貴族達はみな同じような行為をしているではないですか。その証拠を集めるなど簡単ですわ」
「その通り。つまり誰もが言い逃れの出来ぬ反逆の罪をもって殺される危険がある。そういうことです」
「それは貴方も」
黒の貴公子はうなずきます。
「次は自分の番かも知れないという恐怖ゆえに、貴族達はふたつの道のどちらかを選ぶしかない」
かたちのよい指が、しなやかに折りまげられます。
「ひとつは、貴方のご実家の富を得て一気に強大となった王家に屈する道」
さらにもういっぽんが折りまげられます。
「もうひとつは……兵を挙げ。立ち向かうかです」
「貴方はそちらですわね」
目の前の男に反逆の意志があると指摘しているにも関わらず、その声に恐れはありません。
「貴女と貴女のご実家に対するロタール王の理不尽なふるまいゆえ、やむを得ず立ち上げるのです」
男の言葉はどこか楽しげです。これから先の展開にみじんも不安を抱いていないようでした。
「今、我が手元には領地の兵の半数4千と隣接するいくつかの辺境伯の兵を合わせて、合計8千。王都へ進軍するにつれおいおい増えるでしょう」
「ですが、わたくしの実家の兵は4万はあったはずです。王家の兵と合わせれば4万5千。それに全ての貴族が貴方につくわけではないでしょう」
「赤毛の阿呆の真実の愛とやらの相手が、隣国の密偵だったと内々に報せたら。貴族達はほぼ全て日和見になりましたよ」
「それでも4万5千いますわ」
「4万のうち何割が、主家を潰した王家のためまともに戦うでしょうか? 数が5倍だったとしても恐るるに足りません」
虚勢ではありません。10年前、黒の貴公子は僅か5000の兵で3万の蛮族を打ち破ったのですから。
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