或いはソレが生きていると仮定して。

三嶋トウカ

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ひとつめ

接触_2

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 せっかくだから、私はこの学校に七不思議を作ることにした。入学してから今まで、この学校に七不思議があるとは聞いたことがない。初めての七不思議を作って、それが後世にも語り継がれたら、私も生きていた価値があるかもしれないと思えるからだ。文化棟の幽霊はその第一不思議になるはずで、残り六不思議ネタを作らなければならない。

 彼を怖い話の渦中へ入れるのはやめた。そんなことをしたら、本当に悪い存在になってしまいそうだったから。だからちゃんとした話を作るつもりだが、彼の話はそれほど怖くないと思っている。

 そんな訳で、私が文化棟資料室の整理について知ったのは好都合で、堂々と文化棟へ侵入する権利を手に入れたのだ。彼と話ができる。

「ねぇ、ずっと聞きたかったんだけど」
「何?」

 彼は埃まみれの部屋を換気するために、建て付けの悪い窓を開けた。カタカタキィキィと音を立てて、ようやく開いた窓は、網戸もなくちょっと身を乗り出したらそのまま下へ落ちそうだ。

「アナタには名前はないの?」
「名前?」
「うん。何ていうか、呼びづらくって」
「あぁ、そういうこと」

 影は納得したようで、ウンウン頷いていた。その表情までわかる気がする。

「名前はないよ」
「えっ、ないの?」
「うん。だって……うーん、自分がどうしてここにいるのかもわからないし、今こうやって話をしているから、元々人間だと思ってるけど。本当にそうなのかもわからないし」
「まだわからないんだ」
「……そうだよ。まだわからない。だから、そうそう。名前があるかどうかわからないんだ」

 影は不思議だった。人間ではないナニカが喋っている時点で不思議も不思議なのだが、よくある悪意のようなものを微塵も感じなかったのだ。

 確かに、初めて言葉を交わしたあの日、影はなにも知らないような口ぶりだった。自分に関して。それは今も変わらないようで、もっぱら私たちの会話は、世間話と私の趣味、そしてこの学校についてだった。

「名前、付けちゃダメ?」
「それは……ダメだね」

 アッサリバッサリ断られた。

「どうして?」
「一依は……一依は怖くないの?」
「私はアナタのこと怖くないよ?」
「それはわかってる。あー、いや。そうじゃなくて。俺って、一依にとって得体の知れないモノだよね?」
「うん」
「得体の知れないモノに名前を付けるって、怖くない?」
「えっ、なんで?」

 私は純粋にそう思った。だって、影は怖くない。影は怖くないのだから、名前を付けるのも怖くない。むしろ、名前をつけたらもっと気さくに話せる気がして、私はそちらを望んでいた。

「……そういうところ」
「うん?」
「名前を付けるってことは、その存在をこの世に認めるってことでしょう? もし、認めちゃいけないモノに名前をつけてしまったら? 存在を許してしまったら? 何が起こるかわからないよ?」
「アナタは認めちゃいけないモノじゃないと思うけど?」
「……好きだけどね。一依のそういうところ」
「ありがとう?」

 名前については、今まで聞かなかった。困らなかったからだ。だいたい私たちしかいないわけだし、呼ぶにしても『ねぇ』とか『あの』とかで事足りていた。それがなんだか急に、そして無性に『名前をつけなければいけない』だとか『名前を知らなければならない』気持ちに駆られたのだ。それ自体は、怖いと思うべきなのかもしれない。

「アナタが名前を憶えていてくれれば良かったのに。そうしたら、元からある名前だから問題ないっていうことでしょ?」
「それはごめん」
「私だって名前教えたのに」
「安易に教えるべきじゃないんだよ、得体の知れないモノに」
「それは、怖くないから」
「……この話、前にもしたね?」
「だって! ……ねぇ、便宜上でも、ダメ?」
「便宜上?」
「うん。だから、仮称っていうか」
「……それなら、多分?」

 彼自身も、よくわかっていないように見えた。考えている。

「じゃあ、カゲで。私から見たら、影みたいに見えるから。アナタはカゲ。どう?」
「カゲ……か。良いね、気に入った。名は体を表すって言うし?」
「見たまんまでピッタリ」

 ひと笑いして、私は今度こそ資料の整理を始めた。

 乱雑に置かれた紙にファイル。新聞にダンボール。要不要はともかくとして、一旦すべて校舎へ引き上げるらしい。それから、先生たちで中身を確認していくのだと。『生徒一人にこんなことをやらせるなんて』と、親が知ったら文句のひとつでも言いそうな作業だったが、幸い私の親はそんなことしない。彼らのなかで私にそんな価値はない。
 家に帰らない口実にはちょうど良いし――別に帰らなくたって、イライラの捌け口がなくて更にイライラさせるが、別に今更問題にもならない――心配なんてしないから、とくに問題はない。ここにいるほうが家にいるよりも安心する。カゲもいるし。何より、率先してやっているのだ。

「ねぇ、これ整理しながら、どんな残り含めて七不思議にするか考えない?」
「いいよ。むしろ、そっちがメインだ?」
「バレた? ちょうど良い仕事もらっちゃった、資料整理。みんなここへ来たがらないし」
「それは、一依が俺の話をみんなにしたからでしょう?」
「カゲも面白がってたじゃん?」
「だって、面白いんだもん」
「仲間」

 ただ、私は先生にボソッと『文化棟に幽霊が出ると言う話を聞いたが、本当か?』と聞いただけだ。あとはちょっと『学校七不思議があるとも聞いたけど、それも本当か』と続けただけで。そこについたヒレは、私がつけたものじゃない。

「でもさ、そのヒレを使ったら、ちゃーんとした七不思議になりそうじゃない?」
「そうだね。……気になった生徒が、度胸試しに深夜忍び込んだりして」

 そういって、カゲはカッカッカッと笑った。大きな口を開けているように見えた。口はないが。

「じゃあちょっと、作ってみようかな」
「怖いの?」
「ううん、怖くないのにするよ。……カゲのはね」

 私はファイルの中身を確認しながら、七不思議の第一不思議となるカゲの話を頭のなかで練った。彼の話は、ただそこにいるだけの霊の話。しっかりした話はこれから作る。せっかくなので、ヒレは利用させてもらおう。
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