スカイブルーの夏

浅木

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第一話

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 誰にでも毎朝の日課はあると思う。
 オレは、朝の情報番組で流れる占いコーナーを見ること。
 今日はどんな運勢で、何に気をつけたらいいのか教えてくれるから、けっこう参考になるんだ。

 洗面所で歯を磨く準備をしていると、おなじみの音楽がテレビから聞こえて来て、早足にリビングへ向かう。

 オレンジと白で構成されたポップな画面に、2~4位の正座が表示された。歯磨きをしながら、画面に並ぶ正座に目を走らせる。
 表示が切り替わって、5~8位。9~11位。
 どこにもオレの正座がない。ってことは、1位か最下位ってことか。
 心が弾むようなBGMと共に、今日の1位が発表される。

『今日一番ハッピーなのは、かに座のあなた! 思いもよらないところから幸せの種を見つけちゃうかも? 今日のラッキーカラーは……』

 静かにガッツポーズ。たかが占いだって思う人もいるかもしれけど、だからこそ最下位だった時に引きずらないか? 朝イチにちょっと凹むような情報はあんまり聞きたくないしな。

「そら~。佐和くんもう来てるわよ。早く支度しちゃいなさい」

 洗面所に戻って口をゆすいでる間、玄関の方から母さんの声が飛んでくる。

 佐和は、オレの幼馴染で幼稚園からの付き合いだ。何かと一緒に過ごす時間が多くて、かけがえのない親友のようにオレは思ってる。佐和がどう思ってるかはちょっとわかりにくいんだけど……多分、同じように思っててくれてるはず。

 母さんの呼びかけには適当に返事をしてリビングに戻る。テーブルの上にはさっき食べ終えたばかりの食器とランチバックが置かれていた。きっと、オレが歯を磨いてる間に母さんが用意してくれたんだろう。

 ランチバックを鞄の中に入れていると、「忘れてない? お弁当」と声をかけられる。振り向いてみると、廊下から母さんがひょっこり顔を出していた。

「そこまで確認しなくたってもう大丈夫だって」
「せっかく作ったお弁当を忘れられた時の気持ち、あんたにわかる訳ないものね」
「その節は、大変申し訳ございませんでした」

 鞄を肩にかけながら、深々と頭を下げる。
 今年だけで2回やらかしてるからな。この件に関してはぐうの音も出ない。本当に申し訳なさしかない。

「わかってくれたならよろしい。ほら、佐和くんが待ってるわよ」

 母さんに背中を軽く叩かれて、せっつかれるように玄関の外へ。
 眩しいくらいの日差しが正面から差し込んできて、思わず顔をしかめる。そんなオレの顔をじっと見つめる涼しげな青い瞳と目が合った。

「おはよ」
「おはよう」

 手の平で日差しを遮りながら、太陽に背を向けるようにして佐和の横に並ぶ。まだ、ギラギラしたエネルギーを背中に感じるけど、真正面から受け止めるよりは何倍もマシだ。

「いつもごめんね、支度が遅くって」
「ううん。俺が勝手に迎えにきてるだけだから、そーちゃんママは気にしないで」

 オレには中々見せないような、柔らかくて可愛い笑顔で佐和が答える。稀に現れるこの笑顔を天使と例える人は数しれず。
 まだ、服のボタンを自分で留められない時から成長を見守ってきた母さんにとって、その威力は計り知れない。瞬く間に骨抜きにされていた。

「佐和くんってほんっとに可愛くて綺麗な顔してるわよね~。こんなに可愛い顔してるから、危ない目に合わないかおばさん心配だわ」

 しみじみと感じ入るような声音で母さんが吐露する。トキメキと庇護欲と母性を掻き立てられてる母親の姿は見るに堪えず、「オレにはそんなこと言わないくせに」と口を挟んでみる。

「あんたはよくも悪くもふつーの顔だからね、私達の子よ」

 母さんの意識がオレに向けられた途端、抜かれたはずの骨が瞬時に再生されて、いつもの顔付きに戻った。
 高校生の息子を見つめる平均的な母の眼差し。間違ってはいないけど、あまりの温度差にちょっとムカつく気持ちもある。

「ふつーで悪かったな! 遺伝だよ。ったく……行こうぜ」

 隣でずっとにこにこしている佐和の腕を軽く引いて、家の前から離れる。

 この辺りは住宅街が続いていて、見渡す限り家、家、家。コンビニも少し離れた通りに出ないとないから、ちょっと不便だったりする。
 街灯はぽつぽつあるけど表通りのような明るさもないから、帰り道は気をつけてってよく言われてたっけ。

「フグみたい」

 独り言のような呟きが聞こえた方に目を向ける。

 段の入った黒髪は首元にかかるくらいの長さで、ミルクみたいに白い肌と中性的な顔立ち。前方を見つめる目元は涼しげなのに大きくて、どこか気高い猫を思わせる。
 それなのに全体から可愛らしさを感じさせるのは、童顔だからだろうか。

 そんな見た目をしてるから、佐和は小さい頃からモテていた。男女年齢問わず、だ。不審者に声をかけられたり、連れ去られそうになったことも何度かあった。
 流石に、今の歳なら不審者に狙われる機会も少ないだろうけど、別々に帰る時はちょっとだけ心配だったりする。そんなことを言ったら口を利いてくれなくなりそうだから、絶対に言えないけど。

 佐和はちらっとオレに視線を向けてきて、すぐに目線を前に戻す。そこに笑顔はなく、ツンとして見える。
 これが通常運転。普段は表情をあまり変えないのに、たまにあんな顔をするからギャップ萌えってやつなんだろうな。

 オレは顔付きも平凡だし、普段からよく笑ってるからギャップ萌えってやつがないんだろうな……あ、いろいろ思いだしたら悲しくなってきた。

「俺は好きだけど」
「え?」

 ぽつりと落とされた言葉に、思わず顔をあげる。もしかして、オレの顔のこと……?

「ふつーの顔」

 僅かに口端を上げながら佐和が付け足す。
 即座に期待が打ち砕かれて、悲しみと共にムカムカが湧いてくる。

「佐和まで言うのかよ! 確かにとくべつ美形じゃないけどさ、オレだって個性ある顔だって。無個性じゃないって!」

 ついムキになって主張したら、「うるさっ」って耳を塞がれてしまった。
 確かに、ちょっと声が大きかったかもしれない。周囲を確認してから謝罪した。

 住宅街を抜けて表通りに出ると、二本の車道に沿ってコンビニや商店、ビルが立ち並ぶようになる。ここの通りは繁華街に行くための動線になってるから、昼夜問わず車通りが多いんだ。

 数分歩いただけでも汗が吹き出て、制服のスラックスを脱ぎたくなってくる。半袖はあるのに、短パンがないのはどうしてなんだろう。

 思考能力が低下してきているのか、そんなどうでもいいことを考えてしまう。

「はぁ~あっつい。今日の四限って体育だっけ?」
「そ」
「よりによって昼時に体育とか地獄すぎだろ」

 自分の手を扇代わりに顔をあおぎながら、頬を伝う汗を拭う。

 7月も半ば。期末テストが終わり、夏休みまで残り一週間。近いようで遠いたのしみを前に、オレのやる気は最底辺に近かった。

 時刻は8時15分。気温は、おそらく30度は越えてる。できるだけ日陰を選んで歩くようにしてるけど、空気自体が暑くて気休めにしかならない。

「暑い。昼時に体育なんてありえない。もうやだ。帰りたい」
「あんま暑いって言わないで。余計に暑く感じるから」

 眉間にシワを寄せてうざったそうな視線を向けられる。
 佐和もこの暑さに苛立ってるんだろうな。元気が良すぎるくらいの太陽と蝉の鳴き声。そして、四時間目の体育。佐和が嫌いなもののオンパレードじゃん。

「今度暑いって言ったら、焼き肉奢りね」
「はっ!? こんな暑いのに焼きっ……!」

 反射的に出て来た言葉に気づいて、慌てて口をふさぐ。もちろん、いまさらふさいだところでもう遅いだろうけど、そのままこっそり佐和の反応を窺ってみる。
 目が合った瞬間、にこりと微笑まれた。不覚にも、その顔にちょっと惹かれてしまいそうな自分がいる。あー、いかんいかん。過去を引きずるんじゃない。

 普段はあんまり笑わないくせに、オレをからかったりするときばっかり笑うんだから、ちょっと意地悪だ。

「焼き肉楽しみだな~」
「やっぱだめか……」
「空は優しさを期待してたみたいだけど、俺、そんな優しくないし」

 素面に戻ったからかもしれないけど、佐和の顔が僅かに曇ってるように見えた。周りからとやかく言われることを気にしてるのかもしれない。

 佐和のこういう性格をきまぐれな猫みたいで可愛いという人もいれば、対応が素っ気なくて冷たい。ふてぶてしい、生意気だという人もいる。
 実際、中学の時に先生から「もう少し温かい人になりなさい」と言われたらしい。「まぁ、別にどうでもいいけど」って後から付け足してたけど、佐和の性格からしてほんとにどうでもよかったら言わないはずだし、きっと思うところがあったんだろうな。何年か経った今でも、こうして引きずってしまうくらいには。

 隣を歩く横顔が当時の姿と重なって、ちくりと胸が痛む。

 オレの心情がバレないように、できるだけ普段通りを意識しながらポンと背中を叩く。

「佐和は優しいじゃん。13年近くで見て来たオレが言うんだから間違いないって!」

 こんなことを言っても、当人が自覚できなきゃただの薄っぺらい言葉にしかならない。だけど、佐和が自分の優しさに気づいて、認めてくれるまで、何度でも言おうと思ってる。だって悔しいじゃん。ほんとはすげー優しくていいやつなのに、自分は冷たいやつだって勘違いしたままだなんて。

 返事がないまま数秒が過ぎた。これもよくあることだから、さほど気にしないで周囲を見渡す。

 長らく工事中だった敷地に新しいビルが建ちそうだなとか、すれ違った男子学生の髪型がかっこいいから真似してみたいなとか。

 そんなことを考えてたら、隣からめちゃくちゃ大きなため息が聞こえてきた。

「めちゃくちゃな理由で焼肉おごる羽目になったくせに」

 やれやれとでも言いたげに、佐和がわざとらしく肩を竦める。こうやって大袈裟なくらい大きな動きを見せる時は、何かを隠したい時の癖だ。
 何を隠してるんだろうと考えてたら、それを見透かしたように「何も考えてないから」と脇腹を肘で突かれてしまった。

「あ、バレた?」
「考え事する時の癖、出てたから」
「え、どんなの? 教えて」
「やだ。教えない」

 ぷいとそっぽを向いて、早足で追い抜かれてしまう。

 佐和の行動から、どんなこと考えてるのか何となくわかる時があるけど、それはむこうも同じらしい。

 何なら、オレの方が見透かされる頻度が高いから、佐和の方が一枚も二枚も上手なのかもしれない。

 たまに、何も言わなくても言いたいことが伝わり過ぎてビビることあるし。心理戦とか絶対勝てないと思う。

 数歩先を行く後ろ姿を時々確認しながらだらだら歩いてると、佐和が急に足を止めた。

 目の前には青い看板が特徴のコンビニがある。

「昼飯?」
「まぁ、そんなとこ」
「じゃ、オレもついてこ」

 特に用もないけど、佐和と一緒にコンビニの中へ入った。
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