スカイブルーの夏

浅木

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第五話

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「三雲くんと朝間くんって仲がいいよね」

 突然、背後から女子の声が聞こえてきて、思わず心臓が跳ね上がる。恐る恐る声のした方を振り返ると、クラスメイトの須藤が笑いかけていた。
 須藤は、言うなればクラスの中心人物だ。たまに話すことはあるけど、そこまで接点もないから彼女のことはほとんど知らない。

 直前の会話を聞かれてたかと思うと、気まずくてうまく話せそうにない。今まで話しかけられたことなんてなかったのに、なんで急に声をかけてきたんだ?

 何となく目を合わせるのが恥ずかしくて、愛想笑いをしたまま自然と正面に向き直る。そしたら、須藤……と言うよりはオレを見ていた佐和と目があった。

「めんどくさいから空が話してよ」ってテレパシーが伝わってくるけど、今のオレにはちょっと荷が重い。せめて、もう少しタイミングがよければ普通に話せたんだけど……。 

「この二人、幼馴染なんだよ。幼稚園から一緒みたいでさ」
「そうなんだ。私、幼馴染っていないからちょっと羨ましいかも」
 
 さりげなく会話を続けてくれる獅子倉。ありがたいと思ったのも束の間、「そこ座る?」と自分の目の前を指差し、これは違うなと考えを改める。

「えっ、でも邪魔じゃないかな?」
「邪魔じゃない邪魔じゃない。どうぞどうぞ」

 わざわざ立ち上がって、獅子倉は椅子を後ろにずらす。そんなことをされたら断りづらいだろうに。
 須藤はオレ達をちらっと見た後、勧められた椅子に座った。

「邪魔しちゃってごめんね」
「いや、大丈夫だよ。何もしてなかったし」

 少しずつ気持ちが落ち着いてきて、笑顔で応答できるまでには戻ったけど。これからどうするんだ?
 獅子倉は、目の前に座らせた張本人のくせして何を話そうか悩んでるようだ。おい、ふざけんなよ。座らせるなら話す内容くらい考えとけって!
 須藤はなんだか気まずそうだし、佐和はスマホをいじっててそもそも話すつもりもないみたいだし。オレもスマホに逃げたい気持ちをぐっと堪えて、気まずさを抱えたまま箸を進める。
 
 十数秒の沈黙。それを破ったのは須藤だった。
 
「幼稚園からの付き合いってことは、もう10年以上一緒ってことだよね。朝間くんと三雲くんってタイプが全然違うけど、どういう経緯で仲良くなったの?」
「あー」

 何の気なしに尋ねた言葉なのはわかってるけど、その問いが再びオレの心を羞恥へと至らしめる。こればっかりは知らなかったから仕方ないといえど、やっぱりちょっと恥ずかしい部分がある。
 言い淀むオレの姿を見て、獅子倉が笑いだす。

「こいつさぁ、三雲のこと女の子だと勘違いして声かけたんだよ」
「えっ、そうだったの?」

 いまさら「違うよ」って否定するのもカッコ悪い気がして、乾いた笑いを浮かべながら頷く。

「しかも、男だって気づかないままお嫁さんになってって告白して、手を繋いだりしてたんだってさ」
「おまえは~~~っ!」

 まるで自分のことのように笑いながら話す獅子倉の口を手で強引に塞いでやる。尚もふざけて話そうとしてるけど、こうしてれば更に掘り返されることもないだろう。

「そういえば、あーんってしてくれたのも幼稚園の時だっけ?」
「ちょっ、佐和も言うのかよ!」
「見てて面白かったから」

「そこはオレの気持ちとか、もっと色々考えてほしかったわ」
「楽しそうだったからもっとしてほしいかと思って。ね?」

 佐和が須藤の方を振り返る。

「ごめん、ちょっと楽しそうに見えちゃった」
「えー、そんなことないよ」

 一瞬だけ体から力が抜けた隙を見逃さずに、獅子倉がオレの手から抜け出す。

「はぁ~。苦しかった。……で、初恋だったんだっけ?」
「おまえ、どうして口を塞がれたか忘れたのか? そうだよばかやろう」
「初恋だったんだ」
「あれ、言ってなかったっけ?」

 こくりと無言で頷かれ、みるみる頬が熱くなるのを感じた。
 これだから昔のことを掘り返されるのはいやなんだよ。言ったことと言ってないことがごちゃ混ぜになってるから、あらぬところで恥ずかしい思いをさせられる。

「だから三雲にはひときわ優しいのか。オレには叩いたりするくせに、三雲を叩いてるとこなんて見た事ねーもん」
「それはおまえが調子に乗りやすいからだよ」
「なんだ、残念。てっきり、俺のことは特別視してくれてると思ってたのに」
 
 あからさまに肩を落として項垂れてみせる佐和。とても残念がっている人の仕草には見えない。実際、くすくす笑ってるし。
 それに被せるように「そうだそうだ」と悪ノリを続ける獅子倉。

「オレからもそう見える。実は今でも好きなんじゃねーの?」

 ニヤニヤしながらオレの脇腹をつつく肘が鬱陶しくて、手で払い除ける。
 こいつは女の子を前にすると調子に乗りやすい性格ってことはわかってたけど、いくらなんでも調子に乗り過ぎだろ。
 
「そんなわけないだろ、男だってわかった後なんだから。気持ち悪いこと言うなよ、な?」

 場の空気がヒリつかないように、それでいて勘違いはきちんと正せるように笑いながら佐和に視線を向ける。
 佐和はまだ項垂れたままだった。長い髪が顔を隠して表情がよく見えない。でも、肩が僅かに震えてる気がして、思わず息を呑んだ。
 体から血の気が引いて、指先が冷たくなる。もしかして、今の言葉で傷つけた? それとも、冗談でもそれは気持ち悪いって思ったとか?
 頭の中が真っ白なままなんとか声をかけようとしたところで、佐和が「ふふっ」と笑った。
 
「くっだらない。女の子から手紙もらってあんなに喜んでたのに、そんなわけないじゃん」
「えっ、そっちにつくのかよ!?」
「俺はどっちの味方でもないから」
 
 肩をすくめてわざとらしく溜め息をついてるけど、その表情はにこやかで嫌悪や悲しみと言った負のイメージは感じられない。
 さっき肩を震わせてたのは、獅子倉の言葉が可笑しくて笑ってたのか。
 強ばっていた全身から力が抜けて、自然と笑みが溢れてくる。よかった。ここまでホッとしたのは、受験に合格して以来かもしれない。
 
「残念だったな、朝間。三雲はお前の味方じゃないってさ」
「お前の味方とも言ってないだろ」

 そんなくだらないやりとりを交わしていたら、須藤がくすくす笑い始めた。

「何か面白いことでもあった?」
「ううん、二人も仲がいいなって思って」
「そうかー?  別に普通だと思うんだけどなー」
「中学からの付き合いとか?」
「いや、朝間とは高校に入ってから知り合ったんだけど……」
 
 いつの間にか話の流れがオレと獅子倉の話に変わっていて、誰得なんだよって出会いの話を始める獅子倉。
 自分絡みの話だったら、さっきみたいな悪ノリに走ることもないだろう。

 話を振られた時に適当な返答をしつつ、昼食を食べ終える。その間、佐和は会話に混ざってこなかった。内容が内容だからって言うのもあるだろうけど、いつの間にかこっちに背中を向けるように座りなおしてたこともちょっと気になる。
 
 机に頬杖をついて、ぼんやりと窓の外を見つめる佐和に声をかけてみた。
 
「なんか面白いものでもあった?」
「別に」

 指摘された途端、ふいっと窓から視線を逸らす。その仕草が少し不自然に感じて外の様子を確認してみる。灰色のグラウンドに数十人の生徒がいるだけで、とくべつ目を引くものは見あたらない。考え事をしてただけなのかな?

 なんとなく違和感を覚えるけど、表情はいつも通りだし、態度も普段とほとんど変わらない。ただの思い過ごしだと言われれば納得できるレベルだ。
 
「なぁ、朝間。この前あざみ堂で食ったのって塩ラーメンだったよな?」

 不意によくわからない話題を振られた。言われてみたらそんな気もするけど、はっきりとした記憶もなくて適当にお茶を濁す。
 途中から獅子倉の話はきいてなかったけど、まださっきの会話は続いてたみたいだ。
 
 その後も何回か獅子倉に話しかけられるけど、なんとなく佐和のことが気になって話に実が入らない。
 さっきあんなことがあったから気にしすぎてるだけかもしれないって考えと、何か重大な選択ミスをしてしまったかもしれないって思いが頭の中で堂々巡りしている状態だ。

 もう一度声をかけてみようか。でも、なんて声をかけたらいいんだ?

 そんなことを頭のなかでぐだぐだ考えてるうちに、ビニール袋を持った佐和は教室を出て行ってしまった。

 多分、ごみを捨てに行ってるだけだろうからすぐに帰ってくるはず。佐和が帰ってきた時にもう一度声をかけてみよう。

 時々、教室の扉に目を向けながら獅子倉達の会話に混ざること数分。佐和が帰ってこないうちに予鈴が鳴ってしまった。
 
「あ、そろそろ昼休み終わるね。長々と居座っちゃってごめんね」
「大丈夫だよ。こいつが無理に誘ったわけだし」
「そうそう。オレから誘ったんだし須藤さんは気にしなくていいよ」
 
 須藤は「ありがとう」と微笑んで席に戻って行った。

「おまえももう自分の席に戻れよ。中島が帰って来るだろ」
「ん、そうだな」
 
 水滴で濡れていた机をティッシュで拭いてから、獅子倉も自分の席へ。

 教室の席が埋まり始める中、佐和はまだ帰ってこない。普段から五分前行動を心がけているみたいだから、この時間にはいつも戻ってきてるのに。
 授業が始まるまでには戻ってくるといいんだけど……。
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