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最終話 夢
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しばらく、何も考えなかった。学校は行けなかった。でも配達だけはやった。艷山家の収入は。大黒柱はついに私だけになってしまったからだ。
夕輝と一緒に帰っている時も。何も話さなかった。時折夕輝が何か言ってくれたけれど、私の耳には入らなかった。
「姉ちゃん」
「……ええ」
「姉ちゃん!!」
「っ」
いつの間にか、私は肩を強く掴まれていた。痛い。その痛みで、ようやく私は目の前の夕輝を確認した。
「しっかりしてくれ! もう、姉ちゃんだけなんだ!」
「……!」
泣きそうな顔。どうしようもない顔。まだ幼さはあるけれど、精悍になってきた顔。
そうだ。この子はまだ6年生で。私の弟で。
「ごめんなさい。ユウ」
「うん」
「私が、しっかりしなきゃね」
「うん。いや、俺も働くよ」
どんどん頼もしくなる。だけどまだ。この子は小学生だ。
「……駄目よユウ。小学生の間は働けないよ」
「なんとか、俺背高いしさ。年齢誤魔化して」
「あのね。中学生でも、学長先生の許可が必要なの。どうやっても不可能だよ」
「でもっ! 姉ちゃんに負担掛けられないよ!」
「…………」
兄に。会おう。
そう思った。やっぱり。このまま会えなくなるような気がして。不安で仕方無い。
「じゃあ、あと1年だけ、我慢して。それまでは私が頑張るから」
「!」
「たった、今年いっぱいだけ。そうしたら、じゃあユウにもアルバイトして貰うね」
「そしたら、姉ちゃんはバイト減らせよ?」
「…………ええ。そのつもり」
――
高校は、辞めた。その時間、働いていた方が良い。朝から晩まで。私ひとりで、ふたり分稼がないといけない。新聞配達の他に、ふたつ。アルバイトを増やした。中卒でも、必要としてくれる所はいくつかあった。時給が高いものは、年齢とか時間とかでできなかったけれど。
「面会は、できませんか?」
「……うーん。本人が嫌がっててねえ」
「なら……これを渡してください」
兄と話がしたい。多分、私や夕輝に会わせる顔が無い、みたいな事を考えているのだと思うけど。
そんなの大した問題じゃないのに。
だから私は、手紙と一緒に兄へプレゼントを贈ることにした。
母の小説だ。
兄だって、読んだことは無かった筈。今なら、時間はあると思う。
私が救われた、『転生』の話。私は、この母の作品でまた兄弟が繋がったら良いなと思っていた。
――
「姉ちゃん! 電話! 早く!」
「えっ……?」
夕輝とふたりの生活も、半年経った頃。ちらちらと雪が降り始めた頃。
兄を収容している少年院から電話が掛かってきた。
丁度、シリーズものの作品の、最後の単行本を贈った所だった。
「真也君がね。……落ち着いて聞いてくれ」
食事中の食器を使って自殺したらしい。
――
確信があった。
私のせいだ。
死ねば、生まれ変わって幸せになれるって。
私が教えたんだ。
そんなつもりじゃない、とかはもう言い訳にもならない。もう終わった。巻き戻せない。
兄がどんなつもりで。何を思って。
この半年を過ごしていたのか。
――
「………………」
歩く。どこだか分からない道を。隣には夕輝。私達は手を握っていた。
私は力が入らなかった。その分、夕輝は強く握り締めてくれていた。
「姉ちゃんは俺が守る」
そんな呟きが聞こえた。兄と約束したのだったか。
「……ぅ…………!」
「姉ちゃん……!」
街中で。道の真ん中で。
みっともなく、小学生の弟にしがみついて。
わんわんと声を出して泣いた。
――
――
何も見えない。何も聞こえない。
「姉ちゃん!!」
あれからどれくらい経っただろうか。何もかもあやふやだ。夕輝の叫びも、どこか遠くのようで。
「……えっ」
多分、道を踏み外したんだと思う。足元なんか、見ていないから。
「姉ちゃん! 危な――」
最後に。私を反対側の道へ、どんと突き飛ばして。
トラックに轢かれゆく、夕輝と。ぱっちりと目があった。その瞬間、世界は、時間は停まっていた。
夕輝の目は、穏やかだったように思う。何かを。言い掛けていたように見えた。
「!」
直後に、世界のスピードが戻る。トラックの纏う暴風が、私のマフラーと髪を巻き上げる。何か大きいものが潰れる音が、視界の外で聞こえた。
「…………」
私の網膜には未だ、夕輝の顔が焼き付いて離れなかった。
私は、その事実を理解するのに。現実を受け止めるのに。
「………………ユウ?」
家族を全員失って。
――
――
今日は、クリスマスらしい。聖夜だ。それが何なのかは、私は詳しくないから分からないけれど。
とにかく、街ではカップルや家族連れが多く、賑わっている。楽しそうな会話がどこかしこから聞こえてくる。
ホワイトクリスマスだ。深々と雪が降り積もっている。うまく自転車も漕げないほど。
そんな日にも、仕事はある。毎日、誰かがやらなくてはならない。どんな悪天候でも、新聞配達はやらなければならない。
今日を休みたいという人は多い。でも、私は予定なんか無い。永遠に、予定は埋まらない。
楽しそうな、嬉しそうな。華やかな声が聞こえてくると、今でも思い出す。
あの、半年前の誕生日パーティを。生涯たった1度のパーティを。間違いなく、私の人生で最高の1日だった。
あの、たった数時間が。
普通の女子高生ならいつもやっているようなことが。
皆が居て、兄と夕輝も居て。プレゼントを貰って。嬉しくて泣いてしまって。
――
…………。
今、寒いのか、暑いのか。それも曖昧だ。
どこか、ずっとふわふわしている。現実味がない。母が死んでから。それから。
幸せな日々は、風のように過ぎ去り、煙のように消えていく。あれよあれよとしている内に、ほら。
気付いたらいつの間にか。世界には私ひとりになっている。
もう、トントン拍子で。
皆に。
「……取り残された」
そうとしか思えない。皆、行ってしまって。私だけ、仲間外れだ。
「…………」
何かにぶつかって、転んでしまった。きっと雪の塊だ。それか、雪で見えなくなった縁石。
既にかなり積もっている。これから夜に掛けて、まだまだ積もるだろう。自転車も重い。早く起き上がらないと、雪に埋もれてしまう。
「……――」
起き上がる気には、なれなかった。
何をしていたっけ。そうだ。新聞配達をしていて。確か今日はもう配り終わって、その帰り道だ。
なら、大丈夫だ。迷惑は掛からない。
「…………」
じっとしていた。理由は、見付からない。もう何も、考えたくない。
意外と、苦しくない。寒くもないし、怖くも無い。
でも。
大丈夫なのだろうかと。
「……私は」
不安だった。
――
――
神様。
私は、頑張りましたか?
これは、自殺になりますか?
私は、転生できますか? 平和で、幸せな人生を、次は。転生した世界で、歩めますか?
お母さん。
今、どんな世界に居ますか? どんな楽しい旅をしていますか?
もう一度、あなたの元に産まれてきて良いですか?
もう一度、暖かく、抱き締めてもらって良いですか?
私もちょっとだけ、小説に興味を持ったので。教えて貰うのが、私の夢です。
お父さん。
最後は、自殺だったけれど。運良く幸せな世界に転生できていると、信じています。今度は、あまり頑張り過ぎず、適度に休んで、お母さんと幸せな夫婦生活を送ってくださいね。
私もきっと、良い人を見付けるから。その時、お父さんに殴られる旦那さんを見るのが私の夢です。
お兄ちゃん。
きちんと転生できていれば、今頃は自分の足で立てるようになる頃でしょうか。まだ赤ん坊ですね。
せっかく男前なので、綺麗な女性と出会ってください。お兄ちゃんが選んだその人と一緒に買い物に行くのが、私の夢です。
ユウ。
今度は、お友達に恵まれて、楽しく育って欲しいわ。今度こそ、ちゃんと部活もやって、勿論勉強もして、大学に行ってね。
私じゃない。その長い人生の中で出会う素敵な、大事な人の為に、頑張ってあげてください。
あなたの結婚式で泣き崩れるのが私の夢です。
ああ。
神様。
私は、良いです。やっぱり。これで終わりでも。
その代わり、両親と、兄弟の、4人は。彼らには、素敵な転生をお願いします。父と兄は、自殺してしまったけれど。もし許されるなら。
私を、頑張ったと評価して、転生する権利をもしくださるなら。
私が代わりに、彼らの罰を受けます。だからどうか。
異世界でも。また日本でも。どこでも良いです。
どうか。
幸せに。
どうか。
………………お願いします。
――
――
陽が暮れる。
倒れた時に外れたらしい、兄と弟に買って貰った最初で最後のプレゼント。リボン付きパールヘアピンが視界の端に映っている。
涙は、何故か流れなかった。
夕輝と一緒に帰っている時も。何も話さなかった。時折夕輝が何か言ってくれたけれど、私の耳には入らなかった。
「姉ちゃん」
「……ええ」
「姉ちゃん!!」
「っ」
いつの間にか、私は肩を強く掴まれていた。痛い。その痛みで、ようやく私は目の前の夕輝を確認した。
「しっかりしてくれ! もう、姉ちゃんだけなんだ!」
「……!」
泣きそうな顔。どうしようもない顔。まだ幼さはあるけれど、精悍になってきた顔。
そうだ。この子はまだ6年生で。私の弟で。
「ごめんなさい。ユウ」
「うん」
「私が、しっかりしなきゃね」
「うん。いや、俺も働くよ」
どんどん頼もしくなる。だけどまだ。この子は小学生だ。
「……駄目よユウ。小学生の間は働けないよ」
「なんとか、俺背高いしさ。年齢誤魔化して」
「あのね。中学生でも、学長先生の許可が必要なの。どうやっても不可能だよ」
「でもっ! 姉ちゃんに負担掛けられないよ!」
「…………」
兄に。会おう。
そう思った。やっぱり。このまま会えなくなるような気がして。不安で仕方無い。
「じゃあ、あと1年だけ、我慢して。それまでは私が頑張るから」
「!」
「たった、今年いっぱいだけ。そうしたら、じゃあユウにもアルバイトして貰うね」
「そしたら、姉ちゃんはバイト減らせよ?」
「…………ええ。そのつもり」
――
高校は、辞めた。その時間、働いていた方が良い。朝から晩まで。私ひとりで、ふたり分稼がないといけない。新聞配達の他に、ふたつ。アルバイトを増やした。中卒でも、必要としてくれる所はいくつかあった。時給が高いものは、年齢とか時間とかでできなかったけれど。
「面会は、できませんか?」
「……うーん。本人が嫌がっててねえ」
「なら……これを渡してください」
兄と話がしたい。多分、私や夕輝に会わせる顔が無い、みたいな事を考えているのだと思うけど。
そんなの大した問題じゃないのに。
だから私は、手紙と一緒に兄へプレゼントを贈ることにした。
母の小説だ。
兄だって、読んだことは無かった筈。今なら、時間はあると思う。
私が救われた、『転生』の話。私は、この母の作品でまた兄弟が繋がったら良いなと思っていた。
――
「姉ちゃん! 電話! 早く!」
「えっ……?」
夕輝とふたりの生活も、半年経った頃。ちらちらと雪が降り始めた頃。
兄を収容している少年院から電話が掛かってきた。
丁度、シリーズものの作品の、最後の単行本を贈った所だった。
「真也君がね。……落ち着いて聞いてくれ」
食事中の食器を使って自殺したらしい。
――
確信があった。
私のせいだ。
死ねば、生まれ変わって幸せになれるって。
私が教えたんだ。
そんなつもりじゃない、とかはもう言い訳にもならない。もう終わった。巻き戻せない。
兄がどんなつもりで。何を思って。
この半年を過ごしていたのか。
――
「………………」
歩く。どこだか分からない道を。隣には夕輝。私達は手を握っていた。
私は力が入らなかった。その分、夕輝は強く握り締めてくれていた。
「姉ちゃんは俺が守る」
そんな呟きが聞こえた。兄と約束したのだったか。
「……ぅ…………!」
「姉ちゃん……!」
街中で。道の真ん中で。
みっともなく、小学生の弟にしがみついて。
わんわんと声を出して泣いた。
――
――
何も見えない。何も聞こえない。
「姉ちゃん!!」
あれからどれくらい経っただろうか。何もかもあやふやだ。夕輝の叫びも、どこか遠くのようで。
「……えっ」
多分、道を踏み外したんだと思う。足元なんか、見ていないから。
「姉ちゃん! 危な――」
最後に。私を反対側の道へ、どんと突き飛ばして。
トラックに轢かれゆく、夕輝と。ぱっちりと目があった。その瞬間、世界は、時間は停まっていた。
夕輝の目は、穏やかだったように思う。何かを。言い掛けていたように見えた。
「!」
直後に、世界のスピードが戻る。トラックの纏う暴風が、私のマフラーと髪を巻き上げる。何か大きいものが潰れる音が、視界の外で聞こえた。
「…………」
私の網膜には未だ、夕輝の顔が焼き付いて離れなかった。
私は、その事実を理解するのに。現実を受け止めるのに。
「………………ユウ?」
家族を全員失って。
――
――
今日は、クリスマスらしい。聖夜だ。それが何なのかは、私は詳しくないから分からないけれど。
とにかく、街ではカップルや家族連れが多く、賑わっている。楽しそうな会話がどこかしこから聞こえてくる。
ホワイトクリスマスだ。深々と雪が降り積もっている。うまく自転車も漕げないほど。
そんな日にも、仕事はある。毎日、誰かがやらなくてはならない。どんな悪天候でも、新聞配達はやらなければならない。
今日を休みたいという人は多い。でも、私は予定なんか無い。永遠に、予定は埋まらない。
楽しそうな、嬉しそうな。華やかな声が聞こえてくると、今でも思い出す。
あの、半年前の誕生日パーティを。生涯たった1度のパーティを。間違いなく、私の人生で最高の1日だった。
あの、たった数時間が。
普通の女子高生ならいつもやっているようなことが。
皆が居て、兄と夕輝も居て。プレゼントを貰って。嬉しくて泣いてしまって。
――
…………。
今、寒いのか、暑いのか。それも曖昧だ。
どこか、ずっとふわふわしている。現実味がない。母が死んでから。それから。
幸せな日々は、風のように過ぎ去り、煙のように消えていく。あれよあれよとしている内に、ほら。
気付いたらいつの間にか。世界には私ひとりになっている。
もう、トントン拍子で。
皆に。
「……取り残された」
そうとしか思えない。皆、行ってしまって。私だけ、仲間外れだ。
「…………」
何かにぶつかって、転んでしまった。きっと雪の塊だ。それか、雪で見えなくなった縁石。
既にかなり積もっている。これから夜に掛けて、まだまだ積もるだろう。自転車も重い。早く起き上がらないと、雪に埋もれてしまう。
「……――」
起き上がる気には、なれなかった。
何をしていたっけ。そうだ。新聞配達をしていて。確か今日はもう配り終わって、その帰り道だ。
なら、大丈夫だ。迷惑は掛からない。
「…………」
じっとしていた。理由は、見付からない。もう何も、考えたくない。
意外と、苦しくない。寒くもないし、怖くも無い。
でも。
大丈夫なのだろうかと。
「……私は」
不安だった。
――
――
神様。
私は、頑張りましたか?
これは、自殺になりますか?
私は、転生できますか? 平和で、幸せな人生を、次は。転生した世界で、歩めますか?
お母さん。
今、どんな世界に居ますか? どんな楽しい旅をしていますか?
もう一度、あなたの元に産まれてきて良いですか?
もう一度、暖かく、抱き締めてもらって良いですか?
私もちょっとだけ、小説に興味を持ったので。教えて貰うのが、私の夢です。
お父さん。
最後は、自殺だったけれど。運良く幸せな世界に転生できていると、信じています。今度は、あまり頑張り過ぎず、適度に休んで、お母さんと幸せな夫婦生活を送ってくださいね。
私もきっと、良い人を見付けるから。その時、お父さんに殴られる旦那さんを見るのが私の夢です。
お兄ちゃん。
きちんと転生できていれば、今頃は自分の足で立てるようになる頃でしょうか。まだ赤ん坊ですね。
せっかく男前なので、綺麗な女性と出会ってください。お兄ちゃんが選んだその人と一緒に買い物に行くのが、私の夢です。
ユウ。
今度は、お友達に恵まれて、楽しく育って欲しいわ。今度こそ、ちゃんと部活もやって、勿論勉強もして、大学に行ってね。
私じゃない。その長い人生の中で出会う素敵な、大事な人の為に、頑張ってあげてください。
あなたの結婚式で泣き崩れるのが私の夢です。
ああ。
神様。
私は、良いです。やっぱり。これで終わりでも。
その代わり、両親と、兄弟の、4人は。彼らには、素敵な転生をお願いします。父と兄は、自殺してしまったけれど。もし許されるなら。
私を、頑張ったと評価して、転生する権利をもしくださるなら。
私が代わりに、彼らの罰を受けます。だからどうか。
異世界でも。また日本でも。どこでも良いです。
どうか。
幸せに。
どうか。
………………お願いします。
――
――
陽が暮れる。
倒れた時に外れたらしい、兄と弟に買って貰った最初で最後のプレゼント。リボン付きパールヘアピンが視界の端に映っている。
涙は、何故か流れなかった。
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