8 / 8
第0話 だから、朝葉
しおりを挟む
「名前?」
カタカタと、キーボードを軽快に叩く音がする。
訊かれて、それがぴたりと止む。白く綺麗な指先の持ち主は、ふと顔を上げた。
「ああ。そろそろ考えないとね。君が待ち望んだ女の子じゃないか」
優しそうな声の主は、キーボードの隣にカップを置いた。お茶が淹れてある。
キーボードを叩いていたその手で、それを口まで持っていった。
「……そうね」
そして逆の手で、自らの腹を撫でた。まだ産まれてくるまで期間がある。だが、もう妊婦だとひと目で分かるくらいの大きさだった。
「あれ、真ちゃんは?」
「眠ってるよ。お昼寝中だ」
この日の昼下がりはとても静かで、窓を開ければ穏やかな風がそよそよと入ってきそうな、心まで自然と落ち着いてきそうな日だった。
お昼寝日和と言えるだろう。
「あなた、お仕事は?」
「あのね楓。僕は今、会社の福利厚生を使ってお休みしてるんだ。この子が産まれて1年まで。何度も言った……と言うか、真也の時もそうだったろうに」
「あはは。ごめんごめん。なんか最近よく休んでるな~と思って」
「まあ、真也と4歳違い、になるのかな。すぐだったからね」
「元気だよねえ、彰夫くんは」
「……からかわないでくれよ」
からからと、楽しそうに笑う。まだ少し、新婚気分が残っているような空気感だ。
「うーん……。『朝葉』って、どうかしら」
「『あさは』? 可愛いけど、なんで?」
「私の、初めて書いた小説のヒロインだから」
「へ? 初めてって『STARLIT KNIGHT』じゃないのかい? ヒロインは確かステラ姫の」
「いやいや、そりゃ発表の処女作はそれだけど。私が子供の時に書いてた、殆ど落書きみたいなやつ」
「知らないなあ」
「教えてないからね」
「見せてよ」
「嫌よ。面白くないもん」
「どうして?」
「あのね。『朝葉』は異世界に転生するの。ありきたりでしょ? この世界にちょっとだけ不満があって、ある日神様が現れて、転生させてくれるの」
「それで?」
「転生した後は、もう。それはそれはうんと幸せに暮らすのよ。片田舎に生まれて、頼れる仲間と出会って、世界中を旅するの。楽しい旅。何度か危険な目には遭うんだけど、いつも乗り越えて、先に進む。『朝葉』の青春はその旅の中に全部あるの。色んな大陸や島に行ったり。色んな見た目、考え方の面白く楽しい種族なんかとも仲良くなったり」
「楽しそうじゃないか」
「文章とか設定はダメダメだよ? ……最後はね。とびきり格好良い人と出会って、熱い熱い恋に落ちて。紆余曲折を経て、結ばれるの。それで、故郷に戻ってきて。いつまでも幸せに暮らすのよ」
「王道だね」
「でしょ? ……まあ、小説書き始めたばかりの少女の、ヤマもオチも無い妄想なんだけどさ。『そんな』人生を、リアルに歩んで欲しいなって。うんと幸せになって欲しい。だから、『朝葉』。どう?」
いつ見ても。彼女は小説を語る時、彼女自身がその冒険を体験してきたかのように語る。身振り手振りをして、目をキラキラに輝かせて。彼女の中にはキラキラの物語が、星のように無数に浮かんでいるのだ。それを文章に起こして、皆に教えてあげる仕事。彼女の天職だ。
「勿論賛成だ。僕達でうんと、幸せに育てよう」
「えへへ。大丈夫よ。私達の稼ぎなら、ふたりでも3人でも、大学まで行かせられるわ」
「おいおい、もう3人目のこと?」
「えへへ……」
そんな彼女の才能を見いだしたのが彼だった。WEBサイトで投稿されていた、誰も見向きもしないページの片隅に。光る原石を発見したのだ。
「で、その小説の『朝葉』はどうしてそう名付けたんだい?」
「えっとね。……その時確か『アーサー王』にハマってたから、かな」
「……なるほど」
「いーの。そんなことは。ねー朝葉」
話し掛け、両手で撫でる。彼女の宇宙から、もうひとつの生命が誕生するのだ。
彼も寄り添って、撫でてみた。
「……この子は、どんな世界から来るんだろうね」
「えっ?」
また、彼女がおかしなことを言い出した。
「どんなキラキラの冒険を終えて、この世界に来たんだろうね。ねえ朝葉」
「……良いね。前世の記憶がもしあったら、貴重な取材対象じゃないか」
「あははっ。彰夫くんが乗ってくれた。うん。私は信じてるよ。もう子供の時から。異世界転生は、真実だってね」
「……小説家でなけりゃ危ない発言だね」
「あはははっ。ねえ、もっと撫でてあげて。話し掛けてあげて。朝葉も喜ぶよ」
うんと、幸せに。
父と母と、兄と。既に幸せな空間に、またひとり幸せの仲間が増えるのだ。
今か今かと、待ち遠しくなる。
「きっと君に似て美人になるよ」
「ありがとう。じゃあ真ちゃんは彰夫くんに似て男前になるね。どんな綺麗な子を連れてくるんだろう」
「……気が早すぎないかい」
「えへへ。だって幸せなんだもの。ねえ、肩揉んで。彰夫くん」
「はいはい。……あ。真也が起きたみたいだから、また今度ね」
「あちゃー。じゃ真ちゃんここ連れてきて。朝葉を撫でて貰うー」
「はいはい……」
「んぅ。……ままぁー」
「きゃー。真ちゃん可愛いぃぃ! もー結婚してぇー!」
「あはは。お似合いだよ」
「えへへへっ」
いつまでも。
幸せでありますようにと。
カタカタと、キーボードを軽快に叩く音がする。
訊かれて、それがぴたりと止む。白く綺麗な指先の持ち主は、ふと顔を上げた。
「ああ。そろそろ考えないとね。君が待ち望んだ女の子じゃないか」
優しそうな声の主は、キーボードの隣にカップを置いた。お茶が淹れてある。
キーボードを叩いていたその手で、それを口まで持っていった。
「……そうね」
そして逆の手で、自らの腹を撫でた。まだ産まれてくるまで期間がある。だが、もう妊婦だとひと目で分かるくらいの大きさだった。
「あれ、真ちゃんは?」
「眠ってるよ。お昼寝中だ」
この日の昼下がりはとても静かで、窓を開ければ穏やかな風がそよそよと入ってきそうな、心まで自然と落ち着いてきそうな日だった。
お昼寝日和と言えるだろう。
「あなた、お仕事は?」
「あのね楓。僕は今、会社の福利厚生を使ってお休みしてるんだ。この子が産まれて1年まで。何度も言った……と言うか、真也の時もそうだったろうに」
「あはは。ごめんごめん。なんか最近よく休んでるな~と思って」
「まあ、真也と4歳違い、になるのかな。すぐだったからね」
「元気だよねえ、彰夫くんは」
「……からかわないでくれよ」
からからと、楽しそうに笑う。まだ少し、新婚気分が残っているような空気感だ。
「うーん……。『朝葉』って、どうかしら」
「『あさは』? 可愛いけど、なんで?」
「私の、初めて書いた小説のヒロインだから」
「へ? 初めてって『STARLIT KNIGHT』じゃないのかい? ヒロインは確かステラ姫の」
「いやいや、そりゃ発表の処女作はそれだけど。私が子供の時に書いてた、殆ど落書きみたいなやつ」
「知らないなあ」
「教えてないからね」
「見せてよ」
「嫌よ。面白くないもん」
「どうして?」
「あのね。『朝葉』は異世界に転生するの。ありきたりでしょ? この世界にちょっとだけ不満があって、ある日神様が現れて、転生させてくれるの」
「それで?」
「転生した後は、もう。それはそれはうんと幸せに暮らすのよ。片田舎に生まれて、頼れる仲間と出会って、世界中を旅するの。楽しい旅。何度か危険な目には遭うんだけど、いつも乗り越えて、先に進む。『朝葉』の青春はその旅の中に全部あるの。色んな大陸や島に行ったり。色んな見た目、考え方の面白く楽しい種族なんかとも仲良くなったり」
「楽しそうじゃないか」
「文章とか設定はダメダメだよ? ……最後はね。とびきり格好良い人と出会って、熱い熱い恋に落ちて。紆余曲折を経て、結ばれるの。それで、故郷に戻ってきて。いつまでも幸せに暮らすのよ」
「王道だね」
「でしょ? ……まあ、小説書き始めたばかりの少女の、ヤマもオチも無い妄想なんだけどさ。『そんな』人生を、リアルに歩んで欲しいなって。うんと幸せになって欲しい。だから、『朝葉』。どう?」
いつ見ても。彼女は小説を語る時、彼女自身がその冒険を体験してきたかのように語る。身振り手振りをして、目をキラキラに輝かせて。彼女の中にはキラキラの物語が、星のように無数に浮かんでいるのだ。それを文章に起こして、皆に教えてあげる仕事。彼女の天職だ。
「勿論賛成だ。僕達でうんと、幸せに育てよう」
「えへへ。大丈夫よ。私達の稼ぎなら、ふたりでも3人でも、大学まで行かせられるわ」
「おいおい、もう3人目のこと?」
「えへへ……」
そんな彼女の才能を見いだしたのが彼だった。WEBサイトで投稿されていた、誰も見向きもしないページの片隅に。光る原石を発見したのだ。
「で、その小説の『朝葉』はどうしてそう名付けたんだい?」
「えっとね。……その時確か『アーサー王』にハマってたから、かな」
「……なるほど」
「いーの。そんなことは。ねー朝葉」
話し掛け、両手で撫でる。彼女の宇宙から、もうひとつの生命が誕生するのだ。
彼も寄り添って、撫でてみた。
「……この子は、どんな世界から来るんだろうね」
「えっ?」
また、彼女がおかしなことを言い出した。
「どんなキラキラの冒険を終えて、この世界に来たんだろうね。ねえ朝葉」
「……良いね。前世の記憶がもしあったら、貴重な取材対象じゃないか」
「あははっ。彰夫くんが乗ってくれた。うん。私は信じてるよ。もう子供の時から。異世界転生は、真実だってね」
「……小説家でなけりゃ危ない発言だね」
「あはははっ。ねえ、もっと撫でてあげて。話し掛けてあげて。朝葉も喜ぶよ」
うんと、幸せに。
父と母と、兄と。既に幸せな空間に、またひとり幸せの仲間が増えるのだ。
今か今かと、待ち遠しくなる。
「きっと君に似て美人になるよ」
「ありがとう。じゃあ真ちゃんは彰夫くんに似て男前になるね。どんな綺麗な子を連れてくるんだろう」
「……気が早すぎないかい」
「えへへ。だって幸せなんだもの。ねえ、肩揉んで。彰夫くん」
「はいはい。……あ。真也が起きたみたいだから、また今度ね」
「あちゃー。じゃ真ちゃんここ連れてきて。朝葉を撫でて貰うー」
「はいはい……」
「んぅ。……ままぁー」
「きゃー。真ちゃん可愛いぃぃ! もー結婚してぇー!」
「あはは。お似合いだよ」
「えへへへっ」
いつまでも。
幸せでありますようにと。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる