隣人以上同棲未満

弓チョコ

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第26話 大事な関係

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 現在。
 8月。
 お盆に取れた5連休の、3日目だ。

 1日目は、ほのかの実家へ行った。お父さんには殴られたが、なんとか交際を認めて貰った。

 2日目は、ほのかと夏祭りへ出掛けた。花火を見ながら、俺はいずれプロポーズすると彼女へ伝えた。

 そしてその夜。
 ほのかが熱を出した。

 3日目。
 起きたほのかは、ふらふらとしながらも自分の部屋へ戻った。

 そこから音沙汰が無い。

「…………」

 メッセージを送っても、既読は付かない。
 寝てるんだろうか。なら、インターホンなんか押したら迷惑か。
 こんな時に、俺は何もできない。

「…………」

 暇だ。
 いや、暇なんかじゃない。
 溜まってるゲームも、録画したアニメも。沢山ある。
 見る気には全くならない。

 ほのかが気になってしかたない。

 もしかして倒れてるんじゃないだろうか。きちんと水分補給してるだろうか。

 無理矢理でも、彼女の部屋へ入るべきだろうか。

 心配だ。だが。

「……結構です」

 最後に俺に言った、あのひと言。それがずっと脳内に残ってる。

 なにもするなと、俺に言ったんだ。
 何か——彼女の気に障るようなことをしたんだろうか。

「…………」

 何にも、手に付かない。ずっと、スマホの画面を見ていた。

——

——

 子供の頃。私はひねくれていた。いや、今もかもしれないけど。

 『明けない夜は無い』と。
 それじゃ、夜が『駄目』みたいじゃない。

 『止まない雨は無い』と。
 それじゃ、雨が『悪い』みたいじゃない。

 いずれ春になって、花が芽吹く。
 それじゃ、冬が悪者みたいじゃない。

 大丈夫! ほのかにはすぐ彼氏できるよ! これからこれから!

 ……それじゃ、これまでの私が『無駄』みたいじゃない。

「…………はぁ」

 熱は。風邪は。
 やることがない。
 寝るしかない。だけど眠気がなければ。
 ぼうっと、ものを考えるしかない。
 良いことも悪いこともどうでもよいことも。
 あらゆることを考える。特に、悪いことを。

「…………スマホ、テーブルだ」

 今更立てない。身体がしんどい。なんとかシャワーを浴びて着替えたけど。そのままベッドに突っ込んでしばらく寝ていた。

 体調が悪いと、どちらかというと悪いことを考えてしまう。

 ……何故、断ったのか。

 せっかく、おにーさんが看病してくれるというのに。

 恥ずかしかったんだ。
 『ならないよ』と言われて。
 やっぱり私だけだったんだと思って。

 部屋の鍵は、閉めてない。だからおにーさんは、いつでもここへ入って来れる。
 だけど、多分来ない。知らないから。

 私が、拒否してしまったから。

「…………」

 喉の痛みも咳も無い。ただ熱が出ただけだ。疲労だろう。1日寝たら治る。明日には治ってる筈。

 謝るのは、それからで良いだろうか。

 私が、馬鹿みたいじゃないか。いや、馬鹿なんだ。きっと。
 おにーさんが好きすぎて。おにーさんの気持ちは考えない馬鹿なんだ。
 それを、何故か認めたくなくて。おにーさんへ当たってしまったんだ。
 咄嗟に。

「……!」

 涙が出る。どんどん、悪いことを考えてしまう。
 このまま、途切れてしまったら。デートの時は1ヶ月空いてしまったんだ。今から1ヶ月空いたら、もうおにーさんは異動していってしまう。

 そうなればもう、消滅だ。

「……それだけは……っ」

 今。
 私の人生の瀬戸際だと、思った。

 熱に浮かされているだけだと思うけれど。

「…………!」

 身体が動かない。
 悔し涙を浮かべながら、私は意識を手放した。

——

——

 夜が明けた。
 眠れてなどいない。

 既読には、ならない。

 現在、5連休の4日目。
 俺はまだ何もできずにいる。

 思えばずっとそうだった。
 全部、向こうからだ。何もかも。
 彼女から貰うだけで。俺からは何もあげられていない。
 だから、彼女が俺に愛想を尽かしたら、それで終了なんだ。
 一方的だった。
 俺はほのかが大好きなのに。
 想いと、行動のバランスが違った。

「何かしよう」

 そう思う。だけど。
 何をどうすれば良いのか。

 メッセージは意味が無い。寧ろしつこい。
 インターホンでも押すか? 迷惑だ。
 電話? 出る訳が無い。

 俺に何ができるというのか。
 もしもう嫌われていたとしたら。これから行うあらゆる何もかもが逆効果だ。
 ストーカーになる。

 じゃあ、何もできなくないか?

「……じゃあ、最後だ」

 電話を掛けようと思った。俺達は、一応。仮にも。恋人同士だ。電話を掛けることは、悪いことじゃない。そう自分に言い聞かせる。

 もう終わっていたとしても。
 そうだ。俺のことはもうどうでも良い。

 今、何が一番だ?
 何を一番に考える?

 ほのかの体調じゃないか。
 熱が引いていなかったら。動けなかったら。風邪ではなかったら。

 それだけだ。もう。
 彼女が無事であれば、俺がどれだけ嫌われても良い。

「…………!」

 意外にも。

 3度目のコールで出てくれた。

『…………』
「……あっ……! ほのか」

 何をどう言うんだ。
 考えろ。
 ビビるな。

『…………おにー』
「無事かっ!?」
『!』
「熱はどうだ? 喉や鼻は? 水分取れてるか? ……大丈夫か?」
『……!』

 何も言うな。余計なことは考えるな。
 彼女の安否。それだけを確認しろ。後のことは何も要らないから。

「もしあれなら病院——」
『おにーさん』
「!」

 はっきりと。
 彼女の声を確認した。電話越しでも分かった。

『熱は下がりました』
「……!」
『おにーさん』

 彼女は穏やかだった。

『夜は好きですか?』
「……へっ?」
『雨は嫌いですか?』
「…………ごめん、何のこと?」

 とても落ち着いた口調で。
 意味不明だった。

『おにーさん』
「おう?」
『今すぐ来てください。開いてますので』
「分かった」

 だが即答。
 俺はスポドリと湿布と体温計を担いで玄関を飛び出し。
 すぐさま隣のドアを開けた。

 一瞬だけ、手が迷ったらしいけど。こんなものは勢いだ。

——

「ほのかっ」
「ごめんなさい」
「へっ」

 ほのかはベッドで寝ていた。そりゃそうだ。

 確かに顔色も良くなっている。ただの疲れだったみたいで、一晩ですっかり良くなったらしい。

 ほっと胸を撫で下ろす。

「…………私の話を、聞いてくれますか」
「勿論」

 即答。彼女が何故俺に謝るのかは分からないが、彼女の中で何か葛藤や悩みがあるのは分かる。

 それを全て聞くのが俺の最も重要な役割だ。

 俺がまだ恋人であるならば。

「おにーさんと。……セックスしたいです」

「…………………………」

 現在。

 8月。

 お盆と少しだけ時期の外れた、5連休の4日目。

 午前——9時半だ。

「…………………………………………えっ?」

「……!!」

 熱が引いたとは思えないくらい顔を赤くした、恐らく『決死』のひと言を、思い切って撃ち放ったほのかに対して。

 即答できなかった俺は。
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