探求心の魔物

弓チョコ

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3.妖怪の体

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「はぁ……はぁ」
 しばらくがむしゃらに進むと、追っ手は見えなくなった。一先ずは撒けたようだ。
「済まない、私のミスだ」
「仕方無いですよ。当然のリスクです」
 呼吸を整え、どうするかを考える。ラシャの奴、いつの間に人を使えるようになったんだ。
「奴は曹長と呼ばれていた。数人で来たということはあるまい。10人単位で、街を捜索している筈だ」
「……戦いましょう」
「……」
 エヴァルタの眼に闘志が宿った。『一族』の者は皆身体能力が高い。彼女も例に漏れず、剣の腕は私を遥かに凌駕する。
 しかし、彼女は勇敢と無謀の違いを分かっていないようだ。
「剣も無いのにか。もしラシャを退けても、次は警戒されもっと多くの強い奴等が追っ手になる。今は戦争もなく、経済も順調だからな。私達に割く金と労力には惜しまないだろう」
「……ではどうしますか?」
 強い眼差しのまま、彼女は私を見た。納得はしていないが、私の意見に逆らうことはしない。私のために自分の意志を曲げてくれているのだ。彼女だけは必ず、私が護らなくてはならない。
 その為には、私の誇りも犠牲にしよう。
「これも一か八かになるが……『私の同族』の集落へ出よう。彼らは心優しい。ゼニスやあの商人のように金で私達を売ったりはしないし、お風呂も貸してくれるだろう」
「分かりました」

ーー

 大昔、この国の民は狩猟民族だった。彼らは毎朝、日の出前に狩りに行き、獲った獲物を市場で並べていた。だから商人への挨拶として、『今朝の首尾はどうだい』と訊くようになったのだ。
 だが『彼等』は違う。『私達』は、狩猟はしなかった。ずっと家に居たか、産まれてすぐに殺されるかだった。
 だから彼等への挨拶は、こうで良い。
「ただいま。ごめんください」
「……どうした?君は……『我々』と同じか。訳を聞こう。さあ奥へ」
 下水でドロドロの私達にも暖かい手を差し伸べてくれる彼等は、慈愛に満ちている。改めて、私は自分が『この身体』であることに誇りを感じた。

ーー

 大きな街だと大抵、彼等の集落がある。板切れとぼろ布で作られた集落だ。ここに助けを求めるのは間違っていると分かってるが、彼等は受け入れてくれる。
「表で軍人さんが忙しなくしているね。それと関係が?」
「はい。追われています」
「後ろの女性は……」
「彼女は差別的ではありません。心優しい友人ですよ」
「だろうね。分かるよ。私はリール。君は?」
「私はフロウ。彼女はエヴァルタです」
「良い名前だ」
 私達を案内してくれたのは、50代くらいの人だ。髭も無いが、物腰が柔らかい訳でもない。見るに、その歳になってもまだ、『決めきれていない』のだろう。
「まずは身体を洗いなさい」
 と、お風呂を勧められた。この集落に上下水道など通っていないが、昔ながらの方法で清水を扱っている。下水道が無いことは、時間稼ぎにもなるか。
「……」
 エヴァルタが脱衣を躊躇していると、リールが気を遣った。
「そうだね。君は公衆浴場へ行かない方が良い。私も去るよ。表にいるから、終わったら呼んでくれ」
 男性ではないリールがその場を去った理由は、もとい、エヴァルタが躊躇した理由は、その翡翠の髪のことではない。
 彼女が紛れもない、『女性』であるということだった。

ーー

「あー。2日振りのお風呂」
「良かったな」
 湯船に浸かりながら、私は髪を大事そうに洗うエヴァルタを眺める。19の女性の身体は立派に大人だ。乳房は余り大きくはないが、小さいということもない。剣を振るうのに妨げにはならないだろう。
 洗い終わったエヴァルタが湯船に入ってくる。ふたり分の体積で水が溢れるのを気にせず、彼女は私と背中合わせに座った。
「これからどうしますか?」
「馬はもう奴等に見付かっているだろう。買い直したいが、生活費を抜くと馬を買う残金が無い。乗り合い馬車か、歩きになるな」
「急ぎの旅じゃないし、それで良いですよ」
「そうだな」
「……あの人とは、お知り合いですか?」
「ラシャか。奴は私と同じ曹長代理だったが、今度昇進したようだ」
「危険度は?」
「私より執念深いのは確かだ」
「どうやって撒きます?」
「ラシャなら、ここを突き止めるだろう。騒ぎになる。それに便乗しよう」
「……ここの人達は……」
「何、彼等も戦えない訳じゃないし、奴等も不当に傷付けたりはしない。軍人の面子があるからな」
「……もう、上がります。すぐ発つ仕度をしないと」
「お前は風呂上がりも髪をいじるのか」
「当たり前じゃないですか」

ーー

 エヴァルタが出た後、少なくなった浴槽の水面に映る自分の顔と身体を見る。いつ見ても貧相な身体だ。ああ、身長は彼女より高いさ。ほんの少しだが。
 さて私も出るかと浴槽から出た瞬間。
「ーーーー!」
 外からなにやら喧騒が聞こえた。しまった、思ったより早く、見付かってしまったのか。

ーー

「奴の服だ!裏切り者はここか!」
 風呂の扉が開けられた。入ってきたのは若い兵士。ちょうどエヴァルタの1期下くらいだろうか。
「!?」
 そしてその若い彼は、私の裸体を眼にすると、あっとして頬を染め。
 さらに無遠慮に見ると、『頬を染める必要が無いことに気付いた』。
「きっ…。貴様、おん…いや、男!?いや…!?」
「そうか、君は【落陽の街】から出たことの無い新兵だろう。『妖怪』を見るのは初めてか」

ーー

 私の身体には性的特徴が何一つ無い。乳房はおろか、男の象徴も無ければ女の象徴も無い。男のように筋肉質でも無いし、女のように脂肪があるわけでもない。私は、生物として一番大事な機能を欠いているのだ。
「気持ち悪いだろう。こんな生き物がいるのかと。驚いたか?」
「……に、人間じゃない……!」
 新兵はみるみる顔が青白くなっていく。
「そう言うな。臍はあるんだ。人から生まれた人間だよ」
 新兵の剣を握る指が緩まる。その指が、仲間を呼ぶ笛に伸びる前に。
「!」
 エヴァルタが飛び込み、新兵の手首を叩いて剣を落とさせた。
「うわっ!」
 それを後ろから見ていた私は合わせて新兵の足を刈る。バランスを失った彼はごちんと良い音を立てて床に頭を強打した。

ーー

「……!」
 エヴァルタはもう着替えていた。彼女は気絶した新兵を、まるで害虫でも見るかのように睨む。
「急ごう。軍人は身体が丈夫だ。すぐ起きる」
「……先輩は人間です」
「ありがとう」
 彼女は私の身体について、理解を示してくれている。幼い頃から虐められがちだった私にとってありがたいことに、男でも女でもなく『先輩』として接してくれるのだ。
「殺しますか?」
「殺さないよ。彼等は敵じゃない」
「なら剣を奪います」
「駄目だ」
「何故っ」
 食って掛かるエヴァルタ。他人の為に怒るのは才能、か。確かに、今私は彼女が怒って何故だか嬉しい。
「……落ち着け新兵。軍刀を持ち歩く旅人は居ない。すぐに見付かるぞ」
「じゃあ……!」
「その剣は折って破棄しよう」
 私も着替えると、新兵の服を探る。
「何を?」
 剣に憤懣をぶつけながら、エヴァルタが尋ねる。
「呼び笛を破壊する。これで彼が起きてもすぐには仲間を呼べない」
 首に提げたものだけじゃない。予備にもうひとつある。私も元軍人だから知っている。

ーー

「なあ、大丈夫かい?彼は?」
 外へ出ると、リールを始め集落の人達が不安そうに尋ねてきた。
「私達は大丈夫です。彼が起きたら『私達は南西へ向かった』と伝えてください。それでこの集落に被害は出ないでしょう」
「……分かった。だがあんた達は……」
「ええ。もうここへは来ません。お世話になりました」

ーー

「南西って?」
 集落を出て、裏道を進みながらエヴァルタが尋ねる。
「そっちにも国境があるからな。勿論、私達は行かないが」
 そんな会話をした時。
 集落の方から呼び笛の音が高らかに響いた。
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