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序章:人族と亜人族
第11話 急転
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「ジェラ家は、虹の国でも貴族家。5年前、末娘が行方不明になったと聞いたけど、鉄の国に居たのね」
次の日。
レナリアは改めて、ラスの持ち帰った情報を整理していた。ここは宿。布団とテーブルが用意されただけの簡素な所だ。レナリアはテーブルで、ラスに買ってきてもらったノートになにやら書き物をしている。ラスは布団で横になっており、リルリィはその隣でじっと座っていた。
「……へぇ」
「理由は分からないけど、虹の国と鉄の国は隣国だから、そんなにおかしくは無いわ」
地図を見ると、流石世界最大面積というべきか、鉄の国の領地は遥か北の虹の国とも隣接していた。
「……ラス、大丈夫?」
リルリィは自分の傷より、ラスを心配していた。彼も、虎に突進された傷がある。
「……5年も、ひとりで頑張ってたんだな」
ラスはリルリィの頭を撫でた。リルリィは気持ち良さそうに尻尾を振っている。
「……随分モテますね」
レナリアがじとりと見た。
「懐かれたと言ってくれ。大体ファンは例外だろ。取り替え子なだけだ」
「シャラーラやザクロさんは?」
「あのなあお前。なんでもかんでもそんな発想してるって、虹の国で広めてやろうか」
「……ええ。私の生存報告になるわ」
「真面目に答えるなよ……」
――
「こえを聞いて貰えたの。ラスは、わたしが人だって分かってくれた。だから好き」
リルリィはこの5年の話をしようとはしない。あまり覚えても無いらしい。だが、過酷だったことは容易に想像できる。それこそ変身魔法を使って、解く隙も無いほどに。
「お姉さんは、なんで詳しいの?」
「……私も、竜人だからよ」
レナリアは少し服をはだけさせ、片方の角と鱗を見せた。リルリィと比べると痛々しい光景だが、証明にはなったようだ。
「……大丈夫? いたくない?」
リルリィはおろおろとレナリアへ近寄る。
「痛みはもう大丈夫。ありがとう。……でも、もう魔法も使えないし、歩けないの」
「……かわいそう」
「……優しい子ね。あなたこそ、目は痛まない?」
片角を折られ尻尾を切断され、鱗を数枚剥がされた竜人の女王レナリア。
そして、左目を失った竜の子、リルリィ。
戦場かと思うほど悲惨な光景だ。だが、本人達はそうは思っていない。
「いたいけど、ラスとお姉さんを見ると我慢できちゃった」
「……ありがとう」
――
「リルリィは、これからどうする?」
「え?」
「俺達は、虹の国へ行く事を目的にしている。その為に、この街で準備を整えるつもりだ」
「……わたしも行く。帰りたいよ。おうちに」
「分かった」
「えへへ」
リルリィは嬉しそうに、寝転がるラスへ飛び込んだ。
「うおっ」
角と尻尾はあるが、小さな女の子だ。こんな子が、あの巨大な竜に変身し、何人もの狩人を蹴散らしていた。
竜人という種族の凄さの片鱗を見た。こんな子供でも、危険な狩猟区でひとりで生活できるのだ。
やはり竜人族とは、他の亜人とは別格なのだと理解した。
「当面は金か」
「ええ。資金ができたら次の砦へ向かう。それを繰り返し、虹の国へ。ラスならどんなモンスターでも狩れる。でしょう?」
――
「いや、もう国を出た方が良い」
「何故?」
場所を移して、ザクロの酒場。ザクロはラスへ給仕がてら、そう言った。
「前に言ったろ。『趣味悪い』方のオーガが、この街に来る。人族好きで有名な奴だ」
「……ほう」
「この街にも、奴隷市場はある。あたしは行かないけどな。でも普通だよ。ドワーフ達の工房じゃ、奴隷が主要な労働力だ。あたしは見たこと無いけどな」
と、ザクロは念押しした。
「奴隷市場、ですか」
ラスの横に座るレナリアが神妙に呟いた。今日は狩りには行かない。この酒場は安全と判断し、情報収集のために彼女も来ていた。
リルリィはお留守番である。
「東の区画さ。この街も広いからね。そっちの方には行かないことをおすすめするよ」
と、そこへ新たなお客が来店した。ザクロは「ま、今日くらいは寛いでってよ」と言ってテーブルを去った。
「この国の法律は、人族を守らない」
ぽつりと、門番の言葉を思い出したラス。
「人拐いってことですかね。気を付けないと」
レナリアは、持ってきたノートにメモをする。
「ああ。特にあんたは足が……」
ラスはレナリアの背後に立つ影を見た。大柄なオーガとドワーフのふたり組だった。
ドワーフ。正式には鎚人族。男女共に立派な髭を蓄え、横に大きい身体、強靭な腕力を持つ種族。
彼らは火と水、そして風の魔法を得意とする。その繊細な魔法から作り出される至高の武具が、オーガの手によって操られる。彼らは共存することで最強の戦闘能力を発揮するのだ。
「……あ?」
ラスはふたりを睨んだ。およそ弱者とは思えない威圧感を放つ。何故ならふたり組は、レナリアを凝視していたからだ。
「……相席良いかい? お嬢さん」
オーガがラスを無視してレナリアへ話し掛けた。対してレナリアは、きょろきょろと辺りを見た。
「……まだお昼で、テーブルは空いてますけど」
「かかっ! そういう意味で言ったんじゃないぜ!おぼこい姉ちゃんだ!」
きょとんとしたレナリアに、ドワーフの男が笑い声を挙げた。
「あんたと呑みてえから誘ったのさ。別嬪さん」
「勿論承知の上で、他のテーブルを勧めたのです」
「ちっ」
ラスはややこしいことになる前に、ふたりを気絶させようとしたが。
「(駄目よ。力は隠しておかなきゃ)」
レナリアはそれを察し、眼で訴え、制した。
「気の強い女は良い。弱い人族なら尚更いじらしいな」
「光栄ですが、もう出る所なの。行きましょうラス」
「……ああ」
ラスは立ち上がり、レナリアの手を取ろうとして。
伸びたレナリアの細い腕は、オーガのごつごつした手に握られた。
「……ちょ。なんですか」
「行くとこあるんだろ? 送るよ。さあ」
オーガはレナリアの手を引いて立たせようとするが、レナリアの足は動かない。掴まれた腕を振りほどこうとして、椅子から落ちてしまった。
「きゃっ!」
「おいおい大丈夫か? 酔ってんなら、介抱してやるよ。なあ」
「離してください」
レナリアは尚も、怒りを募らせるラスを眼で制する。この場で騒ぎは起こせない。ザクロの手前もある。
「どうかお引き取りください。私はあなた達との時間は作れません。諦めてください」
「……」
オーガは、ドワーフとアイコンタクトを取った。何故か分からないが、この女は怪我か何かで足が悪いのだ。
「嫌だね」
「かかっ。そもそも人族が、ワシらに拒否権などあるものか」
「ちょ……! 嫌!」
オーガが強引にレナリアを担ぎ上げた所で。
「おい」
ラスが男の肩に手をやった。
「……あ?」
レナリアはラスを見ていた。その目はもう、ラスを止める眼では無かった。
助けを求めていた。
「その辺にしとけ好色オニ野郎。角折んぞてめえ」
「んだと奴隷風情が」
と、初めてオーガが、ラスに気を向けた。
「!」
瞬間。
「ぐおおっ!」
オーガが、背後に向かって回転するように倒れ、後頭部から地面に激突した。
「はぁ!?」
「きゃっ」
レナリアは勢いでオーガから離れ、ラスの腕の中へ着地する。
ドワーフの驚愕を無視し、倒れたオーガの顔面を、力一杯踏みつける。
「うおっ!」
人族の攻撃など効かないだろうが……そこでラスはオーガを『秘密兵器』によって気絶させた。
「……帰るぞレナ。雲行き怪しくなってきた」
「え、ええ……」
「おおおお~」
「?」
いつの間にか、他の客の注目を浴びていた。彼らはラスに対し、称賛の拍手を送っていた。
「すげえな、人族が軽々とオーガを倒したぞ」
「いや弱すぎだろあのオーガ」
「……また『投げた』。……なんだあの技」
――
だが。
「貴様、ただで帰れると思うな!」
残ったドワーフが、ラスへ向かう。単純な筋力と体重なら、オーガより上の種族だ。戦いは好まないと言え、ただ突進するだけで簡単に人族など殺せる。
「……ヒゲ肉野郎が」
結果は同じだった。ただ単純に向かってくるだけの『肉』。
ラスの敵では無い。秘密兵器を使わずとも、気の操作のみであしらい、倒した。
「おおっ!」
「よっ!」
沸く酒場。ラスはやれやれと代金をザクロへ渡した。
「勘弁してくれ。息を潜めたいんだ」
「あはは。本当に強いな、ラス。でも尚更なんで虎に負けたんだ?」
「言わねえよ」
「言えよー」
――
「もう街を出ましょう」
「ああ」
レナリアを馬に乗せ、宿まで走るラス。
「『強い人族が居る』なんて噂が出ると危険だわ」
「さらに『竜人連れ』と来た。敵が優秀じゃなくてもあんたまで辿り着かれるな」
「ええ。少なくとも爪の国……獣人族にはあなたの『秘密兵器』はバレている」
「シャラーラのせいでな」
急いで戻ると、宿の入り口でなにやら揉めているのを見付けた。
「……?」
居るのはオーガ、獣人族。そして……。
「嫌、はなしてっ!」
「大人しくしろガキ」
オーガに捕まるリルリィだった。
「……さっきも見たな。オーガに抱えられる竜人」
「馬鹿言ってないでっ!」
レナリアが叫んだ。
――
「ラスーっ!」
「あぁ!?」
リルリィがこちらに気付き、助けを求める声を挙げた。オーガは何事かと睨む。
「鬼ロリコン野郎が」
「っ!」
途端にオーガは目を回し、糸が切れた人形のように倒れる。力が抜けて離されたリルリィは、バランスよく着地した。
「(……改めて、無敵よね、この人)」
レナリアが馬の上から感心する。この秘密兵器の存在を知れば、誰が人族を馬鹿にできようか。
「ラス……っ!」
ラスの元へ駆け寄ろうとしたが、その足は宙に浮いて空を掻くだけだった。
「……さて、ここからだ」
そう呟いたのは、犬の耳を生やした獣人族の男。彼はリルリィの首根っこを掴み、その動きを制していた。
「その子を離せ、変態犬野郎」
「口が悪いな家畜民族」
その獣人族の男は、やけに落ち着いた雰囲気を持っていた。そして、何故かアイマスクで目隠しをしている。その下には獣人族の正装であるスーツ。そんな男が小さな女の子を捕まえている。確かに変態にも見える様子だった。
「……ちっ!」
「?」
犬耳の男は気絶しない。レナリアは不思議に思った。
「やはりか。興味深いものだな。『キ』というのか」
「うるせえ!」
ラスは秘密兵器が効かないと、強引に距離を詰める。しかし身体能力では人族は獣人族に勝てる筈は無い。男は暴れるリルリィを掴みながらも回避する。
「ラスっ!」
リルリィは叫ぶが、ラスは憎々しげに男を睨むのみ。
「『視線誘導』。そして『催眠術』。……どちらの術も恐らく世界最高レベルまで研ぎ澄まされている。『キ』には他にも技があるのか? 我らの仲間を殺した技は?」
「!」
薄々気付いてはいたが、これではっきりした。この男は、爪の国からの追っ手だ。
だがそれよりも。
「……催眠、術?」
「ちっ!」
ラスは舌打ちした。睨むは男のアイマスク。
……『秘密兵器』のタネが、バレてしまった。冷や汗が垂れる。
「当たりか。しかし凄いな。そんな薄弱な、失われた技を駆使してこうも簡単にオーガを下すのは」
「……何の用だ犬畜生野郎。報復か?」
「何を言う。報復ならもう終わっている」
「は?」
「…………まさか!」
男の言葉にレナリアは考えが至り、口をつぐんだ。
「あの草原の家畜は根絶やしにした。2日前のことだ」
「……!!」
瞬時にラスの瞳孔が開く。全身の毛が逆立つ。レナリアは恐怖した。ただの人族に。
「……!」
故郷を滅ぼしたと、犬耳の男は語った。もうあの集落は存在しない。サロウもファンも死んだ。彼らの知らないところで、知らぬ内に。
「……リルリィ」
「……えっ?」
ラスはぼそりと呟いた。眼を閉じた相手に催眠術は通用しない。視覚を失うが、恐らく獣人族特有の鋭い五感で補っているのだろう。なるほどそうされれば、彼らは人族にとって天敵と言える。
「『やれ』」
「……でも、街が」
リルリィは躊躇する。彼女は賢い。ラスの命令を聞けばどうなるか想像できる。
「ちょっ……ラス! それは……」
レナリアも止める。しかし、ラスの怒りは最早【そんなもの】ではない。
何より、彼は怒ると冷静さを失う。
「大丈夫だ。『やってくれ』」
「……わ、分かった」
リルリィは頷いた。どうなろうと、ラスを信じる……それは、幼いが故の信頼だった。
「ラス待って――!」
――
遅かった。リルリィの翡翠の角が、淡く光る。獣人族の男が魔力に気付き、構えるが。
「アアアアアアア!!」
「なん……だとっ!」
彼女の身体はみるみる変貌する。男の手を離れ、巨大化する。それに伴い壊れる宿。傾く建物、ヒビが入る石の床。
戦闘種族オーガを数人病院送りにした隻眼の恐竜が、再び現れた。
次の日。
レナリアは改めて、ラスの持ち帰った情報を整理していた。ここは宿。布団とテーブルが用意されただけの簡素な所だ。レナリアはテーブルで、ラスに買ってきてもらったノートになにやら書き物をしている。ラスは布団で横になっており、リルリィはその隣でじっと座っていた。
「……へぇ」
「理由は分からないけど、虹の国と鉄の国は隣国だから、そんなにおかしくは無いわ」
地図を見ると、流石世界最大面積というべきか、鉄の国の領地は遥か北の虹の国とも隣接していた。
「……ラス、大丈夫?」
リルリィは自分の傷より、ラスを心配していた。彼も、虎に突進された傷がある。
「……5年も、ひとりで頑張ってたんだな」
ラスはリルリィの頭を撫でた。リルリィは気持ち良さそうに尻尾を振っている。
「……随分モテますね」
レナリアがじとりと見た。
「懐かれたと言ってくれ。大体ファンは例外だろ。取り替え子なだけだ」
「シャラーラやザクロさんは?」
「あのなあお前。なんでもかんでもそんな発想してるって、虹の国で広めてやろうか」
「……ええ。私の生存報告になるわ」
「真面目に答えるなよ……」
――
「こえを聞いて貰えたの。ラスは、わたしが人だって分かってくれた。だから好き」
リルリィはこの5年の話をしようとはしない。あまり覚えても無いらしい。だが、過酷だったことは容易に想像できる。それこそ変身魔法を使って、解く隙も無いほどに。
「お姉さんは、なんで詳しいの?」
「……私も、竜人だからよ」
レナリアは少し服をはだけさせ、片方の角と鱗を見せた。リルリィと比べると痛々しい光景だが、証明にはなったようだ。
「……大丈夫? いたくない?」
リルリィはおろおろとレナリアへ近寄る。
「痛みはもう大丈夫。ありがとう。……でも、もう魔法も使えないし、歩けないの」
「……かわいそう」
「……優しい子ね。あなたこそ、目は痛まない?」
片角を折られ尻尾を切断され、鱗を数枚剥がされた竜人の女王レナリア。
そして、左目を失った竜の子、リルリィ。
戦場かと思うほど悲惨な光景だ。だが、本人達はそうは思っていない。
「いたいけど、ラスとお姉さんを見ると我慢できちゃった」
「……ありがとう」
――
「リルリィは、これからどうする?」
「え?」
「俺達は、虹の国へ行く事を目的にしている。その為に、この街で準備を整えるつもりだ」
「……わたしも行く。帰りたいよ。おうちに」
「分かった」
「えへへ」
リルリィは嬉しそうに、寝転がるラスへ飛び込んだ。
「うおっ」
角と尻尾はあるが、小さな女の子だ。こんな子が、あの巨大な竜に変身し、何人もの狩人を蹴散らしていた。
竜人という種族の凄さの片鱗を見た。こんな子供でも、危険な狩猟区でひとりで生活できるのだ。
やはり竜人族とは、他の亜人とは別格なのだと理解した。
「当面は金か」
「ええ。資金ができたら次の砦へ向かう。それを繰り返し、虹の国へ。ラスならどんなモンスターでも狩れる。でしょう?」
――
「いや、もう国を出た方が良い」
「何故?」
場所を移して、ザクロの酒場。ザクロはラスへ給仕がてら、そう言った。
「前に言ったろ。『趣味悪い』方のオーガが、この街に来る。人族好きで有名な奴だ」
「……ほう」
「この街にも、奴隷市場はある。あたしは行かないけどな。でも普通だよ。ドワーフ達の工房じゃ、奴隷が主要な労働力だ。あたしは見たこと無いけどな」
と、ザクロは念押しした。
「奴隷市場、ですか」
ラスの横に座るレナリアが神妙に呟いた。今日は狩りには行かない。この酒場は安全と判断し、情報収集のために彼女も来ていた。
リルリィはお留守番である。
「東の区画さ。この街も広いからね。そっちの方には行かないことをおすすめするよ」
と、そこへ新たなお客が来店した。ザクロは「ま、今日くらいは寛いでってよ」と言ってテーブルを去った。
「この国の法律は、人族を守らない」
ぽつりと、門番の言葉を思い出したラス。
「人拐いってことですかね。気を付けないと」
レナリアは、持ってきたノートにメモをする。
「ああ。特にあんたは足が……」
ラスはレナリアの背後に立つ影を見た。大柄なオーガとドワーフのふたり組だった。
ドワーフ。正式には鎚人族。男女共に立派な髭を蓄え、横に大きい身体、強靭な腕力を持つ種族。
彼らは火と水、そして風の魔法を得意とする。その繊細な魔法から作り出される至高の武具が、オーガの手によって操られる。彼らは共存することで最強の戦闘能力を発揮するのだ。
「……あ?」
ラスはふたりを睨んだ。およそ弱者とは思えない威圧感を放つ。何故ならふたり組は、レナリアを凝視していたからだ。
「……相席良いかい? お嬢さん」
オーガがラスを無視してレナリアへ話し掛けた。対してレナリアは、きょろきょろと辺りを見た。
「……まだお昼で、テーブルは空いてますけど」
「かかっ! そういう意味で言ったんじゃないぜ!おぼこい姉ちゃんだ!」
きょとんとしたレナリアに、ドワーフの男が笑い声を挙げた。
「あんたと呑みてえから誘ったのさ。別嬪さん」
「勿論承知の上で、他のテーブルを勧めたのです」
「ちっ」
ラスはややこしいことになる前に、ふたりを気絶させようとしたが。
「(駄目よ。力は隠しておかなきゃ)」
レナリアはそれを察し、眼で訴え、制した。
「気の強い女は良い。弱い人族なら尚更いじらしいな」
「光栄ですが、もう出る所なの。行きましょうラス」
「……ああ」
ラスは立ち上がり、レナリアの手を取ろうとして。
伸びたレナリアの細い腕は、オーガのごつごつした手に握られた。
「……ちょ。なんですか」
「行くとこあるんだろ? 送るよ。さあ」
オーガはレナリアの手を引いて立たせようとするが、レナリアの足は動かない。掴まれた腕を振りほどこうとして、椅子から落ちてしまった。
「きゃっ!」
「おいおい大丈夫か? 酔ってんなら、介抱してやるよ。なあ」
「離してください」
レナリアは尚も、怒りを募らせるラスを眼で制する。この場で騒ぎは起こせない。ザクロの手前もある。
「どうかお引き取りください。私はあなた達との時間は作れません。諦めてください」
「……」
オーガは、ドワーフとアイコンタクトを取った。何故か分からないが、この女は怪我か何かで足が悪いのだ。
「嫌だね」
「かかっ。そもそも人族が、ワシらに拒否権などあるものか」
「ちょ……! 嫌!」
オーガが強引にレナリアを担ぎ上げた所で。
「おい」
ラスが男の肩に手をやった。
「……あ?」
レナリアはラスを見ていた。その目はもう、ラスを止める眼では無かった。
助けを求めていた。
「その辺にしとけ好色オニ野郎。角折んぞてめえ」
「んだと奴隷風情が」
と、初めてオーガが、ラスに気を向けた。
「!」
瞬間。
「ぐおおっ!」
オーガが、背後に向かって回転するように倒れ、後頭部から地面に激突した。
「はぁ!?」
「きゃっ」
レナリアは勢いでオーガから離れ、ラスの腕の中へ着地する。
ドワーフの驚愕を無視し、倒れたオーガの顔面を、力一杯踏みつける。
「うおっ!」
人族の攻撃など効かないだろうが……そこでラスはオーガを『秘密兵器』によって気絶させた。
「……帰るぞレナ。雲行き怪しくなってきた」
「え、ええ……」
「おおおお~」
「?」
いつの間にか、他の客の注目を浴びていた。彼らはラスに対し、称賛の拍手を送っていた。
「すげえな、人族が軽々とオーガを倒したぞ」
「いや弱すぎだろあのオーガ」
「……また『投げた』。……なんだあの技」
――
だが。
「貴様、ただで帰れると思うな!」
残ったドワーフが、ラスへ向かう。単純な筋力と体重なら、オーガより上の種族だ。戦いは好まないと言え、ただ突進するだけで簡単に人族など殺せる。
「……ヒゲ肉野郎が」
結果は同じだった。ただ単純に向かってくるだけの『肉』。
ラスの敵では無い。秘密兵器を使わずとも、気の操作のみであしらい、倒した。
「おおっ!」
「よっ!」
沸く酒場。ラスはやれやれと代金をザクロへ渡した。
「勘弁してくれ。息を潜めたいんだ」
「あはは。本当に強いな、ラス。でも尚更なんで虎に負けたんだ?」
「言わねえよ」
「言えよー」
――
「もう街を出ましょう」
「ああ」
レナリアを馬に乗せ、宿まで走るラス。
「『強い人族が居る』なんて噂が出ると危険だわ」
「さらに『竜人連れ』と来た。敵が優秀じゃなくてもあんたまで辿り着かれるな」
「ええ。少なくとも爪の国……獣人族にはあなたの『秘密兵器』はバレている」
「シャラーラのせいでな」
急いで戻ると、宿の入り口でなにやら揉めているのを見付けた。
「……?」
居るのはオーガ、獣人族。そして……。
「嫌、はなしてっ!」
「大人しくしろガキ」
オーガに捕まるリルリィだった。
「……さっきも見たな。オーガに抱えられる竜人」
「馬鹿言ってないでっ!」
レナリアが叫んだ。
――
「ラスーっ!」
「あぁ!?」
リルリィがこちらに気付き、助けを求める声を挙げた。オーガは何事かと睨む。
「鬼ロリコン野郎が」
「っ!」
途端にオーガは目を回し、糸が切れた人形のように倒れる。力が抜けて離されたリルリィは、バランスよく着地した。
「(……改めて、無敵よね、この人)」
レナリアが馬の上から感心する。この秘密兵器の存在を知れば、誰が人族を馬鹿にできようか。
「ラス……っ!」
ラスの元へ駆け寄ろうとしたが、その足は宙に浮いて空を掻くだけだった。
「……さて、ここからだ」
そう呟いたのは、犬の耳を生やした獣人族の男。彼はリルリィの首根っこを掴み、その動きを制していた。
「その子を離せ、変態犬野郎」
「口が悪いな家畜民族」
その獣人族の男は、やけに落ち着いた雰囲気を持っていた。そして、何故かアイマスクで目隠しをしている。その下には獣人族の正装であるスーツ。そんな男が小さな女の子を捕まえている。確かに変態にも見える様子だった。
「……ちっ!」
「?」
犬耳の男は気絶しない。レナリアは不思議に思った。
「やはりか。興味深いものだな。『キ』というのか」
「うるせえ!」
ラスは秘密兵器が効かないと、強引に距離を詰める。しかし身体能力では人族は獣人族に勝てる筈は無い。男は暴れるリルリィを掴みながらも回避する。
「ラスっ!」
リルリィは叫ぶが、ラスは憎々しげに男を睨むのみ。
「『視線誘導』。そして『催眠術』。……どちらの術も恐らく世界最高レベルまで研ぎ澄まされている。『キ』には他にも技があるのか? 我らの仲間を殺した技は?」
「!」
薄々気付いてはいたが、これではっきりした。この男は、爪の国からの追っ手だ。
だがそれよりも。
「……催眠、術?」
「ちっ!」
ラスは舌打ちした。睨むは男のアイマスク。
……『秘密兵器』のタネが、バレてしまった。冷や汗が垂れる。
「当たりか。しかし凄いな。そんな薄弱な、失われた技を駆使してこうも簡単にオーガを下すのは」
「……何の用だ犬畜生野郎。報復か?」
「何を言う。報復ならもう終わっている」
「は?」
「…………まさか!」
男の言葉にレナリアは考えが至り、口をつぐんだ。
「あの草原の家畜は根絶やしにした。2日前のことだ」
「……!!」
瞬時にラスの瞳孔が開く。全身の毛が逆立つ。レナリアは恐怖した。ただの人族に。
「……!」
故郷を滅ぼしたと、犬耳の男は語った。もうあの集落は存在しない。サロウもファンも死んだ。彼らの知らないところで、知らぬ内に。
「……リルリィ」
「……えっ?」
ラスはぼそりと呟いた。眼を閉じた相手に催眠術は通用しない。視覚を失うが、恐らく獣人族特有の鋭い五感で補っているのだろう。なるほどそうされれば、彼らは人族にとって天敵と言える。
「『やれ』」
「……でも、街が」
リルリィは躊躇する。彼女は賢い。ラスの命令を聞けばどうなるか想像できる。
「ちょっ……ラス! それは……」
レナリアも止める。しかし、ラスの怒りは最早【そんなもの】ではない。
何より、彼は怒ると冷静さを失う。
「大丈夫だ。『やってくれ』」
「……わ、分かった」
リルリィは頷いた。どうなろうと、ラスを信じる……それは、幼いが故の信頼だった。
「ラス待って――!」
――
遅かった。リルリィの翡翠の角が、淡く光る。獣人族の男が魔力に気付き、構えるが。
「アアアアアアア!!」
「なん……だとっ!」
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