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急章:開花の魔法
第29話 天罰
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空は黒く覆われた。それほど大量の影が、東の空から押し寄せたのだ。
「あ……」
怒濤の勢い。この数分で、目まぐるしく彩京の状況は変わった。
『人族が大量に押し寄せ』
『竜王がレナリアを処刑しようとし』
『それをヒューリが阻み』
『空から大量の』
「ま……魔物だぁぁぁっ!!」
空飛ぶ巨大なモンスターが現れた。
――
「――ちいっ!」
セシルは舌打ちをした。ここまで『早く』『大胆』だとは予想外だった。
そして……いつもいつも『出遅れる』自分に腹が立った。
「亜人を洗脳したんだ。魔物なぞより簡単な筈。不覚だっ!」
高山に拓かれた都。翼人族の居ないこの国で、『空から攻められる』想定はしていなかった。だから気付かれず、既にここまでの侵入を許してしまっている。
「セシル殿っ!」
「なんだ!」
騎士団の屯所から飛び出る直前に、部下に止められる。
「王宮前広場で……レナリア様がっ! ライル様がっ!」
「…………!」
彩京までの道中で、セシルの働きにより騎士団はライルではなくレナリアに従って動いている。勿論処刑を防ぐつもりだったが、竜王ライルには屈強な護衛が付いておりそれは阻まれていた。『上空』から処刑台へ直接降り立ったヒューリは価千金の活躍であると言えるだろう。
「――【任せる】」
「っ!?」
部下は口を開けて驚愕した。亜人の常識には無かったことだからだ。
今セシルは、『自分の王の命を』『人族ひとりに預ける』と言ったのだ。
「あの男はラスと『同格』の男だ。それにウェルフェアも付いている。あの場は。……レナリア様は【任せられる】。我々は魔物の――アスラハの対処へ向かう! 半分は住民を避難させろ。残りは総員、出撃だっ!」
「しょ……! 承知いたしましたっ!」
叫び、セシルは地を抉るように蹴って飛び上がった。
「<エクロール>っ!!」
彼女の身体が、強力な魔力を帯びた。それはやおら形を成し、巨大化していく。
衝撃は空気の振動だ。一瞬、彼女を纏う彩京の霧が晴れる。
彼女は魔力感知の範囲が狭い。そして、他と比べて変身までが遅い。
だが彼女の『銀竜』という竜人族は。竜人族の中で唯一。
翼を持つ竜に変身できる。
「オアアアアッ!!」
リルリィの『地竜』とは異なり、それよりは細い体躯。巨大な翼は鳥というよりは蝙蝠に似ている。
青い瞳が、魔物の群れを捉える。
「アアアアアッ!!」
風魔法と変身魔法の慣性で真っ直ぐ、セシルは魔物の群れへと突っ込んでいった。
――
「【レイジ】っ!」
人族の男性が、その名を呼んだ。ここは広い平原。『真後ろ』に、竜の峰が聳える。
上半身裸の男。隆々の筋肉を惜し気なく晒す人族。
短い髪に、整えられた無精髭。褐色の肌。そして身長ほどもあろうかという巨大な大剣を肩に乗せている。その刃の根元には、【3つ】の魔石が並んでいる。
さらに、報告に来たこの男性が『子供に見える』くらい、大きな体格。
「――ああ。見えてるよ」
凡そ、臆病で弱く、小さな『人族』とは思えない風体のその男は、平原の先をしかと見据えていた。
地平線に見える、黒い影を。
「……『獣人族の大軍』だ! 数は2万!」
「ああ。アスラハだ。やはり『一網打尽』にするつもりだったな。『汚点ちゃん』が峰へ登る時を待っていた訳だ」
レイジは振り返る。竜の峰と、その麓には10万人以上の人族が居る。ここを通す訳にはいかない。
「…………」
それに『そこ』には、彼にとって大切な『墓』がある。
「それと、東の空から」
「魔物だろ? あれは俺達じゃどうしようも無い。竜人騎士団の腕の見せ所だよ」
「!」
レイジの眼下。そこには『魔道具』を所持した人族の『戦士』が10人。そしてその背後に1000人ほど『気の戦士』が、ずらりと並んでいた。
その列にぽつぽつと、数人の竜人騎士が立っている。
「一騎当千とは、いかないか。『一騎当三十』くらいだな。だがそれで良い。俺達(人族)が戦って『勝つ』所を、世界に見せてやろうじゃないか」
戦士達はその声に、各々の魔道具を構える。
「『正面衝突』だ。行くぞ野郎共!」
「「おおおおおおおおお!!」」
人族から『鬨の声』が挙がるなど、歴史上これが初めてだろう。
――
彩京の西、下層部の入口。長い長い坂を登った先にある『広大な踊り場』であるそこからは、地上の様子がよく見える。正に今、冬の朝などは絶景だろう。
「…………!」
大勢の獣人族が押し寄せる様子が、よく見える。
「『爪の国』だっ!!」
まず始めに、ひとりが叫んだ。その方角に真っ直ぐ行けば、その国があるからだ。
「なんだとっ!?」
「おい! 都中に知らせろ! 獣王が攻めてきたぞっ!!」
「ウチの軍はっ! 騎士団は何やってんだ!?」
「半壊してるに決まってんだろ! あの愚王がそこまで考えられてる訳がねえ!」
「畜生! レナリア様が居りゃあ……! 」
東の空から、魔物の群れ。
西の平原から、獣人族の軍隊。
竜の峰はちょうど、挟み撃ちをされる形になっていた。
――
既に。
「……くそ」
広場へ集まっていた人族は、都中に散った。それぞれが各々、自らの命を大事にした結果だ。そこら中を走り回り、踏み散らし、我先にと逃げている。
ラスは、遥か後方へと押し出されていた。なんとか人の波をしのぎ、辺りを見回して確認する。すると昨日立ち寄った、あの茶屋の目の前だった。
「…………」
「ひっ!」
中に居る、店員と目が合った。昨日対応してくれた、人族へも紳士的だった女性だ。
だが彼女は、ラスの方を見て恐怖を浮かべていた。
「…………?」
違った。ラスではない。その先。ラスも振り返る。
「……!」
どさりと、何か大きなものが落ちる音がした。黒い、人のような。
「シエラっ!?」
ラスはたまらず駆け寄った。何故。どうして。
「おい! しっかりしろ!」
シエラの片方の翼。……右側の翼は、背中の根本から無理矢理千切られたようにボロボロに血塗れており、それは『もう二度と飛べない』ことを表していた。
「…………」
「シエラ!」
肩を抱き上げる。
「……ん……。……ラ……ス、どの」
虚ろな目を開ける。焦点が合っていない。こちらを向いているが、ふらふらと視線が泳いでいる。
「お前! どうしたんだよ!」
「……そ、らを」
「!?」
翼人族は飛べる。ならば広場での人族の『避難』に巻き込まれることは無いだろう。彼女が傷を負っている訳が分からない。
言われて空を見る。ようやく、ラスにも見えた。
「……魔物か……?」
呟いた瞬間、さらにどすんと、何かが着地した音がした。
「ギャァアアアア――――!!」
「…………!」
耳をつんざく歪な咆哮。衝撃と強風。飛んできた小石でラスの頬が切れ、シエラの羽根がさらに舞い散った。
小屋ほどの大きさの、深い緑色をした身体。見た目は鳥に似ているが、羽毛は無くつるつるしているように見える。二本足からは凶悪な爪が見える。嘴は無く、獣のような醜悪な牙が覗く。
長い首から、体毛を失った馬のような顔面が付いている。
名前は分からないが、ひと目で『魔物』だと理解するには充分な容姿だった。
「……待ってろ。すぐに殺してくる」
「待っ…………さ、い」
「?」
シエラの、抱えている荷物。翼を捥がれても離さなかった荷物。
それを、ラスへ手渡した。
「(……ここでラス殿に出逢ったのは幸運ですね。やはり神は、居るのでしょうか)」
彼女は必死に、彼の顔を確認しようとする。だが見えない。どこか打ち所が悪かったようだ。
だが。
「――ありがとう。経緯は分からないが、確かに『受け取った』」
ラスはその中身を、感覚で理解した。人族が感じる筈の無い『魔力』を。
世界最強の魔力を。
「ィギャァアアアアァォォオ――!!」
魔物はそれを待つ訳は無く、勢いよく突っ込んでくる。空を飛べる魔物がわざわざ降り立ったのは、霧の深いこの都で確実に殺す為だろう。魔物は魔法を使うほど『頭が良い』のだ。
――
「ハァァァ――っ!!」
「っ!?」
横の路地から、その声と共に巨体が飛び出した。
ラスは何が起きたのか、注意を向ける。
「……ガ! ギャォォオオッ!!」
「どけ邪魔だァ!!」
そして、魔物は首と胴体を真っ二つにされ、力無く倒れたのだ。
「――――ようやくだ!」
「!?」
その、浅黒い肌。
「待ちわびたぞ!!」
「!」
額に見える2本の角。
「【ブラック・アウト】の『ラス』――ぁあ!!」
そして、『目を覆うように巻いた鉢巻き』。
「…………てめえはっ!」
ラスは思い出した。声も『気』も。鉢巻き以外は知っている。
その『鬼人族』は。
「俺はグレン・ガウェイル!! 『人狩りグレン』とは俺のことだァ!」
剣を握っていた。切っ先をラスへ向ける。鍔の部分に魔物の爪や鱗で装飾を施されている。話に聞いた、『鉄の国』の魔道具だろうか。
「……てめえが『グレン』か」
ラスはシエラを優しく寝かせ、立ち上がった。
「…………この人を頼んで良いか」
「っ!!」
そして、竜人族の店員へそう伝え、グレンへ向き合う。
「おおっとぉ! お前らの奇妙な『術』は効かねえぜ! その為に俺ァ『目を捨てた』んだ!」
「……知らねえよ。馬鹿な奴だな」
ラスは冷静に、布の包みから『それ』を取り出した。
「……あん!? ……魔力?」
グレンも感じ取ったらしい。
その輝きと、魔力を。
「…………大きいな」
白金色。光の反射で虹色に煌めく。『竜尾』を丸ごと使用し、加工した細身の麗剣。見た目では凡そ戦闘用では無いきらびやかな宝剣。
鞘から、するりと抜き出す。
両刃ではなく、峰がある。真っ直ぐに見えるが少し反り返っており、剣ではあるだろうが鍔は無く、見たことの無い形をしている。
「…………『輝竜刀レナリア』」
「!」
シエラのか細い声がした。銘だ。この剣の。
否。『この刀』の。
「……ラスどの、専用、の。……『魔道具』です」
「………………」
ラスはしばらく、その刀身を見詰めていた。綺麗。まずその感想が出た。あの無骨なドワーフ――クリューソスの大きく太い手で造り上げたとは思えないほど美しく洗練された形。触れるだけで切ってしまいそうに鋭い、純白の刃。
そして妖しげに醸し出しているその雰囲気。
「なんだって良い! てめえの匂いは覚えてんだ! 行くぞァ!」
「…………!」
――
思えば亜人は、魔法など無くとも人族より強い。恵まれた体格。優れた五感。それらに勝つためには、どうすればよいか。
編み出したのは、遥か昔の技術。『前の歴史』で。『前の惑星』で『人類』が使っていた、失われた技術。力に対して、技で対抗する。技を研ぎ澄ませ、一瞬の隙を突く。
だがそれは、仕掛けが見破られれば対策をされる。視線を誘導できなければ催眠には掛からない。盲目の相手には、効果が無い。合気や発勁などは通じるだろうが、それをものともしない『力』が、この相手にはある。『だから』ヒューリ達が負けたのだ。その上で、さらに対策をしてきたのだ。
どうすればよいか。
「オラァァァア!!」
ただ真っ直ぐ、愚直に真っ直ぐ攻めてくる。それで充分なのだ。それだけで、どんな策を練ろうがお構いなしに殺せる。『力』の前では技など問題ではない。『大木』に間接技を極めても、折れもしなければ意味も無いように。
「……『輝竜刀レナリア』」
一閃。
――
世界の戯言を。亜人の力を。襲い来る不条理を。……邪魔者を全て【黙らせる】一条の光が『虹の国』中心部『竜の峰』――王都『彩京』を貫いた。
振り抜いた軌跡から扇状に、極光が線となって発せられる。それは折れ曲がった針金のような形になり、文字通り光の速さで憎き敵を通過した。
直後に、爆音が轟く。ゴロゴロと嘶き、空気が破裂する。
『雷鳴』である。
「…………な」
人狩りグレン。人族を拉致誘拐し、私欲のままに鎖で繋ぎ、労働と姦淫を強制する極悪人。法で禁じられておらず、罰せられないからと好き放題暴れまわる大悪党。
軌跡を経た全てを浄化し無に還すその光は、『天罰』のようにも思えた。
「なん…………だ、と」
グレンの、頭から胸と、右腕。【この世にはそれしか残らなかった】。それ以外は全て炭となって塵と消える。その事実をはっきりと理解できないまま、『打たれた』オーガの男は崩れ落ちて絶命した。
――
「……あばよオーガ。てめえの『雇った』人族は、俺達の国で預かるから安心して逝け」
振り切った刀。バチバチと未だ花火を散らす刀を、鞘に戻す。チンと、小気味良い音が軽快に鳴った。
「あ……」
怒濤の勢い。この数分で、目まぐるしく彩京の状況は変わった。
『人族が大量に押し寄せ』
『竜王がレナリアを処刑しようとし』
『それをヒューリが阻み』
『空から大量の』
「ま……魔物だぁぁぁっ!!」
空飛ぶ巨大なモンスターが現れた。
――
「――ちいっ!」
セシルは舌打ちをした。ここまで『早く』『大胆』だとは予想外だった。
そして……いつもいつも『出遅れる』自分に腹が立った。
「亜人を洗脳したんだ。魔物なぞより簡単な筈。不覚だっ!」
高山に拓かれた都。翼人族の居ないこの国で、『空から攻められる』想定はしていなかった。だから気付かれず、既にここまでの侵入を許してしまっている。
「セシル殿っ!」
「なんだ!」
騎士団の屯所から飛び出る直前に、部下に止められる。
「王宮前広場で……レナリア様がっ! ライル様がっ!」
「…………!」
彩京までの道中で、セシルの働きにより騎士団はライルではなくレナリアに従って動いている。勿論処刑を防ぐつもりだったが、竜王ライルには屈強な護衛が付いておりそれは阻まれていた。『上空』から処刑台へ直接降り立ったヒューリは価千金の活躍であると言えるだろう。
「――【任せる】」
「っ!?」
部下は口を開けて驚愕した。亜人の常識には無かったことだからだ。
今セシルは、『自分の王の命を』『人族ひとりに預ける』と言ったのだ。
「あの男はラスと『同格』の男だ。それにウェルフェアも付いている。あの場は。……レナリア様は【任せられる】。我々は魔物の――アスラハの対処へ向かう! 半分は住民を避難させろ。残りは総員、出撃だっ!」
「しょ……! 承知いたしましたっ!」
叫び、セシルは地を抉るように蹴って飛び上がった。
「<エクロール>っ!!」
彼女の身体が、強力な魔力を帯びた。それはやおら形を成し、巨大化していく。
衝撃は空気の振動だ。一瞬、彼女を纏う彩京の霧が晴れる。
彼女は魔力感知の範囲が狭い。そして、他と比べて変身までが遅い。
だが彼女の『銀竜』という竜人族は。竜人族の中で唯一。
翼を持つ竜に変身できる。
「オアアアアッ!!」
リルリィの『地竜』とは異なり、それよりは細い体躯。巨大な翼は鳥というよりは蝙蝠に似ている。
青い瞳が、魔物の群れを捉える。
「アアアアアッ!!」
風魔法と変身魔法の慣性で真っ直ぐ、セシルは魔物の群れへと突っ込んでいった。
――
「【レイジ】っ!」
人族の男性が、その名を呼んだ。ここは広い平原。『真後ろ』に、竜の峰が聳える。
上半身裸の男。隆々の筋肉を惜し気なく晒す人族。
短い髪に、整えられた無精髭。褐色の肌。そして身長ほどもあろうかという巨大な大剣を肩に乗せている。その刃の根元には、【3つ】の魔石が並んでいる。
さらに、報告に来たこの男性が『子供に見える』くらい、大きな体格。
「――ああ。見えてるよ」
凡そ、臆病で弱く、小さな『人族』とは思えない風体のその男は、平原の先をしかと見据えていた。
地平線に見える、黒い影を。
「……『獣人族の大軍』だ! 数は2万!」
「ああ。アスラハだ。やはり『一網打尽』にするつもりだったな。『汚点ちゃん』が峰へ登る時を待っていた訳だ」
レイジは振り返る。竜の峰と、その麓には10万人以上の人族が居る。ここを通す訳にはいかない。
「…………」
それに『そこ』には、彼にとって大切な『墓』がある。
「それと、東の空から」
「魔物だろ? あれは俺達じゃどうしようも無い。竜人騎士団の腕の見せ所だよ」
「!」
レイジの眼下。そこには『魔道具』を所持した人族の『戦士』が10人。そしてその背後に1000人ほど『気の戦士』が、ずらりと並んでいた。
その列にぽつぽつと、数人の竜人騎士が立っている。
「一騎当千とは、いかないか。『一騎当三十』くらいだな。だがそれで良い。俺達(人族)が戦って『勝つ』所を、世界に見せてやろうじゃないか」
戦士達はその声に、各々の魔道具を構える。
「『正面衝突』だ。行くぞ野郎共!」
「「おおおおおおおおお!!」」
人族から『鬨の声』が挙がるなど、歴史上これが初めてだろう。
――
彩京の西、下層部の入口。長い長い坂を登った先にある『広大な踊り場』であるそこからは、地上の様子がよく見える。正に今、冬の朝などは絶景だろう。
「…………!」
大勢の獣人族が押し寄せる様子が、よく見える。
「『爪の国』だっ!!」
まず始めに、ひとりが叫んだ。その方角に真っ直ぐ行けば、その国があるからだ。
「なんだとっ!?」
「おい! 都中に知らせろ! 獣王が攻めてきたぞっ!!」
「ウチの軍はっ! 騎士団は何やってんだ!?」
「半壊してるに決まってんだろ! あの愚王がそこまで考えられてる訳がねえ!」
「畜生! レナリア様が居りゃあ……! 」
東の空から、魔物の群れ。
西の平原から、獣人族の軍隊。
竜の峰はちょうど、挟み撃ちをされる形になっていた。
――
既に。
「……くそ」
広場へ集まっていた人族は、都中に散った。それぞれが各々、自らの命を大事にした結果だ。そこら中を走り回り、踏み散らし、我先にと逃げている。
ラスは、遥か後方へと押し出されていた。なんとか人の波をしのぎ、辺りを見回して確認する。すると昨日立ち寄った、あの茶屋の目の前だった。
「…………」
「ひっ!」
中に居る、店員と目が合った。昨日対応してくれた、人族へも紳士的だった女性だ。
だが彼女は、ラスの方を見て恐怖を浮かべていた。
「…………?」
違った。ラスではない。その先。ラスも振り返る。
「……!」
どさりと、何か大きなものが落ちる音がした。黒い、人のような。
「シエラっ!?」
ラスはたまらず駆け寄った。何故。どうして。
「おい! しっかりしろ!」
シエラの片方の翼。……右側の翼は、背中の根本から無理矢理千切られたようにボロボロに血塗れており、それは『もう二度と飛べない』ことを表していた。
「…………」
「シエラ!」
肩を抱き上げる。
「……ん……。……ラ……ス、どの」
虚ろな目を開ける。焦点が合っていない。こちらを向いているが、ふらふらと視線が泳いでいる。
「お前! どうしたんだよ!」
「……そ、らを」
「!?」
翼人族は飛べる。ならば広場での人族の『避難』に巻き込まれることは無いだろう。彼女が傷を負っている訳が分からない。
言われて空を見る。ようやく、ラスにも見えた。
「……魔物か……?」
呟いた瞬間、さらにどすんと、何かが着地した音がした。
「ギャァアアアア――――!!」
「…………!」
耳をつんざく歪な咆哮。衝撃と強風。飛んできた小石でラスの頬が切れ、シエラの羽根がさらに舞い散った。
小屋ほどの大きさの、深い緑色をした身体。見た目は鳥に似ているが、羽毛は無くつるつるしているように見える。二本足からは凶悪な爪が見える。嘴は無く、獣のような醜悪な牙が覗く。
長い首から、体毛を失った馬のような顔面が付いている。
名前は分からないが、ひと目で『魔物』だと理解するには充分な容姿だった。
「……待ってろ。すぐに殺してくる」
「待っ…………さ、い」
「?」
シエラの、抱えている荷物。翼を捥がれても離さなかった荷物。
それを、ラスへ手渡した。
「(……ここでラス殿に出逢ったのは幸運ですね。やはり神は、居るのでしょうか)」
彼女は必死に、彼の顔を確認しようとする。だが見えない。どこか打ち所が悪かったようだ。
だが。
「――ありがとう。経緯は分からないが、確かに『受け取った』」
ラスはその中身を、感覚で理解した。人族が感じる筈の無い『魔力』を。
世界最強の魔力を。
「ィギャァアアアアァォォオ――!!」
魔物はそれを待つ訳は無く、勢いよく突っ込んでくる。空を飛べる魔物がわざわざ降り立ったのは、霧の深いこの都で確実に殺す為だろう。魔物は魔法を使うほど『頭が良い』のだ。
――
「ハァァァ――っ!!」
「っ!?」
横の路地から、その声と共に巨体が飛び出した。
ラスは何が起きたのか、注意を向ける。
「……ガ! ギャォォオオッ!!」
「どけ邪魔だァ!!」
そして、魔物は首と胴体を真っ二つにされ、力無く倒れたのだ。
「――――ようやくだ!」
「!?」
その、浅黒い肌。
「待ちわびたぞ!!」
「!」
額に見える2本の角。
「【ブラック・アウト】の『ラス』――ぁあ!!」
そして、『目を覆うように巻いた鉢巻き』。
「…………てめえはっ!」
ラスは思い出した。声も『気』も。鉢巻き以外は知っている。
その『鬼人族』は。
「俺はグレン・ガウェイル!! 『人狩りグレン』とは俺のことだァ!」
剣を握っていた。切っ先をラスへ向ける。鍔の部分に魔物の爪や鱗で装飾を施されている。話に聞いた、『鉄の国』の魔道具だろうか。
「……てめえが『グレン』か」
ラスはシエラを優しく寝かせ、立ち上がった。
「…………この人を頼んで良いか」
「っ!!」
そして、竜人族の店員へそう伝え、グレンへ向き合う。
「おおっとぉ! お前らの奇妙な『術』は効かねえぜ! その為に俺ァ『目を捨てた』んだ!」
「……知らねえよ。馬鹿な奴だな」
ラスは冷静に、布の包みから『それ』を取り出した。
「……あん!? ……魔力?」
グレンも感じ取ったらしい。
その輝きと、魔力を。
「…………大きいな」
白金色。光の反射で虹色に煌めく。『竜尾』を丸ごと使用し、加工した細身の麗剣。見た目では凡そ戦闘用では無いきらびやかな宝剣。
鞘から、するりと抜き出す。
両刃ではなく、峰がある。真っ直ぐに見えるが少し反り返っており、剣ではあるだろうが鍔は無く、見たことの無い形をしている。
「…………『輝竜刀レナリア』」
「!」
シエラのか細い声がした。銘だ。この剣の。
否。『この刀』の。
「……ラスどの、専用、の。……『魔道具』です」
「………………」
ラスはしばらく、その刀身を見詰めていた。綺麗。まずその感想が出た。あの無骨なドワーフ――クリューソスの大きく太い手で造り上げたとは思えないほど美しく洗練された形。触れるだけで切ってしまいそうに鋭い、純白の刃。
そして妖しげに醸し出しているその雰囲気。
「なんだって良い! てめえの匂いは覚えてんだ! 行くぞァ!」
「…………!」
――
思えば亜人は、魔法など無くとも人族より強い。恵まれた体格。優れた五感。それらに勝つためには、どうすればよいか。
編み出したのは、遥か昔の技術。『前の歴史』で。『前の惑星』で『人類』が使っていた、失われた技術。力に対して、技で対抗する。技を研ぎ澄ませ、一瞬の隙を突く。
だがそれは、仕掛けが見破られれば対策をされる。視線を誘導できなければ催眠には掛からない。盲目の相手には、効果が無い。合気や発勁などは通じるだろうが、それをものともしない『力』が、この相手にはある。『だから』ヒューリ達が負けたのだ。その上で、さらに対策をしてきたのだ。
どうすればよいか。
「オラァァァア!!」
ただ真っ直ぐ、愚直に真っ直ぐ攻めてくる。それで充分なのだ。それだけで、どんな策を練ろうがお構いなしに殺せる。『力』の前では技など問題ではない。『大木』に間接技を極めても、折れもしなければ意味も無いように。
「……『輝竜刀レナリア』」
一閃。
――
世界の戯言を。亜人の力を。襲い来る不条理を。……邪魔者を全て【黙らせる】一条の光が『虹の国』中心部『竜の峰』――王都『彩京』を貫いた。
振り抜いた軌跡から扇状に、極光が線となって発せられる。それは折れ曲がった針金のような形になり、文字通り光の速さで憎き敵を通過した。
直後に、爆音が轟く。ゴロゴロと嘶き、空気が破裂する。
『雷鳴』である。
「…………な」
人狩りグレン。人族を拉致誘拐し、私欲のままに鎖で繋ぎ、労働と姦淫を強制する極悪人。法で禁じられておらず、罰せられないからと好き放題暴れまわる大悪党。
軌跡を経た全てを浄化し無に還すその光は、『天罰』のようにも思えた。
「なん…………だ、と」
グレンの、頭から胸と、右腕。【この世にはそれしか残らなかった】。それ以外は全て炭となって塵と消える。その事実をはっきりと理解できないまま、『打たれた』オーガの男は崩れ落ちて絶命した。
――
「……あばよオーガ。てめえの『雇った』人族は、俺達の国で預かるから安心して逝け」
振り切った刀。バチバチと未だ花火を散らす刀を、鞘に戻す。チンと、小気味良い音が軽快に鳴った。
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