『関係解消』までの再放送

あかまロケ

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第十一話

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 ―― 場面が変わる。

 (暖かい……空気?)
 
 シュンシュンカタカタシュンシュンカタカタ――。

 (聞き覚えがある音?)

「……くん?」

 (声……?)

「鱗くん?」

 (……この声は・・・!?)

 俺の意思で重い瞼を開けると、目の前には俺の顔を覗き込む……綺麗な・・・男の人?
「鱗くん、悲しい夢でも見てたのかな? 涙でグショグショだよ」
 そう言うと、綺麗な男の人は持っていたハンカチを俺の頬や顎に当ててくれる。
「……ズズッ。……あ、りがとう、ございます……紅梅さん?」
 (そう、この優しい声は、紅梅さん)
 
「初めましてが、泣き顔なんて・・・イイ、凄くイイよ、鱗くんっ」
 何がイイのか分からないが、俺の涙を拭き終わると、紅梅さんが立ち上がったので、俺もつられて座っていたベンチから立ち上がる。
 紅梅さんは、グレーの着物姿に黒いマフラーを巻いている。身長は俺より少し低い位。長い髪を後ろで一つに結んで前に垂らしていて、とても親しみやすい雰囲気を醸し出している。
 想像通りの人だ。
「すみません、こんな恥ずかしい姿。 初めまして。 秋空 鱗です。 紅梅さんにはお世話になります!」
 俺は紅梅さんに向かいぺこりと頭を下げる。
「初めまして、紅梅 魚人です。 鱗くんが来てくれるのを心待ちにしてました」
 紅梅さんも頭をぺこり。
 ・・・・けど何故か、俺も紅梅さんもお互い頭を上げず。
「……………………………………」
「……………………………………」
 頭を下げた状態のまま、チラリと紅梅さんの方を覗くと、紅梅さんも俺の方をチラリと覗いていて、……「プッ」っと。どちらが先か分からないけど、待合室に俺と紅梅さんにの笑い声が響き…その笑い声が大きかったのか、何事かと駅長さんが待合室に飛び込んで来た。
 俺は驚き、紅梅さんは笑ってる。
 
 飛び込んで来たデカく強面な駅長さんは、紅梅さんの幼稚園時代からの幼馴染で、紅梅さんから「僕の宿の新人スタッフくんで~す」と駅長さんに紹介され、何故か初対面のこんな俺に「魚人の事を宜しく頼む」と深々と頭を下げられてしまった……。
 俺は恐縮し、紅梅さんは俺と駅長さんとのやり取りを大笑いしながら見ていた。
 後で駅長さんに「うるさい」と怒られていたけど……。
 ……これは気のせいかもしれないけど、一瞬だけ、駅長さんの紅梅さんを見る目の奥に、荒々しい嵐が吹き荒んでいるのが見えた・・・気がした。
 ……紅梅さんは、あの嵐に気付いているのだろうか?
 

 駅長さんに見送られ駅を出ると、先程降っていた雪は止んでいた。
 駅前に設置されている時計を見ると、午後3時30分。雪曇りと12月下旬ということもあって、辺りはもう薄暗い。そして、ここに着いた時よりもとても寒くなっている。
「寒っ」
 待合室の温かさとは違い、外気の冷たさにブルっと震え、思わず声が出てしまう。
「ここら辺は東京と違って雪が積もる地域だからね~。ここよりも宿の方が標高が高くて山奥だからもっと寒いよ~。僕も東京にいた事あるけど、東京って滅茶苦茶温かいんだよね。ここに帰って来たら寒くて寒くて、生まれ育った地域なのにね……。まぁ~つまり、鱗君、慣れだよ。寒さは慣れ!!」
 この寒空の下、駅前の広場に紅梅さんの明るい声が響き渡る。
 
 
 紅梅さんは「寒さは慣れ」と言うけれど、これで雪が降ったら……(どれだけ寒くなるんだろう?)って。
 俺が今持っている服は、今着ている外用の服と高校のジャージ上下のみ。あとコンビニで買った新品パンツ5枚。
 (やべぇ……)
 俺がそんな事を考えている間に、電話ボックスの前に停まっている黒い軽トラックに辿り着く。
「僕の愛車、『ブラックムーンゴッド号』だよ! さぁ、乗って乗って」
「……………………………………」
  ……ネーミング・・・どう、答えれば良いんだろう?



 少し走ると、辺りはとうとう真っ暗になり、ライトを付け暗く細い山道を行く『ブラックムーンゴッド号』。
 道中、いきなり現れた集落にスーパーマーケットやら、某全国チェーン洋品店が入る複合施設の存在を確認すると、「寄って行こうか?」の紅梅さんの親切を断り、次の買い出しの時に同行をお願いする。
 ……こんな暗い道を運転させる事が申し訳なく感じたからだ。
 まだ宿までもう少しかかると言う事で、宿での仕事内容を聞き、明日、もう2人新しい子が入る事を聞くと、―― 少しの沈黙。

 山道でガタゴトと揺れる車内。キツイ坂道を上る時のモーター音。
 今まで殆どの移動は電車かバスだったので、“車”が新鮮に映る。そして、それを運転する紅梅さんがとても格好良く見える。
 (運転免許か~)
 落ち着いたら運転免許証を取りに行くのも良いかもしれない。
 

 ―― なだらかな坂道に差し掛かると、突然、紅梅さんが口を開く。

「……「先輩」って?」
 
「……え?」
 確か、紅梅さんには「先輩」の事は話して無い……。

「あぁ、いきなりごめんね。 駅の待合室で眠ってた鱗くんの寝言で「先輩」って……。その後で涙をポロポロ溢していたから、気になってしまって・・・」
 

「っ!?」
 (待て待て、涙の前に「先輩」って・・・俺の涙の原因が先輩なのか?)

「色んな話しは聞かさせて貰ってたけど、「先輩」ってフレーズは聞いて無かったから……」
 (確かに…「先輩」とは言わずに、濁す感じで「同居人」って言ってたし)
 面接の後でも何回か連絡を取り合う中で、お互いの“生い立ち”なるものまで軽い感じで話してしまっていたけど……日夏先輩の事だけは・・・どうしても言えなかった……。
 
 罪悪感。

「……あ、の、ごめ…」
「あー、違う違う、鱗くんが謝る事では無いよ。 僕のお節介って、……これって、うん。フェアじゃ無いね……」
 

「フェア?」
 紅梅さんのが言葉の意味がわからず、俺の頭???。
 

「……僕ね、ゲイなんだ」
 
「……え?」
 突然のカミングアウトに俺の口がパカッと開く。
 
「初恋が幼稚園で、相手がさっきの駅長」
「!?」
「アイツ、“港”って言うんだけど、凄く格好良いだろ?……幼稚園で隣の席になって、あまりの格好良さに僕の一目惚れ。 ずっと付き纏って毎日「好き好き」言ってたら、港の奴…ノンケの癖に、遂に根負けして中学で両想い。 その後、高校3年まで付き合ったけど、高3の冬のある日、突然別れを告げられて……みっともなく泣いて縋ったんだけど、ダメで……見事失恋」
「………………」
「卒業後、僕は東京の大学へ。 港は地元に残って鉄道会社に就職…そして結婚」
「え?」
 いきなりの「結婚」の言葉に、驚きを隠せない。

「アイツ、18歳の一人息子が居るんだよ……僕の甥っ子」
 (………………………………甥っ子?)
「……え?どういう……???」
「僕の姉が港に片想いをしていたらしく…ある冬の日、僕の部屋で眠る港に跨った」
「え……」
「僕の顔と姉の顔って、双子みたいにそっくりでね。 港は僕と姉を間違えて……。 結果、姉はその一回で妊娠。 港に結婚を迫り、港は言われるがまま責任を取って結婚」
「だって、それって、……駅長さんに非は無いのに…」
 車内の小さな灯りに照らされた紅梅さんは、悲しく微笑むと頭を左右に振る。
「港は、何も言わなかったよ。 何も言わず、今でも8年前に亡くなった姉を想いながら、忘形見の息子を男手一つで大切に育ててる」
「……………………」
「僕、……港と姉の結婚の事とか、甥っ子の存在とかを知ったのが、8年前の姉の葬式で、親も親族も姉に口止めされてたみたいで誰にも何も知らされず、帰省も姉の体調が悪いから遠慮する様に言われてた。 ほら、前、軽く話したでしょ?僕が姉に嫌われているって事……僕の存在が病気を悪化させるって」
 
 ―― 前に紅梅さんとの通話で聞いていたのは、家族構成の話しになった時に、お姉さんと幼少期から上手くいって無かった事。心と体の弱かったお姉さんと、元気な弟の紅梅さんとで比べられていて、お姉さんが病んでいた事。紅梅さんを憎む事で心の均等を保っていた事……。通話口で明るい口調でその話しをするものだから、あまり深くは考えて無かったけど……、今の会話内容を絡めると……中々重い内容。
 紅梅さんは話しを続ける――。

「姉は、僕と港を遠ざける事に必死で、僕が港を奪い返しに来ると思って怯えてたみたい。……余程会わせたく無かったんだろうね。 だから色々と根回しに大変だったみたいで…。 結局、僕は10年もの間何も知らず、知らされず、姉の葬式で呼び出されて帰って来たら、港は姉と結婚していて10歳の男の子のパパになっていた。……港は……僕の問いに何も答えてはくれなかった……」
 紅梅さんの横顔が、その当時を思い出したのか苦しそうに歪められている。少し声も震えている。
 俺も、その話しの内容と紅梅さんの横顔を見てたら、ギュッと心臓を握られたみたいに胸が痛くて、苦しくて、目頭が熱くなる。
 ―― そして何故だか日夏先輩の顔が頭に浮かんで来て……。
「…………っ」

「……僕がなぜこの事について詳しく知っているのか?……って言うのは、その葬式が終わった夜に実家の、久々に入った僕の部屋の机の上にワザとらしく開いて置いてあった姉の日記を読んだから……ってね。…………って、え!?鱗くんっ?」
 紅梅さんはそう叫ぶと、車を山道の空いてるスペースに停め、ボロボロと俺から流れ出す涙をハンカチで優しく拭いてくれている。
「ごめんね、僕が突然変な話しをしたから驚かせてしまって……」
「へ、変じゃない、でず。……ズズッ。紅梅ざんが、まだ、駅長さんの事……」
「うん、大好き、だよ……」
「駅長さん、は……」
「……港は、僕の想いには一切応えないよ。 アイツの左手。白手袋の下にはずっと姉との結婚指輪が嵌められて、僕はそれを外してやろうと必死になった時期もあったけど……無理だった。……でも、未だに諦めきれずズルズルとね片想い」
 けれど、あの駅長さんの紅梅さんを見る目の奥には……。
「あ~もぅ、鱗くんっ! 君って、本っ当にイイ子っ!! 僕の所に来てくれて良かったよ!……なのに…ごめんね、こんな話しをいきなり聞かせてしまって……。 鱗くんの「先輩」って言葉が、悲しそうで…。 溢した涙が何か抱えてそうで…。 少しでもそれが和らいで欲しくて・・・話したら楽かな?って……僕、考え無しで。 結果…僕の方が聞いて貰っちゃったね…。 実はこの話しをするの鱗くんが初めてで……逆に僕の方が救われちゃったよ。 ありがとう、ごめんね」
 紅梅さんの温かい手が俺の頭を撫でてくれる。
 ……それは俺の涙が止まるまで続いて、ようやく俺の涙が止まると紅梅さんはまた車を走らせた。

 紅梅さんの恋が悲しくて痛かった。
 こんな悲しく痛い想いを誰にも言えず、長い間胸の内に秘めてたかと思うと、切なくて…。俺に話してくれた事で少しでもその心が和らいでくれたのなら・・・。
 
 
 
 ―― 車内に音のハズれた紅梅さんの鼻歌。……元歌が分からない。
 

 俺はそれを聞きながら車に揺られ、ある決心をする。

「もうそろそろ宿に着くからね~」
 紅梅さんの言葉にハッっと我に帰る。
 車内には、また音をハズしまくる紅梅さんの鼻歌。相変わらず元歌が分からない。
 俺は紅梅さんの横顔を見て、また前を見る。
 車窓の流れる暗闇を見つめながら、口を開く。
「「先輩」とは……高校の入学式で出会って……」
 
「……うん」
 突然口を開いた俺の話しを紅梅さんは静かに聞いてくれる――。
 
 昼間の夢の再放送のおかげで事細かく、それも今の俺の感じた事や思っている事も付け加えて話せる事が出来た。
 俺が先輩にしてきた酷い事で引かれるかな?と思ったけれど、それでも話しているうちに、とにかく紅梅さんに全部聞いて欲しくなって、俺は全て隠す事無く日夏先輩との10年間を紅梅さんに話していた。
 俺も紅梅さんと同じ様に、誰かにこの話しを聞いて貰いたかったのかもしれない。
 話し終えると、心がスッキリとした。
 そして予感があった。
 この話しを聞いてくれた紅梅さんの反応で、もしかすると俺の涙の理由も分かるかもしれないと……。
 
 ―― 紅梅さんは何か考えてる。

 けれど、紅梅さんは何も言わないまま、車は目的地に着いてしまった。
 車が停まると、今まで前を照らしていたライトが消える。その途端車内の小さな灯りだけを残し、全てが真っ黒に染まる。
 ドッドッドッと車内に揺れと音を与えるエンジン音と、ゴーッと温かい空気を吹き出すエアコンの音はまだ止まらない。
 車は目的地に着いた筈なのに、紅梅さんは動こうともしない。
 その事に、俺は俺の話しで紅梅さんを不快にさせてしまったのでは?っと不安になりかけた時、ようやく紅梅さんが口を開いた。

「鱗くん、女の子紹介しよっか?」
 
「……………………へぇ?」
 まさか、そんな反応が来ると思わなかった俺の驚き声が裏返る。
 
「ここら辺は過疎だから出会いを求めてる子がたくさんいてね…。 鱗くんなら顔立ちも綺麗だし、性格も申し分ないし……」
 紅梅さんは淡々と話しを進めて来る。
「……へ?ふぁ?」
 俺の驚き声がおかしい。
「うーん、それとも男の子の紹介の方が良い? 僕の従兄弟に男の子でも女の子でもどっちもOKっていう子がいて、出会いを求めているんだけど…。 その子タチ……抱く側の子だからネコの鱗くんには丁度イイと思うんだけど……どう?」
「ちょ、ちょ、ちょっ、紅梅さん!?」
 どんどんと話しが変な方向に行ってしまい、あたふたしてしまう俺。
 
「ん~?」
「俺、今、先輩の話しで…」
 そう、俺は先輩の話しをしていて、それを聞いた紅梅さんの反応が……反応が……。
「え?だって、もう過ぎた事でしょ?」
「え?…あ、…そ、……う、ですけど…俺は、待合室での涙の理由が……」
 そう、知りたくて……。
「理由って? それ知ってどうするの? 先輩くんの事はもう過去の事でしょ? 今更知ってどうするの?」
 
「…え?」
 確かに……確かに、もう日夏先輩とは会う事も無いだろう。
 俺がそう選択して……、望んだ結果なのに。もう終わって……なのに……でも、気になって。
「それに、その先輩くんだって、鱗くん曰く、凄く良い男なんだから…今頃は部屋に女の子か男の子を連れ込んで恋人セックス楽しんでいるよ!」
「!?」
 (俺以外とあの部屋のあのベッドで?)
 何故かその光景を想像して、凄くイライラして、胸が痛くなる。
「それとも…もう既に既婚者だったりしてね!」

 (……既婚者。日夏先輩が?)
 俺の頭の中に、日夏先輩とお見合い写真の綺麗な女の人が並んでいる光景が浮かぶ。
 先輩はいつもの仏頂面では無く、俺が高校時代に見ていた優しく可愛い笑顔で、その女の人と見詰め合っていて…とても幸せそう。二人はタキシードとウエディングドレス姿。その左手の薬指にはお揃いの指輪。俺はボロボロの作業着で、日夏先輩は俺の方も見ず、背を向けて女の人と手を繋いで遠ざかって行く……。
 イライラする。胸が痛い。―― 苦しい。悔しい。寂しい。
 その感情に先程の紅梅さんの駅長さんを想う気持ちが重なって、目頭が熱くなる。
 
 この感情は?


「……ズズッ」
 
 
「……鱗くんさ、涙の理由分かったかな?」
 紅梅さんは、また俺の涙を拭いてくれている。
 
 

 俺はコクリと頷く。
 今流している涙と、駅の待合室で夢の再放送から目覚めて流した涙は同じだ。
 そして、その理由を突き止めて行くと、一つの結論にぶち当たる。
 
「俺、先輩、の事…が、好き?」

 いつから?と問われれば、多分、出会った時から。入学式であの引き攣った笑顔を見た時からだったと思う。
 でも、男同士で愛とか恋は俺の中では無い事だったから、違う感情に変換させて無いモノとして処理していた。
 このまま行けば俺はきっと先輩への好意に気付かないまま普通に生きていたかもしれない。
 けれど、再放送を見てしまった。
 再放送で先輩の好意に気付き、それに触れて、無かったモノにされていた感情が動かされた。長年蓄積されて大きく膨らんでいた感情はせき止められず、「先輩」と想う相手の名と共に涙として溢れ出てしまった。
 ここで紅梅さんが居なければ、俺はまた何か理由を付けて先輩への好意を無かったモノにしていた筈。そして、再放送の所為で日夏先輩の事が忘れられず、モヤモヤした感情を抱いたまま生きていたかもしれない。
 紅梅さんは、俺が溢した「先輩」と言う言葉と涙で、最初から俺の気持ちに気付いていたんだろう。
 でも確証が無かったから、俺に自分の胸の内を話してくれて、俺が抱えた先輩への想いを気付かせる為に荒治療を施してくれた・・・。


「鱗くん、先輩くんにそれ伝えてみよっか?」
 俺は首を横に振りそれに答える。
「もう、無理…です」
「先輩くんが鱗くんの事を迷惑に思っているって聞いたけど、でもそれは鱗くんの主観だし、無理って考えるのは早いと言うか、違うと思うよ! やっぱり言葉で鱗くんの先輩くんへの想いを伝えて、それで先輩くんの口から答えを貰わないと…。 ほら“契約”とかあるなら、それ口実にして呼び出してね…今からでも遅く無いから、ケータイで・・・」
 俺はもう一度首を横に振る。
 そして紅梅さんにまだ話して無かった今日の出来事…“関係解消”について話すと、紅梅さんは「まだ遅く無いから!」と俺に気を遣ってくれて色々と言葉を投げかけてくれたけど、スマホの電源が切れていることや、明日で契約が切れる事。そもそも“関係解消”メールの後の連絡先全消しの事を伝えると…黙って何かを考えだしてしまった。―― が、ハッと我に帰ると、車のエンジンを止め、「取り敢えずは宿の中に」と言い、俺の手を引き宿の中へ。

 『月神宿』は電気もガスも通って無い事が売りの宿なので、もちろん宿は真っ暗。
 紅梅さんは宿の玄関に置いてあるランプに火を着けると、そのランプの灯りで足元を照らし、俺を宿の隣に隣接する居住棟にある共有部屋に案内してくれた。
 紅梅さんは、手に持っているランプを部屋の天井にあるフックに掛ける。すると部屋全体がランプの火で和らかく照らされる。
 宿に入って感じた事は、外はあんなに寒かったのに電気もガスも通っていないこの宿全体が何故かほんのりと暖かい事。
 その疑問を紅梅さんにぶつけると、「部屋に温泉の流れる管が通っていてね、その熱で部屋を温めているから宿全体が暖かいんだ」と、答えてくれながら俺を部屋の真ん中にあるこたつへ促してくれる。
 俺がこたつに入ると紅梅さんは部屋の隅にあるストーブに火を着けたり、ランプの数を増やしたりとバタバタと動き回っている。こたつは―― いわゆる掘りごたつと呼ばれるも物で、こたつ内の掘られた床に足をつけると、そこに温泉の管が多く入っているのかとても暖かく、その熱でこたつ内の空気も暖かい。
 部屋の空気もストーブのおかげでポカポカ暖かい。
 ―― ストーブの上の沸騰したヤカンで紅梅さんがお茶を淹れてくれる。
 俺と向かい合う様に紅梅さんもこたつに入って来て、二人でお茶を飲む。
 部屋の暖かさ、こたつの暖かさ、お茶の温かさと甘さで心がホッと落ち着く。
 (ん? お茶?…の所為か体の中からポカポカする)

「……………………………………」
「……………………………………」

 暫しの沈黙。

 先に口を開いたのは俺。

「紅梅さん、ありがとうございました」
「……ん? え? どうしたの急に?」
 急に俺がお礼なんて言い出すから紅梅さんは戸惑っているが、俺は言葉を続ける。
「紅梅さんのおかげで、俺の先輩に対する気持ちに気付けたし、誰にも言えなかった事を聞いて貰って俺も、救われました」
「そ、それは僕の方で…けれど、僕のお節介で鱗くんに辛い想いを…」
 紅梅さんの顔が泣き出しそうに歪む。
「はい、確かに辛いですが、それは紅梅さんの所為では無いです」
「いや、僕の…」
「違いますよ! 夢で再放送を見た時点で俺は先輩の事を頭の片隅に残してしまい、ずっとモヤモヤを抱えたままだったと思います。 紅梅さんのおかげでそのモヤモヤの理由が分かって、対処方を知る事が出来た。 対処が分かれば、後は行動するだけです」
「……え?」
 
「俺、……先輩の事、諦めます」
 
「!!」
 紅梅さんの目が大きく開かれる。
「俺と先輩の関係って、“契約”が繋いでただけで、10年前から破綻していたんです。 それでも俺は先輩との関係が都合が良いからと思って離れられなかった。 ……今、思えば…それって好きで執着してたんですね…」
 喉がカラカラになって手元のお茶を一気に飲み干すと、俺は話しを続ける。
「でも、もう、今更なんです。……距離が、離れ過ぎた……。 離れて、心が離れているのに、“契約”で無理矢理繋いで……もう、俺が限界だったんです。 だから、色んなモノを失った時にチャンスだと思い“関係解消”した。……その時点で終わった筈だったのに、再放送で先輩への想いに気付かされた。 奥の奥にしまっていた心の悲鳴だったんですかね?」
 紅梅さんは静かに俺の独白を聞いてくれている。
「先輩の事好きだと気付けて良かった。 心が軽くなった。 ……だけど、俺の想いは先輩には迷惑だと分かっている。 伝える気は無いです。 ……だから、諦めます・・・」
「鱗くん……」
 紅梅さんの顔はクシャクシャで、目に涙を浮かべてる。
「紅梅さん、俺、失恋しました。 無茶苦茶辛いです。 でも、……結構スッキリもしています。 ……それと、多分、この気持ちが消えるまで先輩の事考えないといけないと思うとイライラします~」
「え?」
 今度は目に溜まった涙を散らしながら驚き顔の紅梅さん。それが面白い。
「プッ……イライラするんですよ! あの野郎。 ……あのクソ野郎、ははっ、クッソムカつく。 あはははっ、何~で、俺があんな奴…あんな女好き野郎の事なんて……好き? 何でぇ? うー忘れたい。あんな奴忘れてやる。もー嫌いだぁ~! 見てろヨォ~。 おれ、俺だって可愛い子見付けてぇ、童貞卒業してぇ、幸せになってやるんだぁ~。 ……うぅ、あのやろぉ、俺の処女無理矢理奪ったくせにぃ~、俺ぇ女の子好きなのにぃ、……ズズッ。バーカバーカ。嫌い嫌い・・・うぅ、好き、でも嫌いっ、嫌いになるんだもん。 あははははははは」
 
 そうだ、そうだ! 先輩の事なんて嫌いになってやるんだ、早く忘れて……忘れて……・・・うー、好き………。

「……え? え? え? ……鱗くん?」
 あれ?紅梅さんの顔が二重に見える。……フフッ、フハハたぁのし~♪
「うひゃひゃ、ひゃ。紅梅さぁ~ん、俺の事はぁ、置いといて~。 俺はぁ、紅梅さんの恋を応援しますよぉ~! 紅梅さんと駅長さんは、とぉぉぉぉぉてもっ、お似合いでーーーーーすぅ。 あ~この甘いお茶美味しいですね~♪ もう一杯頂けますぅ~?」
「甘いお茶? 甘酒の事かな?」
「え~甘酒ぇ? 酒~? 俺、お酒飲めませ~ん。 へへっ禁止なのぉ~。 セックスしたくなっちゃう~。 あ、クッソ眠っ、おやすみなさぁ~い♡」
 
「は? え? 鱗くん?………………え?……………………甘酒……………………えぇっ!?」


 ―― この後、紅梅さんは、俺をこたつの横に敷いた布団に眠らせてくれたという……。

 翌朝、目覚めと共に平謝りな俺。
 紅梅さんも「甘酒に少しだけお酒が入っていた事を伝えて無かった」と申し訳無さそうに俺に頭を下げてくれた。……でも、昨日の俺を思い出したのか「鱗くんのお酒禁止の理由が分かったよ、あれは可愛過ぎるよ」と、激美味な朝食を出してくれながら言い出し、「可愛過ぎて危ないから、僕の前以外お酒禁止ね」と釘を刺されてしまった。「一滴でもやばいね、料理も気を付けないと」とブツブツ二人で朝食を食べていた時にも言っていたけど・・・。
 その後、俺から、昨晩の俺の失態について記憶が無い事を伝えると、逆にどこまで覚えているのかと紅梅さんに聞かれ、先輩の事を諦める発言の所までは覚えてると答えると、「そっか」と悲しそうに微笑みながら、その後の俺の奇行(俺が無理矢理聞き出した)を教えてくれた。
 後で紅梅さんは「僕の前だったら良かったものの、他の男の前だけはお酒はダメ、鱗くん可愛過ぎて滅茶苦茶にされちゃうからね」と再三釘を刺された。
 ……可愛いの件は紅梅さんなりの冗談なのだろうが、俺ってそんなに酒癖が悪かったのだろうか……?
 
 

「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”ぁぁぁ~~~、穴が有ったら入りてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 紅梅さんが進めてくれた川の中にある露天風呂にて大声で叫ぶ俺。
 大丈夫、今この宿は俺一人きり。
 紅梅さんは、朝食を食べ終えると、今日入ってくるスタッフ二人を送迎バスで駅まで迎えに行ってしまった。なのでどんなに大声で喚き散らしても誰も聞く人は居ない……。
 この露天風呂は、宿の隣を流れる川の中に造られていて、この『月神宿』の名物の一つになっている。3部屋在る客室それぞれにも露天風呂は付いてはいるが、川のせせらぎを聞きながら、昼間は空の青さと森の緑、遠くの山々の群青、そしてその色が四季によって違う色に染まって行く様を身直で感じ、夜は満天の星空の下で入れるこの露天風呂は癒しの空間として、宿を利用してくれたお客様に大人気だとか。
 祖父から譲り受けてこの宿を、今まで一人きりで運営し、一日一組を迎えるのが精一杯だった紅梅さんは、お客様の「また『月神宿』に泊まって露天風呂で癒されたのに、予約が取れなさ過ぎて悲しい」の多数の声を受け、建物の老朽化の改善と伴に、客室3室を解放。一日三組を迎える為にスタッフを増やし、2月の再オープンに向け動き出している。
 (そのスタッフを増やす為の求人に俺が来たという訳)

「うぅ、紅梅さんに童貞ってバレてしまった……恥ずかしい・・・」

 今、俺は大きな露天風呂に大の字になって浮かんでいる。
 湯は炭酸泉という事で少しパチパチしていて、その刺激が肌に気持ち良い。
 目の前に広がる空は青く、耳には川のせせらぎと鳥の囀り、12月下旬の冷たい空気と風が、ポカポカした体に触れると心地良く、何かを考える事がバカらしく思える。
「……このままここに居れば、いつかは日夏先輩の事を忘れられそう……」
 確かに、この宿と露天風呂の癒しの効果は抜群だ。

 露天風呂から上がると、宿の制服…紺色の作務衣を身に纏い、紅梅さんから頼まれていた、調理場の隣に在る地下に掘られた氷室から、今晩の“スタッフ顔合わせ会”の御馳走食材を調理場に運ぶ。
 宿には電気もガスも通ってないので、冬に凍った氷が一年中残る氷室は食材の貯蔵庫として重宝されている。氷室は奥に行くほど温度が低く、冷凍物は奥へ、冷蔵物は手前へと貯蔵されている。
 食材を運び終えると、紅梅さんのメモを頼りに今度はかまどに火をつける為に外から薪を運び、かまどの下部の穴に薪を焚べ火をつける。これは着火剤と新聞紙、ライターを使う。
 火が定着したら、かまどの上部にある窪みに水を張った大鍋を置く。これで紅梅さんに言われた事は終わり。
 宿には時計が一つも無いので、居住等の共有部屋に有る時計を見に行くと、……もうそろそろ紅梅さんが帰って来る時間だ。
 俺はまた調理場に戻ると、火の番をしながら紅梅さんと今日入る二人のスタッフの帰りを待つ。
 かまどの前で火を眺め、薪の爆ぜるパチパチ音を聞きながらボーッと過ごしていると、駐車場の方から車が砂利を踏み進む音。
 (帰って来た!)

 宿の入り口に向かうと、玄関に二つの人影……一人は紅梅さん。その隣に…酷い猫背を伸ばせば、きっと身長2メートル位ありそうなガッチリとした猫背な大柄な男の人。長いボサボサ髪と俯いている所為で表情は見えない。
 紅梅さんが俺に気付き「ただいま。鱗くん」と言うと、大きな男の人の後ろから聞いた事のある声が聞こえる。
「……え? うおくん“鱗くん”って?」
「昨日から来てくれている、秋空 鱗くんだよ。挨拶しなよ、つーくん」
「え? ……まじ? え? 嘘!!!」
 紅梅さんを“うおくん”と呼んだその声の主が、猫背の大柄な男の人の後ろからひょこっと顔を覗かせると――。
「鱗先輩っ!!」
 高校時代より、随分と大人びて色気を増し更に王子力に磨きがかかった懐かしい顔。

 
「え?……白森!?」

 
 ―― 実に8年ぶりの感動の再会。………………感動?
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碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
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ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
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