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【第1章】異世界転移

【19話】綻び

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 王との話は終わった。
 あの様子、どうやら本当に俺には後がないらしい。〈迷宮〉を攻略するか、王都ここで魔物に襲われるか、その二択。
 〈迷宮〉のことを、あの化けネズミどもの顔を思い出すと、体は震え息が早くなり吐き気までした。こんな状態で〈迷宮〉に行こうなどとは到底思えなかった。

 そもそも甘かったのだ。俺たちはまだこの世界を現実だと認識しきれていなかった。傷を負えば死ぬほど痛いし、本当に死んでしまうのは言いようがないほど怖い。俺たちはどこかで、異世界の〈迷宮〉だってゲームのように簡単にクリアできると思っていた。
 それが結果はどうだ。大したことのない怪我で戦えなくなって、親友を見捨てて逃げ帰って……。

 部屋に戻って床にうずくまったまま、色んな感情
や考えが頭の中を堂々巡りした。「死ぬのが怖い」、「戦うのが怖い」。フレッドと別れて逃げ出して以来、俺の根底はこの二つに支配されていた。
 食事などを摂る気にはなれなかった。そうしたまま何時間が経っただろうか。
 不意に"ある一つの考え"が頭に浮かんだ。

「異世界だから怖いんだ! それならこの世界をゲームにしてしまえばいいんだ!」

 そうだ、そうすれば〈迷宮〉だってクリアできる。
 「異世界」と「ゲーム」の最大の違いは死ぬことと痛みがあることだ。「死」も「痛み」もなかったならば、モンスターに恐怖だって感じない!
 いや、モンスターに恐怖を感じてしまうなら、「恐怖」すらもなくしてしまえばいい。

 こうして俺は「死なないこと」に取り憑かれて狂い始めたのだ。


 ♢♢


 俺はカレンに会うために、兵士の宿舎を訪ねた。
 カレンは〈迷宮〉から戻ってきて以降、ずっと部屋に閉じこもっているらしい。
 ノックをする。しかし、返事はない。

「カレン、いないのか?」

「……コウさん、ですか?」

 扉越しに返事が聞こえた。

「扉を開けてくれないか」

「すみません、帰ってください……」

 カレンは沈んだ声でそう言った。

「そう言わずに頼む」

「帰ってください! あなたも私を責めるんでしょう!?」

「え?」

「あんなの聞いてなかった! 魔物の群れがあんなにたくさん! ここで死ぬんだと思った。何もできなくたって仕方ないじゃない!」

「……カレン」

 そうか、きっとカレンは帰ってきて以来、色んな奴に責められたのだろう。作戦失敗の責任を問われて、国の存亡を賭けた戦いで傷も負わず帰ってきたために。俺が眠っている間、カレンはたった一人でどれだけの非難を受けたというのだろう?

「……それを言うなら、俺も同じだ。何も出来ずに逃げ帰ってきた」

「……」

「だから、カレンが悪いんじゃない。もう自分を責めるのはやめてくれ」

「コウ、さん……、ぅぅ……分かっているんです。私がちゃんとしていれば、もっと助けられたかもしれないことも。もっと……生きて帰って来れたかもしれないことも」

「ああ。けど、どうしようもなかった」

「体がすくんで、怖くて、私、私は!」

 部屋の中でカレンは声を上げて泣いた。叫ぶように、誰かに謝るように。
 俺はそれを扉越しに聞いていた。
 しばらくして、カレンは自分から扉を開けた。

「コウさん、すみません。私の、私のせいで……」

「いや、もういいんだ」

 そうだ、カレンのせいじゃない。何もかも俺の見立てが甘かったせいだ。俺が弱かったせいだ。

「カレン、今日はカレンに頼みがあって来たんだ」

「? はい、なんでしょう?」

「俺に治癒の魔術を教えてほしいんだ」

 
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