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姉妹誘惑のお宿編
あの子、もう帰らないわよ①
しおりを挟むざああという雨の音が聞こえてきて、俺は目を覚ました。見慣れない部屋を見回し、寝ぼけた顔で起き上がる。
「そういやここは伊豆だったか」
見慣れなくて当然だ。結局、俺用の部屋に入ったのは寝つく直前だったしな。
ぼりぼり頭を掻きながら裸足のまま部屋を出る。向かいの部屋のドアは開いており、茜ちゃんは既に起きていると分かった。
ちょうど隣のドアが開かれて、その隙間から寝グセのついた女の子が眠そうな顔を見せてきた。
「眠ぅーい。おはよ、徹」
「おはよう……って時間じゃないか。さっきから雨の音がすごいけど、これ夕立かな?」
知らないけどそうじゃない? そう千夏ちゃんは答えたかったみたいだけど途中から欠伸が混じってしまい「ふぉふぁお、くああっ」という不思議な言語になっていた。
たっぷり浮かんだ涙を指でぬぐい、ごく自然と手を伸ばしてきたので握り合う。うーん、寝起きだからヌクヌクだ。と、吹き抜けの窓から見える景色に俺は呻いた。
「おー、すごい雨。千夏ちゃん、ここからもちょっとだけ海も見えるんだね」
「おっそ! いま気づいたの? 徹ってさ、視野キューサクなんじゃない?」
「視野狭窄のこと?」
そうそれ、と指をさされた。
小説家を志望しているのなら、ちょっとは難しい言葉を覚えたほうがいいんじゃないっすかねー。そう言うと階段を降りている途中でむこうずねをガスッと蹴られた。なにこの子、普通に痛いんですけど。
「暴力的な女の子はね、魅力が半減しちゃうんだよ?」
「ふーん、もう一回蹴れば一周して元に戻る?」
戻りません。あ、いったぁい!
「もーー、おてんばちゃんめ!」
肩にかつぐと、きゃあっはっは!と千夏ちゃんは大きな声で笑う。やっぱり可愛いし、ぺちんとお尻を叩くと「やーん、エッチー」と足をパタパタ振りながら可愛い声で言ってくれる。暴力も笑顔で相殺されるんだから女の子ってお得だよ。男だったら同じ力で蹴り返す、あるいは「一発は一発だ」と手痛い一撃を与えて終わるだろうしさ。
しかし肝心のお姉さんが見当たらない。
「あれー、茜ちゃんがいない。トイレかな。千夏ちゃん、なにか飲む?」
「ボク、オレンジジュース。冷蔵庫にあったよね?」
どさっとソファーに座らせた中学生の子からアゴで使われる。へいへいとふてくされながら冷蔵庫を開くと同時に、窓の外はドドドという大きな雨音に変わった。
「うおー、すごいな。こっちは海に面してるから雨の勢いが違うのかね」
「さあ、知らない。それよりもお腹すいたー。徹、オムライス作ってー」
ごろんとソファーに寝そべり、こちらにお尻を向けた姿勢のまま千夏ちゃんは甘えてくる。本当なら今すぐに昼食を作ってあげたいところだが……。
しかしいまは茜ちゃんが気になる。さっき寝室の戸は開いていたし、てっきり一階にいると思っていたのに。どこにも姿が見当たらず、キョロキョロしながらオレンジジュースをコップに注ぐ。
そのとき気になったのは玄関だ。何かが足りない気がして、じっと俺は眺める。
「あ、靴がない」
「んー、どういうこと?」
「だから茜ちゃんの靴がない。夕立ちなのに外にいるんだ。ここの置き傘って何本あったっけ?」
覚えてなーいという返事を受けて、グラスを手に近づいてゆく。千夏ちゃんはソファーから起き上がりながら見あげてきた。
「お姉ちゃん、どこに行ったのかな?」
「うん、雨宿りをしていればいいんだけど。っと、スマホに連絡が入ってるかな」
スマホを取り出すと画面には「2件のメッセージがあります」という表示がされる。お金がかからなくて便利だから最近はよくSNSを利用しているんだ。
そこには茜ちゃんの発言を表す観葉植物のアイコンがあり、俺たちの中だと浮いて見えるくらい上品だなと思う。
ふっとこぼした笑みはこわばった。
彼女からのメッセージを読んだからだ。
『14:12 お買い物のついでに叔母様に挨拶してきますね』
『14:32 おにさn、』
メッセージを読んで、ざわりとした。
二件目のこれは何だろう。慌てて打ったように見えるし、どうにも突然の雨で足止めをされているような感じがしない。茜ちゃんは几帳面な性格で、誤字をほとんどしないんだ。
「ちょっと様子を見てくるか。千夏ちゃんはここで待っててくれる?」
「う、うん、どうしたの?」
「叔母さんの家にいるみたいだから、迎えに行くだけだよ」
心配をさせたくなくて、そう答えた。
いや、実際にそうかもしれない。メッセージをちゃんと送れなかったのは、モデルの件で説得されている最中であり、困り果てた茜ちゃんが助けを求めたのかもしれない。しかし早めに動いたほうが良さそうだと感じて、着替えの服に手を伸ばす。
「んー、じゃあシャワーを浴びて待ってるね。徹、雨だから気をつけて」
「へーきへーき、俺は男の子だから。帰ったら投稿した小説がどうなったか教えてね、千夏ちゃん」
分かったーという返事を背に受けて、さっさと着替え終えると玄関から外に出る。
降りしきる雨が跳ね返り、路上は白く染まっていたけれど、ためらわずに歩きだす。傘に雨粒が激しく当たるドドオという音で包まれた。
予報によると、この夕立はまだしばらく降るらしい。しかし本館まで歩いて10分程度なので、さほど困りはしないだろう。
ついでにSNSで「茜ちゃん、どこにいるの?」と尋ねてみたけど返事は無い。電話もまた同様であり、数コールほど待ち続けたけど茜ちゃんが出てくれることは無かった。留守番電話のメッセージだけだ。彼女の声を聞けるのは。
電話を切り、一人きりになったときにふと気づく。
すぐ隣に茜ちゃんがいる気がするんだ。つい話しかけそうになるし、彼女からじっと見つめられている気がする。その既視感はずっと昔に飼い、亡くなるその日までいつも一緒にいた愛犬のようだと思う。
雨がすごいねと話しかけたくなり、当たり前だけど隣には誰もいなくって、ひっそりと俺は寂しい気持ちに襲われる。
「いま迎えに行きますからねー」
だからつい、こんなひとり言で気を紛らわせたくなるんだ。どんなにひどい雨でも、彼女が一緒だったらぜんぜん違う景色だったろうなと思う。すごいねと瞳をまん丸にする彼女を見て、きっと俺は笑うんだ。
それで分かった。
くさびは刺さっていた。
気づかないうちに茜ちゃんからのくさびがたくさん刺さっていて、以前とはぜんぜん違う関係なのだと気づいて、なぜかちょっとだけ嬉しくなる。降りしきる雨の中で、そんなことを思った。
脚をびしょ濡れにさせて歩いていると、ようやく本館にたどり着く。この時期の雨は生温かくて、どこか埃っぽい匂いがする。軒先で傘を閉じるとたくさんの雨水がコンクリートにこぼれ落ちた。
雨がすごいね。
まだ海で一度も泳いでいないね。
そんな話題がたくさんあって、せき止められた川みたいだなと思う。しかしまずは彼女と会わなければいけない。黒くて綺麗な髪にバスタオルをかけて、お帰りなさいと言ってあげないと。
のれんの向こうに女性の店員さんが見えてたので、すぐに俺は声をかけた。
「すみません、昨日から上の別荘を借りている者ですが、連れの茜がこちらに来ていませんか?」
「茜さんですか? いえ、何も見ていませんが……私、他の者に聞いてきましょうか?」
思いがけず大きな声が出て、店の人を驚かせてしまった。頭を下げて「お願いします」と返事をすると、彼女はすぐにスリッパを鳴らしながら廊下の向こうに去って行った。
ざああ、と降りしきる雨を、しばらく軒下から見あげる。空は厚い雲で覆われており、しばらく止むことは無さそうだ。鈍く轟いたのは雷鳴で、ぐっしょりと濡れたままのシャツを手で硬く握りしめる。
茜ちゃんは買い物のついでにここへ立ち寄ったとメッセージで知っている。もしここにいないのなら、一体どこにいるのだろう。どうしてメッセージに応えないのだろう。
そう考えていたときに館内から人の声がする。振り返ると見知った相手、茜ちゃんの叔母である鵜鷺さんが先ほどの店員さんと歩いてくるところだった。
「あら、徹さん。急な雨でびしょ濡れになったのかしら」
魔女の気配がする人だ。
それは単なる俺の持つ印象だけど、薄暗いなか話しかけてきた彼女に再びそう思う。気の強そうな目つきと眉、そしてどこか紺色がかった髪と瞳をしている。
さて、どうして彼女が来たのか。茜ちゃんがここにいるか、見かけた人がいるかどうかを知りたいだけだったのに。
すると彼女は従業員に対して「私が知っているわ」などと答えた可能性が高い。立ち去ってゆく店員さんの背中を眺めながら、俺はそんなことを思いながら鵜鷺さんに向き直った。
「こんにちは、鵜鷺さん。すごい夕立ですね。傘があまり役立ちませんでしたよ」
「そう……茜は雨が降る前に来たわ。お上がりなさい。あなたには少し話があるから」
ここに茜ちゃんはいないのか?
どちらとも取れる言い方をされて、じっと彼女の瞳を見る。感情が乏しく何を考えているのか分かりづらい表情だ。
しばし悩み、差し出されたバスタオルを受け取りながら旅館に足を踏み入れた。
ここは鵜鷺さん用の私室だろうか。本館の端に位置しており、長い廊下を歩いてからたどり着いた場所は、あまり物を置かないがらんとした部屋だった。
温かい珈琲を飲み、彼女の言葉をじっと待つ。向かいに座る彼女は長い足を組み直し、それから紺色がかった瞳を向けてきた。
「あなた、茜とはいつからのお付き合い?」
「いえ、いまはそんなことを話している場合では……」
「あなたの前だとずいぶん可愛らしくて、昨日は少し驚いたわ。ほら、あの子は頭がいいぶん気難しいから、もしかしたら大人のほうが合うかもしれないと私も思っていたわ」
カチャリと器をソーサーに戻して、鵜鷺さんはしばし口を閉ざす。また同時に何やら嫌な感じがする。要点を得ない言い方が気になるし、どこか憐むような目をしている。どきんどきんと心臓が強く鳴り始めた。
「鵜鷺さん、あなたは茜さんどこにいるか知っていますね?」
「知っているわ。だって私が手引きをしたんだもの」
頬杖をつく彼女は泣きぼくろに小指を当て、すべて分かっているような顔をする。憐む目をしているが決して慈悲深いものではない。死にそうな魚を見て「あら可哀想に」と呟くのと何ら変わらない雰囲気をしていたんだ。
誘拐と考えてよろしいのですね?
そう言いたかったが言葉がうまく出てこない。言葉というものを口から出す前に、ぱっと消えてしまうんだ。身じろぎをして心を落ち着かせようとするが、どうもうまくいかない。幾たびか同じことを繰り返してやっと気づけた。
「鵜鷺さん……」
「あの子はもう帰らないわよ」
ずきゅりと胸に突き刺さるような言葉だった。心臓まで氷のナイフは突き刺さって、彼女は椅子から立ち上がり、そして俺はゆっくりと崩れ落ちていく。
掴みかかろうと伸ばした腕は、そっと彼女の手に押さえられる。
しぃー、と耳元に囁かれた。
静かにという意味なのか、しぃー、と再び吐息を当ててくる。白蓮の香りが漂うなか、彼女は「やっぱり恋人同士ね」と小さな声を漏らしたそうな。
「ふ、ふ、ふふふ……!」
怪しく笑う男がいた。
そこは伊豆急下田という駅前であり、バスロータリーには太くて立派なヤシの木が生えている。いまは大粒の雨に打たれており、先ほど笑っていた若者もまた全身をずぶ濡れになっている。
そして友人から借りたらしき単車の前で、再び彼は怪しく笑う。
「ハハハ、現地集合とかふざけたことを言いやがって……! 見ていろよ、伊豆に来たことを心の底から後悔させてやる……!」
そして彼は降りしきる雨に構うことなく、ずぶ濡れのヘルメットで頭を覆う。
一人の鬼がそこにいた。
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