こいつ弟の彼女だから【R18】

まきします

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姉妹誘惑のお宿編

あの子、もう帰らないわよ②

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 ざああ、という雨の音で、茜はゆっくりと瞳を開く。

 これまでずっと思考が散漫だった。視界や耳から入ってくる情報はどれもこれも断片的で、ようやくまともに考えられるようになりつつある。夢から目覚めかけのときのように。

 ぼうっとした頭でまず思うのは「薬を飲まされたのでは?」という疑念だった。
 身体の感覚が頼りなく、気を抜いたらまた暗闇にすとんと落ちてしまいそうだ。このような体調になった記憶はあまりない。

 ふと思い浮かんだのは#鵜鷺_うさぎ__#叔母さんのことで、珈琲を飲みながら思いつめた顔が気になっていた。
 なぜだったのかと考え始めても、ぱっと思考は散ってしまう。

 てん、てん、と水滴が素肌に触れてくる。
 ひんやりとした夜気を感じたし、肩を出すノースリーブの服装をしているから雨粒が幾つも触れてくる。
 普段なら嫌がっただろうけど、いまはそのほうがいい。水滴が触れて熱を奪い、肌の神経を通じてゆっくりと思考を取り戻せてゆくのが分かるから。

 そのように考える力を取り戻してゆくと、次に茜は周囲の情報を得ることにした。

 誰かが肩を抱き支えている。
 衣服を挟んで伝わる体温がある。
 たくさんの雨の匂いに包まれて、うつむいた視界にはフラつく己の足取りがある。どうやら意識が危うい状態で歩いているようだ。

 いつから歩かされているのだろう。
 すぐ隣にある靴は男性のものであり見覚えがない。

 まだぼうっとした頭で茜はゆっくりと顔を上げる。
 やはりそこには見慣れぬ青年の顔があった。昨日に見かけた#相馬_そうま__#なる人物だ。

「…………」

 がしゃん、と檻を下ろすように瞬間的に茜は心を閉ざす。
 たぶんこれは私の癖だろう。
 長いこと孤立し続けた学生生活だったけど、なにも変化しなかったわけじゃない。芸当と言うべきか、はたまた個性と呼ぶべきか、檻の向こうから相手を眺めるように怖さを感じづらくなった。

 だけど、暗いなあと思う。
 地下迷宮の奥底にある檻のなかにいるようで、ぴちょんと傘の端から垂れる水滴もよく似ている。
 以前は気にもしなかったけど、このところ少し楽しすぎた。ふらりと現れたお兄さんは気さくで、優しくて、なぜか話が合って、そして人肌の体温を感じたくて抱き合った。

 あれは、すごく良かった。
 唇を重ね合ったまま素肌を触れ合わせて、求めるとそれ以上で応えてくれるのは……そう、たまらなかった。端的に言うとゾクゾクした。
 いけないことを楽しむコツは、なるべく理性を残しておくことだ。そうすると内側の痙攣を感じ取れるし、彼の耳にそっと「そこです」と伝えられる。

 身じろぎに気づかれたのだろう。
 相馬という男から身体を支え直されて、それから笑みを見せてくる。大学生らしい軽やかな笑みではあるけれど、いまこの状況ではあまり似つかわしくないと思った。

「あ、目が覚めたかな? 茜ちゃん? うん、まだ薬が抜けきっているわけじゃないのか。まいったな、そんなに強いのを使うなんて」

 観察するように覗き込みながら相馬は言う。まだ意識が散漫なままだと察したようだ。

 頭上から響くボツボツという音は、頭上を覆うビニール傘が立てる音だろう。
 また同時に背後から甲高い電子音が鳴り、振り返ると施錠を示すライトが黄色い車に灯される。

 ――まだ数歩しか歩いていなかったんだ。

 胡乱な瞳で背後を見やりつつ、これでは腕を振りほどくのは無理そうだなと判断した。もし逃げれたところで路上にうずくまるのが関の山だ。

「ほら、もうちょっと。あと少しで休めるよ」

 声に引かれて視線を戻すと、なだらかな坂の先に二階建ての家がある。短期滞在をする旅行客向けの施設だろうか。
 もちろん見覚えの無い場所だ。そして流れてゆく景色のなかで数台の車が視界に入る。

 あ、嫌だな、と思ったのは家から響く重低音の音楽だった。ずん、ずん、と空気を震わせており不快さが増してゆく。

 近づきたくはないが、逆らうことはできない。
 洋風の造りをした玄関に着くと雨の音は遠ざかり、代わりに頭の悪そうな音楽の響きが増す。それは静かな環境を好む茜にとっては頭痛がしそうだった。

 と、玄関の明かりが灯された。
 戸口から顔を覗かせたのは飛躍をした男性で、相馬よりも背が高い。部活などのスポーツをしているというよりは、海で遊んでいる感じがする。

「お、来たかー。噂どおりヤバいな、その顔と身体。マジで女子高生かよ。茜ちゃん、ゆっくりしてってねー。オレたち超歓迎するー」

 相馬とはまた異なる笑顔の質だ。妙に馴れ馴れしくて、こちらのことをなんでも分かっているという感じがする。
 同時にドキンドキンと心臓が鳴り始めた。
 開け放たれた玄関の先も薄暗く、この家には不穏な気配が満ちている。これからどんな目にあうのかも薄々と察せられた。

 たぶん、ひどい目にあう。
 しかしなぜこのような状況になったのかがまるで分からない。相馬はほとんど面識のない相手だし、こんな場所と人まで用意しているのはいくらなんでもおかしい。唐突すぎるのだが薬のせいで考えがうまくまとまらなかった。

「じゃ、行こっか。特等席に案内するからさ。田島、こっちはいいから車から機材を持ってきてくれ。あと電話で連絡も」
「ああ、他の連中は?」
「じきに来るってさ。先に俺らで準備だけ済ませておこう。あー、散らかしやがって。ここが仕事場だって忘れるなよ」

 悪い悪い、という声を聞きながら相馬に身体を支えられる。
 そして閉じられてゆく扉を眺めながら「特等席」って何だろう、と茜は考え始めていた。フラついた身体で玄関に上がらせられながら。


 ◆


 最初、ぼそぼそと話す声が聞こえた。
 聞いたことのある女性の声だと思うけど、うまく思考がまとまらない。

 紺色がかった髪が視界に入っており、その人は電話で誰かと話していた。だけど会話は聞き取れないし、その横顔はどこか険しく見える。夢のなかのように景色はかすんでいるし、もしかしたら本当に夢なのかもしれない。

 むー、むー、むー。

 そんな振動音が聞こえてくる。
 えーと、何の音だろう。深酒をしたように頭をぼうっとさせていると、半開きの口から涎を垂らしていることにようやく気づいた。

 やべっ、と思いながら涎をぬぐおうとしたのだが、ぎしっと腕が固まっており動けない。なんだこりゃ。
 ぽたりと唾液を垂らしながら、胡乱な目を何度もまばたきさせる。

 むー、むー、むー。

 再び聞こえてきた振動音に視線を向けると、ぼんやり輝くなにかが見える。目をこらしてよく見ると、それはスマホの液晶画面だった。


『トオル、返事してー!』

『一人ずついなくなって怖い!』

『ヤダ――、返事して――!』


 これ、千夏ちゃんからのメッセージだ。
 ゾウムシをドアップにさせたアイコンを眺めながら、ぼんやりした頭を無理やりに覚醒させてゆく。今どういう状況なのかを理解したからだ。

 スマホを手にしようと思ったが、腕はまったく動かない。拘束されているのか、ぎしっと鳴るだけで微動だにできない。
 背中側に腕を固定されており、長時間同じ姿勢でいたためか肩が痛い。見下ろすと両足も革製品のようなもので固定されている。
 力を込めてみると、がしゃんと金具の音が鳴った。

「……こっちも早いわね。もう目覚めたの?」

 ピッと電話を切りながら、鵜鷺うさぎさんは振り返る。しかしこちらは身体が動かせないだけでなく、口に何かを噛まされているので、一歩ずつ近づいてくる彼女に何も言えない。

 黒のネグリジェから透けた腕が伸ばされて、俺……ではなく目の前のスマホを掴み、そして引っくり返して画面のメッセージを彼女は眺める。

「あら、小さな子がひとりぼっちで可哀そう。あなた、心配をかけているようね」

 さして興味も無さそうに言い、黒いマニキュアのついた指でコトンと卓上に置かれる。

 茜ちゃんは、まだ家に帰っていない。
 それは俺にとって一大事だった。
 まだ学生だし、旅行先で大人として守らなければいけない。それだけでなく今朝になって彼女は応えてくれたんだ。正式に交際を受け入れてくれて、そのとき茜ちゃんは真っすぐに俺を見つめてくれていたんだ。

 今すぐ助けなくちゃいけない。
 ググ、と腕に力を込めて縛りつけているロープか何かを破壊しようとする。そのときに、しぃー、と唇に人差し指を当てながら囁かれた。

「静かにできるなら口のそれを外してあげるわ。どう、私とお話できる?」

 長いまつ毛に縁どられた瞳でそう尋ねてくる。
 返事は? と問いかけるようにやや体温の乏しい指先で頬を撫でられて、俺はしばし迷いつつも頷いた。この状況では喧嘩腰をしていても好転するとは思えない。

「いい子ね。社会人は楽でいいわ。どうすれば得かすぐに分かってくれるから」

 そう言いながら太もものうえに横座りになり、彼女の指が近づいてくる。品のある白檀の香りに包まれながら金具は取り外されて、がぽりと唾液の糸を引く。
 口のこわばりを取ろうとしばらく歯を噛む俺を、横座りになったまま鵜鷺さんは覗き込んできた。

「徹さん、あなたに幾つか謝りたいことがあるわ」
「……とりあえず聞きます」

 照明の逆光になりながら、ふっと彼女は笑みを浮かべる。妙齢な人だと感じるのは、たぶんこの色気のせいだ。どこか品があり、知性もある。
 しかしじんわりと伝わる太ももの体温は、男を知っていると分かる柔らかさがあった。

「あの子、もう帰らないわ。いまごろは違う人と一緒にいるし、きっとあなたのことを見捨てるわ。第一、自分でも分かってるでしょう? あんな子と将来一緒にいれるとでも?」
「へえ、一緒にいるのは相馬ですか? ならあまり相手にならないと言うか、茜ちゃんの苦手なタイプでしょうね」

 どうかしら、という風にクスリと笑われた。
 女性の笑顔は好きだけど、いまのはあまり好きになれない表情だ。どちらかというと真逆に感じたし、きっと相手も好意的ではなかっただろう。

「ふたつめは、楽しみにしていた旅行を台無しにしたこと。茜と千夏には悪いけど、それもみんなあなたのせいだし仕方ないわよね、徹さん」

 俺が悪い? どういう意味だ?
 ボタンをひとつ掛け間違えているような違和感はあったものの、しかしこの状況で聞くべきことはただひとつだけでいい。

「茜のいる場所に心当たりは?」
「なに? もう呼び捨て? 駄目よ、学生の子を相手に独占欲まで覚えたら、それはもういけない一歩を踏み入れているわ。だけど私なら……平気」

 もうっと濃い白檀の香りに包まれた。
 重なり合った唇は沈むほどやわらかくて、つるりと指先が首を撫でてくる。
 椅子がきしんだのは、より深くまで彼女が腰かけてきたのだろう。ねっとりと密着した唇。その内側で「はやくここを開けなさい」と舌で舐められていて見れないが。

 はあ、そういうことか。
 先ほど電話で話していた相手は恐らく相馬なのだろう。口止めとして身体を差し出せという命令を受けたのかもしれない。
 しかしなぜそんなことをする? こんなの黙ってなどいられないし、通報するに決まっているじゃないか。

 罠の匂いがするし、悠長にしていられる暇もない。まるで気のない素振りをしていると、ちゅぽっと音を立てて鵜鷺さんの唇が離れてゆく。
 親指でこしこしと口紅あとをぬぐいながら、すぐ近くで彼女は目元に笑みを浮かべた。

「見たわ、シーツについた血のあとを。茜の純潔を奪ったと知れたら、きっと彼は激怒するでしょうね。年齢差を考えないような男に汚されたなんて」

 え、純潔を? いやいや、もちろん茜ちゃんの初めての相手になりたくて仕方ないけど、その相手は克樹で……。
 と思っていたとき唐突に昨夜のことを思い出す。

「あっ、ちなっ……!」

 千夏ちゃんの純潔、と声に出しそうになって慌てて口を閉ざした。
 怪訝そうな顔をされたけど、こっちだって決して知られていいものじゃない。茜ちゃんの妹であり、さらに年若い相手なのだから。

「? ちな?」
「あ、その……ちな、違います、その血は怪我をしただけで……」
「あら、そう、私に嘘をつくの? 多少は頭のいい人かと思っていたのにガッカリだわ。見るからに童貞顔だし、あんなに可愛い子とひとつ屋根の下にいたから、きっと後先を考えられなくなったのね」

 え、どういうこと? なんで急に俺を馬鹿にすんの? 童貞顔ってどんな顔? ちょっと鏡を持ってきてくれません?
 そのように密かにショックを受けながらも幾つか分かったことがある。

 ひとつは彼女――鵜鷺うさぎさんは茜ちゃんがどこにいるか知っているということだ。でなければ先ほどのように会話を逸らしたりしない。知らなければ「残念だったわね」というあざけりの顔を浮かべていた気がする。

 もうひとつは、再びバイブ振動をするスマホだ。
 その画面には「いま行くぞ、クソ兄貴!」という弟からの熱いメッセージが表示されていたんだ。

 ン、と彼女は呻く。
 口を開いて受け入れると、ぬるんと舌同士が触れ合った。

 たとえ相手にその気がなくとも、性的な接触に対して身体は勝手に反応してしまう。それは学生とは思えないほど色気のある彼女から繰り返し教わったことだ。

 やはり密着する身体はわずかに体温をあげて、ピクンと女の反応をした。


 ◆


 ギィと開かれた戸の先は、よくエアコンが効いている部屋だった。それだけでなく、幾つかの脚つきカメラと照明が置かれている。

 小さなため息、それと胡乱な瞳で眺めた茜は、当たり前だけどいかがわしさの感じる部屋だなと思う。
 背後の相馬そうまは落ち着いており、案内にも手慣れているように見える。もしかしたら何人かここで実際に弄んだのかもしれない。
 瞳を向けると彼はにこりと笑い返してきた。

「分かってると思うけど、ホテルのモデル撮影なんてもうしなくていい。あとはここのベッドで横になって、気持ち良ーく過ごしてくれるだけでいいからね」

 そう言いながら背を押され、ベッドに腰かけさせられた。
 頭は相変わらずぐらぐらしており、うまく言い返すこともできない。倒れないように腕をついて身体を支えるのが精々だ。

「…………」

 しかし幾つものカメラレンズを向けられては落ち着くことなどできない。
 何をされるのか薄々察しがつくし、まったく力の入らない身体を頼りなく思う。

 そして廊下から聞こえてくる複数の足音は、さらに心臓を早鐘のように鳴らす。
 状況だけが着々と整えられてゆくのは、茜にとってとても嫌なことだと感じられた。
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