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それぞれの過ごす冬
ガチガチやないかい
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ぱっぱっと点滅する交差点を駆け足で渡ると、その先には見慣れた子が立っていた。
頭にニット帽をかぶり、袖のないダウンジャケットを着込む子だ。白い息を吐きながら手元のスマホを覗き込んでいる。頬がちょっと赤くて可愛らしいね、と思いながら俺は声をかけた。
「お待たせ、千夏ちゃん」
「ン」
ちらりと顔を上げてから、またスマホに視線を落とす。
普段と異なる素っ気なさがあり、戸惑いつつも腕時計を眺める。待ち合わせの時間にはやはり遅れていなかった。そのときにポツリと少女の声が聞こえる。
「徹、今日はごめん」
「いや、ぜんぜん……どうしたの、急に改まって。なんだか機嫌も悪いみたいだし」
ぱっと見上げてきた千夏ちゃんは、口を「い」の形にして眉をほんの少し逆立てる。言わんとすることがまるで分からない俺は、ぽやっとそんな表情を見つめていた。
「緊張、してるの!」
分かれ! というくらいの勢いで言われて、その理不尽さに少しばかり仰け反った。
うーん、年頃の子ってほんと難しいよね。思春期ド真ん中だし、すぐ機嫌が悪くなっちゃうんだもん。冷蔵庫のプリンとか食べちゃったらきっと大変だよ?
なんて思っていたら、面白いくらい彼女が身体を強張らせていることに気づく。
「ガチガチやないかーい」
わーははと笑いながら背中を叩くと……あらら、睨まれちゃったよ。やっぱり思春期って難しいね。
しかし邪険にはされず、なぜか両手をパッと上げてくる。同じように俺も両手を上げると、すぐに脇腹にぼすんと抱きついてきた。今のは……なんかよく分からん俺たちだけの合図だ。ただのノリであり、深く考えずに感じるものとも言える。
その抱きついてきた女の子は、甘えるように顔をこすりつけてくる。
「あーー、ヤダヤダ、緊張するんだよぅ!」
「めでたいことだよ。そんなにガチガチにならないで、もっと楽しむべきじゃない」
そう話しながら歩き出す。
くっつかれて窮屈だけど、ぬくもりと彼女の安心のためだから仕方ない。まだ険しい顔をしている様子に、くすっと俺は笑う。
「ね、千夏先生」
「もーー、やめてってば! 恥ずかしいんだからっ!」
なんでしょうね、この微笑ましい生き物は。ぷんぷん怒っているくせに、頬が真っ赤なんだもん。
だけど思春期の子をあんまりからかうと手痛いしっぺ返しを受けてしまう。なのでいじくりたい気持ちを抑えようか。
ふむ、と漏らしながら懐の携帯電話を取り出す。そして念のため待ち合わせ場所を確認するためにメールを開く。そこにはこう書かれていた。
『運営から書籍化打診のご連絡です』
はあ、と唸っちゃうね。
何度見ても驚きだ。あれだけ下手くそな文章で、クッソつまらないと俺が内心で酷評していたにも関わらず、彼女はプロからのお誘いを受けてしまった。
つまりは俺の大敗北。あのとき馬鹿にした言葉は、そっくりそのまま跳ね返ってきた。
でもぜんぜん悔しくなくて、それどころか結果が伴ってくれてすごく嬉しい。ついにんまりしちゃうくらいにさ。
たぶん千夏ちゃんもベッドでゴロゴロしながらニヤけていたんじゃないかな。
見上げる彼女は、むすっとしながらも褒めて褒めてオーラを漂わせている。現在進行形でそんな小説家として最も嬉しい時間を過ごせているのかもしれない。
「す、すごいでしょ」
「うん、みんなに自慢したくてたまらないくらい」
ぐふふ、という笑い声は顔を押し当てられているから、くぐもった響きになった。ぐりぐりニット帽を擦りつけてくるし、こんなの可愛くて仕方ないよ。本当は頭を撫で回したいくらいだけど、やっぱり思春期は難しいからね。
だけどちょっとくらいならいいだろう。この数ヶ月、休むことなく書き続けたんだ。それにつき合い続けた身としては、まだ耳を赤くさせている彼女にそっと囁きかける権利くらいはある。
「中学生デビューとか聞いたら、クラスの子は驚くだろうなぁー」
「うふぅー、言いたい言いたい、言ってみたいねー!」
足をパタパタさせて、そんな承認欲求を素直に教えてくれる。
小説サイトのランキングに入るのも当たり前になり、それでも何度か展開を間違えて、たくさんの批判と評価を受けながら成長した女の子。でも実際はこんなに人間くさい子なんだよね。あとたまに腹黒い。
「最近思うんだけどさー、もしかしてボクって才能があるのかも」
すぐに得意げにするところとかも人間くさいね。
ふふんと鼻を高くする子は「ずっと手が止まらなくて、妄想を字にするのが面白くて仕方ないんだ」と打ち明けてくれる。
書籍化の打診を受けたとはいえ、成人向けの内容だ。
クラスや家庭では決して口にできないことだろうし、それを俺にだけ教えてくれるのは特別感が無いことも無い。
腕にしがみつかれるのは窮屈だけど、それよりも彼女のウキウキした感情が直に伝わってくるから俺まで嬉しくなる。だからそのとき囁いた言葉は、いじくりたいとかそういうわけではなく、たぶん俺の率直な想いだ。
「好きなものというのはね、みんな才能になるんだよ」
それは千夏ちゃんを見て学んだことだけどさ、という言葉をつけ足すと、彼女は思わずという風に足を止めていた。
しがみつかれていた俺も足を止めると、ぽけっとした顔で見上げられていることに気づく。その瞳を覗き込みながら、いつになく俺は優しい声を出していた。
「千夏ちゃんにしか書けない文章があって、千夏ちゃんにしか楽しめないことがある」
少女の襟を直してあげながらそう囁く。
好きなものというのは小説に限らず才能として根付くのだと思う。たぶんね。俺はそんなに才能が無いから分からないけどさ。
でも炒飯を作るときは楽しいし、できあがりをすぐに食べてもらえるのも嬉しい。
あとは生み出した味が万人受けするかどうかの話であって、幸いなことに彼女の場合はたくさんの人が認めてくれている。
「それがきっと才能なんだと思う」
だからほら、恥ずかしそうな顔をしないで。
そう囁きながら赤い鼻をつつくと、困ったように少女の大きな瞳は左右に揺れる。そうして返事もせずに、赤い顔をしたままコクンと千夏ちゃんは頷いた。
「徹もエッチ大好きだもんね」
「そうそう、だからのめり込んでテクニックが……って何を言わせるの!?」
逆セクハラやん。抱きつかれているのはこっちだけどさ。
悲鳴混じりにそう言うと、おかしかったのか白い歯を見せて笑ってくれた。やはり真夏のような笑みであり、弾けるような輝かしさを伝えてくれる。
まあ、多少なりとも肩の力が抜けてくれたのは良かったかな。
さて、嬉しいのと同じくらい大きな問題と課題があるけれど、いまは気にしなくて構わない。それよりも待ち合わせ場所にちゃんと辿り着くほうが大事だろう。
お店の名前を確認し終えると、スマホをまたポッケに戻す。
「この『ZX文庫』という会社を調べてみたけど、伝えても平気?」
「んー、うん、お願い。ボクよりも徹のほうが、そういうの見る目があると思うから」
そう言われましても、ネットに掲載されている情報以外で大したものはないんだよ。あえて言うなら、会社として信頼できるかどうかという判断を加えるくらいかな。
「最近の人に向けたライトなアダルト小説、って感じだね。それまではファンタジーとかあまり見向きもしない客層が多かったんだけど、だいぶ時代が変化してきたんだなって思うよ」
理由のひとつがネット小説の流行だ。
昔から紙ではなく自分のサイトなどに小説を載せる人は多かったけど、スマホやパソコンの普及、そして趣味の多様化によって、無料で手軽に読める小説サイトは急拡大した。
結果、業界全体まで大きな変化を与えたのだから、個々人が集合した活動というのは凄いものだと思う。
この『ZX文庫』というレーベルも、大人向けのアダルト小説を出版している会社が興したもので、先ほど言った通り新たな顧客層を掴もうとしている。
「大きさとしては小規模。だけど親会社は長いあいだ支持されているから、それなりの顧客を抱えている。見たところ契約書とかの取引自体もちゃんとしているみたいだし、デビュー先として悪くないと思う」
むーん、と千夏ちゃんは表情を曇らせる。
彼女に「悪くない」と伝えたのは、つまり「良い場所ではない」という意味でもある。購入者の年齢指定をする出版物というのは、買い手もかなり限定されており、収入はあまり多くを望めない。
つまり専業になりたいという千夏ちゃんの夢は、あくまで現状としては厳しいということになる。
「成功して専業になった人っている?」
「本当にごく一部だし、新レーベルのZX文庫だといないかな。専業主婦以外はね。調べた限りだから、たぶんって言葉がつくけど」
そう、専業主婦なら話は別で、家から出ずに収入を得られるというメリットに変わる。
子育てをしながら好きな時間に執筆できるのは、ある意味でおいしい仕事だろう。首都圏から離れた地方在住なら猶更だ。
だけどそれは千夏ちゃんの願っているものではない。夢と現実がない混ぜになり、苦悩するのもいたしかたない。
「ま、とりあえず話を聞くのが今日の目的だしさ。たくさん刺激を受けるのも千夏ちゃんにとっていいことだと思うよ。それで、肝心なことだけど……」
「お母さんには言えないし、今日は徹が代理になって」
やっぱりね、と胸中でため息を吐く。その為に今日は呼ばれたわけなのだし。営業マンはこの瞬間、先生の影武者ならぬ代理人に化けたのだ。
だけど気持ちはよく分かる。さすがに中学生の身では、エロ小説を出版したいなんて言えないだろう。
「じゃあ俺が千夏先生ということになるから、何かあったら手で合図して。イエスなら手を握る、ノーなら手をつねる、とかでどう? 返答に困ったときは何もしなくていい。適当に俺から答えるよ」
「分かった、お願い」
ぎゅっと手を握ってきた。イエスという意味だろう。
まだ身体は硬いけど、さっきよりはマシになったかな。そう思いながら覗き込むと、わずかに眉を逆立てながら、ぎゅっぎゅっと手を握ってきた。
小さくて可愛らしいのに大したものだよ、と内心で俺は褒めた。
さっき伝えた通り、アダルト路線の出版物は買い手が少ない。それはつまり書籍化される可能性もまた極めて低いということなり、いくら業界に変化を与えるほどネット小説が流行していたとしても「あそこで書くのは趣味」と割り切っている人が大半……というかほぼ全員だ。
ある意味で全年齢向けで出版するよりも難しいだろうに。なんて内心で褒めながら手をつなぎ、夜道を歩いて行く。
そっと隣を眺めると、厳しい北風など気にもしない表情だった。
うーん、ガチガチやないかい。
イエスという意味ではなく、ぎゅっと手を握ってあげた。
頭にニット帽をかぶり、袖のないダウンジャケットを着込む子だ。白い息を吐きながら手元のスマホを覗き込んでいる。頬がちょっと赤くて可愛らしいね、と思いながら俺は声をかけた。
「お待たせ、千夏ちゃん」
「ン」
ちらりと顔を上げてから、またスマホに視線を落とす。
普段と異なる素っ気なさがあり、戸惑いつつも腕時計を眺める。待ち合わせの時間にはやはり遅れていなかった。そのときにポツリと少女の声が聞こえる。
「徹、今日はごめん」
「いや、ぜんぜん……どうしたの、急に改まって。なんだか機嫌も悪いみたいだし」
ぱっと見上げてきた千夏ちゃんは、口を「い」の形にして眉をほんの少し逆立てる。言わんとすることがまるで分からない俺は、ぽやっとそんな表情を見つめていた。
「緊張、してるの!」
分かれ! というくらいの勢いで言われて、その理不尽さに少しばかり仰け反った。
うーん、年頃の子ってほんと難しいよね。思春期ド真ん中だし、すぐ機嫌が悪くなっちゃうんだもん。冷蔵庫のプリンとか食べちゃったらきっと大変だよ?
なんて思っていたら、面白いくらい彼女が身体を強張らせていることに気づく。
「ガチガチやないかーい」
わーははと笑いながら背中を叩くと……あらら、睨まれちゃったよ。やっぱり思春期って難しいね。
しかし邪険にはされず、なぜか両手をパッと上げてくる。同じように俺も両手を上げると、すぐに脇腹にぼすんと抱きついてきた。今のは……なんかよく分からん俺たちだけの合図だ。ただのノリであり、深く考えずに感じるものとも言える。
その抱きついてきた女の子は、甘えるように顔をこすりつけてくる。
「あーー、ヤダヤダ、緊張するんだよぅ!」
「めでたいことだよ。そんなにガチガチにならないで、もっと楽しむべきじゃない」
そう話しながら歩き出す。
くっつかれて窮屈だけど、ぬくもりと彼女の安心のためだから仕方ない。まだ険しい顔をしている様子に、くすっと俺は笑う。
「ね、千夏先生」
「もーー、やめてってば! 恥ずかしいんだからっ!」
なんでしょうね、この微笑ましい生き物は。ぷんぷん怒っているくせに、頬が真っ赤なんだもん。
だけど思春期の子をあんまりからかうと手痛いしっぺ返しを受けてしまう。なのでいじくりたい気持ちを抑えようか。
ふむ、と漏らしながら懐の携帯電話を取り出す。そして念のため待ち合わせ場所を確認するためにメールを開く。そこにはこう書かれていた。
『運営から書籍化打診のご連絡です』
はあ、と唸っちゃうね。
何度見ても驚きだ。あれだけ下手くそな文章で、クッソつまらないと俺が内心で酷評していたにも関わらず、彼女はプロからのお誘いを受けてしまった。
つまりは俺の大敗北。あのとき馬鹿にした言葉は、そっくりそのまま跳ね返ってきた。
でもぜんぜん悔しくなくて、それどころか結果が伴ってくれてすごく嬉しい。ついにんまりしちゃうくらいにさ。
たぶん千夏ちゃんもベッドでゴロゴロしながらニヤけていたんじゃないかな。
見上げる彼女は、むすっとしながらも褒めて褒めてオーラを漂わせている。現在進行形でそんな小説家として最も嬉しい時間を過ごせているのかもしれない。
「す、すごいでしょ」
「うん、みんなに自慢したくてたまらないくらい」
ぐふふ、という笑い声は顔を押し当てられているから、くぐもった響きになった。ぐりぐりニット帽を擦りつけてくるし、こんなの可愛くて仕方ないよ。本当は頭を撫で回したいくらいだけど、やっぱり思春期は難しいからね。
だけどちょっとくらいならいいだろう。この数ヶ月、休むことなく書き続けたんだ。それにつき合い続けた身としては、まだ耳を赤くさせている彼女にそっと囁きかける権利くらいはある。
「中学生デビューとか聞いたら、クラスの子は驚くだろうなぁー」
「うふぅー、言いたい言いたい、言ってみたいねー!」
足をパタパタさせて、そんな承認欲求を素直に教えてくれる。
小説サイトのランキングに入るのも当たり前になり、それでも何度か展開を間違えて、たくさんの批判と評価を受けながら成長した女の子。でも実際はこんなに人間くさい子なんだよね。あとたまに腹黒い。
「最近思うんだけどさー、もしかしてボクって才能があるのかも」
すぐに得意げにするところとかも人間くさいね。
ふふんと鼻を高くする子は「ずっと手が止まらなくて、妄想を字にするのが面白くて仕方ないんだ」と打ち明けてくれる。
書籍化の打診を受けたとはいえ、成人向けの内容だ。
クラスや家庭では決して口にできないことだろうし、それを俺にだけ教えてくれるのは特別感が無いことも無い。
腕にしがみつかれるのは窮屈だけど、それよりも彼女のウキウキした感情が直に伝わってくるから俺まで嬉しくなる。だからそのとき囁いた言葉は、いじくりたいとかそういうわけではなく、たぶん俺の率直な想いだ。
「好きなものというのはね、みんな才能になるんだよ」
それは千夏ちゃんを見て学んだことだけどさ、という言葉をつけ足すと、彼女は思わずという風に足を止めていた。
しがみつかれていた俺も足を止めると、ぽけっとした顔で見上げられていることに気づく。その瞳を覗き込みながら、いつになく俺は優しい声を出していた。
「千夏ちゃんにしか書けない文章があって、千夏ちゃんにしか楽しめないことがある」
少女の襟を直してあげながらそう囁く。
好きなものというのは小説に限らず才能として根付くのだと思う。たぶんね。俺はそんなに才能が無いから分からないけどさ。
でも炒飯を作るときは楽しいし、できあがりをすぐに食べてもらえるのも嬉しい。
あとは生み出した味が万人受けするかどうかの話であって、幸いなことに彼女の場合はたくさんの人が認めてくれている。
「それがきっと才能なんだと思う」
だからほら、恥ずかしそうな顔をしないで。
そう囁きながら赤い鼻をつつくと、困ったように少女の大きな瞳は左右に揺れる。そうして返事もせずに、赤い顔をしたままコクンと千夏ちゃんは頷いた。
「徹もエッチ大好きだもんね」
「そうそう、だからのめり込んでテクニックが……って何を言わせるの!?」
逆セクハラやん。抱きつかれているのはこっちだけどさ。
悲鳴混じりにそう言うと、おかしかったのか白い歯を見せて笑ってくれた。やはり真夏のような笑みであり、弾けるような輝かしさを伝えてくれる。
まあ、多少なりとも肩の力が抜けてくれたのは良かったかな。
さて、嬉しいのと同じくらい大きな問題と課題があるけれど、いまは気にしなくて構わない。それよりも待ち合わせ場所にちゃんと辿り着くほうが大事だろう。
お店の名前を確認し終えると、スマホをまたポッケに戻す。
「この『ZX文庫』という会社を調べてみたけど、伝えても平気?」
「んー、うん、お願い。ボクよりも徹のほうが、そういうの見る目があると思うから」
そう言われましても、ネットに掲載されている情報以外で大したものはないんだよ。あえて言うなら、会社として信頼できるかどうかという判断を加えるくらいかな。
「最近の人に向けたライトなアダルト小説、って感じだね。それまではファンタジーとかあまり見向きもしない客層が多かったんだけど、だいぶ時代が変化してきたんだなって思うよ」
理由のひとつがネット小説の流行だ。
昔から紙ではなく自分のサイトなどに小説を載せる人は多かったけど、スマホやパソコンの普及、そして趣味の多様化によって、無料で手軽に読める小説サイトは急拡大した。
結果、業界全体まで大きな変化を与えたのだから、個々人が集合した活動というのは凄いものだと思う。
この『ZX文庫』というレーベルも、大人向けのアダルト小説を出版している会社が興したもので、先ほど言った通り新たな顧客層を掴もうとしている。
「大きさとしては小規模。だけど親会社は長いあいだ支持されているから、それなりの顧客を抱えている。見たところ契約書とかの取引自体もちゃんとしているみたいだし、デビュー先として悪くないと思う」
むーん、と千夏ちゃんは表情を曇らせる。
彼女に「悪くない」と伝えたのは、つまり「良い場所ではない」という意味でもある。購入者の年齢指定をする出版物というのは、買い手もかなり限定されており、収入はあまり多くを望めない。
つまり専業になりたいという千夏ちゃんの夢は、あくまで現状としては厳しいということになる。
「成功して専業になった人っている?」
「本当にごく一部だし、新レーベルのZX文庫だといないかな。専業主婦以外はね。調べた限りだから、たぶんって言葉がつくけど」
そう、専業主婦なら話は別で、家から出ずに収入を得られるというメリットに変わる。
子育てをしながら好きな時間に執筆できるのは、ある意味でおいしい仕事だろう。首都圏から離れた地方在住なら猶更だ。
だけどそれは千夏ちゃんの願っているものではない。夢と現実がない混ぜになり、苦悩するのもいたしかたない。
「ま、とりあえず話を聞くのが今日の目的だしさ。たくさん刺激を受けるのも千夏ちゃんにとっていいことだと思うよ。それで、肝心なことだけど……」
「お母さんには言えないし、今日は徹が代理になって」
やっぱりね、と胸中でため息を吐く。その為に今日は呼ばれたわけなのだし。営業マンはこの瞬間、先生の影武者ならぬ代理人に化けたのだ。
だけど気持ちはよく分かる。さすがに中学生の身では、エロ小説を出版したいなんて言えないだろう。
「じゃあ俺が千夏先生ということになるから、何かあったら手で合図して。イエスなら手を握る、ノーなら手をつねる、とかでどう? 返答に困ったときは何もしなくていい。適当に俺から答えるよ」
「分かった、お願い」
ぎゅっと手を握ってきた。イエスという意味だろう。
まだ身体は硬いけど、さっきよりはマシになったかな。そう思いながら覗き込むと、わずかに眉を逆立てながら、ぎゅっぎゅっと手を握ってきた。
小さくて可愛らしいのに大したものだよ、と内心で俺は褒めた。
さっき伝えた通り、アダルト路線の出版物は買い手が少ない。それはつまり書籍化される可能性もまた極めて低いということなり、いくら業界に変化を与えるほどネット小説が流行していたとしても「あそこで書くのは趣味」と割り切っている人が大半……というかほぼ全員だ。
ある意味で全年齢向けで出版するよりも難しいだろうに。なんて内心で褒めながら手をつなぎ、夜道を歩いて行く。
そっと隣を眺めると、厳しい北風など気にもしない表情だった。
うーん、ガチガチやないかい。
イエスという意味ではなく、ぎゅっと手を握ってあげた。
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