こいつ弟の彼女だから【R18】

まきします

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それぞれの過ごす冬

あなた、私に一晩尽くしなさい

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 夕飯どきをとっくに過ぎた遅い時間になり、俺はようやく家に辿り着いた。仕事でくたびれていたし、スーツもよれよれだ。
 でも充足感があるのは、クリスマスをすっぽかした俺を茜ちゃんが許してくれたおかげだと思う。

 ほーーっ、と安堵の息を吐いて、俺は玄関先にへたりこむ。

「ああ、良かった……。どうなるかと思ってヒヤヒヤした」

 交際をしてから嫌われたのはあれが初めてで、もしかしたら別れるんじゃないかって会社にいるときは気が気がじゃなかった。
 もう本当にギリギリ。俺って交際経験がないし、どうしたらいいのかぜんぜん分かんない。いつもなら会話で相手をやり込めるんだけど、茜ちゃん相手だとオロオロするだけの男になってしまう。

「良かった……」

 手のひらを見ながら、ぽつりと俺はつぶやいた。
 安心したんだ。彼女が好きでたまらないということが分かって。
 雪道を歩くうちにだんだん機嫌が良くなっていくのが分かって、なぜか俺はウキウキしたんだ。じっと見る手のひらにはまだ茜ちゃんの温もりが残っている気がして、また俺はほっとする。

 不貞に不貞を重ねるという大失態を俺はした。
 世間的に後ろ指をさされることをして、自分で自分がよく分からなくなってきた。欲に呑まれて、なにをしでかすのか分からなくなったんだ。

『人でなしのくせに人がいい徹』

 ずっと前に千夏ちゃんがそう言ってくれたことを思い出す。
 彼女に相談したいのに、絶対に相談できないことを俺はしてしまった。千夏ちゃんは怒るし「バカじゃん?」と悪口も言う。だけど、どうしたら良いのかを彼女なりに考えてくれる優しい子だったりする。

 千夏ちゃんの声を聞きたいな。
 そう思いながら俺は玄関の鍵を取り出す。
 見上げると雪はすでにやんでおり、たぶん明日の午前には溶けて消える。あの真っ白な雪道を歩いて茜ちゃんと仲直りできたのは、ものすごい低確率な偶然、それこそ奇跡と呼んでもおかしくない。

 たくさんの感謝をしながら、かちゃんと玄関の鍵を開けた。



 なんというか、さっきみたいなグチグチしたところが、最近の俺の一番嫌なとこなんだよね。
 女々しいし1/3くらい被害者ぶってるし。うだうだ悩むくせにヤることはヤってるし。普通にキモいよ。自分から見ても。

 分かるよ、分かる。もし茜ちゃんと別れることになっても、引き留められる立場じゃないってことが。
 つまりそれが嫌なんだ。許してもらう方法がひとつもないって分かっていて、どうしようもない状況が結局のところ嫌なんだよね。そんなの身から出た錆だ。

 などとお茶を飲みながらボンヤリ考えていると、目の前に座る克樹が大きな伸びをした。あーー、と疲れ切った声を上げて、パキキッと背骨や肩を鳴らす。
 周囲に参考書がいくつも置かれている通り、お受験モード全開だ。

「風呂、入る。兄貴と鵜鷺さんは?」
「あとでいいわ。ゆっくり休んでいらっしゃい」
「んー、俺も。がんばって勉強したんだし、一番風呂はお前のものだ」

 おーう、やったぜと無気力な返事をして、克樹は目をこすりながら出て行った。
 残された俺はというとぬるくなっていたお茶を飲み干して、テレビでも観るかとあくびをしながらソファーに向かう。しかし、ささっと鵜鷺さんが割り込んできてソファーの中央を陣取られた。

「…………」
「あら、どうして立ち尽くしているの? もしかしてここに座りたかった? それは残念ね」
「いえ、俺は座布団で十分です。すみません、ここしばらく克樹の面倒を見てもらって」
「別にいいわ。宿代分くらいは働かないと私も気が済まないし」

 そうなんだよね。うちをホテル代わりにされているけど、そのぶん勉強を見てもらえている。だから文句はないんだけど……いつまでここにいる気かなって思うよね。ソファーで寝るのも連日だと普通にキツいし。

「徹君、お茶」

 長い脚を組みながらそう言われて、はいと小さな声で返事をした。
 さて、いったいどれくらい東京に滞在する気なのやら。などと思いつつ、ボッとやかんに火をつけた。

 志穂さんの妹さんだから無下にできないし、奔放な人だからそのうち勝手にいなくなると思っていた。しかし夕方にはいつも帰ってくるという暮らしがずるずると続いている。
 あの人、ホテルの経営は大丈夫なのかな。そう思っていたときに、背後から声をかけられた。

「姉の旦那、吉實さんのことをあなたはどれくらい知っている?」
「……どれくらいとは? たぶん鵜鷺さんのほうが良くご存じではないですかね?」

 軽い引っかけというか、種まきをする。
 そう尋ねてくるときは、自分のほうが良く知っているという場合が多い。見下したがるプライドの高い鵜鷺さんならなおさらで、また俺はというと質問に質問を返すときは、だいたい軽い反撃だったりするんだよね。

 ちらりと眺めると、彼女は頬杖をつきながら凍てついた瞳で俺を見ている。紺色混じりであり、いつものように魔女のような人だなと思った。
 飄々とした態度を崩さずにいるとたいていは相手が折れるものだが、しかし彼女の場合は別だろう。

「もう一度聞くわね。吉實さんが茜になにをしようとしているか知っている?」

 質問に質問を返し、また質問を返された。つまり彼女もまた攻撃を始めたんだ。
 克樹がいなくなって、浴室の戸が閉まる音を聞いてから始まった会話でもある。俺にとって聞き出したいことが山のようにありそうだが、涎を垂らして「教えてください」と媚びるのはおすすめしない。

 慌てず騒がず珈琲を用意して、彼女の前にカップを置く。ありがとうと鵜鷺さんは礼を言い、ズズと飲んでくれた。

「美味しいわね。家事もできるし、料理のレパートリーを増やせばあなたは割と悪くないわ。帰る前には炒飯のレシピを聞いておきたいところね」
「あれに10年かけてますからね。鵜鷺さんになら喜んでお譲りします」

 割と悪くないってなに? 悪口?
 でも炒飯を褒められたので俺は内心でにっこりした。
 どっこらしょと座布団に座って、それから彼女の質問に答えることにする。

「お父様のことについては、あまり詳しくありません。わかるのはせいぜい茜ちゃんに許嫁をつけたがっていること、鵜鷺さんとあまり良くない関係ということ、それから……」

 彼女は動じることなく聞いていた。いま俺が言ったことを事実だと分かっている瞳であり、やはり裏の事情に通じた人だなと思う。なら次の言葉を変えるべきだ。

「この冬、茜ちゃんの受験前に婚約させようと企んでいることでしょうか。もしかしたら冬休みのあいだに」

 わずかに彼女は瞳を見開く。さすがにそこまで知っているはずがないわという態度を見て、俺は内心で「当たってて良かった」と胸を撫でおろした。
 俺よりもずっと事情通な人だしさ、どうせなら仮説でもいいから聞いてみようぜ。そうしたら答えてくれるんだからお得だよね。

 なにも当てずっぽうというわけじゃない。
 憎きクソお父様は、交際を認めない期間を「受験のあいだ」と定めた。もしも俺が親なら「学生のあいだ」と言うだろう。当然の主張だ。学業を優先すべきだし、もしも妊娠するようなことがあれば人生を大きく変えてしまう。

 となると受験を終える前になんらかの打開策があった可能性が浮き上がる。そんなの単なる仮説に過ぎないけどさ、いまこの瞬間、真実に変わった。

 ふうん、と感心混じりにつぶやいて鵜鷺さんは脚を組みなおす。ゆったりした過ごしやすそうな部屋着で、すでに化粧を落としている。だけど美しさがほとんど変わらない不思議な人だ。

「それ、みんなあなたの仮説?」
「仮説は最後のだけですね。他は事実だと分かっています。吉實さんって案外と口下手ですから」
「言えてるわ。だいたいの物事で下手くそよ」

 ふっと笑い、あざけりの表情でそう言われた。憎しみの感情も瞳に混じっている気がする。となると……。

「もういいわ。あなたって優秀な営業マンみたいだし。このあいだ駅前で会ったのは、あいつと喧嘩別れしたあと。肉体関係もあったわ」

 あっさりと真実を口にされて、さすがの俺も驚く。志穂さんの旦那と不貞の仲だと自白したのであり、また身の破滅を招く情報を俺に与えた。となると言外で伝えたいことがあるだろう。

「……黙っていろってことですよね?」
「黙っていろってことよ。姉さんに嫌われたらあなたを一生恨むわ」

 その睨みつける視線はすぐに勢いを落とす。身から出た錆というべきか、己が招いたことでもある。だから先ほど言ったのは単に俺を信用したに過ぎない。感情的なものではなく、互いに不貞をしているという間柄だしさ。

 しかしいつも気丈な彼女に悲しそうな顔をされると俺は弱い。攻撃には攻撃を、信頼には信頼で答えたいと思うのは人のさがだ。

「言いませんよ、もちろん。優秀な営業マンらしいですから」
「ええ、それだけはお願い。これでようやく私のことを信用してもらえたと思うし、そろそろ本題に入るわね」

 確かにね、と俺は頷く。ここまででお終いだとしたら、単に鵜鷺さんが罪に耐えかねて暴露しただけということになってしまう。そんな人じゃないことは良く分かっている。

 珈琲を飲んで気を落ち着かせてから正面から向き合う。
 そんな俺をしばらく見つめたあと、彼女はゆっくりと唇を開いた。

「これから話す情報はあなたの好きになさい。そして天童寺家を壊すも活かすも、あなたの行動次第だと思いなさい。その結果どうなるかまでちゃんと考えて」

 これは忠告であり助言でもある。
 彼女はこうして教えようとする人だ。結果がより良くなるようにと考えているのだろう。
 ここでやっと気づけた。そしてこの気づきはそのまま口にすべきだと思う。

「鵜鷺さんって、すごく優しい人ですね。これは僕の勘ですけど、一緒に働いている人からかなり信頼されていると思います」
「ばっ、バカね! あなたから褒められると気持ち悪いからやめてくれるかしら!」

 おや、動揺した顔は案外と可愛らしい。なんて年上相手に言ったら失礼だから、これは俺の胸に収めておくべきだ。むー、と睨まれるのも役得のように感じるしさ。

 本題とやらはどこに消えたのか、次の一言に今度は俺が困ることになった。

「あなた、このあいだバニー姿で犯したとき、私の扱いがすごく雑じゃなかった?」
「ちょっ、こ、困ります! ここでその話は……!」
「ならすぐに告白することね。これは私の勘だけど、伊豆での一件を恨んでの仕打ちでしょう? そうよね?」

 あー、バレてるぅー。
 いや、まあ、さすがに気づくか。初めて身を重ねたというのに、かなり手荒いことをしたのだし。
 じいっと睨まれるなか、観念して俺は頷いた。その瞬間、胸を蹴られて転がったけど、このくらいで済んで良かったと思おうか。
 
「いてて、それで肝心の本題は……」

 しかし、のそりと立ち上がった彼女は、なにも言わずに見下ろしてくる。逆光となった照明により表情は暗く、先ほどの凍てついた瞳に戻っていた。
 
「気が変わったわ。あなた、私に一晩尽くしなさい」
「は?」
「きちんと礼儀正しく私とセックスしなさい。でないと茜がどうなっても知らないわよ」

 は? と俺は埴輪のような顔をした。
 いやいや、意味わかんない。なんでここでセックスの話が出るの?
 現在進行形で嫌われているのは態度で分かるし、この流れなら「金を出せ」と言われたほうがしっくりくる。いや、それは絶対に無理だけどさ。プレゼントを買ったばかりで払えるお金なんてないし。

「するの? しないの?」

 ぐりぐりっとあそこを踏まれて、俺は叫びそうになった。にっちもさっちも行かなくなり「しましゅ」と情けなく答えることにもなった。
 これさあ、どうやったら男らしく断れるの?



 よほど疲れていたのだろう。お風呂から上がるなり克樹はふらふらと階段を上ってゆき、そのままバタンと部屋の戸を閉じた。

「あいつ、寝たら本当に起きないので大丈夫だと思います」
「そう。別にバレても破滅するのはあなただけだし、私は構わないわ」

 しれっとそう言われて、俺は泣きそうになったよ。
 しかし情報は命の次に大事であり、今回は茜ちゃんが関わっている。うーむと悩んだあとに意を決した。

「秘密は守ってください」
「ふん、それはあなたの尽くしかた次第よ。私をちゃんと満足させなさい。そのとき秘密を守るべきか決めるわ」

 かなりイラついているのだろう。腕を組む彼女は指先でトントンと肩を叩いており、また言葉にもトゲがある。

 罪の意識はもちろんあるんだけど、でも最近の俺はちょっとおかしくて、モラル的なところが乏しくなってしまった気がする。たぶんそれは……いや、間違いなく志穂さんを抱いたせいだ。

 あのとき彼女を愛するのをはっきりと感じたし、いまも想いは変わっていない。一時の気の迷いだった、過ちだったと自分自身を騙そうにも、志穂さんと恋仲になれたという満足感があまりにも強すぎる。

 あんなにも美しい人が、俺がひとこと「可愛い」と言うだけで顔を真っ赤に染めるんだ。二児の母なのに信じられないほどウブで、恥ずかしそうな顔をしたまま俺をじっと見つめてくる。

 あの人のそばにずっといたい。その欲はどうしようもないほど強くて、だからこそ、あんなにも美しい人に罪の一端を背負わせてしまったことを悔やんでもいる。

 そう思っていると、心配そうに覗き込んでくる女性に気づいた。

「大丈夫? あまり無理をしないでいいのよ」
「あ、いえ、鵜鷺さんは本当に綺麗な方ですし、僕なんかで良いのかなと思います。鵜鷺さんこそ嫌ではないですか?」

 彼女はしばし無言になり、わずかに瞳を逸らしたあと「嫌な相手なら誘わないわ」と小さな声で呟いていた。
 それで意を決したというのかな、一晩だけ俺は尽くすことにしたんだ。なるべく良い思いをしてもらえるように。

 目の前には部屋着のズボンがあり、その裾から手を入れてすべすべのふくらはぎに触れる。
 その瞬間、ゾククと鵜鷺さんが震えたように見えた。
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