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――……何度でもここに来る。
ドロシーはその台詞をどうせ揶揄いか社交辞令のようなものだろうと思いまともに受け取ってはいなかったが、アーネストは言葉の通り時間の隙を見つけてはドロシーの元へやって来るようになった。
彼は暇を持て余した一般市民ではない。
ひと月ほど逢引を繰り返した頃にはドロシーも震える声と勇気を振り絞って「公務を優先されてください」と伝えたが、アーネストは「未来の妃を探す事も愛を育む事も、立派な公務の一つだ」と微笑んでイエローサファイアに似た瞳を細めるばかりだった。
(どうして?)
本音を言うと、密かに想いを寄せていたアーネストと会えること自体はこれ以上ない喜びだった。
しかし同時に、ドロシーは彼と会うたび自分が惨めに思えてしまい心が暗くなる。
「今日も俺の妃になるとは言ってくれないのか?」
「……アーネスト殿下、お戯れがすぎます」
ふた月が過ぎ、アーネストの求婚を受けるのはこれで10回目を越えた。
しゃがみ込んで庭園の木苺にじょうろで水をかけながら、ドロシーは彼に視線を向ける事なく抑揚の無い声で言葉を紡ぎ落とす。
腕を組み付近の木に寄りかかって彼女の作業を見守っていたアーネストは、どうしてそう思うのか問いかけつつわずかに首を傾げる。
「私は、普通の女性とは違います。人とまともに目線を合わせることすら恐ろしいと感じる、どうしようもない魔女です。殿下と目線を交えることもできない無礼者です」
「……」
「殿下にはきっと……いえ。絶対に、私よりも素敵でお似合いになる女性が居ます。ですから、悪戯に期待を持たせないでください」
今まで心の奥に押し込めていた想いを口にしただけで、自然と涙が込み上げた。
じょうろの取手を両手で握りしめて泣くのを堪え、立ち上がってアーネストに向き直り頭を下げると、少しの間を置いてから彼は木から体を離して姿勢を正す。
かと思えば、ゆっくりとした足取りでドロシーに歩み寄り、彼女の肩から流れるトビ色に染まった髪を指先で掬い取った。
「……南の森には、虹をかける幸福の魔女が棲む」
「!?」
久方ぶりに耳にした噂話。
ドロシーの人生を変えた“それ”が第二王子・アーネストの口から落とされ、驚きと困惑で小さく肩が跳ねる。
「俺が初めてその話を聞いたのは、今から約8年前。16になったばかりの頃だ」
掬い取られた髪の先を指先で愛でるようにして撫でられ、ドロシーは迷いながらもおずおずと上半身を起こしてアーネストの心臓あたりに視線を投げた。
「はじめは『興味がある』程度だった。だが、小鳥たちから話を聞く内に、『会ってみたい』という思いへ変わった」
(小鳥たち……?)
思い返せば、二度目に会った時からアーネストは時おり夢見がちな乙女のような事を口にする。小鳥に聞いた、と。
不思議に思う心が表情に表れていたのか、アーネストが小さく息を吐いて笑うのがわかった。
「聞けば、虹をかける魔女は植物にも動物にも優しいと言う。居場所を与え、花を咲かせ、怪我を癒し、美味しい木苺のマフィンを振る舞ってくれるのだと」
(なんで、アーネスト殿下がそんな事まで知って……)
「話を聞く内に、俺は会ったこともない『虹をかける魔女』に恋をしていた」
アーネストはそこまで言ってドロシーの髪から手を離すと、指先で彼女の顎を優しく撫でる。
まるで猫でも可愛がるかのようなその手つきに、心臓は早鐘を打って体がふるりと震えた。
(殿下に……大好きな殿下に、触られて、)
「ああ、そうだ。一つ、可愛い魔女さんに伝え忘れていた」
「え?」
「これは近い関係にある王族の者にしか知られていない事なんだが……」
そこで言葉を切ったアーネストは、空いている方の手でドロシーの細い腰を抱き寄せる。
突然の事に抵抗も忘れて硬直する彼女をよそに、アーネストは赤く染まった耳たぶへ口を寄せてチェロの音に似た心地良い低音を吹き込んだ。
「俺は幼少期から、魔法で心の声を聞くことができるんだよ」
「!?」
知らされた事実があまりにも大き過ぎて、ドロシーは思わず彼の顔を真正面から見てしまう。
アーネストは視線が交わると愛おしげに目を細め、今だ体温の上がり続けるドロシーの頬を片手で撫でた。
「心の声としては何度も聞いたが、やはり直接君の言葉で聞かせてほしい。……俺の妃になってくれないだろうか?」
「……っ、はい」
不思議なことに、ドロシーはアーネストから向けられる視線だけは『恐ろしい』と感じなかった。
晴れ渡った青空には虹がかかり、森の中で小鳥たちが祝福の歌をうたう。
数十年後。アーネストは日記の中で「ドロシーにはたくさんの幸福をもらった」と語っている。
ドロシーはその台詞をどうせ揶揄いか社交辞令のようなものだろうと思いまともに受け取ってはいなかったが、アーネストは言葉の通り時間の隙を見つけてはドロシーの元へやって来るようになった。
彼は暇を持て余した一般市民ではない。
ひと月ほど逢引を繰り返した頃にはドロシーも震える声と勇気を振り絞って「公務を優先されてください」と伝えたが、アーネストは「未来の妃を探す事も愛を育む事も、立派な公務の一つだ」と微笑んでイエローサファイアに似た瞳を細めるばかりだった。
(どうして?)
本音を言うと、密かに想いを寄せていたアーネストと会えること自体はこれ以上ない喜びだった。
しかし同時に、ドロシーは彼と会うたび自分が惨めに思えてしまい心が暗くなる。
「今日も俺の妃になるとは言ってくれないのか?」
「……アーネスト殿下、お戯れがすぎます」
ふた月が過ぎ、アーネストの求婚を受けるのはこれで10回目を越えた。
しゃがみ込んで庭園の木苺にじょうろで水をかけながら、ドロシーは彼に視線を向ける事なく抑揚の無い声で言葉を紡ぎ落とす。
腕を組み付近の木に寄りかかって彼女の作業を見守っていたアーネストは、どうしてそう思うのか問いかけつつわずかに首を傾げる。
「私は、普通の女性とは違います。人とまともに目線を合わせることすら恐ろしいと感じる、どうしようもない魔女です。殿下と目線を交えることもできない無礼者です」
「……」
「殿下にはきっと……いえ。絶対に、私よりも素敵でお似合いになる女性が居ます。ですから、悪戯に期待を持たせないでください」
今まで心の奥に押し込めていた想いを口にしただけで、自然と涙が込み上げた。
じょうろの取手を両手で握りしめて泣くのを堪え、立ち上がってアーネストに向き直り頭を下げると、少しの間を置いてから彼は木から体を離して姿勢を正す。
かと思えば、ゆっくりとした足取りでドロシーに歩み寄り、彼女の肩から流れるトビ色に染まった髪を指先で掬い取った。
「……南の森には、虹をかける幸福の魔女が棲む」
「!?」
久方ぶりに耳にした噂話。
ドロシーの人生を変えた“それ”が第二王子・アーネストの口から落とされ、驚きと困惑で小さく肩が跳ねる。
「俺が初めてその話を聞いたのは、今から約8年前。16になったばかりの頃だ」
掬い取られた髪の先を指先で愛でるようにして撫でられ、ドロシーは迷いながらもおずおずと上半身を起こしてアーネストの心臓あたりに視線を投げた。
「はじめは『興味がある』程度だった。だが、小鳥たちから話を聞く内に、『会ってみたい』という思いへ変わった」
(小鳥たち……?)
思い返せば、二度目に会った時からアーネストは時おり夢見がちな乙女のような事を口にする。小鳥に聞いた、と。
不思議に思う心が表情に表れていたのか、アーネストが小さく息を吐いて笑うのがわかった。
「聞けば、虹をかける魔女は植物にも動物にも優しいと言う。居場所を与え、花を咲かせ、怪我を癒し、美味しい木苺のマフィンを振る舞ってくれるのだと」
(なんで、アーネスト殿下がそんな事まで知って……)
「話を聞く内に、俺は会ったこともない『虹をかける魔女』に恋をしていた」
アーネストはそこまで言ってドロシーの髪から手を離すと、指先で彼女の顎を優しく撫でる。
まるで猫でも可愛がるかのようなその手つきに、心臓は早鐘を打って体がふるりと震えた。
(殿下に……大好きな殿下に、触られて、)
「ああ、そうだ。一つ、可愛い魔女さんに伝え忘れていた」
「え?」
「これは近い関係にある王族の者にしか知られていない事なんだが……」
そこで言葉を切ったアーネストは、空いている方の手でドロシーの細い腰を抱き寄せる。
突然の事に抵抗も忘れて硬直する彼女をよそに、アーネストは赤く染まった耳たぶへ口を寄せてチェロの音に似た心地良い低音を吹き込んだ。
「俺は幼少期から、魔法で心の声を聞くことができるんだよ」
「!?」
知らされた事実があまりにも大き過ぎて、ドロシーは思わず彼の顔を真正面から見てしまう。
アーネストは視線が交わると愛おしげに目を細め、今だ体温の上がり続けるドロシーの頬を片手で撫でた。
「心の声としては何度も聞いたが、やはり直接君の言葉で聞かせてほしい。……俺の妃になってくれないだろうか?」
「……っ、はい」
不思議なことに、ドロシーはアーネストから向けられる視線だけは『恐ろしい』と感じなかった。
晴れ渡った青空には虹がかかり、森の中で小鳥たちが祝福の歌をうたう。
数十年後。アーネストは日記の中で「ドロシーにはたくさんの幸福をもらった」と語っている。
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