5 / 66
第4話 チェシャ猫
しおりを挟む
下を向いたまま、どれくらい走り続けていただろうか。
「はぁっ……はぁっ……!」
足を止め、呼吸を整えながら顔を上げて辺りを見渡せば、先ほど双子に出くわした森の中にいた。
一番戻って来たくなかった場所で響くのは、
「あっ!」
「あー!」
一番、聞きたくなかった声。
恐る恐る目をやると、こちらを指差して立っていたのはやはりあの双子――ハンプティ・ダンプティ。相変わらず仲良さげに片手を繋いだまま、満面の笑みを浮かべて小走りで目の前にやって来た。
「ご機嫌よう、アリス! また会えたね!」
「嬉しいよ!」
「……ごきげんよう、ハンプティ・ダンプティ。私はもう二度と会いたくなかったわ……」
「悲しいこと言わないでよ!」
「そうだよ! 言わないでよ!」
膨らませた頬を二人でぴたりとくっつけながら、横目で互いに見つめ合い「ねー!」と声を合わせて言う。少しの間、眉間に深いシワを刻んでいたかと思えば、反応に困る私を見た途端ぱあっと笑顔を咲かせた。
情緒不安定なのかしら、と呆れ気味に心の中で呟く。
「ねえ……もしかしてアリスはさ、」
「道に迷ってるの?」
「きっとそうだ、迷ってるんだ」
「でも、アリスが迷っているのは道だけじゃないよ?」
「あ、そっか! アリスは未熟だもんね!」
余計なお世話だ。
「この先に進みたいなら、」
「チェシャ猫に聞くといいよ!」
「チェシャ、猫……?」
初めて耳にした名前に首を傾げると、ハンプティかダンプティか……どちらかはわからないが、片方が「そうだよ!」と大きく頷き答えてくれる。
「チェシャ猫には、この道を抜けた先で会えるよ!」
「ああ、でもアリス。気をつけて?」
「くれぐれも、気をつけて……行ってらっしゃい、大事なアリス」
***
多分、あれは……ダンプティだったはず。
彼が指差した小道を歩いている最中、ある事を思い出した。そうだ、先ほどの……多分、ダンプティが強調して続けた「気をつけて」の一言がどうにも引っかかるのだ。
サタンといい、彼らといい。伝えたい事があるのなら、回りくどい物言いをせずにはっきりと言葉にすれば良いのに。
心の中であれこれと文句を浮かべながらしばらく歩いていると、
「――……!?」
突然、喉に冷たい物が当たり、何者かの声が降ってきた。
「はぁい。たった一人でぇ、こーんにゃ暗い所に来るにゃんてぇ、とーっても不用心だねぇ」
のんびりと言葉を紡ぐソプラノ。同時に、目の前に一人の女性が現れた。
紫の髪から同じ色の猫耳が生え、寝間着のように緩い服装をした、ついさっきまでそこにはいなかったはずの人物。
その少女が尻尾を揺らしながら私の喉に当てているのは、怪しく光るナイフだった。
(殺さ、れ)
「こーうやってぇ、いきなり殺されちゃっても知らにゃいよぉ?」
女性は人懐っこそうな犬歯の見える笑顔を浮かべるなり、ポイとナイフを投げ捨ててしまう。安堵に胸をなで下ろすと、女性に手首を掴まれた。
「な、なに……?」
「えぇー? ここに来たってことはぁ、この森から出たいんだよねぇ? いいよぉ、案内してあげるねぇ」
***
体感として数十分間、黙々と二人で森の中を歩いていたが、むず痒い静寂に耐えきれなくなり、呟くように言葉を投げた。
「あの……あなたが、チェシャ猫?」
「うん、そうだよぉ。そういうキミはぁ、アリスだよねぇ」
チェシャ猫はこちらを振り返って、花のような笑顔を浮かべる。先ほどの言動から察するに、どうやら彼女は私を殺す気は、
「あーあ……やっぱりぃ、さっき殺してあげればよかったかにゃぁ……失敗したにゃぁ……せっかくジョーカーだったのににゃぁ……」
ないようだ……と、心の中で言いかけてやめた。気まぐれで殺さなかっただけらしい。
ため息を吐くと同時に、私の前を歩いていたチェシャ猫は足を止め再び振り返る。
「あれぇ、あのお家ぃ。あそこに行くといいよぉ。それじゃあ、僕はこれでぇ。また遊んでねぇ、アリスー」
最後まで不思議な猫さんだ。
チェシャ猫が尻尾をくるりと回して煙のように姿を消した後、私は教えられた場所に向かって歩き出すのだった。
「はぁっ……はぁっ……!」
足を止め、呼吸を整えながら顔を上げて辺りを見渡せば、先ほど双子に出くわした森の中にいた。
一番戻って来たくなかった場所で響くのは、
「あっ!」
「あー!」
一番、聞きたくなかった声。
恐る恐る目をやると、こちらを指差して立っていたのはやはりあの双子――ハンプティ・ダンプティ。相変わらず仲良さげに片手を繋いだまま、満面の笑みを浮かべて小走りで目の前にやって来た。
「ご機嫌よう、アリス! また会えたね!」
「嬉しいよ!」
「……ごきげんよう、ハンプティ・ダンプティ。私はもう二度と会いたくなかったわ……」
「悲しいこと言わないでよ!」
「そうだよ! 言わないでよ!」
膨らませた頬を二人でぴたりとくっつけながら、横目で互いに見つめ合い「ねー!」と声を合わせて言う。少しの間、眉間に深いシワを刻んでいたかと思えば、反応に困る私を見た途端ぱあっと笑顔を咲かせた。
情緒不安定なのかしら、と呆れ気味に心の中で呟く。
「ねえ……もしかしてアリスはさ、」
「道に迷ってるの?」
「きっとそうだ、迷ってるんだ」
「でも、アリスが迷っているのは道だけじゃないよ?」
「あ、そっか! アリスは未熟だもんね!」
余計なお世話だ。
「この先に進みたいなら、」
「チェシャ猫に聞くといいよ!」
「チェシャ、猫……?」
初めて耳にした名前に首を傾げると、ハンプティかダンプティか……どちらかはわからないが、片方が「そうだよ!」と大きく頷き答えてくれる。
「チェシャ猫には、この道を抜けた先で会えるよ!」
「ああ、でもアリス。気をつけて?」
「くれぐれも、気をつけて……行ってらっしゃい、大事なアリス」
***
多分、あれは……ダンプティだったはず。
彼が指差した小道を歩いている最中、ある事を思い出した。そうだ、先ほどの……多分、ダンプティが強調して続けた「気をつけて」の一言がどうにも引っかかるのだ。
サタンといい、彼らといい。伝えたい事があるのなら、回りくどい物言いをせずにはっきりと言葉にすれば良いのに。
心の中であれこれと文句を浮かべながらしばらく歩いていると、
「――……!?」
突然、喉に冷たい物が当たり、何者かの声が降ってきた。
「はぁい。たった一人でぇ、こーんにゃ暗い所に来るにゃんてぇ、とーっても不用心だねぇ」
のんびりと言葉を紡ぐソプラノ。同時に、目の前に一人の女性が現れた。
紫の髪から同じ色の猫耳が生え、寝間着のように緩い服装をした、ついさっきまでそこにはいなかったはずの人物。
その少女が尻尾を揺らしながら私の喉に当てているのは、怪しく光るナイフだった。
(殺さ、れ)
「こーうやってぇ、いきなり殺されちゃっても知らにゃいよぉ?」
女性は人懐っこそうな犬歯の見える笑顔を浮かべるなり、ポイとナイフを投げ捨ててしまう。安堵に胸をなで下ろすと、女性に手首を掴まれた。
「な、なに……?」
「えぇー? ここに来たってことはぁ、この森から出たいんだよねぇ? いいよぉ、案内してあげるねぇ」
***
体感として数十分間、黙々と二人で森の中を歩いていたが、むず痒い静寂に耐えきれなくなり、呟くように言葉を投げた。
「あの……あなたが、チェシャ猫?」
「うん、そうだよぉ。そういうキミはぁ、アリスだよねぇ」
チェシャ猫はこちらを振り返って、花のような笑顔を浮かべる。先ほどの言動から察するに、どうやら彼女は私を殺す気は、
「あーあ……やっぱりぃ、さっき殺してあげればよかったかにゃぁ……失敗したにゃぁ……せっかくジョーカーだったのににゃぁ……」
ないようだ……と、心の中で言いかけてやめた。気まぐれで殺さなかっただけらしい。
ため息を吐くと同時に、私の前を歩いていたチェシャ猫は足を止め再び振り返る。
「あれぇ、あのお家ぃ。あそこに行くといいよぉ。それじゃあ、僕はこれでぇ。また遊んでねぇ、アリスー」
最後まで不思議な猫さんだ。
チェシャ猫が尻尾をくるりと回して煙のように姿を消した後、私は教えられた場所に向かって歩き出すのだった。
0
あなたにおすすめの小説
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
アガルタ・クライシス ―接点―
来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。
九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。
同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。
不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。
古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました
由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。
尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。
けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。
そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。
再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。
一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。
“尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。
静かに離婚しただけなのに、
なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
さくら長屋の回覧ノート
ミラ
ライト文芸
三連続で彼氏にフラれ
おひとり様として生涯過ごすことを決めた32歳の百花。
効率よく最速で老後費用の
貯蓄2000万円を目指す【超タイパ女子】だ。
究極の固定費である家賃を下げるために、築50年のさくら長屋への入居を決める。
さくら長屋の入居条件は
【「回覧ノート」を続けることができる人】
回覧ノートとは長屋の住人が、順々に
その日にあった良かったことと
心にひっかかったことを一言だけ綴る簡単なもの。
個性豊かで、ちょっとお節介な長屋の住人たちと
回覧ノートを続けて交流するうちに、
百花はタイパの、本当の意味に気づいていく。
おひとり様で生きていくと決めたけれど、
<<少しだけ人と繋がっていたい>>
──そんな暮らしの物語。
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる