【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

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第8話 夢ではない

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 朝――この世界にそういった概念があるのかまだわからないが、朝日が登っていたので『そう』なのだと思う。
 目が覚めてから早々に驚いた。

「……え、」

 私が昨晩ねむりについた場所は、時計屋さん宅の客室に設置されたベッド。そのはずなのに、

(なに? ここ……)

 私は今、全く別の――とても見覚えのある場所に居た。
 綺麗に整備された芝生、花壇で咲き誇る花たち、そんな庭を囲うように生えた木。どれも見飽きた風景で、私が元いた世界の眺めだ。
 けれど、一つだけ決定的に違う箇所がある。
 色が、無いのだ。

(変な感じ……)

 景色は確かに、実家の裏にあった庭と同じで、一瞬だけ「帰って来たのかしら?」と胸が躍りかけたのだが……違う。
 あそこは今いる場所のようにモノクロではなく、きちんと色が付いていたのだから。

「記憶とは、とても曖昧なものだからね。鮮明に隅々まで色彩を覚えている事は、きっと少ないんじゃないか?」

 私一人だと思っていた異様な世界に、とんと誰かの声が響いた。どこか、とても懐かしい……心が落ち着くような、低く優しい声。

(誰の、声だった……?)

 記憶を辿りながら振り返れば、口元に三日月型を描いたままふわりと宙に浮く男性が一人、そこにいた。
 胸元のボタンをいくつか外した、とてもだらしない服装。ロングコートの腰回りに長いベルトを通し、針のない懐中時計をネックレスのように首からぶら下げている。

「……?」

 その男性は、格好こそ大きく違っているが……なぜか、顔に見覚えがあった。既視感、デジャヴ。どう言い表すべきだろうか?
 たしかに……もっと以前に、この世界ではないどこかで会っている……と、思う。そのはずだと、心の奥でもう一人の自分が叫んでいるような気がした。

「アリス、無理に思い出さなくていい。まあ……どちらにしても、今はまだ、思い出せはしないだろうが……」

 男性はふわりと空中を歩いて私の前へやって来ると、慈しむように目を細めて優しく頭を撫でてくる。

(……やっぱり、)

 とても、懐かしい感覚……同時に、とてつもない違和感が襲いかかった。
 違う、と脳が強く否定する。以前、出会ったのはこの男ではない……という意味ではなくて、もっと別の、 

「……これは、夢?」
「ん? ははっ、おかしな事を言う。アリス……これは夢ではない、現実だよ」

 現実。

「……いいえ、夢よ。夢でなければ、私は一度双子に刺されたのだから死んでいるはずだし、ナイフはトランプにはならない。人が浮いたりもしないわ」
「ふむ、現実主義者なのは良い事だ。だが……この世界も、今ここにいるアリスも、全て夢ではない。現実だ」

 小さな子供に言い聞かせるかのような、とても優しい口調と声音。その言葉に、「これは現実なんだよ、夢ではないよ」と、脳みそまで錯覚しそうになる。
 違う、これは夢だ。この世界も、ここにいる私も、目の前の彼も……何もかも全て、

「全て、夢ではないさ」
「……!? あなた……こ、心が読めるの?」
「いいや? そうではないが、『それ』に近いことはできる。なんせ私は、アリスや他の住民の――だからね」
(……?)

 他の住民たちの、から先の言葉が一瞬聞き取れなかった。
 彼が口を動かしていたのは確かなのに、何と言っていたのかだけがわからない。まるで少しの間だけ、音を消したテレビを眺めていたかのよう。

「それは、今は知る必要がないと言う意味だろう」

 目の前の男性は、空中でふわりと体勢を変えて足を組みながら、小さく喉を鳴らして笑う。
 ああ、全てがもどかしい。知っているはずなのに、思い出せない。喋っているのに、聞き取れない。
 なぜ、どうして、と自問ばかりが続く。

「アリス、自分を責める必要はないよ。今は知る必要がない……たったそれだけのことで、それが現実だ」
「……ねえ……あなたは、私の過去を知っているの?」
「……私は、アリスや他の住民の――だから、もちろん知っているが、知らないとも言える。ただ……私が三つ、君に伝えたい事は……」

 どこか悲しげな笑顔と、男性の首筋に刻まれた『A』という文字が目に入った瞬間、モノクロの世界はガラスのように弾け飛んで、彼の姿は破片と共に消え去り、元いた時計屋さん宅の客室へ戻ってしまった。

(……)

 夢のような世界で寸前に落とされた言葉を、頭の中で繰り返す。

「私が三つ、君に伝えたい事は……力になれなくて、すまなかった。私は……アリスにはもう二度と、この世界へ来てほしくなった。この世界に来る必要がない、そんな風に……なって、ほしかった」
(ねえ、名前も知らないあなた……あれは、どういう意味なの? あなたは、何を知っているの?)

 エプロンドレスの端に付いたモノクロの花びらまで、「これは夢ではないよ」と私に言っているようだった。 
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