【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

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第10話 元の姿

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 静かな森の中で、二人分の足音が小さく響く。
 時計屋さんの背中を常に視界の端に捉え、見失わないように気をつけつつ辺りを観察するが、どこまで行っても木に囲まれていていい加減に見飽きてくる。

(最初に双子と出会った森を思い出すわね……)

 こんな森の中で、時計屋さんが関わる仕事とはいったい何なのか?
 直接、本人に聞いてみたい気持ちは勿論あったが……一緒に家を出てから今まで一言も喋らない彼の後ろ姿を見て、口を閉じて唇に力を込めた。

(……私、時計屋さんに嫌われているのかしら?)

 そのまましばらく歩き続けていると、時計屋さんは不意に足を止めて振り返る。
 しかし、相変わらず何か言葉を発するわけでもなく、こちらをじっと見下ろしたまま動く気配のない彼に小首を傾げて見せると、一瞬だけ時計屋さんの表情が和らいだような気がした。

「……時計屋さん? どうしたの?」
「……ん? ああ、いや……ただ、」

 そこで言葉を切ってしまった彼の、ペリドット色の隻眼を黙って見つめ返せば、何やら目線を泳がせてそわそわし始めてしまう。

「?」

 時計屋さんはひとしきり挙動不審な様子を見せた後、私の目線から逃げるように顔を背けたかと思えば、頬を朱に染めながら小さく呟いた。

「……あの、アリス……あんまり、そうやって見つめないでくれる……?」
「……え?」
「……だから……そんなに、じっと見るな……」
「ご、ごめんなさい……?」

 何に対しての謝罪かいまいち自分でも理解できていないが、とりあえず「ごめんなさい」ともう一度告げると、時計屋さんは「うん」とわずかに頷いてからやっとこちらを向く。しかし、その頬はまだうっすらと赤みを帯びていた。

「……時計屋さん?」
「……ん?」
「どうしたの……?」

 二、三歩歩いたあと振り返り、私を見下ろしたまま数秒の間だけ微動だにしないという奇妙な行動を繰り返す彼にもう一度問い掛ければ、時計屋さんは少し困ったように片手で頭をかき、ためらいがちに口を開く。

「アリスが……ちゃんと、ついて来れてるかな……と、思って」
「……心配してくれていたの?」

 彼の些細な思いやりに心が温かくなるのを感じて、唇は自然に緩んでしまい、自分の声が弾んでいるのがわかった。

(ふふっ)

 にこにこと遠慮なく笑顔を向ければ、時計屋さんはなぜか一瞬目を丸くして言葉を詰まらせてしまう。それから、顎に片手を当て少し考える素振りを見せた後、こくりと深く頷いた。

「何も喋らないから、てっきり私のことを嫌っているのかと思ったわ」
「……そう、なれた方が……良かったかもしれない」
「……え?」

 蚊の鳴くような声は森林のざわめきにかき消されてしまい、上手く拾って飲み込むことができずに思わず問い返す。

「……色々あって……女と話すのは少し苦手なんだ、不安にさせてごめん」

 時計屋さんは、ひどく悲しげな表情でそう言ったあと、足元に目線を落として踵を返してしまった。

(今、どうして……そんな顔、)

 時計屋さんは再び私を見なくなってしまったが、黒手袋に包まれた片手がすっとこちらに差し出される。

「……」

 ばれないように小さく笑ってその手を取れば、まるで宝物に触れるかのような優しさでそっと握り返してくる時計屋さん。

「不器用なのね」
「……優しいんだねって言うところだと思うよ、アリス」

 迷子にならないように繋がれた手と、柔らかな布の感触。それから……見上げた先にある、少し赤い時計屋さんの耳たぶ。
 静かな森の中に、再び二人分の足音が響いた。 



 ***



 時計屋さんと共に森の中を歩いてたどり着いたのは、できればもう二度と行きたくないと願っていた場所だった。
 以前、サタンに連れられてやって来た――常に薄暗い公園。その隅でひっそりと開かれている、イカレたお茶会。
 そこに、私はまた何も知らずにやって来てしまったのだ。

(どうしましょう……!)

 帰りたいとが、仕事をするために来ている時計屋さんに対して、着いて早々「帰りましょう!」とわがままを言うわけにもいかず、結局『例の方々』に再会してしまう。

「あー! アリス! アリス、アリス、アリス!!」

 弾かれたように立ち上がり「また会えた! 嬉しいよ会いたかったよ!」と満面の笑みで駆け寄って来るイカレウサギに対し、時計屋さんを盾にするようにして、自分の体を隠したまま首だけ覗かせて愛想笑いを返す。
 時計屋さんは、そんな自身の扱いを特に気にする様子もなく、静かにどこか一点へ目線をやっていた。

「!?」

 そちらにいた人物を見た瞬間、驚きのあまり言葉を失う。

「この、時計屋……っ!! 話はまだ終わってないだろうが!!」

 怒り心頭の様子でこちらに早歩きでやって来るのは、恐らく帽子屋さん……だが、彼の背格好が全く違っているのだ。
 初めて会った時、彼はおよそ十才ほどの幼い少年の見た目をしていたのだが、今はどう見ても時計屋さんやジャックたちと同じ成人男性。
 背や髪も伸びており、唯一変わっていないのは、私から見て右側の頬に刻まれているスペードのマークだけだ。
 
「よう、帽子屋。途中で抜けてごめん」
「よう……じゃねぇよ!」

 背中にくっついてる私に気づいていないのか、帽子屋さんは鬼のような形相で時計屋さんに掴みかかる。
 その衝撃で時計屋さんもろとも後ろに押されてしまった私はバランスを崩して倒れそうになるが、背に回された時計屋さんの片手に支えられたおかげで、ひっくり返り尻餅をつくような醜態を晒さずに済んだ。

「アリス……!?」

 そこでやっと私の存在に気づいたらしい帽子屋さんは、私と目が合った途端に両手で顔を覆い隠し、焦った様子で後ずさりながら声を荒げる。

「……っ、アリス! こっちを見るな!」
「……!?」

 あれ?何かしら。今……一瞬だったけど、何か……既視感のような、ものが、

(こっちを見るな……昔、誰かに……そうやって、怒鳴られたような、気が)

 ぽかんと口を開けたままの私を見て、恐る恐るといった様子で顔から手を離した帽子屋さんは、まるで苦虫を噛み潰したような表情で何かを言いかけてから、勢い良くこちらに背を向けてしまった。

「くそっ……! おい、時計屋! 今すぐ俺を『元の姿』に戻せ!」
「え……? そっちが元の姿だろ……?」
「このっ、お前……っ! が分かっていて言ってるなら殺すぞ!? 俺が買った時間はどうした!? こんな醜い姿に、」
(醜い? 帽子屋さんが……?)

 帽子屋さんは一瞬、全く悪びれる様子のない時計屋さんに殴りかかろうとしたが、私が見ていることに気づいたらしい瞬間にぴたりと動きを止め、深い溜め息を吐いて時計屋さんの服から手を離す。

「……アリス、平気か?」

 顔を背けたまま、帽子屋さんの口から呟くように落とされた言葉の意味はよくわからなかった。ただ、平気か?と問われれば、良くも悪くも特別なんともない事だけは確かなので、素直に「ええ、大丈夫」と返して頷く。

「わかった、それならもういい……アリスが平気なら……いや、それはもういい。そうか、お前は昔からそういう奴だったな木偶の坊」
「うん、そうそう……時計屋さんは昔からこうなの。めんどくさい事が嫌いな気持ち、お前ならわかるだろ? あと、木偶の坊じゃなくて時計屋さん。お前も昔から口が悪いな……だから芋虫が、」
「うるさい黙れ」

 帽子屋さんは片手でシルクハットを取り、空いている方の手でがしがしと頭を掻いてから、自分専用の席なのだろう場所へ戻ってどかりと椅子に腰掛けた。
 そのまま手酌でダバダバと注いだ紅茶を一口飲む彼の様子を見て、(これでやっと時計屋さんの家に帰れるのね)と胸を撫で下ろそうとした……その時。
 今この場において、何よりも受けたくないお誘いの声がかかる。

「時計屋、アリス。これは全くの偶然だが、ちょうどお茶会の時間だ……二人とも、参加するんだろう?」

 疑問系ではあるが、その鋭い眼差しは「有無を言わさず」といった様子で、私達は否応なくお茶会へ参加することになってしまったのだった。 
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