【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

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第25話 切望

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「アリスは……帽子屋のことが好きなのか?」

 公園を離れ、花屋さんと一緒にクローバーの街へやって来た。
 二人並んで街中を歩いていたのだが、突然彼に片腕を掴まれてそう問いかけられる。真剣そのもの……と言うより、ほんの少しだけ不機嫌そうな表情。
 冒頭の発言に至るまでは何の前触れもなかったため、突然の出来事にぽかんとしていると、

「帽子屋が、好きなのか?」

 私の腕を掴む手にじわりと力が込められ、再度同じ言葉を投げられた。

「大切な人、だけど……恋愛感情ではないわ」

 そう返せば花屋さんは表情を緩め、やっと手を離して前を向く。
 居心地悪そうに荒い手つきで後ろ髪を掻く彼の顔を覗き込めば、一瞬ちらりとこちらを見た。首を傾げて「どうしたの?」と問うと、どこか余裕のない表情を浮かべる花屋さん。
 初めて見たその様子に、どきりと胸が高鳴った。不覚だ……顔は特別良いだけに始末が悪い。

「……なあ、アリス」
「なあに……?」

 赤くなっているであろう頬を両手で隠しながら顔を背け、彼の呼びかけに返事をした。

「……アリスは、ここの住民……ランクを持ってる皆の事が、まだ怖いか? この国は、気に入らないか?」
「え?」

 絞り出すように言葉を紡ぐ声。思わず花屋さん顔を見上げると、彼は眉間に深いしわを刻み悲しげな色の滲む瞳に私を映している。
 どうして、そんな顔をするの? 

「……花屋さん、」
「アリスは今でも、本当に……元の世界に帰りたいと思っているのか? このゲームの『意味』も……アリスは、本当に……そうだ、アリス。他に大切だと思える住民はいないのか? 俺じゃなくてもいい……時計屋のことはどうだ? 白ウサギは?」

 矢継ぎ早に話す花屋さんは――以前のエースのように、泣き出しそうな顔をしていた。
 私の前に回り込んですがりつくように両肩をそっと掴んできた手は微かに震えており、どこか深い悲しみと怒りが混ざり合っているような声音に胸が締め付けられる。

「なあ、アリス」

 そのまま、花屋さんに抱き寄せられ腕の中に閉じ込められた。

「花屋、さ、ん」
「お願いだ、アリス……もうずっと、このまま……この国にいてくれ。何も思い出さなくていいから、もう傷つかないでくれ……」
(それは……どういう、意味なの?)
「俺が、アリスを守るから……今度はずっとこの国で、守ってみせる。もう二度と、あんな目には遭わせない。約束する。だから、頼む……死にたいなんて、思わないでくれ……お願いだ、アリス……生きたいと言ってくれ……」
「ど、どういうこと? 私は、」

 ドクリと心臓が高鳴り、全身が脈打つような感覚をおぼえる。

(なにか、を)

 とてもつもなく大きな『何か』を思い出しそうで、冷や汗が頬を伝った。
 傷つかないで、ここにいて。今度はずっと、守るから。死にたいと言わないで、生きたいと願ってくれ。

(なにか……)

 私は――とても、大事なことを忘れている気がする。
 できることならような、記憶喪失になってしまえたら良いのにと願った……何かを、

「アリス、駄目だ……」 

 頭の中でエースが囁く。けれど、脳みその中で延々と渦巻く『何か』が消えてくれない。
 私は……忘れてしまっている。それを「思い出せ」と、もう一人の私が耳元でずっと囁き続けていて、

「……い、や……」

 怖い、怖い。思い出したくない。
 片手で花屋さんの服を握りしめた拍子に、ぼろぼろと溢れ出した涙が顔を濡らし視界を歪ませた。

「はなやさん……はなや、さん……こわい、はなやさん……っ」

 繰り返し名前を呼んで胸元にすがりつく私を彼は黙って抱きしめ返し、なだめるような手つきで背中を撫でる。

「……アリス、」

 突然、ふわりと体が浮かび上がったのでモノクロの世界に隔離されたのだろうかと驚いたが、間近に見えたかっこいい顔で花屋さんに抱き上げられているのだとすぐに理解した。

「ごめんな、アリス。泣かせる気は微塵もなかったんだが……記憶も無いのに、急に訳のわからないことを言われて怖かったよな。ごめん、許してくれ」

 花屋さんは微笑みながらそう言うと、涙の溜まっている私の目尻に触れるだけのキスを落とす。

「……セクハラ」
「うん? これは嫌がらせじゃない、アリスへの愛情表現だ」
(この思わせぶりな台詞……自分の顔の良さを利用して、わざと言っているのかしら……)

 きつく睨みつけてやるが、花屋さんは困ったようにへらりと笑うだけで。
 そうやって、いつも自然体でいて演技くさい仕草やキメ顔をやめれば完璧なのにもったいない……という気持ちを込めて、彼の癖一つない黒髪を両手で撫で回して小さく笑った。
 私を抱えているせいでボサボサになった髪を直せない花屋さんは、特に怒るわけでもなく眩しそうに目を細めて私を見る。

「可愛いな。やっぱりアリスは、笑っているのが一番だ」
「……私も、花屋さんの自然な笑顔は素敵だと思うわ」
「なんだ? 急に告白されるとさすがの俺でも照れるぞアリス!」
「そのとても前向きな思考回路と演技くさい仕草は素敵じゃないわ」



 ***



 すっかり忘れかけていたが、私は時計屋さんの命の源……らしいチョコチップを買うために、花屋さんとクローバーの街へやって来たのだ。
 決して、顔だけは文句のつけようがないほどかっこいい彼と街中でいちゃいちゃ、あははうふふ……などと、ピンクワールドを繰り広げるために足を運んだのではない。

「……っ」

 先ほどのあれこれを思い出してしまい顔に熱が集まる私をよそに、花屋さんは上機嫌で私の手を引き前を行く。
 しばらく行ったところで彼は歩みを止め、くるりとこちらを振り返った。

「それじゃあ……菓子は俺が買ってくるから、アリスはここでいい子にしててくれ」

 言われて初めて気が付く。
 おつかいに来たはいいが、よくよく考えると私はお金を持っていないのだ。

「……ありがとう、助かるわ」
「ははっ、どういたしまして」

 花屋さんは王子様さながらに私の手を取り、その甲に短いキスをして微笑む。
 どこまでもたちが悪いイケメンだ。

「……お金、必ず返すから」
「アリスは本当にいい子だな。けど、その申し出は丁重に断らせてもらう」
「でも、」
「お金より何倍も価値があって、大事なものがある。俺は……アリスが笑っていてくれるなら、それだけでいいんだよ」

 ぽんと私の頭を撫でてから、笑顔で手を振りお店に入って行った花屋さんを見送り、わずかに生まれた暇な時間を壁にもたれかかって過ごす。

「……」

 街行く住人達は、やはり同性同士で同じ顔ばかりだ。服装や身長・髪型は違うけれど、ここまでくると若干気味が悪い。
 そしてよく観察してみると、みんなハートの城にいた使用人達のように首筋にマークが刻まれている。
 バツ印のついた、クローバーのマークが。

「何で、バツなんか……」

 言い切る前に再び片手を取られ、指に柔らかいものが触れる。

「ただいま、愛しのアリス」
「お……かえりなさい、残念な花屋さん」

 たくさんの大きな袋を抱えて「照れ隠しかアリス! 可愛いな!」と大袈裟なポーズをきめる彼に、ただ冷ややかな目線を送った。

「……あ、そうだ。ねえ、花屋さん」
「うん? どうした?」

 不意打ちで向けられる、演技のない自然な微笑み。
 無駄にかっこいい顔で突然そういう表情をされると、私の心臓が忙しいのでやめていただきたい。

「あの……何で、ここの人達に刻まれているマークにはバツ印が付いて……」

 花屋さんから住人たちへ目線を移動させた瞬間、彼の腕の中に閉じ込められた。
 彼の抱えていた袋が落ちる音と同時に、花びらが視界のはしでひらりと揺れる。 

「な、に……? どうしたの? 急に……」

 顔を上げると、花屋さんの胸元が目に入った。時計屋さんのようにカッターシャツの上から数個目までのボタンが外されているため、見るつもりがなくても視界に入ってしまう鎖骨。
 そこには、バツ印の無いクローバーのマークが刻まれていた。

「クローバーの……」

 花屋さんは、ぐいと私の肩を掴んで軽く押しのけながら空中の“何か”を片手で掴むような仕草をする。

「こーら、アリス。口は災いの元だぞ?」

 にこりと笑顔を浮かべつつ、握っていた片手を広げる花屋さん。落下する銀色のナイフは、地に着くより先に花びらへ変化した。

「……まだ俺の目の前でアリスを傷つける気があるなら、お仕置きしなきゃいけないな」
「……」
「綺麗な花に生まれ変わりたい願望があるなら、優しい花屋のお兄さんが叶えてやろう。そうじゃないなら……今すぐ、アリスの前から消えろ」

 狂気の垣間見える花屋さんの目線を辿って振り返ると、そこには獲物を狙うライオンのような表情をした住民達が皆、揃ってナイフを構えていて、

(!?)

 全身に鳥肌が立つと同時に、住民達は花屋さんの言葉に従うかのように建物の中へ消えていく。

「……もう大丈夫だ、怖かったな。ただ、アリス……この国ではあまり、ランクの無い住人に関しての話はしない方がいい」

 先ほど落とした袋を拾いあげ、土を払う花屋さん。 

「……ご……ごめん、なさい」
「いや、謝る必要はどこにもない。アリスが無事ならそれで良い……さて、時計屋の家まで送ろうか」
「……ええ、ありがとう……」

 私は、花屋さんに……皆に、迷惑をかけているのではないだろうか。時計屋さんにも、サタンにも。

(私なんて、)

 この国にいない方が……早く、元の世界へ帰ってしまった方が……きっと、

(やっぱり、私なんかが居ていい場所は、生きていてもいい場所は……どこにも無い)

 勝手に自分を責め立てているくせに、涙がこみ上げて視界が歪む。
 私は本当に、この国に居ていいのだろうか。
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