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第31話 役に立てたかな?
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「アリ、ス……」
ネムリネズミはぜえぜえと荒い息を吐きながら、重そうな足で少しずつ私に歩み寄ってきた。
(な、んで……?)
初めて彼女に出会い目線が交わった時には、あれほど強烈な恐怖と嫌悪感を抱いていたというのに……今は、平気で彼女の緑色の瞳を見つめ返すことができる。
「……アリ、ス……ア、リス……」
「……っ!!」
ぐらりと揺れて倒れそうになったネムリネズミの体を、すんでのところで抱きとめた。
立つことすらままならない様子の彼女を考慮し、自身の片腕を枕代わりにして後頭部を支えたままゆっくりと屈みこんで地べたに座らせると、突然がしりと左肩を掴まれる。
何事だろうかと驚いて彼女の顔に目線を落とせば、虚ろな瞳が私を見上げていた。
「ネムリネズミ……大丈夫、なの?」
「……ア、リス、」
私の首に腕を回して肩に顔を埋め、ネムリネズミはとても弱々しい力で抱きついてくる。
汗の滲む背中をそっと撫でれば、彼女の腕に少しだけ力が増した。
「ねえ、本当にどうしたの……? 大丈夫? お医者様に診てもらった方が、」
「……ねえ、アリス……アリスは……まだ、『僕』のことが怖い……? 今でも『僕』が、嫌い……?」
蚊の鳴くような、か細い声で問う彼女。
怖いか?と聞かれたら、答えは一つだ……もう、怖くはない。
嫌いか、という問いに対しての言葉はもう、決まっている。
「……いいえ、怖くなんかないわ。嫌いでも、ない。私は、ネムリネズミのことが……あなたのことも、大切よ」
あのね、ネムリネズミ。私……なんとなくだけれど、気づいたの。
きっと、あなたは私の――……、
「……そう、そっかぁ……うん、そっか……よかった、よかったぁ……」
肩が、冷たい。
ネムリネズミの体はかすかに震えていて……恐らく彼女は今、泣いているのだろう。
「よかった……僕なんかでも、やっと……アリスの役に立てた……嬉しいなぁ、よかったぁ……」
「ネムリネズミ……」
「ごめんね、アリス。ごめんね……僕は、頭の悪いネズミだから……役に立てなくて、ごめんね……“これくらい”しかできなくて、ごめんね……」
(ねえ、泣かないで……?)
彼女を抱きしめ返そうと伸ばした両腕は、その体をすり抜けてしまった。
「……え?」
そんなはずはない、ただの幻覚だとと自身に言い聞かせてもう一度同じ行動を繰り返すが、結果は変わらなかった。
ネムリネズミは今たしかに目の前にいるのに、彼女の体温を感じるというのに……まるで蜃気楼みたいに、触れることがままならない。
(そん、な……そんなはず、)
なんで?どうして?と頭の中で自問自答が渦巻き始めた頃、ネムリネズミの消え入りそうな声が鼓膜を震わせた。
「ごめんね、アリス……僕……嘘つきで、ごめんね……大嫌いだ、なんて……そんなの、嘘だよ……嫌いになれるわけ、ないんだ……」
「……待って……待って、ネムリネズミ……っ!」
「本当は……アリスのこと、大好きだよ……昔からずっと……アリス、大好きだよ……」
ネムリネズミは体を離すと、涙に濡れた瞳で笑う。
「……アリスが、幸せになるために……僕も、少しくらい……役に、立てたかな……?」
「!!」
まばたきを一つしたほんのわずかな時間で、ネムリネズミの体は完全に消えてしまった。
(そんな……)
今さっきまで確かにそこにいたのに、まだ私の体には彼女の体温が残っているというのに……ネムリネズミはもう、どこにもいない。
「ネムリ、ネズ、ミ……どうして……?」
ねえ、ネムリネズミ。どこに行ってしまったの?私、まだあなたに謝っていないじゃない。
過去に、私はあなたに何か酷いことを言ったんでしょう?酷い事をしたんでしょう?
私はまだ、きちんと謝れていないわ。いいえ……それどころか、思い出せてすらいない。
ねえ、どうして?
「何で、そんなこと……忘れてしまえたの……?」
頬を伝って落ちた涙が、エプロンドレスに小さな染みを作る。
「何が、あったの……? ねえ、ネムリネズミ……」
何で、どうして……私は、忘れてしまったの?
「……っ、どう、して……」
誰か、教えてほしい。私に、全てを。
こうして私が頭を悩ませている間にも、ネムリネズミは『存在しなかった』という認識にすり替わってしまうのだ。
それがたまらなく怖くて、寂しくて、悔しくて……辛くてたまらない。
ネムリネズミの言葉が何度も頭の中で反響し、行き場をなくした悲しみが心の中で渦巻いた。
「あーあ、消えちゃったんだ!」
「消えちゃったね!」
そんな私とは対照的に、双子はどうでもよさそうに肩をすくめて顔を見合わせる。
まるで「特別求めていなかったプレゼントを無理やり手渡され、致し方なく遊んでいる最中に壊れてしまった……たった『それだけ』の出来事だ」とでも言うかのような声音。
チェシャ猫はといえば、ネムリネズミが完全に消滅したのを目で確認した途端、安堵したように胸を撫で下ろして深く息を吐いただけで、他に何の言葉もなかった。
彼らのその様子に――はらわたが、煮えくり返りそう。
「……して……、どうして……なんで、あなた達は平気でいられるの!?」
急に声を荒げた私を見て、三人は驚いたように目を丸くした。
しかし「なぜ怒っているのかわからない」と言いたげな、「怒っているアリスの方がおかしいよ」とでも考えているかのような瞳がさらに神経を逆撫でする。
「なか、ま、が……仲間が、消えちゃったのよ!? もう、どこにも居ないのよ!? 悲しくないの!?」
瞬間、三人の表情が一変した。
嘲笑するかのように三日月型に歪められる口。氷のように冷たい瞳が、静かに私を映す。
たじろぐ私を見て、チェシャ猫は小さく鼻で笑い言葉を落とした。
「にゃんにゃん? 仲間ぁ? にゃーにぃ? それぇ?」
チェシャ猫が「ねぇ?」と双子に同意を求めれば、彼らは「ねー?」と首を傾げる。
「この世界にぃ……仲間なんてぇ、甘ったれた関係はにゃいんだよぉ?」
「上か下か、同等か」
「利用できるか、できないか。それだけだもん!」
双子の無邪気な笑顔にすら、今は狂気が見え隠れした。
「おかしいのはアリスだよ」
背後で、誰かが囁く。
エースとは違うその声で勢いよく振り返るが、そこには誰もいない。
「……っ、」
言いたいことは山ほどあるのに、言葉が喉で詰まってしまう。
まるで、私を見る三人の瞳が首を絞めているかのように。
「……あ! ねえ、兄弟。これって、お花のお兄さんに教えないといけないんじゃないかな? ネズミはクローバーだったもんね」
「ああ、そうだったね! 面倒だけど、お花のお兄さんに報告しに行かないといけないね。兄弟」
お花のお兄さん。
その言葉を脳が理解した瞬間、弾かれたように顔を上げて双子を見る。すると彼らは、にんまりとあやしげな笑みを向けてきた。
「花屋さん……花屋さん、は……まだ、いるの?」
「うんー、今はまだいると思うよぉ」
「……っ!!」
チェシャ猫が肯定した瞬間、足が勝手に動き始める。
まるで「早く彼の所へ行け」とでも言っているかのように。
(花屋さん、花屋さん……っ! あなたなら、まだそこにいてくれるって……私は、)
目の前にある道から続く先には、クローバーの街の建物が小さく見える。
一度呼吸を整えてから、花屋さんの元に向かって走りだした。
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何事だろうかと驚いて彼女の顔に目線を落とせば、虚ろな瞳が私を見上げていた。
「ネムリネズミ……大丈夫、なの?」
「……ア、リス、」
私の首に腕を回して肩に顔を埋め、ネムリネズミはとても弱々しい力で抱きついてくる。
汗の滲む背中をそっと撫でれば、彼女の腕に少しだけ力が増した。
「ねえ、本当にどうしたの……? 大丈夫? お医者様に診てもらった方が、」
「……ねえ、アリス……アリスは……まだ、『僕』のことが怖い……? 今でも『僕』が、嫌い……?」
蚊の鳴くような、か細い声で問う彼女。
怖いか?と聞かれたら、答えは一つだ……もう、怖くはない。
嫌いか、という問いに対しての言葉はもう、決まっている。
「……いいえ、怖くなんかないわ。嫌いでも、ない。私は、ネムリネズミのことが……あなたのことも、大切よ」
あのね、ネムリネズミ。私……なんとなくだけれど、気づいたの。
きっと、あなたは私の――……、
「……そう、そっかぁ……うん、そっか……よかった、よかったぁ……」
肩が、冷たい。
ネムリネズミの体はかすかに震えていて……恐らく彼女は今、泣いているのだろう。
「よかった……僕なんかでも、やっと……アリスの役に立てた……嬉しいなぁ、よかったぁ……」
「ネムリネズミ……」
「ごめんね、アリス。ごめんね……僕は、頭の悪いネズミだから……役に立てなくて、ごめんね……“これくらい”しかできなくて、ごめんね……」
(ねえ、泣かないで……?)
彼女を抱きしめ返そうと伸ばした両腕は、その体をすり抜けてしまった。
「……え?」
そんなはずはない、ただの幻覚だとと自身に言い聞かせてもう一度同じ行動を繰り返すが、結果は変わらなかった。
ネムリネズミは今たしかに目の前にいるのに、彼女の体温を感じるというのに……まるで蜃気楼みたいに、触れることがままならない。
(そん、な……そんなはず、)
なんで?どうして?と頭の中で自問自答が渦巻き始めた頃、ネムリネズミの消え入りそうな声が鼓膜を震わせた。
「ごめんね、アリス……僕……嘘つきで、ごめんね……大嫌いだ、なんて……そんなの、嘘だよ……嫌いになれるわけ、ないんだ……」
「……待って……待って、ネムリネズミ……っ!」
「本当は……アリスのこと、大好きだよ……昔からずっと……アリス、大好きだよ……」
ネムリネズミは体を離すと、涙に濡れた瞳で笑う。
「……アリスが、幸せになるために……僕も、少しくらい……役に、立てたかな……?」
「!!」
まばたきを一つしたほんのわずかな時間で、ネムリネズミの体は完全に消えてしまった。
(そんな……)
今さっきまで確かにそこにいたのに、まだ私の体には彼女の体温が残っているというのに……ネムリネズミはもう、どこにもいない。
「ネムリ、ネズ、ミ……どうして……?」
ねえ、ネムリネズミ。どこに行ってしまったの?私、まだあなたに謝っていないじゃない。
過去に、私はあなたに何か酷いことを言ったんでしょう?酷い事をしたんでしょう?
私はまだ、きちんと謝れていないわ。いいえ……それどころか、思い出せてすらいない。
ねえ、どうして?
「何で、そんなこと……忘れてしまえたの……?」
頬を伝って落ちた涙が、エプロンドレスに小さな染みを作る。
「何が、あったの……? ねえ、ネムリネズミ……」
何で、どうして……私は、忘れてしまったの?
「……っ、どう、して……」
誰か、教えてほしい。私に、全てを。
こうして私が頭を悩ませている間にも、ネムリネズミは『存在しなかった』という認識にすり替わってしまうのだ。
それがたまらなく怖くて、寂しくて、悔しくて……辛くてたまらない。
ネムリネズミの言葉が何度も頭の中で反響し、行き場をなくした悲しみが心の中で渦巻いた。
「あーあ、消えちゃったんだ!」
「消えちゃったね!」
そんな私とは対照的に、双子はどうでもよさそうに肩をすくめて顔を見合わせる。
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チェシャ猫はといえば、ネムリネズミが完全に消滅したのを目で確認した途端、安堵したように胸を撫で下ろして深く息を吐いただけで、他に何の言葉もなかった。
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「……して……、どうして……なんで、あなた達は平気でいられるの!?」
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背後で、誰かが囁く。
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「……っ!!」
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